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米菓島(こめかしま)の合戦〜武田信玄餅と上杉乱(あられ)

掲載日:2026/10/31

戦国の世に、ちょっと変わった武将がいたそうな。 名は武田信玄餅。担ぐは太い杵、腰に帯びるはきな粉と黒蜜。 さて、この男が戦場に現れたら――。 お茶を片手に、お楽しみください。

戦国の世、甲斐の武田家には恐るべき猛将がいた。武田が十番目の子、その名を武田信玄餅という。「風林火山」の旗印の傍らには「ぺったんぺったん」と大書された軍旗が誇らしげに翻り、名刀ならぬ「きな粉と黒蜜」を腰に帯びた信玄餅は、太い杵を軽々と肩に担いでは堂々と敵陣の前に進み出た。


「我こそは武田家十男、信玄餅なるぞ! 誰かぺったんぺったんされたい奴は前に出てこい!」


その呑気な名乗りと愛嬌あふれる姿に、敵の武将たちは鼻で笑った。お餅野郎など恐るるに足らん、ぺったんなぞ痛くも痒くもないわと侮り、前線へと誘い出されていく。それこそが信玄餅の計算し尽くされた罠であった。敵が油断し、信玄餅が熱っぽく語る「極上きな粉の香ばしさと、とろりとした黒蜜の奥深き風味」の講釈にぽかんと聞き惚れているその刹那、左右の茂みから別動隊が怒涛の勢いで雪崩れ込む。これぞ天下に名だたる信玄餅の必殺戦法、「信玄餅の横ぺったん」であった。


「ぺったん! ぺったん! ぺったん!」


大合唱とともに繰り出される無慈悲な杵の連打に、正面の甘い口上に気を取られていた敵兵はことごとく頭に大きなたんこぶを作って転がり、あっという間に戦意を喪失してしまう。そして頭を押さえて降伏した兵たちには、信玄餅自慢の切り餅にたっぷりのきな粉と黒蜜を絡めた「信玄餅」が振る舞われた。こんなに甘くて美味いものが世にあったのかと涙を流して喜び、兵たちは我先にと幸福な降伏を選んだ。血を流さず、たんこぶひとつで胃袋を掴むその手腕で、武田家は瞬く間に関東無双の版図を広げていったのである。


だが、そんな信玄餅の前に、ついに最強の宿敵が立ちふさがった。越後の雄・上杉家の十番目の養子にして、類まれなる美貌と苛烈な気性を持つ女武将、上杉乱(あられ)である。小柄な体に紅と白の甲冑を纏い、神速の連撃を繰り出す彼女は、戦場にあって「いちごの荒神」と恐れられていた。


川中島ならぬ「米菓島」の浅瀬を挟み、両軍が対峙する。朝霧が晴れる中、愛馬の首を並べた二人の大将の間で、火花散る口上の応酬が幕を開けた。


「ふん、噂の信玄餅殿とお見受けしたけれど……どうかしら、我が手で乾燥させて、こんがり揚げた『信玄おかき』にして差し上げましょうか!」


乱の鋭い挑発に、信玄餅も負けじと胸を張って言い返す。


「何を小癪な小娘が! そのカリカリした鼻柱をへし折り、醤油をしっとり染み込ませた『ぬれせんべい』にしてくれるわ!」


乾燥と湿潤、サクサクともちもちの意地が激突する一触即発の睨み合いに、陣頭の二人はギリギリと歯噛みし、緊迫した空気が張り詰めた。しかしその時、信玄餅の後ろに控えていた甲斐の足軽が、ぽつりと呟いたのである。


「……なあ。俺、実はぬれせんべい結構好きなんだけどな」


すると対岸、上杉陣の足軽も身を乗り出して力強く頷いた。


「わかるぞ! あの醤油がじわっと染みた柔らかいやつ、たまらんよな!」


「いやいや、おかきのあの香ばしい歯ごたえも捨てがたいだろ!」


「米の旨味なら越後のあられが一等よ!」


「だが、信玄餅の黒蜜ときな粉の組み合わせも捨てがたいぞ……」


いつの間にか両軍の後方では武器を構える手も緩み、熱のこもった和菓子談義がざわざわと広がっていた。あちこちで水筒や茶器が取り出され、すっかり縁側のような長閑な空気が漂い始める。気がつけば周りで行われていた小競り合いもとっくに終わり、誰一人として戦う気配がない。


