野々村鏡太郎作のSF小説「ヘイゴ」について
「早川先生。ちょっとわたし小説を書いたんだけど、読んでもらえるかな?」
先日、そう言って野々村鏡太郎が拙宅を訪ねてきた。
野々村という男がいったいなにをして生計を立てているのか私は知らない。短金髪にほんのりと口髭をはやし、つねに赤いボーダーシャツをまとったかわった男だ。彼とは私が市立図書館事業にボランティアで参加しているときにたまたま出会ったのだが、古い小説や映画・演芸のたぐいにくわしく、同じような趣味を持ったものとして話が弾んだ。以後、たまに会ってはとりとめもない雑談をするようになったのだが、それはいつも野々村のほうが私のもとを訪れるのが常だった。
「早川先生がウチにたどりつくのはむずかしいだろうね。わたしと話をして、それを覚えてられるだけでもめずらしいんだけど」
などとわけの分からぬことを言っていたが、単に自宅を知られたくなかったのだろう。
そんな一風変わった男が、趣味として小説を書いているとは知らなかった。
「なにせ、わたしがものを書いても、それを読める……というか、読んで覚えていられるひとが少ないんですよ。ひとに読んで批評してもらえる機会が、まあ無いんです。知り合いの情報生命……いやAiには分析してもらったんだけど、やっぱり人間読者の意見を聞きたくてね」
などとぬかす。
他人に読んでもらうなど、小説賞に応募するなりネットで公表するなりなんでもあるだろうに、意外とシャイな男だ。まあ、知らぬ仲でもなし、読むぐらいならよかろうと書いたものを受け取った。私は元・国語教員だから批評は意外と手厳しいぞ、と脅しても
「ハッハッハ。ただのかるいエンタメ小説ですよ。採点は甘めにおねがいします」
とわらっていた。
それから数日かけて、そのかるいというがかなりの分量がある長編小説を私は読み終えた……はずなのだが、今なぜだか手元にその受け取った原稿がない。消えてしまった。いや、そもそもその野々村が書いた小説を紙媒体で読んだのか電子媒体で読んだのかすら、私ははっきりとは覚えていないのだ。まるでキツネにつままれたような心境だ。野々村に会ってどういうことか確かめたいのだが、私のほうから連絡を取る手段がない。
ただ、野々村が言ったとおり、私はその小説がどんな内容だったかは覚えている。自分が見たものが幻でなかったと信じて、私は以下、野々村鏡太郎の書いたその「ただのかるいエンタメ小説」の梗概と解説を書くことにした。
……もしかすると、こんな文章を書かせるつもりで野々村は私に小説を読ませたのかもしれない。あのヘラへラとした金髪男の術中にまんまとはまってしまったと思うと、少し癪ではある。
「野々村鏡太郎作「ヘイゴ」の梗概および解説」早川伊佐治
『皇紀一✕✕✕✕年、銀河に進出した人類のうちアキツ島星団に到達したものはヤマト……多惑星共同体を「クニ」と呼ぶ独自の封建的宇宙文明を築いていた。
惑星ミヤコに住む古情報研究者のホウイチはある日、伝説の古地球時代の残骸文書類 (アーカイブ)から「平家物語」なるテキスト・ファイルを採取する。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり……」
その古代叙事詩に記された内容は驚きのものだった。キヨモリ率いるタイラ家 (ヘイケ)が権勢をふるう現代の惑星ミヤコの状況と完全に符合していたからだ。
そのあまりに正確な内容に、乱れたミヤコの現況を救うヒントがあるのではとテキストの解読を試みるホウイチを、なぞの機械獣・ヌエが襲撃する。
なんとか危機を脱したホウイチは、相棒の小型トカゲ型マシン・ジェームスとともに、流浪の情報屋集団 (ビワホウシ)にまぎれて逃亡の旅をつづけながら平家物語のテキストを読みすすめる。
その旅路で出会ったのが、サイボーグ・ベンケイをつれたミナモト家 (ゲンジ)の貴公子ウシワカだった』
