20.魔女と狼
学校の屋上。一箇所に集った学生たち。七峰茅と相模庸。それに東条光樹と桐生総一郎、そして長谷川直哉の五人。それを囲むように迫る、彼らのクラスメイトとその背後に控える級長の青木。
彼らはお互いに睨み合ったまま、辺りを不思議な沈黙が包んでいた。さっきまで隣の屋上から色んな飛び道具を放っていた者たちも、今は行動せずに沈黙を守っている。
そんな凍結した時間を、黒髪の少女が破った。
「……青木君、どうしてあなた……私の家のことを知ってるの……?」
「どうしてって?……それはまだ言えないな。企業秘密だよ」
「おい、七峰……。メディチ家ってどういうことだ?それに『私の家』って……」
彼らの会話に総一郎が口を挟む。それは、庸を除いた他の三人も思っていたことだった。
彼の質問に茅は少し俯いたが、もはや黙ってはいられないと思ったのか、俯いたまま小さく語り始める。
「メディチ家……私の家の祖先は、実は彼が言った通り『魔女』と呼ばれていた家系。信じてもらえないかもしれないけど、今も代々魔法を受け継いでいるの。だから私も本当に彼らが言う通り……本物の『魔女』なの」
「え……!?」
淡々と語る茅の言葉に、直哉が驚きの声を漏らした。光樹と総一郎も、言葉には出さないが、一回り目を大きく見開いて茅の顔を見る。
「だから言っただろう。彼女は『魔女』なんだと。そもそもこれまでに起きていた不可解な事件のことを思い返してみればすぐに分かる。あれらは全て、『魔女の呪い』によって起きた出来事なんだよ」
「違うわ!確かに私は魔女の家系ではあるけど……、呪いなんて掛けた覚えは無いし、何もやってなんかない!だって、そもそも私は……」
「この期に及んで言い訳とは見苦しいな!早く認めてしまえば楽になるものを!……いや、そんなものは最早不要だ。学級裁判によって既にこれは決定事項となったんだからな!七峰君……キミは『死刑』だ」
「そんな……!?」
「うるっせえよ!!!」
喜々として高説を述べていた級長青木に対して、さっきまでずっと沈黙を保っていた庸が吠えた。その叫びに、その場にいた全員が彼の方を見る。
「ごちゃごちゃごちゃごちゃと!魔法だとか魔女だとか呪いだとかうるせえなぁ!茅ちゃんがやってないって言ってんだからそうなんだろうが!それをお前らは寄ってたかってイジメ倒しやがって……!」
「相模君……」
「いいから早くかかってきやがれ!全員俺が一発ぶん殴って茅ちゃんの前に土下座させて謝らせてやるから覚悟しとけ!」
『…………』
単純すぎる庸の啖呵に、その場にいた全員が唖然として言葉を失った。彼にとっては、メディチ家だとか魔女だとかはどうだっていいことらしい。あまりに単細胞なその意見に、どんな態度を取っていいか分からなかった他の三人の表情も吹っ切れたようだった。
「はっ!相模……たまにはいいこと言うじゃないか」
「まあ……話し合いで解決できる状態じゃ無さそうだしな」
「相模君……分かりやすすぎて助かるよ」
各々そう言うと、三人揃ってハッキリと青木の方を向き、眉根を引き締めた。色々思うことや気になることはあるが、それらは全てこの状況が終わってから済ませることにしたらしい。
そして、その先頭で真っ先に文字通り噛み付いていきそうな程興奮状態である庸の後ろに並び、背後にいる茅を庇って立つのだった。
「おのれ相模……!脳なしの犬如きの血筋め……!分かった、そこまで言うのなら、望み通りにしてやろうじゃないか。クラスの諸君、あの単細胞共を見せしめにしてやるといい。……やれっ!」
「よっしゃ!そうこなくっちゃな!アオオオォォーーーン!」
犬と呼ばれたからなのか、庸は楽しそうに遠吠えの鳴き真似をすると、前屈みになって駆け出す。と同時に、彼らを囲んでいたクラスメイトの全員も動き出した。
「み、みんな……!」
その様子を見ていた茅が心配そうに呟く。庸を除いた三人が、彼女を囲んで守ろうとする。まだクラスメイトたちは十数人。多勢に無勢だ。
「わ……わわわ……こういうのって初めてなんだけど!どうしよう……?」
「長谷川!お前はとにかく彼女に近づく奴の動きを止めろ!そうしたら俺がなんとかする!」
「え!?東条君、そんなことできるの!?」
「いいから言う通りにしろ!『木枯らしの季節の妖精よ、その御手を伸ばせ……!』」
光樹が何やらポエミーな台詞と共に右手を振ると、突如その先に発生した突風がクラスメイトたち数人を巻き込んで、屋上のフェンスへと激突する。猛烈な勢いの風は、フェンスの角を曲げるほどの力で数人を吹き飛ばし、倒れたクラスメイトたちはそのまま動かなくなった。