取り残された大将ふたりは、ぽかんと自軍を振り返ったあと、気まずそうに視線を交錯させた。


「……ちっ、今日はこの辺にしといてやる!」


信玄餅がぷいと顔を背けて吐き捨てれば、乱も負けじと頬を膨らませて馬首を巡らせた。


「今度会ったら、絶対に許さないんだからね!」


両軍の兵たちは、口々に「次の合戦はいつかな」「また美味しいお菓子が食べたいな」と次の出陣を心待ちにしながら、笑顔で陣を引き上げていった。


越後の春日山城に戻った上杉乱は、自室で悔しそうに地団駄を踏んでいた。あのいまいましい信玄餅め、あんな甘ったるい男にこの私が言い負かされるなんてと憤りながらも、戦場で兵たちが美味そうに語っていたお菓子の味が頭から離れない。乱はふと思い立ち、家臣を呼んで命じた。敵に塩を送るという故事に倣い、越後特産の米を丹念に焼き上げ、絶妙な塩加減で仕上げた「越後せんべい詰め合わせセット」を甲斐へ届けさせたのである。のし紙には乱の達筆で大きく『義塩』とだけ記されていた。決して慈悲などではなく、越後の米菓の素晴らしさをあの男の舌に思い知らせてやるための義塩であった。


数日後、甲斐の館にその包みが届いた。信玄餅は仏頂面で包みを開け、添えられた二文字を見て鼻を鳴らしたが、一枚つまんで口に放り込むと、パリッと響く音とともに広がる香ばしさと絶妙な塩気に唸らされた。悔しいが、なんという美味さだと腕を組んで唸っていた信玄餅は、やおら立ち上がると蔵へと向かった。


やがて越後の乱の元へ、武田からの返礼の木箱が届けられる。乱が訝しげに蓋を開けると、入っていたのはお菓子ではなく、息をのむほど美しく仕立てられた桃色の愛らしい女性用の着物であった。そこには信玄餅の筆で、ぶっきらぼうな手紙が添えられていた。


『お前なんか、危ない戦場に出てくるな。戦などやめて、城でせんべいでも焼いていればいいのだ。信玄餅』


手紙を読んだ乱はカッと顔を真っ赤にし、誰がせんべい焼き女よと叫んで家臣たちを慌てさせながらも、その夜、静まり返った自室で行灯の明かりを頼りに、そっとその着物を羽織っていた。鏡に映る自分の姿を見つめ、「……ふん、べ、別に似合ってなんか、いないんだからね」と小さく呟く。


そして乱は、ふっと悪戯っぽく微笑むと、机の上の巻物を広げた。


「……待っていなさい、信玄餅。次はただのあられではないわ。越後の秘蜜といちごの果汁を練り込んだ、甘酸っぱい特製の苺あられをたっぷり降らせて、そのもちもちの鼻柱をぎゃふんと言わせてあげるんだから」


同じ頃、甲斐の館でも、信玄餅が夜更けの台所で腕組みをしながら大釜を見つめていた。


「せんべい焼き女め……次こそは参ったと言わせてやる。黒蜜ときな粉だけではない、抹茶を練り込んだほろ苦く香り高い新仕立ての抹茶餅の横ぺったんで、越後勢の胃袋を完全に我が物にしてくれるわ」


お互いに相手の悔しがる顔と、一口食べて驚く顔を思い浮かべながら、二人は熱心に次なる「合戦」の企てを練り上げていた。兵たちだけでなく、大将ふたりもまた、誰よりも次の出陣の日を心待ちにしていることを、まだ素直には認めないままで。



おしまい



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