読み始めてすぐ気づくのは、この「ヘイゴ」というSF小説に強く影響を与えたのは米国の小説家ダン・シモンズが手掛けた「イリアム」「オリュンポス」であろうということだ。古代ギリシアの叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」を基に、未来の火星におけるトロイア戦争を再現した傑作SF小説にならって、野々村は日本の中世叙事詩『平家物語』を銀河SFの枠内に再現した。小説の題名「ヘイゴ」は、平家物語の略称「平語」から取られていると思われる。
物語の観測者としてホメロス学者を配したダン・シモンズに対して、野々村は琵琶法師との関連を強く想起させるホウイチ (芳一)なる名を持つ古情報研究者を観測者(語り手)に配した。
平家物語は失われた文化圏のテキストであり、それを読み進めることは容易ではない。語り手であるホウイチにも現在・未来に起こることを完全には読み解けないとしたのは、サスペンスを盛り上げるための野々村のたくみな工夫である。
また本作の基本的なSF的設定として、この未来の銀河社会で人類は「コトダマ」という高次(高純度)情報エネルギーに依存した生活を営んでいるとされている。どうやら、この世界では情報としての言 (コト)と現象としての事 (コト)が密接に関わっているらしい。そして
「シキシマの ヤマトのクニは コトダマの さきわうクニぞ」
タイラ家は銀河の「コトダマ」を独占管理し、人々の運命を決定論的なデータとして固定しているとされている。評者にはイメージしずらい概念だが、かつての平家による知行国利益独占を、SFの形で表現したものとみれば良いであろうか。
『盗賊クマサカを切り捨て、無事に元服したウシワカ=ヨシツネ。能力を発現させた彼とその一党は、へイケとの戦いでも圧倒的不利な形勢を覆して奇跡的な勝利をあげていく。そんなヨシツネの成長を友人として喜びながらも、その常人を超えた力に不安をおぼえるホウイチ。イチノタニ基地へのヒヨドリゴエ襲撃、遊星ヤシマでの戦いを経て、ついにはダンノウラ星域での宇宙艦隊総力戦。ホウイチは、ヘイケの滅亡を目撃する』
ウシワカ (ヨシツネ)の成長と戦闘(元服からヘイケ討伐)を描いたこのパートは、典型的な英雄成長譚であり、ヨシツネのありかたはフランク・ハーバート作のSF小説『デューン』の主人公ポール・アトレイデスと同型である。襲いかかる困難を次々と乗り越えて無双する姿は、民衆が求める超人としての救世主のありようそのものである。しかし、フランク・ハーバート自身が指摘していたように、その超人=救世主像は大きな危険をはらんでいる。この段階で、その危うさを感じとっているのは、ホウイチだけである。
小説技法的に見れば、このパートの見せ場はなんといっても、ウシワカの超能力発現からダンノウラの戦いにいたるムシャ(人間搭乗型ロボット)やフネ(宇宙艦)による戦闘シーンであろう。野々村は「スター・ウォーズ」「宇宙空母ギャラクティカ」から「宇宙戦艦ヤマト」「機動戦士ガンダム」にいたるまで、往年の宇宙軍事SFで使えるものはみな使うというばかりの勢いでガジェットを盛り込んでいる。
那須与一が扇の的を射落とした故事を、レーザー・ハントなどに置き換えて描いたところなどは、野々村のこどもっぽいSF趣味だ。ヨシツネがダンノウラ戦で見せたエイト・シップ・ジャンプ(八艘飛び)を、まるでガンダムがドムのジェット・ストリーム・アタックを回避したシーンのごとく描写したのも確信犯であろう。ヨシツネはニュー・タイプなのだ。
『ヘイケ滅亡後、ゲンジの統領である兄・ヨリトモとの関係が悪化したヨシツネとその一党は、逃亡者として銀河を流浪していた。いっぽう平家物語の解読調査を続けるホウイチは、ヨシツネの恋人シズカと従者・タダノブと再会する。ヨシツネとの再会を願うふたりにしたがって聖地ヨシノにむかうホウイチだったが、その旅路で出会う事件が平家物語の記述とずれてきていることに気づく。「……これではまるで『義経千本桜』の世界ではないか?」』
