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ふしぎな力を持つ令嬢たち

時を知る令嬢

作者: 夜華カナタ
掲載日:2026/10/27

「鳩時計」と笑われてきた令嬢が、首飾りの消えた夜会で、たった一つの懐中時計を見つめたとき。

婚約破棄、ざまぁ、そしてハッピーエンド。一話完結です。

九時十二分。


 ノーラ・ベルトラムは、時計を見なくても、今が何時何分なのかが分かる。


 朝、目を開けた瞬間に。お茶を飲んでいるあいだに。誰かと話している途中でも。頭のどこかで、小さな振り子が、ずっと正確に揺れている。


 子どものころ、父の書斎の柱時計が止まった時、ノーラは針を正しい時刻に戻してみせた。翌日、教会の鐘と比べてみると、一分も狂っていなかった。


「うちの娘は、生きた時計だな」


 父はそう言って、笑いながら頭をなでてくれた。


 けれど、婚約者のヴィクトル・フェリクスは、そうは言わなかった。


「ノーラ。人前で、時刻を口にするな。鳩時計じゃあるまいし」


 だからノーラは、何時かと聞かれても、首をかしげてみせるようにしていた。分からないふりをするのは、思っていたよりも、ずっと疲れることだった。


     *


 その夜は、王妃さまの誕生日を祝う夜会だった。


 大広間の真ん中には、王妃さまのための飾り棚が置かれていた。今夜の主役は、棚の上の、真珠の首飾りだった。代々の王妃が受け継いできたもので、夜会の最後に、陛下が王妃さまの首にかける習わしになっている。


 ヴィクトルは、広間に入るなり、上着の内側から懐中時計を取り出して見せびらかした。


「どうだ。父上が、王都一の時計師に作らせたものだ。一日に一秒も狂わない」


 金のふたに、伯爵家の紋が彫ってある。周りの令息たちが、うらやましそうにのぞきこんだ。


「これがあれば、鳩時計の婚約者などいらないな」


 笑い声が上がった。ノーラは、黙って手もとの扇を閉じた。


     *


 それが起きたのは、九時の鐘が鳴ってしばらくしてからだった。


「首飾りが……ない!」


 飾り棚の前で、侍女の悲鳴が上がった。


 広間じゅうが、ざわめきに包まれた。真珠の首飾りが、棚の上から消えていた。


 衛兵たちが、すぐに扉を閉めた。広間の奥から、第三王子のルーカス殿下が進み出てくる。王宮の警備を任されている方だった。


「誰も、広間から出るな。最後に首飾りを見た者は」


「は、はい。九時の鐘が鳴った時には、確かにございました」


 侍女が、震える声で答えた。


「それから、九時十五分に見回りに来た時には、もう……」


 その時、ヴィクトルが、すっと手を挙げた。


「殿下。九時から九時十五分のあいだなら、私は、ずっとバルコニーにおりました。ベルンハルト侯爵令息と、外の空気を吸いながら話しておりましたので」


 ヴィクトルは、金の懐中時計を、殿下の前で開いて見せた。


「この時計で、確かめております。バルコニーに出たのが、九時ちょうど。戻ったのが、九時二十分です」


 侯爵令息も、うなずいた。


「確かに、ヴィクトルはずっとバルコニーにいました。時計を見ながら、九時ちょうどだ、と言っていたのを覚えています」


 殿下は、ヴィクトルの時計に目を落とした。たしかに、立派な時計だった。


 ノーラも、その文字盤を見た。


 見た瞬間、胸の奥の振り子が、かすかに引っかかった。


(……七分)


 ヴィクトルの時計の針は、今、九時三十一分を指していた。


 けれど、ノーラの中の振り子は、九時三十八分を告げていた。


     *


「ところで、殿下」


 ヴィクトルが、ちらりとノーラのほうを見た。


「この騒ぎのついでに、申し上げておきたいことがございます。私は今夜かぎりで、ノーラ・ベルトラムとの婚約を解消いたします。人前で時刻を言い当てるような、気味の悪い鳩時計を、伯爵家に迎えるわけにはまいりませんので」


 ざわめきが、別の色に変わった。


 ノーラは、ヴィクトルの顔を見た。それから、彼の手の中の、金の懐中時計を見た。


(言わないでいるのは、もう、やめよう)