「悪いな……手加減できそうにないぜ。骨の数本は覚悟してくれよ?」
「東条君……わ、分かりました!」
「なるほどな……理屈は分からんが、そういうことか」
隣りにいた総一郎が、光樹の起こした不思議な出来事を確認し、納得したようにメガネを持ち上げる。そして、仕方無さそうに身構えると、目の前にやって来た一人に対して、素早く体を動かした。
「カハッ……!」
「なんとか、まだ体は覚えているようだな……」
そして、相手の懐に潜り込むと、脇の下から右手を潜りこませ、体を反転させるのと同時に腕を回す。すると、重心を失ってバランスを崩した相手が、半回転しながら地面へと叩きつけられた。……つまり、柔道の払い腰、だった。
「桐生君、すごいね!」
それを目撃した直哉が喝采を挙げる。だが、言われた本人は複雑そうな表情だ。
「動きを正確にトレースしただけで、別に俺が得意なわけじゃない。うまく行ったのはたまたまだ。相手の動きが鈍かっただけで、あまり期待するな。……あんな風にできるはずがない。人間だからな」
「うおりゃあああぁぁっ!!!」
そう言って彼が示したのは、野生の猪のように突進していく庸の姿だった。踊りかかってくるクラスメイトたち数人を巻き込んだまま、全く物ともせずに押し進んでいき、途中で力任せに腕を振り回すと、その膂力に負けたクラスメイトたちが軽々と吹っ飛ばされていた。そしてその先で何人かを巻き込んでなぎ倒される。
……そんなことを何度か繰り返し、時には顔面をぶん殴って失神させ、時には地面に顔面から叩きつけて失神させ、向かうところ敵なしの状態だ。何人かには殴られたり蹴られたりもしているのだが、全く意に介した様子はない。
「なんだありゃ……」
「獣だな」
「頼もしい……」
後ろから見ていた三人が思わず独り言を呟く。
その後ろで怯えていた茅も、その様子には全く言葉が無かった。ただ呆然として、目の前に起こる出来事を見つめている。
「どいつもこいつも……貧弱な血しか持ち合わせていないのか……!」
着実に少しずつ近づいてくる庸の姿を見て、苛立つように青木が吐き捨てた。だが、庸のおかげで、完全に周りを囲んでいる生徒たちは彼一人によってほとんど殲滅させられていた。茅の方へ近寄ってくる者たちは、主に光樹が。それ以外も、なんとか総一郎と直哉によって片付けられていた。
「よぉ……後は……オマエだけだぜ青木……っ!」
ぜーぜー言いながらも、青木を取り囲んでいた生徒のほとんどを、文字通りぶっ飛ばした庸が肩で息をしながら、ヨロヨロと青木へと近づいていく。見た目はかなり疲れているようにも見えるが、それでも近寄ってきた相手は片手でぶん投げている。そして、ぶん投げられた相手はフェンスに勢い良くぶつかったり、地面を何度かバウンドしながら転がって動かなくなった。
「この単細胞の……相模め……っっっ!」
「うるせぇ。ごちゃごちゃ言うんじゃねぇ。かかってこい」
青木の表情に焦りが浮かび、狼狽える。一方で庸の方は余裕の台詞だ。残った後ろの生徒たちも、直哉たちがなんとか捕まえて縛り上げ、無力化していた。何だか分からないこの謎の魔女狩り裁判も、ようやく終わりに近づいたかと彼らが思った時――。
「この私が……この力をまさか使うことになる……とはな……っ!」
青木の表情が、さらに一変した。
今度は、何かを諦めたかのように冷たい表情となり、目を瞑る。……そして、しばらく精神を統一したかのように静かになると、急に周囲に風が渦巻き始めた。
「う……おお……おおおおおっ……!!!」
こらえきれないように青木が呻く。と同時に、彼の肉体が変貌を遂げていった。
まずは、そこかしこの筋肉が盛り上がり、全体的に体が二回りほど大きくなる。……それに合わせて、そのサイズ変更に耐えられなくなった学生服のボタンが弾け飛ぶ。
髪も急に伸び始め、青みがかった紫のような色へと変化する。顔全体の血管が浮かび上がり、筋肉と合わせて顔面全体が怒っているかのような表情へと変わった。
大きく見開いた目は血走り、食いしばった歯の犬歯が太く大きく、唇をも越えて伸びていく。
そして、最も特徴的な変化は、その額から中の骨が盛り上がったように何かが隆起し始め、それは10cmほども伸びた後、鋭く尖ったままで止まった。
「ふうううぅぅぅ……っ」
その間、僅か一分ほどだろうか。だが、さすがの庸もその変化には驚き、思わず体の動きが竦んでしまった。一分の後に、彼らの前に現れていた元級長青木の姿はどこにもない。代わりにそこにいたのは、筋骨隆々のアメコミにでも出てくるような、どす黒い肌をした大男だった。
「お、鬼……!?」
思わず、茅はポツリと呟いていた。