18.屋上
総一朗と光樹、そして茅の三人は、ようやく職員室へと辿り着いた。
しかし、ドアは溶接でもされたかのように開かない。
「先生!先生!誰かいませんか!?」
大声で呼ぶ光樹の声にも反応は無いようだ。横で扉に耳を澄ませていた総一朗が口を開く。
「……人の動く気配がない」
「窓もダメみたい。話し声も聞こえないわ」
「ガラスでも割るか……?」
「やってみてもいいが、この状態だと微妙な所だな。……クラスの奴らと同じような状況かもしれん。室内で囲まれたら、アウトだ」
総一朗がそこまで言った時、背後から複数の足音が聞こえてきた。……どうやら追いつかれたらしい。
あまり考えている暇は無さそうだ。三人はお互いに目配せをする。
「チッ、マズいな」
「ここは離れよう。……学校の外に出るしかないか」
「うん……でも……」
茅が心配するその先の言葉は、迫ってくる足音にかき消された。職員室の扉を開けることを諦め、一斉に三人は廊下の向こうへと走り出した。
後ろから追ってくるクラスメイトたちは、まるで機械仕掛けの人形にでもなったかのように、黙ったまま追ってくる。コミュニケーションが取れない相手がこれほど不気味だとは思わなかった。捕まったら何をされるか分からない。必死で逃げる三人が廊下の突き当たりの階段を降りようとした時。階下から幾つかの足音が聞こえてくるのが分かった。
「先回りされてたか……」
光樹が呟く。手すりから身を乗り出して下を除くと、数人の他の生徒たちが階段を上がってこようとしている所だった。後ろからも足音が迫っているのが聞こえる。三人は何を話すでもなく、すぐに方向を変えて階段を上がり始めるのだった。
……結局、上がった階にも分散して先回りされていたらしく、人海戦術によって完全に追い込まれた茅たちは、逃げ場を失ったまま、校舎の屋上へと上がってきてしまったのだった……。
「どうする……?」
「今考えてる」
「とりあえず時間を稼ぐか」
学校の屋上は、雨漏りでもしたのか、補修工事をしている所だったらしい。雑多な工事道具が入口付近に雑然と置いてある。三人は校舎から外に出た後、ドアの外に積んであったセメントの袋などを置いてバリケードを作り始めた。あまり大したものは無かったので、気休めにしか過ぎないだろうが、多少の時間は稼ぐことはできるだろう。その間に何か脱出の方法を考えないと……。
「はぁ……はぁ……」
「ちくしょ、職員室が駄目だとなると、後は何とか学校の外に出るしか無いな……」
「一体何なんだこれは?街中がゾンビにでもなっちまってるってのか?」
扉の向こうには、何人かクラスメイトが集まってきたらしい。ガンガンと扉を叩く音が聞こえる。しかし、何とかバリケードの力は持っているようだ。三人はフェンスの近くまで歩み寄り、遠くに見える町並みを見渡した。
「……結界……?」
茅がふと呟く。
屋上から見える学校の外には、人気はない。たまに車が通るのが見えるが、当然のことながら学内の異変に気付いて止まるような車は無い。ここから見える校庭にも人気はなく、校舎内からの声も聞こえなかった。
「結界……って、何だよ?」
「この現象が分かるのか?」
「多分、関係ない人は中に立ち入ることができない結界が張られてるんだと思う。もしくは、気付けないようにされてるか」
「……」
茅の言葉に何と言っていいか分からず、光樹と総一朗は無言で顔を見合わせた。……結界って……マンガやアニメで出てくるアレのことか?……と、互いに表情で会話をしている。だが、一人ジッと遠くを見つめる茅の顔に冗談のような雰囲気はない。なので、何とも言えない表情をして、二人は屋上から外を眺めた。
「何か、ロープみたいなものでここから……っぶね!」
……ヒュッ!
光樹が突然叫ぶと、茅と総一朗を突き飛ばす。その瞬間、二人が立っていた辺りを、何か風のようなものがかすめていった。思わず飛んでいった何かの方向を見ると、カランカラン……と音を立てて、屋上の床に棒のような物が転がった。
それを見た茅が、青ざめた顔で呟く。
「……矢?」
「何だと……?どこから……ぅわっ!」
ガシャーンッ!!!