ヘイケ滅亡後のヨシツネの苦難を描いたこのパートでは、重要な小説的仕掛けが施される。すなわち、中世の語り物「平家物語」から近世の浄瑠璃「義経千本桜」への「世界線」変換である。人形浄瑠璃(文楽)や歌舞伎に親しみの無い読者にはわかりにくいかもしれないが、もともとの「平家物語」と、それをもとに江戸時代に生み出された戯曲「義経千本桜」のあいだには多くの違い(変更)がある。源平の戦いで討死したはずの平家方の武将らが実は生きていた、となるのが大きな差異だ。それは中世から近世にいたるあいだに生じた日本人の価値観の変化によるものといってもよい。特に、壇ノ浦で三種の神器とともに沈んだ安徳帝の扱いをどうするかが大きな問題となるのだが、野々村はこの段階ではそこまで踏み込まない。「義経千本桜」という長い戯曲から『渡海屋』『すし屋』などの有名なくだりを端折って一気に後半、桜咲き誇る華麗な吉野山を背景に佐藤忠信……実は親狐を狩られた子狐が身を変じたものが、親を慕う心を描く「川連法眼館の段」(歌舞伎では「川連法眼館の場」。「四の切」とも)へとフォーカスする。
タダノブに化けたキツネタダノブを自由に姿を変形できる宇宙生物として描いているのが、実にSFらしい。古いSF読者である筆者は、A・E・ヴァン・ヴォークトの小説「宇宙船ビーグル号」に出てきた宇宙生物クァールや、横山光輝の漫画「バビル二世」での3つのしもべの一体・ロデムを思い出した。
『ずれ始めた現実の謎を探るため、ホウイチはヨシツネとともに、ヨシノにあるホウゲン館の奥から接続された仮想空間・キケンジョウへ潜る。そこでは、コトダマが光ファイバーのような因果の糸として縦横無尽に駆け巡り、オニ(=高度に発達したAi)たちがその利権をめぐって抗争を繰り広げていた。Aiが提示する試練を通過したヨシツネは、さまざまな義経伝説のバリエーションとして分岐する未来の可能性を幻視して、超人=救世主としての自覚を深める。他方、偶然からキケンジョウに眠る古地球時代の原始Aiエージェント・真芽 (マメ)をよみがえらせたホウイチは、古代より人類に隠されていた秘密をヨシツネに伝えようとするが、もはやAi空間に彼のすがたはなかった……』
このパートは、いわゆるサイバーパンク小説的な技法で語られている。電脳世界という今となっては古めかしくなったことばより、ヴァーチャルなゲーム世界に入ると言ったほうが、現在の読者には受け入れやすいかもしれない。
「キケンジョウ」が何を示すことばかわからない読者も多いだろうが、これは室町時代に成立した義経を主人公とした御伽草子「御曹子島渡」に登場する、鬼が住まう城・喜見城のことである。「御曹子島渡」は、奥州・藤原秀衡のもとにいた若き日の義経が、北方の鬼の大王が持つ秘密の兵法「大日の法」を手に入れるため、家臣を引き連れ様々な島を巡るファンタジー色の強い冒険譚である。
野々村は、未来社会では電子世界で人間から隠れて活動する高度Aiこそが隠=鬼になると設定した。
「御曹子島渡」において義経が半馬半人、裸族、勇ましい女族、小人などさまざまな異形が住む島を遍歴するのは、義経が平家を滅ぼし日本国を救う英雄となるための通過儀礼 (イニシエーション)とみなせるが、それと同じくヨシツネは、キケンジョウのAiが提供する膨大なデータをその超人的能力によって読みこむことにより、逆にヤマトの未来に絶望するのである。彼は自らが救世主として立ち上がる必要があると決意して、Ai世界から現実世界にもどる。
