19.魔女狩りの開始
「ようやく開けられたよ。……さあ、魔女狩りの開始だ」
軋む屋上のドアを開けて入ってきたのは、先ほどまでのHRの様子と全く変わらない級長、青木の姿だった。……そこから他のクラスメイトたちも続々と屋上に上がってくる。その数、十数名。
「青木……!」
「どうやらもう逃げ場はないようだね。全く、手こずらせてくれる……」
ようやく隣の校舎から飛んでくる飛び道具の脅威から逃れられたかと思えば、今度は陸からの襲撃だ。……しかも、屋上なので逃げ場はどこにもない。校舎内への入り口は抑えられ、三人は完全に包囲されてしまった。
「お前ら一体……」
「なんだ?いつからうちのクラスはいじめをするようになったんだ?」
「おや? 不登校の東條君も居るじゃないか」
未だゾンビかゴーレムにでもなってしまったかのように、能面のまま微動だにしないクラスメイト達を見て、総一朗が呟く。ずらりと並ぶ彼らの中で、まともな意識を持っており、会話ができそうなのは、青木だけのようだ。苦々しい顔をしながらも、口だけは強がるように光樹が語りかけると、やっと気付いたかのように級長青木も答える。
……光樹は、クラスでは目立つ存在だったため、クラスの中でも覚えられては居た方なのだが、わざと感情を逆なでするような様子で、見下した発言をしていた。
「君たちはクラスの総意に逆らう気かい?」
「お前……一体みんなに何をした?何がクラスの総意だ」
鋭い視線でクラスのみんなを一瞥すると、その視線を最後に青木へと向ける総一朗。これまでの様子で、完全に彼がクラスメイトたちに何らかの洗脳のような影響を与えているのは明らかだった。
「何をだって?僕は何も?……別に、ただの多数決を採っただけさ」
「ただの多数決……?学校に結界まで張っておいて……あなた一体何者なの?」
シラを切るようにとぼける青木。先ほど『結界』というキーワードを口にした茅が、青木に対してさらに言及する。少し前までは、怯えたような不安気な表情をしていた彼女なのだが、現在起きているおかしな状況を知るにつれ、次第に何かに気づき始めているかのようだった。少しずつ、表情に怒りの感情が見え隠れしてきている。だが、相変わらず青木はとぼけたままだ。
「何者って……僕はただの学級委員さ」
「ここまでおかしいのなら、私だって分かる。あなた……クラスの皆の精神に干渉してるわね」
鋭い目つきで追求する茅の言葉を聞いて、ほんの僅かに青木の視線が鋭くなる。
「おやおや。魔女が何か申し開きをしたいみたいだ。……みんなどうする?」
大げさなジェスチャーで青木がクラスメイトたちに問いかけるのと同時に、少しずつ彼らはその輪を縮め始め、次第に茅たちを囲む円が小さくなっていく。さすがにこの人数の人間の囲みから逃げられる方法は見つからない。冷や汗が流れる茅の耳に、非常なる級長の声が届いた。
「やはり、うちのクラスの意見は変わらないようだね。……魔女は死刑だ!」
「待ちやがれっ!」
その時、校舎の中へと続く扉の奥から、その場にいた全員の体を一瞬動けなくするほどの大声が響いた。クラスメイトたちを除いた全員が、その声の方を振り向く。……そこには、血気盛んに睨みつけている相模庸と、息を切らしながら駆け付けた長谷川直哉の姿があった。
「相模!?」
「……おっと、誰かと思えば。魔女になついている飼い犬の相模君じゃないか」
「それに……長谷川?」
「な、何とか間に合った……みたいだね……」
肩で息をしながら、直哉が総一朗たちへと語りかける。そして、彼は大まかに事態を把握した。……どうやら、茅を囲む総一朗と光樹だけはマトモだ、と。ただ、それを伝えようとした庸の方がむしろ正気を失いかけているようで、さっきからすごい形相で級長を睨んだままだ。
「青木、てめえ……っ!」
「はっはっはっは!やはり凶暴な犬には首輪を付けておかなければいけないようだね」
「ぐわっ!」
青木がそう言い終わるより早く、クラスの一人が吹っ飛んだ。最も庸の近くにいた吉田が、顔面に拳を食らってその場に倒れる。
「これだから単細胞は……!みんなやれっ!」
