14.決戦の狼煙
話は少し前に戻る。
「はい。そうです」
そう言って立ち上がった級長の青木は、颯爽と教壇の上に歩いていった。皆からの視線を一身に浴びると、何故か青木はそのまましばらく動かず、何かを溜めるように、しばらく仁王立ちしたままだった。
そして、ゆっくりとクラスメイト一人一人の顔を見回していく。
(何だよ、気持ち悪りぃな……)
いつもと違う雰囲気に、庸は思わず目を逸らした。さっきから、何だかクラスの雰囲気がおかしい。いつものような雑然とした気配が全く無いのだ。クラスの全員が、まるでおもちゃの兵隊にでもなったかのように、ただジッと姿勢を正して着席したまま、静かに押し黙って青木の言動を見守っている。……そして、満を持したかのように青木は厳かとも言える口調で語り始めた。
「……えー今日は、僕から提案があります」
クラスは相変わらず、静まり返っている。
庸は、ふてくされたように頬杖を付いたまま、その台詞を聞く。
「最近、クラスで良くない事が起こっているのは皆さんご存知の事と思います」
続く青木の発言に、庸は色めき立つ。が、クラスメイトたちは未だに無反応のままだ。隣の生徒も、どこか虚ろな目をしながら、青木の話を聞いている。
さらに続く彼の一言が、何かが起こっていることを庸に気付かせるのだった。
「そしてそれが、ある一人のために起こっている事もご存知と思います」
「なっ……!?」
「今から『魔女裁判』を行いたいと思います」
何を言っているんだ……!と庸が叫んで立ち上がるよりも早く、その違和感が襲ってきた。
瞬間的に、視界の全てから色が失われ、その白と黒が入れ替わったような感覚。同じくして、急に現実感が失せていく。それはまるで、時が止まったかのような錯覚を彼に起こさせ、体の平衡感覚を奪われかける。庸は慌てて机に手を付いて体を支えると、周囲を見回して辺りの様子を伺った。……が、特に周りの変化は無い。
先ほどまでと同じように、人々はただ、無表情に壇上の青木の方を向いたまま、黙って虚ろな目で見つめているだけだった。搾り出すように、彼は声を挙げる。
「おっ、おい青木……!」
だが、庸の声を無視したまま、青木はクラスメイトたちに向かって決定的な一言を宣言するのだった。
「『七峰茅』を魔女として死刑にするのに賛成の方はご起立下さい」
「てめ……っ!!!」
ザンッ!
視界に移る全員が、一斉に起立する。
庸はまるで夢でも見ているかのような錯覚を起こしていた。……きっと、朝から寝ていたせいで寝つきが悪く、そのせいでこんな訳のわからない夢を見ているんだと。
じゃなけりゃ、こんな悪夢みたいなこと……起こるわけが無い。
庸が怒りと共に、この異常な事態に戸惑いを覚えている間に、HRは粛々と進められていく。級長青木は、隣で無関心に座っている教師安陪に向かって尋ねた。
「先生、如何でしょうか」
「あー……、君たちで決めたのなら、それでいいんじゃないかな」
「ありがとうございます」
「お、おいちょっと待てよっ!!!」
虚ろな目をしていた教師は、他の生徒と同様、この異常事態に対しても特に何を言うわけでもなかった。ただぼんやりとしながら、青木の提案にだらりと頷いている。庸も、さすがにこの事態が夢などではないということが実感できてきたようで、立ち上がって周囲へ叫んだ。
「待てよお前ら!本気なのか!?」
勢いよく立ち上がった庸の言葉にに答えるものは誰もおらず、その叫び声だけが虚しく響いた。と同時に、クラス中から低温の視線だけが彼に突き刺さる。そのどれもが、体温を伴っていないような、冷たい視線だった。そこに彼ら自身の意思は無く、何者かによって洗脳を受けているかのような、半分恍惚とした表情だけが浮かんでいる。
その中で唯一、明確な意思を持った声が彼の耳に聞こえてきた。
「相模君、これはクラス会で決まったことなんだ。従ってくれないと困るよ~……」
呆れたような、少し甲高い声で庸を嗜めてきたのは、壇上にいる級長だった。わがままな幼児を諭す親のような声色が、庸の勘に触る。
「……何が従えだよ!青木、お前何やってるのか分かってんのか!?」
相手を舐めきったような青木の声色に、庸は怒りを覚え、目の前の机を蹴り飛ばした。ガラガシャ!と一人用の机が横倒しになって転がる。なおも騒ぎ続ける庸に、級長は困り果てたように両手を上げる。
そして、机に座っている教師へと話を振った。
「どうしましょうか、先生?相模君が採決に不服のようです」
「おい相模、気持ちは分かるがクラスで決まったことなんだ。諦めろ」
話を振られた側の安陪は、あっさりと答えた。その言葉は、それがまるで花に水をやるように、魚に餌をやるように何でもないことのようだった。ついに庸がキレる。