床に落ちた、どこからとも無く飛んできた矢に気を取られていた三人の後ろで、フェンスが派手な音を立てる。思わずビクッとして振り返る三人の目の前に、フェンスにめり込んで歪んだ野球のボールの姿があった。
「な……んだこれ……」
「野球の……硬球……だと伏せろっ!」
ガシャンガンゴンッ!!!
またも何かの気配を感じた光樹が再び叫ぶ。咄嗟に頭を抑えた三人は、その場にうずくまった。派手に音を立てた方を見ると、そこには隣の校舎の屋上に現れた、クラスメイトたち数人の姿があった。……彼ら同様、登ってきたらしい。
「あいつら……!」
「弓道部の佐野に野球部の近藤、テニス部の吉田にゴルフ部の杉崎までいるな」
「私達を狙ってるの……?」
茅が言った側から、新たに飛来する球体があった。彼女の横をゴルフボールが掠め、総一朗の前でテニスボールがバウンドする。慌てて光樹が茅を庇った。
隣の校舎までは約二十メートル。その先に数人のクラスメイトの人影がある。だが、ここからでは向こうに対してどうすることもできない。上がってきた階段がある部屋の影に隠れるしか無いか……総一朗がそう思った時。
「仕方ない……やるかな」
茅を庇ってしゃがんでいた光樹が立ち上がった。その視線は、はっきりと向かいの校舎を見つめている。やると言っても……一体何を……?総一朗と茅は、驚いた顔で光樹を見上げた。
「おい!危ないぞ!身を低くしろ!」
「東条君、危ないよ!」
「……ちょっと黙ってろって」
警告する二人を、当の光樹は全く意に介した風ではない。それどころか、二人を軽く手で制すると、様々な危なっかしい物が飛んでくる方向へと向かって仁王立ちをしている。思わず目を瞑る二人の耳に、両手を前にかざし、朗々と何やら呪文のような言葉を語る光樹の声が響いてきた。
「――訪れる白き旅人。その衣は何処へと征かん。……ならばせめて、我が前に道を授けよ――」
どこか詩的なニュアンスを感じさせる光樹の言葉が流れると同時に、彼の周囲に徐々に風が巻き起こっていく。着ている制服がはためき、彼の艶掛かった黒い髪もざわめいている。その風は彼とその側にいる二人を取り巻くかのように渦状に登っていくと、小さな竜巻のような轟音を伴いながら、彼らと飛んでくる物たちの間へと流れていった。
「……よし、これで当分は大丈夫だ」
唖然としている二人に対して、光樹はこともなげにそう言う。
何事かと聞き返そうかと思った茅の目の端に、再び向かいの校舎から矢が飛んでくるのが映った。
「……危ないっ!」
そう言った茅の言葉は、どうやら的中しなかったらしい。何故か飛んできた矢は、その軌道上において方向を大きく変え、目標である光樹から大きく逸れてあさっての方向へと飛んでいった。
「……え?」
目を丸くして一瞬呆ける茅と目が合う光樹。彼は、飛んでくる方向へ視線すら向けていない。その直後に飛んできたと思われる野球の硬球が、同じく目標から逸れて屋上のフェンスにガシャン!と当たった音が聞こえた。
「お、お前が……やったのか?」
それが『何をか?』ということについては分からずも、総一朗は光樹に尋ねる。彼は、「まあな……」と曖昧に答えるだけだった。ともかく、どうやら向かいの校舎から飛んでくる様々な危なっかしい物体は、こちらまで届く途中で大きくその方向を変えられてしまったらしい。
……これで一安心。何とか今のうちに脱出方法を見つけないと……!と三人が思った時、その祈りは神には届かなかったらしく、彼らの期待を裏切る雑音が背後から響いてくるのが聞こえた。
ガギギ……ガシャン!
「……ふう、ようやく開けられたよ」
複数の足音と共に、やれやれ……といった感情が含まれた、そんな言葉が聞こえてくる。
見ると、そこにはひしゃげた屋上のドアをくぐって出てくる、彼らのクラスの級長である青木と、その後ろに付き従う、虚ろな目をしたクラスメイトたちの姿があったのだった……。