「七峰、下がってろ!」
そこから一気に辺りは混沌と化した。人の話など聞かない庸が、所構わずクラスメイトたちをぶっ飛ばし始めたからだ。そこには男女も関係ない。ただ、顔面を殴るのは男子だけを選別しているらしい……ということは分かった。
級長である青木は、後ろから他の生徒たちに指示を出しており、積極的に前へ出てくる気配はない。命令された生徒たちが茅の方へと殺到するのを、なんとか光樹と総一朗で防いでいる、と言った感じだった。ただ一人、流れに取り残された直哉だけが、どうしていいか分からずに後ろから固唾を呑んで見守っている。しかし、どうやら庸の力だけが圧倒的のようで、クラスメイトたちは千切っては投げられ、千切っては殴られで、まるで除雪機のように集まる人混みを掻き分けて茅の方へと進んでいくのだった……。
「チッ!馬鹿力が……っ!」
青木が舌打ちをしている間に、庸と直哉も茅の元へと辿り着いた。取っ組み合っている光樹と総一朗たちの相手を軽く引き剥がしてぶん投げた後、にこやかに微笑んで茅へと話しかけるのだった。
「茅ちゃん……大丈夫だったかい?」
「え、ええ……あり……がと」
あまりに邪気のないその笑顔に、茅としては正直気持ちが引いた所もあったのだが、ここは大人しく頷いておくことにする。その反応に庸は満足気に頷くと、クラスメイトたちの方へと振り返り、仁王立ちとなった。
「お前ら!一体何されてるのかは知らんが、俺が来たからには茅ちゃんには指一本足りとも触れさせん!触れていいのは俺だけだ!」
キ……キモい。本音を言うとその場にいた全員が少なからずそんな感想を持ったのだが、当の本人は全く気にした様子も無いようだ。さすがの茅もそこには突っ込みたかったのだが、どうやらそんな雰囲気ではないことを悟り、何も口を挟まなかった。
代わりに、青木が答える。
「全く……あんな原核生物にいいようにされるとは、どいつもこいつも役に立たん奴らだ……」
「大人しく帰れ、青木」
「できないねぇ。僕には、クラスの秩序を保つ必要がある」
未だ余裕ぶって腕を組みながら、こちらを見下すように眺めている級長青木。その周りを数人のクラスメイトが虚ろな目をしたまま、囲んでいる。視線の先は、庸たちの背後に隠れている茅へと向いていた。
その姿に得体の知れないものを感じ、茅は呟く。
「あなた、一体……?私のことを知ってるって言うの……?」
「知ってる!?そりゃあ知ってるよ。有名だもんなぁ……メディチ家の末裔よ!」
「!?」
「メディチ家だって!?」
青木が答えた言葉に反応し、総一朗が叫ぶ。その声を聞き、茅の肩がビクッと震えた。光樹と直哉は記憶を辿り、庸に至っては全く思い当たる節が無く、ポカンとしている。
「なんだその何とか家って?」
「ルネサンス期のイタリアに古くから伝わるエリートの血統だ。……魔女狩りの歴史とも関連していると言われているが、確か十六世紀半ばには滅亡したはずでは……?」
視線は青木から外さぬまま、庸の問いに総一朗が答える。メディチ家は、ルネサンス期に数々の芸術家や科学者を支援したパトロンの一族だ。元々は医療関係の一族であり、その後は金融分野にも進出して莫大な財産を築いたと言われている……が、庸にはピンと来ていないようだ。
「???……まあ何だっていいよ」
「ほら、やっぱりクラスの秩序のためには魔女は異端審問にかけなければいけないだろう?」
それがまるで当然だとでも言いたげに、青木は言い放つ。そして、彼の言葉を聞いてから、茅はずっと俯いたままだった。彼女の代わりに庸が叫ぶ。
「だからこんなことしてるって言うのか!?」
「そうさ、何といっても僕は級長だからね」
「……分かったよ青木、次の選挙の時には絶対にお前には票を入れないからな!分かったら、とっととその口を閉じろ!」
いい加減、堪忍袋の緒が切れたというように、庸が青木へ向かって躍りかかっていく。それに反応するように、残ったクラスメイトたちが、青木を守る側と茅の方へ向かってくる側に分かれて動き始めるのだった。
「……さあ、たった五人でどこまで保つかな?」