「何言ってんだてめえ!それでも先公か!」
安陪に詰め寄る庸の声を無視して、クラスの皆はジッとただその場に直立したまま動かない。もちろん、当の安陪も彼の言葉を聞いているのかいないのか分からないような態度でぼうっと座っている。……目の焦点も合っていない。
庸が生徒たちを引き止めようと焦って叫ぶが、誰も耳になど入っていないようだった。
「お前ら一体どうしたんだよ!?」
もうこうなったら停学になったって構わないと、庸は安陪の襟元を掴んで揺さぶってみた。が、やはりそれでもこの妙な雰囲気は変わらなかった。相変わらず焦点の合わない目で、安陪はどこか遠くを見ている。庸は安陪を突き放すと、他の生徒たちの肩を掴んで揺すってみたが、やはり彼らも同じような反応だった。思わず目の前の生徒の顔をぶん殴りたくなる衝動を、あと一歩の所で抑えながら、畜生……と拳を机に叩き付ける。
そんな庸に、どこからか声が聞こえてきた。
「駄目だよ相模君。みんなおかしくなってる」
慌てて顔を上げると、庸はその声の持ち主を探してキョロキョロと辺りを見回した。……すると、窓際にたった一人、目が合う人物がいた。その生徒は首元にヘッドホンを掛けたまま、ジッと座ってこっちを見つめている。それは先日、公園でばったり会ったあの男だった。
「……長谷川?お前はまともなのか?」
長谷川直哉。
いつもヘッドホンを身に付けている以外、クラスの中では地味で目立たない生徒の一人だ。特にどこかのクラスタに属するでもなく、かといって常に一人で浮いているわけでもない。……これと言って特徴のない人物だったはずだ。
だが、この状況で彼は唯一、庸以外に正常な意識を保っているようだった。しっかりと焦点の合った目で彼の方を見てくる。
「うん。……でもクラスのみんなには何かあったみたいだ。≪喧騒≫が聞こえない」
「ノイズ?……何だよノイズって。……まともなのは俺たちだけなのか?」
「そうみたいだね。あと他には……」
直哉は言葉を濁すと、どこか遠くでも見るように窓の外へ視線を移した。その様子に、庸は疑問を感じながらも、それを尋ねるより早く、教壇の上から降ってきた言葉でその思考は断たれる。
「あらら。クラスの決定に背く生徒がほんの少しだけいるようだね……」
「青木てめえっ……!」
「青木君、君は一体……?」
相変わらず、軍隊のセレモニーのように直立したまま動かないクラスの生徒たちの前で、級長青木はただ一人、満足気にその様子を眺めている。さすがにもう我慢ならないと、庸は青木に詰め寄った。
直哉も席から立ち上がり、すぐに動けるように身構える。
「ははは。果たして君たちにこの『魔女狩り』が止められるかな?」
「青木……っ!」
余裕の口調で語りかける青木の胸倉を、力任せに捕まえようとした時だった。怒りを込めて伸ばした庸の右手を、誰かが遮り、その手首を掴む。その余りの力に、庸の右手は固定され、青木の手前十センチのまま動かない。
庸は、彼の右手首を掴んできた生徒の方へ視線を移す。
「……おい田口。お前ら一体どうしたんだよ」
「……」
そこにいたのは、田口という男子生徒だった。柔道部に所属しており、そのためか粗野で肉体系な庸とは気が合った。クラスの中でも、庸とは仲がいい部類に入り、庸の身体能力を買われて、何度か柔道部に勧誘されたこともあった。だが、そんな彼は庸の言葉に返事をすることもなく、目の焦点は合わないまま、どこか庸の後ろの遥か遠くの方を見ているようだった。
言葉を返すことのない田口の代わりに、その後ろから冷徹な声が聞こえてくる。
「……まあいい。君らは大人しく寝てろよ」
級長青木が右手を真横に振ると同時に、田口が突然俊敏に体を翻す。……庸の体がけん玉のように飛んだ。
「どわっ!」
ガギャベギゴッ
そのまま庸の体は、黒板を破壊し十センチほどめり込んだ。
その後には、一本背負いの格好をした田口の姿だけが残っている。……どうやら、青木の言葉と同時に、彼が庸を投げ飛ばしたようだった。何故かその力は、常人とは思えないほどに強くなっている。……辺りには、散乱したチョークなどの破片から、もうもうと噴煙が舞った。
「が……はっ」
「相模君っ!」
直哉の叫び声を最後に残したまま、庸の意識は途切れる。そして、その事を確認した青木は、吐き捨てるように呟くのだった。
「邪魔者は片付いたな。では行くぞ……魔女狩りに」
庸の下へ駆けつける直哉を背後に、青木は先頭に立って教室から出て行く。
その言葉に誰も頷くことはなかったが、彼ら二人を除き、全員が立ち上がってその後を追うのだった。