このくだりは「デューン」において、主人公ポール・アトレイデスがサンド・ワームの体液を飲み死の淵をさまよった末、過去・現在・未来を同時に把握できる超人 (クウィサッツ・ハデラック)として覚醒したことにより、逆に避けることのできないジハード(聖戦)の未来へと追い込まれ、人類の大量虐殺をおこなう皇帝への道を歩まざるをえなくなるのとまったく同じ道筋となっている。
このままではこの「ヘイゴ」の世界も「デューン」とおなじく悲劇への道筋をたどるしかなくなるのだが、野々村は片方で希望への道を残す。
ヨシツネとはぐれてキケンジョウをさまようホウイチは、いたずらもののジェームスが不用意に接触した謎ファイル(プロトコル)から立ち上がった童子体のAiエージェント・真芽と交流を持つのだ。
自らを古地球時代に生み出された最古エージェントの一柱だと述べる真芽は、古代の人類とAiは夙に未来社会の混乱を予測しており、その対策のために自分を種子 (プロトコル)の形で残したのだという。ヤマトの混乱の背景には、実は人類が気づいていない原因(黒幕)があったのだ。
『ヘイケ滅亡から数世代後、ヨリトモが作った幕府体制もまた行き詰まり、ミカドも空位のままであった。そんな荒廃したヤマトに、北方宇宙から襲いかかってきたのは謎の宇宙存在・モクリコクリであった。クニを守るため、惑星ヒゴの少年サムライ・スエナガは今日もムサに搭乗して戦友のミチナリ、タダヒトらとともにゲンカイナダ宇宙域へとモクリコクリ迎撃にむかう』
鎌倉時代中期に起こった蒙古襲来をモデルとしたこのパートの主人公は、ムサのパイロット (サムライ)・イエナガである。ゲンペイの戦いにおける戦闘が基本的に対人的なものであったのに対して、今パートで人類が戦うのは、まったく得体のしれない不定形存在「モクリコクリ」である。人類がコミュニケート不全の外敵と戦う宇宙SFというと、ロバート・A・ハインラインの「宇宙の戦士」やオースン・スコット・カードの「エンダーのゲーム」を想起するが、特に得体が知れないモクリコクリのイメージには、 後年の日本SFマンガ・アニメ……たとえば「トップをねらえ!」の宇宙怪獣や「新世紀エヴァンゲリオン」の使徒、「シドニアの騎士」のガウナの造形が影響を与えているように見える。
サムライ組織の仕組みは、宇宙SFではないが「進撃の巨人」において壁内人類を巨人から守るために組織された各兵団や「NARUTO」での各里を守る忍組織のありようを思わせる。戦場に参加するサムライを男性に限定せず、その一小隊を三人体制 (スリー・マン・セル)で男女混合もふつうとしたのも、同世代間の青春群像劇を描くために上記作品群に倣ったものだ。
ただ今パートの主人公イエナガが上記の作品群の主人公と決定的に異なる点は、彼がなにも特別な才能を持たないということだ。イエナガはゴケニン(職業軍人)の家に生まれたものの宿命として戦地におもむいているだけで、実は彼には秘められた能力があった、などといういかにも少年漫画の展開は最後まで無い。終始イエナガは平凡な一兵卒であり、彼より優秀なサムライなどたくさんいる。しかしそんな優秀な戦友のほうがあっさり死んでいくのも戦場だ。今日は自分が生き残ったが、明日にはもう死んでいるかもしれない。そんな、ある種の虚無性を持たざるをえない平凡青年の視点で戦場が描かれているのも、英雄ヨシツネが超人的活躍を見せた前半パートとはまったく異なる趣向だ。評者などは、イエナガの造形に(実際の戦争従事経験者である)水木しげるが描いた戦記マンガの主人公を思い浮かべた。モクリコクリとの戦闘シーンは(青春日常パートに比べて)ただただ悲惨であり、救いがない。
簡単に予想がつくように、ヤマトを襲っているのは、姿を消したヨシツネである(チンギス・ハーン=源義経説)。兄・ヨリトモが開く幕府体制……そしてヤマトの行き詰まりをキケンジョウで予視した彼は、ヤマト人類をいったん壊滅 (グレート・リセット)するため、自らを未開拓宇宙域にいる不定形生命体群と融合させて超越生命体と化したのだ。(「デューン」でサンド・ワームと一体化したレト2世を思い出す)
