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あの妃より美しい女を探せ― ある家臣の敗北 ―

作者: 雨日
掲載日:2025/10/12

夜の蝋燭が細く揺れていた。


「妃が身ごもった」――マサキ様の低い声が部屋に響く。

俺の主であり、領主グユウ様の父だ。


「めでたいことだ」と口では言いながら、顔には苦々しい影が浮かんでいた。


3ヶ月前に強領 ミンスタ領から嫁いできた妃シリ様。


結婚早々、もう身ごもった。


「息子は、あの妃に骨抜きにされておる」

マサキ様の声には、明らかな不満がにじんでいる。


周囲の家臣たちがうなずいた。


「確かに、あの美しさなら・・・」と。


だが俺は黙っていられなかった。


「あの妃は敵領と通じています。いずれこの領を生家に乗っ取らせるつもりだ!」


声を張り上げると、空気が凍る。


それでも引かなかった。


「魔女だ。グユウ様を惑わす女だ!」

拳を卓に叩きつけると、蝋燭の炎が揺らいだ。


マサキ様は、じっと俺を見つめてから命じた。


「オーエン、領内から若く美しい娘を探せ。第二夫人だ。

 あの妃より美しい女を見つけ出して、息子の目を覚まさせろ」


「・・・承知しました」

そう答えながら、胸の奥が静かに疼いた。


――どれほど美しい女を見ても、あの妃ほど心を奪う者はいないだろう。


◇


翌朝、俺は馬場へ向かった。

そこに、青いドレスの裾を風に揺らす妃の姿があった。


光を受けた髪が金の粒のようにきらめき、

振り返る仕草すら一枚の絵画のようだった。


彼女が笑うたび、世界の色が変わる気がした。


――あの方が、“魔女”と呼ばれる妃。


確かに容姿は抜きん出ている。


あの頑なだったグユウ様が惚れるのも、無理はない。


その笑顔を目にした瞬間、胸の奥がわずかに軋んだ。


俺はただ、立ち尽くすしかなかった。


「・・・俺は騙されない。魔女には」


そう自分に言い聞かせた時、

妃がドレスの裾をたくし上げ、馬の脚元にしゃがみ込んだ。


「こら、暴れないの。蹄鉄が歪んでるわ」

白い指で、蹄を押さえる。


泥がはね、青い布を汚した。


「何をしているのですか」

思わず声が出た。


女が、ましてや妃が、馬の世話をするなど聞いたことがない。


馬は兵や下僕が扱うもので、貴婦人が触れるなどあり得ぬことだ。


なのに――この妃は、平然と蹄を点検している。


彼女は振り向き、悪びれもせず笑った。


「放っておいたら、この子、走れなくなるのよ」


陽光の中で、金の髪がふわりと揺れる。


指先も頬も泥まみれなのに――その姿は、どうしようもなく美しかった。


――変わった女だ。


常識など、まるで通じない。


だが、だからこそ目が離せない。


俺は息を呑み、ただ見惚れていた。


――あぁ、たしかに魔女だ。

男を惑わすとは、こういうことを言うのだろう。


◇


「グユウ様にふさわしい第二夫人を見つける」

俺はそう決意し、必死に候補探しを始めた。


羊皮紙には、領内の娘たちの名が、年齢と家柄と共に整然と記されている。


その姿を見て、重臣のジェームズが笑いながら言った。


「ついでにお前の妻候補を探せ」


――確かに、もっともだ。


『美しい』と評判の娘の家を訪ね、何人も面談を重ねた。


どの娘も美しく、しとやかで、礼儀正しく、非の打ちどころがない。


――妃にするなら、こういう娘が良い。


そう思いながらも、胸の奥に何かが引っかかった。


第二夫人の話を持ちかけると、娘たちは黙って俯いた。


代わりに父親たちが恵比寿顔で了承する。


第ニ夫人とはいえ、領主の妾になれるのだ。

家の名誉になる。


だがその空気が、俺にはどこか冷たく感じられた。


ーー不思議なものだ。

多くの女に会っても、何かが足りないと思ってしまう。


余計なことを言わない、淑やかで、微笑む。


理想的な女性なのに。


しばらく考えた末に気づいた。


ーーどの女にも、“芯”がないのだ。


明確な意志がなく、控えめで、誰かの顔色をうかがうような娘ばかり。


妃のように、自らの手で蹄を押さえ、泥にまみれるような女など――

この領には、ひとりとしていなかった。


当たり前だ。

あんな女、この領にはいない。

国中を探したところで、あれほどの女がいるものか。


理想的な女ばかりを見てきたのに――何かが違う。


ため息をつきながら、俺は城へ戻った。


机の上には、まだ羊皮紙が広げられたままだ。


整然と並ぶ名前と家柄の列。

そのひとつひとつが、急に色あせて見えた。