「……承知いたしました、ヴィクトル様」


 ノーラは、ゆっくりと殿下のほうへ歩いていった。


「殿下。いま、何時かご存じですか」


「……なに?」


「九時三十八分です」


 広間が、一瞬静まった。


 ヴィクトルが、鼻で笑った。


「何を言っている。私の時計では、九時三十一分だ」


「はい。あなたの時計は、七分遅れています」


 ノーラは、まっすぐヴィクトルを見た。


「一日に一秒も狂わない時計が、今夜だけ、七分遅れています。……どなたかが、針を戻したのでなければ」


「でたらめを言うな!」


「でたらめかどうかは、すぐ分かります」


 ノーラは、殿下のほうを向いた。


「殿下。王宮の大時計は、毎晩、時計番の方が教会の鐘と合わせていらっしゃるはずです。今、大時計が何時を指しているか、確かめていただけますか」


 殿下は、衛兵の一人に目で合図をした。


 衛兵が、広間の端の窓から、中庭の大時計を見上げた。


「……九時三十八分です、殿下」


 ざわめきが、どっと広がった。


 ヴィクトルの顔から、血の気が引いていった。


「九時ちょうどにバルコニーへ出た、とヴィクトル様はおっしゃいました。でも、その時計は七分遅れています。本当にバルコニーへ出たのは、九時七分です」


 ノーラは、侯爵令息を見た。


「ベルンハルト様。ヴィクトル様が九時ちょうどだと言った時、あなたはご自分の時計をご覧になりましたか」


「い、いや……ヴィクトルの時計を、のぞいただけで……」


「首飾りが最後に見られたのは、九時の鐘の時。バルコニーへ出たのは、九時七分。……そのあいだの七分間、ヴィクトル様が、どこで何をなさっていたのか。誰も、見ていません」


     *


 殿下が、静かに言った。


「フェリクス。上着の中を、改めさせてもらう」


「な、何を……私は伯爵家の――」


「伯爵家の者でも、同じだ」


 衛兵が、ヴィクトルの上着を調べた。懐中時計の入っていた内ポケットの、さらに奥。縫い目をほどいた隠しの中から、白い真珠の連なりが出てきた。


 広間じゅうが、息をのんだ。


「……博打の借りが、あったのです」


 ヴィクトルは、床にひざをついて、うめくように言った。


「父上に知られる前に、どうにかしなければと……。七分あれば、と……」


「七分あれば、首飾りを盗んで、時計を戻して、バルコニーで友人に時刻を見せられる、か」


 殿下は、冷ややかに言った。


「よく考えたものだな。……その婚約者が、時計を見ずに時刻を言い当てる娘だということ以外は」


 ヴィクトルは、衛兵に両腕をつかまれて、広間から連れ出されていった。最後まで、手の中の金の時計を、信じられないものを見るような目で見ていた。


 首飾りは、陛下の手によって、予定どおり王妃さまの首にかけられた。九時五十分のことだった。


     *


 客がみな帰ったあと、ノーラは、中庭の大時計の下に呼ばれた。


 ルーカス殿下が、時計を見上げて立っていた。


「ベルトラム嬢。今夜は、礼を言う」


「わたくしは、時刻を申し上げただけです」


「その『時刻を申し上げただけ』で、首飾りが戻った」


 殿下は、ノーラのほうを振り返った。


「王宮の警備は、時刻との勝負だ。誰が、いつ、どこにいたか。その一分が分からなくて、取り逃がしたことが何度もある。……警備の詰め所で、力を貸してもらえないだろうか」


 ノーラは、目をまばたかせた。


「わたくしは、剣も弓も使えません。分かるのは、時刻だけです」


「その時刻が、王宮の誰にも分からないんだ。……詰め所の柱時計は、毎日どこかで狂う。直すたびに、衛兵が三人がかりで教会まで走っている」


 ノーラは、思わず笑ってしまった。


 殿下は、少し照れたように、自分の上着のポケットから、古びた銀の懐中時計を取り出した。ふたに、小さなへこみがある。


「子どものころから使っている時計だ。……正直に言ってくれ。これは、何分狂っている」


 ノーラは、文字盤をのぞきこんだ。


「三分、進んでいます」


「やはりか」


 殿下は、困ったように笑った。


「わざと進めているんだ。遅刻しないように。……兄上たちには、子どもっぽいと言われる」


「いいえ」


 ノーラは、首を横に振った。


「三分早く着こうとなさる方は、待たせる人のことを考えていらっしゃる方です。……わたくしは、好きです」


 言ってしまってから、ノーラの頬が、熱くなった。


 殿下は、しばらく黙っていた。それから、銀の時計のふたを、ぱちんと閉じた。


「……明日の朝、九時に、詰め所で待っている」


「はい。九時に」


「私は、たぶん、八時五十七分には着いている」


 ノーラは、笑いながらうなずいた。


 胸の奥の振り子は、いつもより、少しだけ速く揺れていた。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

今回の令嬢の力は「時刻」です。時計を見なくても、今が何時何分か分かってしまう。その一分の正確さで、自慢の懐中時計の七分のずれを見抜いてもらいました。


三分進めた時計を、ずっと使っている殿下も書きたかった人です。


シリーズ「ふしぎな力を持つ令嬢たち」の一作です。ほかの令嬢たちのお話も、よろしければどうぞ。

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