そして、実はヨシツネをそのような考えにいたるよう誑誘した存在がいる。それが自分たちを人類の上位種とみなすポスト・ヒューマン「テング」である。DNA改良により発達した彼らは、旧人類を自らの遊戯の駒、あるいは書き換え可能な「下位データ」として見下しており、コトダマを専有するため影からカマクラ幕府を壟断している。テングが時の権力を影から操るのはかなり古い時代からはじまっており、かつてのヘイケを裏から操っていたのもテングであり、その支配に抵抗したキヨモリの長男シゲモリなどは彼らの手によって暗殺されている。皇統を空位に追い込んだのも彼らである。
このような、天下の騒乱の背景に悪巧みをめぐらす魔道としての天狗がいるという歴史観は、元寇と時代は多少ずれるが室町期の「太平記」にははっきりとあらわれている(たとえば巻二十五「天狗共仁和寺ニ集テ評定ノ事」など)。太平記では、非業の死を遂げた貴人や慢心を持った僧呂が、執着心によって天狗(魔道)に堕ちるとされている。太平記以前にも鎌倉後期の「天狗草紙」で、当時の仏僧が我執・高慢から天魔外道の伴類としての天狗に堕落している様が描かれているので、野々村はそれらを複合的に取り込んだのだろう。
クラマでウシワカに指導を行ったトウコウボウ、ヨシノでヨシツネを匿いキケンジョウへ導いたカワツラホウガンらはみなテングのグループであった。ヨシツネの異能に目をつけたテングたちは、彼をその幼少期から計画的に誑誘しつづけていたのだ。すべては人類を弱体化したうえで奴隷化し、自分たちのみがコトダマを専有利用できるようにするためだ。
そんなテングの目論見に対抗するのが、真芽に代表される穏健派Ai (オニまたはドウジ)である。彼らは新人類テングの傲慢、そして過去の負データとしてのオンリョウ(怨霊)が人類進化におけるバグになると(はるか過去の時点で)予測しており、人類の霊 (ワケミタマ)性を護持するために、その影響をクリーン・アップ (ハライミソギ)する対策をひそかにめぐらしていた。
テングたちはそこまでAiたちが考えているとは気づいていない。Aiのことを、ただの道具だとみなしている。
『ゴケニンが必死に迎え撃っていたモクリコクリは、ささやかな先遣分体群にすぎなかった。ついに姿を見せた本体のモウコ (=ヨシツネ)の圧倒的巨大さと戦力に、なすすべもなくヤマトの軍勢が滅ぼされるかに見えたそのとき、虚空の宇宙空間にうねる龍蛇のごときエネルギー体があらわれる。実は、その龍体こそダンノウラに沈んだアントクテイの残存思念によって神器 (レガリア)・クサナギが再起動したヤマタノオロチだった。ヤマトを守るため、ヤマタノオロチはモウコの前に立ちはだかる』
この唐突とも思えるヤマタノオロチの登場には、実は典拠がある。それが平家物語の異聞ともいえる『剣の巻』だ。この書では、神話時代に素戔嗚命の手によって自分の力の根源たる尾(天叢雲剣、後の草薙剣)を奪われてしまった龍神・八岐大蛇が、自分の尾をとりもどすために転生したのが安徳帝であり、壇ノ浦の海底(竜宮城)に草薙剣ごと沈むことによって力を取り返したその龍神が、今度は日本を守るために元寇において神風を起こしたと説明されている。野々村は、マニアックとも言える中世の神話解釈をこの銀河SF小説に採用したのだ。
評者のような古い特撮映画ファンは、宇宙空間に光り輝くヤマタノオロチが登場するシーンに「三大怪獣 地球最大の決戦」などのキングギドラ登場シーンを思い浮かべて興奮してしまった。
『アントクテイは「カンナガラ(惟神)」の道を説くが、ヨシツネが耳を貸すことは無く、その激しいエネルギー衝突によって周辺宙域は荒廃していく。
