桃の怪、あるいは強奪者桃太郎の末路
むかしむかし、ある所に、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行きました。それは、どこにでもある、ありふれた日本の原風景のはずでした。
しかし、その静寂を破ったのは、上流から響いてくる異様な音でした。
「……ゴリッ、……ズズ……」
それは、水が跳ねる音ではありません。硬い何かが岩を削り、川底を這うような不気味な地響きです。
おばあさんが顔を上げると、そこには目を疑うような光景が広がっていました。
流れてきたのは、ピンク色の可愛らしい桃などではありません。それは**直径1メートルを優に超え、表面にはどす黒い血管のような筋が浮き出た、巨大な肉の塊**でした。
「おや、まあ……なんて大きな桃だこと。おじいさんに食べさせてあげようかねえ」
おばあさんが腰をかがめ、その巨大な物体に手を触れようとした、その時です。
桃の中央に横一文字の亀裂が走り、中からぎらりと光る無数の鋭い牙が姿を現しました。それは桃の形をした「口」そのものでした。
**「ぎゃああああ!」**
おばあさんの悲鳴が山々にこだまします。
桃は大きな口を開け、おばあさんの頭をまるごと、スイカでも砕くような勢いで噛みつきました。しかし、この桃は不思議な力を持っていました。おばあさんを食い殺すのではなく、その精気を吸い上げ、己の肉体へと変換したのです。
桃の中から這い出してきたのは、赤ん坊ではありませんでした。
それは、おばあさんの恐怖と、おじいさんの孤独、そして人間の「欲」を養分にして急成長を遂げた、**桃の皮を被った怪物――桃太郎**でした。
おじいさんの献身的な(というよりは恐怖に支配された)奉公により、桃太郎は瞬く間に成人しました。
しかし、その心は人のそれではありません。彼は村の平和など微塵も考えていませんでした。彼の関心はただ一つ、**「鬼ヶ島に眠る莫大な財宝」**のみ。
「おじい、準備はできたか。俺はこれから強奪の旅に出る」
桃太郎は、おじいさんに作らせた特製の「きびだんご」を腰に下げました。
それは、もち米に神経毒と強力な誘引剤を練り込んだ、甘い死の罠。通称**「きびだんごトラップ」**です。
桃太郎はまず、山道に一つ目のトラップを設置しました。
草むらから腹を空かせた犬が飛び出し、その団子に食らいつきます。次の瞬間、犬は泡を吹いて倒れました。桃太郎は無表情に犬の首根っこを掴み上げ、無理やり蘇生剤を流し込みます。
「今日からお前は俺の奴隷だ。逆らえば次は毒の量を増やす」
犬は怯えきった目で桃太郎を見上げ、力なく「ワン」と鳴くしかありませんでした。
次に狙われたのは、知恵の働く猿でした。
猿は警戒していましたが、桃太郎が仕掛けた「きびだんご入り精密捕獲檻」の誘惑には勝てませんでした。檻が閉まった瞬間、桃太郎は猿の指を一根ずつへし折るような冷徹さで、服従を誓わせました。
最後に、空を飛ぶ雉です。
桃太郎は対空用の「散弾きびだんご」を空気銃で射出し、雉の翼を奪いました。墜落した雉を網で捕らえ、彼はこう告げました。
「偵察に使ってやる。死にたくなければ高く飛べ」
こうして、愛や友情など一欠片も存在しない、**恐怖による軍団**が結成されたのです。
桃太郎一行は、鬼ヶ島へと渡りました。
普通の昔話なら、ここで正面突破を試みるのでしょう。しかし、冷徹なリアリストである桃太郎に、名誉ある戦いなどという概念はありません。
「いいか。鬼と戦うのは非効率だ。奴らが宴会で泥酔している隙に、宝物庫だけを空にする」
犬は入り口の見張り、猿は錠前破り、雉は上空からの監視。
彼らは桃太郎の鞭に怯えながら、完璧な連携を見せました。鬼たちが酒を酌み交わし、大声で笑っている背後で、桃太郎は巨大な荷車を引き、宝物庫へと侵入します。
黄金の茶釜、光り輝く宝石、無限に米が出る打ち出の小槌。
桃太郎の瞳には、かつて自分を育てた桃の血管のような、赤い欲望が走りました。
「よし、積め。一粒残さずだ」
動物たちは泣きながら、重い財宝を荷車に積み込みます。
積み込みが終わるや否や、桃太郎は鬼たちに気づかれる前に、脱兎のごとく島を脱出しました。正々堂々とした勝負など一切なし。それは、歴史に残る卑劣な**「火事場泥棒」**でした。
村に帰った桃太郎を待っていたのは、英雄としての喝采……ではなく、静まり返った廃村でした。
桃太郎が財宝を求めて家を空けている間に、おじいさんは心労で倒れ、村は荒れ果てていたのです。しかし、桃太郎はそんなことなど気に留めません。
「さあ、お宝の検品だ」
彼は荷車の中心に鎮座する、ひときわ豪華な装飾が施された、巨大な宝箱に手をかけました。
これさえあれば、自分は一生、いや、来世まで遊んで暮らせる。桃から生まれた自分は、世界の王になるのだ。
ガチリ。
桃太郎が宝箱の鍵を開け、蓋を持ち上げたその瞬間でした。
**「キ、ギギギ……ッ!!」**
宝箱の中から、耳を裂くような金属音が響きました。
中に入っていたのは、金貨でも銀貨でもありません。
箱の内側には、あの「桃」と同じ、赤黒い血管と、何重にも重なった鋭い牙がびっしりと生え揃っていたのです。
「な、なんだ……これは……!?」
それは、鬼たちが盗賊を捕らえるために、宝物庫の奥深くに配置していた**古の魔物「ミミック」**でした。
ミミックは、桃太郎が箱に触れた瞬間にその「欲」を感知し、覚醒したのです。
「ぎゃああああああああ!」
桃太郎の悲鳴は、かつてのおばあさんの叫びと全く同じトーンで村に響き渡りました。
ミミックは巨大な口を開き、桃太郎を頭からバリバリと咀嚼していきます。
かつておばあさんの頭に噛みついた桃と同じように、ミミックは桃太郎の肉と、彼が奪ってきた財宝のすべてを飲み込み、再び静かな「箱」へと戻りました。
後に残されたのは、主人を失い、呆然と立ち尽くす犬と猿と雉。
そして、誰もいなくなった荒れ地で、風に揺られる空っぽの荷車だけでした。
川から来た怪物は、箱の中に消えた。
欲深い人間たちの物語は、こうして静かに幕を閉じました。
めでたし めでたし