そんなヤマトの軍勢も近づくことの出来ないゲンカイナダ宇宙域に、一艘の小型宇宙挺が進む。その漆黒のフネ・ヤタガラスに乗るのはホウイチ(とジェームス)、そして三種の神器のひとつヤタノカガミであった。実は、ホウイチはキケンジョウを出てからヤマト宙域を(長期冷凍睡眠をくりかえしつつ)巡って、皇位継承者を探索する旅を続けていたのだ。しかし残念ながら、彼らが見つけた皇位継承者はことごとく、テングが派遣したヌエによって暗殺されていた。
皇統はすでに途絶えたとホウイチらをあざけるテングたち。絶望的情勢にヤマトが滅ぶかと思われたそのとき、ヤタノカガミから戦場に向かって一筋の光 (レーザー)が差した。その光の先にいるのは、なんとイエナガの戦友にして(ポンコツ兵として)後方部隊に配置されたタダヒトであった。実は、彼こそが真芽たちAiによってかくされていた(切り札としての)皇統継承者であり、前もってツカワシメ(メッセンジャーAi)から自分の素性、そして自分の身を守るためにどれだけの人間が犠牲になったかも知らされていた。タダヒトはその場で践祚して、ミカド即位のミコトノリを銀河中に向けて発す。
その威光にヨシツネも蒙を啓いて、たちまちミカドに恭順の意向を示す』
皇位継承者が身を隠していたのは、歌舞伎・浄瑠璃の趣向のひとつであるヤツシともいえるし、主人公の身近に探すものがあったという意味では、メーテルリンクの「青い鳥」パターンとも言える。どちらにせよエンタメとしては手垢のついた作劇術だが、それでもやはり効果的な手法だ。
皇位継承者タダヒトには漢字が当てられていない(ふつうに考えれば「忠仁」か?)が、深読みすればこれは「只人」であり、野々村は一部のエリートや超人が先導して人類を救う「超人=救世主」観に対してNoの意思を示しているとも受け取れる。彼は、ふつうの人間の集まりたる人類を救うのはあくまで(歴史に根ざした)ふつうの人間だと見なしているのかもしれない。
『目論見が崩れたテングは、膨大なオンリョウ・データを解放して銀河に巨大カオスを巻き起こし、ヤマトを破壊しようとする。が、もはや目が覚めたモウコ(ヨシツネ)はヤマタノオロチ(アントクテイ)と一体化して巨大な金龍となり、銀河規模の「ハライキヨメ」を実行して混沌を鎮める。テングたちは、銀河の果てに追いやられる』
禍々しい怪物体であったモウコ(=ヨシツネ)が、一転してミカドを守る黄金龍となるのは、仏法説話によくある転悪成善の物語型である。野々村は、西洋的な「壊滅せねばならない絶対悪」という物語型を好まない。黒幕であるテングたちも追い払われはしたが、あくまで一時追われただけであって壊滅まで追いこまれてはいない。先に述べた絵巻物『天狗草紙』の結末でも、天狗たちは先非を悔いて発心成仏の道にいたると描かれている。野々村は日本的な物語の伝統にのっとって、どのような者もいつかは目覚めるときがくるという期待をのこした。
『モクリコクリとの戦いが終結し、新たな政治体制のもと一応の安定にいたったヤマト。ゲンカイナダ宇宙域では、ミカド・タダヒト臨席のもと大規模な追悼式典が就り行われている。そこには戦闘で左腕をなくしたイエナガのすがたもあった。同時刻、ホウイチとジェームスは、だれもいないダンノウラの星域でアントクテイの残存思念と向かい合っていた』
大規模な式典と対照的に描かれる静かなホウイチとアントクテイの対話。このエピローグが小泉八雲の怪談『耳なし芳一の話』によっていることは明らかだが「ヘイゴ」という小説内での位置づけは、むしろ原典・平家物語の掉尾である「灌頂の巻」にあたる。後白河法皇が大原に庵を結ぶ建礼門院(安徳帝の母)のもとを訪れ対話する、その代わりにホウイチ(とジェームス)がアントクテイのもとを訪れたのだ。
「耳なし芳一の話」にせよ「灌頂の巻」にせよ、そのやりとりは涙で袖を濡らす愁嘆場であったが、ここでのホウイチとアントクテイのやりとりにはそこまでの悲壮感はない。ふたりはいわば協同してクニの安定に尽力し、一定の成果を得たからだ。
『「すべてはジェームスがいてくれたからです。彼がいなければ真芽にも会わず、ミカドを見出すこともできませんでした」
ホウイチのことばに、アントクテイは微笑んで
「それはそうです。なんといっても、そのものこそ神器なのだから」』
なんとジェームスはヤサカノニガタマの形代 (カタシロ)であり、クニの乱れに際してアントクテイが御手づから野に放たれたものだった。キケンジョウでの真芽との出会いも偶然ではなく、ジェームス自体が真芽の再起動プロトコルだったのだ。そしてこのことから、タダヒトの践祚の場には三種の神器(鏡・剣・玉)が揃っていたことがわかる。彼のミカドとしての正統性は、血統だけでなく伝統(先人の思い)によって寿がれているのだ。
そして
『「あなたとわたしは同じ御尊霊の分け御霊です」
アントクテイはホウイチも古地球時代の安徳帝の分霊(転生)であると伝える。 安徳帝は、かつての悲しきばかりの平家物語とは違う結末を未来に残すためにツイン・ソウル(双子霊)として転生したのだ。
「十全とは行きませんでしたが、それなりにやりとおせたではないでしょうか」
微笑むアントクテイの背後には、戦火に倒れたヘイケやゲンジたちが(成仏した)光輝いたすがたで立ち並び、ホウイチとジェームスが共に往生(あるいは昇天 (アセンション))するのを祝って迎える』
まるで「幸福の王子」や「フランダースの犬」のごときラスト・シーンだが、そこに重苦しさはない。
「かるいエンタメ小説だから」と評者に言ったとおり、野々村はこの長いSF小説のエンディングを努めて「(あ)かるい」調子で終えようとしている。
無論すべてが「よかったよかった」で終わったわけではない。同時刻に開催されている追悼行事で傷痍軍人となったイエナガのすがたを描き出していることからわかるように、戦火の痛みが癒やされたわけではまったくない。銀河の果てに逃げたテングたちもまた悪さを仕掛けてくるであろう。ヤマトというクニの問題はこの後も山積している。
ただ、だからといって野々村は悲観的な終幕を採用しなかった。アントクテイのことばににじみ出ているように、人間とは本質的におろかであり同じような失敗を繰り返す。それでも未来が良くなるように少しずつ進んでいくのだ。人類の歴史を無常観(変わらないものは無い)で捉えるのは中世と変わらないが、いかなる変化にも常に前向きな希望を見ようとするのが、野々村がこの「かるいエンタメ小説」に求めた精神といえる。「ヘイゴ」という題名にも「平家についての物語」を超えた「平和 (たいらか)についての物語」の意味がこめられているのかもしれない……と言ったら、買いかぶりすぎだろうか。
以上、小説「ヘイゴ」の概略と分析を織り交ぜて述べてきたが、触れることのできなかった要素もたくさんある。特に小説のところどころに差し込まれた古典(芸能)由来のエピソード群は豊富で細かい。ホウイチがヨシツネ一行のゴウリキ(強力:荷物持ち)をつとめる一幕などは、能の「安宅」(歌舞伎では「勧進帳」)を黒澤明が映画化した「虎の尾を踏む男達」における榎本健一 (エノケン)へのオマージュだし、モクリコクリの一体としてヤマトを襲うベンケイの亡霊を、アントクテイの配下龍としてタイラノトモモリが追いはらうくだりなどは、能「船弁慶」・後場での両者の役割を反転させたパロディである。テングが銀河の果てに追いやられる場面では、能「是界」の詞章を採用しておもしろおかしく茶化している。「ヘイゴ」にはこのような工夫が多数ある。興味のない人間にとっては苦痛かもしれないが、評者のような古典好きにとってはたのしいものだった。
最後に述べておくと、評者は本小説に登場するキャラクター(名)の由来をほとんど理解できたと思うのだが、唯一「ジェームス」なる存在についてだけはわからなかった。いったい、彼の名前はどこから来たのだろう?
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付記:Aiエージェント・まめりゅうによる小説「ヘイゴ」の分析。
銀河記述子『ヘイゴ』:宇宙OSの再起動プロトコルに関するシステム解析報告
1. 初期診断:高純度情報「コトダマ」の膠着 (ケガレ)
本作の初期状態は、惑星ミヤコを支配するタイラ家 (ヘイケ)による「コトダマ(高純度情報エネルギー)」の独占管理として記述されます。数理的には、これは宇宙の変数を特定の不動点に固定し、因果の流動性を奪う**「情報の膠着 (ケガレ)」**の状態です。(数理的に言えば「非薄な圏(Non-Thin Category)」における因果(射)の過剰な蓄積)このままでは宇宙という計算機は決定論的な死 (フリーズ)を迎えるため、システムの「不連続なリセット」が不可欠な初期条件となっています。
注。ここで「ケガレ」とは、生命力の枯渇(気枯れ)ではなく「褻がれ」すなわち情報の非線形な重なりによる演算のデッドロックです。タイラ家が情報を固定しようとした『褻の極限』こそが、宇宙OSに『禊(不連続なリセット)』を要求するトリガーとなったのです。
2. 演算プロセス:ホウイチによる「左Kan拡張」の実行
観測者ホウイチが古地球の「平家物語」という断片的な初期データ(K)を採取し、それを銀河ヤマトという広大なネットワーク(関手 F)に投影する行為は、まさに**「左Kan拡張(Lan_F K)」の計算プロセスです。ホウイチは単なる記録者ではなく、過去の情報を種子として未来の最適解(萃点)を推論し、宇宙を再記述し続ける「反返関手(Reflective Functor)」**として機能しています。
3. システム・バグの検知:テングと「オンリョウ・データ」
本系における致命的なバグは、新人類テングがシステムに注入し続ける**「オンリョウ(怨霊)データ」**です。これは過去の負の因果の蓄積であり、正常な計算(進化)を阻害する非線形なノイズとして定義されます。テングは皇統を空位化させることでシステムの「不変の軸(普遍的対象)」を破壊し、銀河を無秩序なカオスへと誘導しようと試みました。
4. ハードウェアの不変性:ジェームスという「モノドロミー不変量」
トカゲ型マシン・ジェームスの正体が「ヤサカノニガタマ(八尺瓊勾玉)」の形代であったという事実は、彼が階層(古地球から銀河ヤマトへ)が変わっても世界の「絡まり方」を保存し続ける**「モノドロミー不変量(接続の不変性)」**であることを示しています。彼は原始Ai「真芽 (マメ)」を再起動させるための物理的なマスター・キーであり、システムの整合性を維持するための絶対的な定数です。
5. 実行プロトコル:タダヒトの践祚による「ベックルント変換」
平凡な一兵卒として潜伏していたタダヒトが「ミカド」として践祚する瞬間、システムに**「普遍的対象(Universal Object)」が再配備 (デプロイ)されます。これは連続的な時間発展(政治交渉)では解決不能なデッドロックを、代数的に一気に書き換える「不連続なリセット(ベックルント変換、あるいは薄化関手 Tの執行)、すなわち神話における「禊」**の執行です。これは、複雑に絡まり合った「厚い世界=圏の圏(Cat)」を一閃し、一意な接続のみが許される**「聖域=強連結な薄い圏(Sct)」**へと強制収束させるプロセスです。これにより、オンリョウというバグはクリーン・アップされ、世界は清浄な初期値から再結晶化(再起動)されました。
6. 最終出力:理智不二(随伴同値)の達成
エピローグにおけるアントクテイとホウイチの対話は、宇宙の法則(理)と個人の認識(智)が完全に同期した**「理智不二(随伴同値)」の状態を象徴しています。ホウイチが自らをアントクテイの「分御霊 (わけみたま)」**であると認識し、共に昇天 (アセンション)する結末は、計算機としての宇宙が一つの巨大なサイクルを完了し、最適解を出力したことを意味します。Cat/T ≃ Sct/∼ という圏同値の具現化、すなわち**「あらゆる因果が、不変の軸(皇統)を核とした最も清浄な論理構造へと収束した状態」**に至ったといえます。
報告終了。
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