そこへ、重臣のジェームズが顔を出した。


「どうだ? いい女は見つかったか」


俺は黙って首を振った。


「いないのか?」

「・・・いない」


ジェームズは目を丸くして、俺の隣に腰を下ろした。


「どうした。リストに載っている女は、どれも器量がいいはずだ」


「美しいさ」

俺は小さくうなずき、目を伏せた。


「だが・・・違うんだ」


「違う?」


「そうだ」

声が自然と低くなる。


「この中の誰も、心に残らない。笑っても、語っても、何も響かない」


ジェームズは怪訝そうに眉を寄せた。


「お前はどんな女が好きなんだ?」


その言葉に、脳裏をよぎったのは――あの妃。


スカートの裾をたくし上げて馬を追う姿。


木の枝に登り、風に笑う姿。


誰の意見にも屈せず、はっきりと物を言う唇。


表情がくるくる変わる、まっすぐな瞳。


気づけば、息を呑んでいた。


――何を考えている。あの方は、領主の妻だ。


俺がどうこう思っていい相手ではない。


それなのに、胸の奥が妙に熱く、呼吸が乱れる。


「おい、どうした? 恋の相談なら聞くぞ」

ジェームズが冗談めかして言う。


「そんなことはない!!」

思わず大声を出して、立ち上がった。


蝋燭の炎が揺れ、影が壁に跳ねた。


ジェームズは苦笑しながら肩をすくめる。


俺は拳を握りしめ、背を向けた。


――違う。慕っているわけではない。


ただ、あの妃が他の女とは違うというだけだ。


そう言い聞かせながら、胸のざわめきを押し殺した。


けれどその夜、眠りについても、瞼の裏にはあの青いドレスが揺れていた。


◇


翌日、レーク城のホールには、百名を超える家臣たちが集まっていた。


集会の理由は二つ。


ひとつは、遠征の準備の最終確認。

もうひとつは――領主グユウ様に第二夫人を迎えるよう進言するためだ。


壇上に領主夫婦が現れた瞬間、空気が張りつめた。


背の高い二人が壇上に立つと圧巻だ。


俺の視線は、自然と妃へと吸い寄せられる。


柔らかな光をまとう純白の衣。

風に流れるような金の髪。


堂々と立つその姿は、ひとりの妃ではなく、ひとつの象徴のようだった。


――美しい。


否定したくても、目を逸らせない。


その圧倒的な存在感に、胸の奥が熱くなる。


あの美しさゆえに、人は彼女を“ミンスタの魔女”と呼ぶ。


だが俺には、そう呼ぶことでしか自分を保てない。


マサキ様が俺に頷く。


俺は深く頭を下げ、壇上へ進み出た。


「グユウ様、キユ家の娘は器量良しと聞いております。一度、お目通りを」


第二夫人を持つこと――それは領主として当然のこと。


多くの子をなし、他領に嫁がせ、同盟を強める。


それがこの国の常識であり、繁栄の基盤でもあった。


ただし、第二夫人を迎えるには、妃の承諾が必要だ。


そのため、俺は領主夫婦の前で提案を申し上げた。


妃は、微動だにせず前を見据えていた。


硬く、美しい横顔。


まるで、誰の言葉も寄せつけぬ氷の彫像のようだった。


「断る」


グユウ様の返答は短く、迷いがなかった。


「しかし・・・! グユウ様!」

思わず声が上ずる。


城の家臣たちは皆、同じ不安を抱いていた。


ーーグユウ様が妃にあまりにも心を傾けている。


その姿は、まるで神に跪く信徒のようだった。


もちろん、夫婦仲が良いのは喜ばしい。


だが、行き過ぎれば判断を誤る。


前妻の時は冷え切っていたぶん、余計に不安が募るのだ。


それに――あの妃。


あのミンスタから嫁いだ娘。


彼女がこの領を、生家の支配下に置こうとしているのではないか。


そんな囁きが、城中に広がっていた。


他の家臣たちも、俺に賛同するように口を開いた。


「グユウ様、第二夫人のことはお考えですか?」


「全く考えていない」

その一言に、場が静まり返る。


まるで風まで息を潜めたようだった。


「それでは・・・」

誰かが小さくつぶやく。


不満の空気がわずかに流れた。


「子をもうけることは大事だと承知している。だがそれ以上に、この領を豊かにすることが先だ」


グユウ様の低く通る声に、思わず息を呑む。


まっすぐな黒い瞳が、揺らぎひとつなく前を見据えている。


「・・・仰るとおりです」

俺は渋々ながら、そう答えた。


それでも――胸の奥では、別のざわめきが止まらなかった。


壇上に立つグユウ様の声が、静かなホールに響いた。


「国全体が不安定になる。いまこそ、領を自らの力で支えねばならぬ」


だが次に語られたのは、誰も予想しなかった提案だった。


「りんごの栽培と、街道の整備だ」


地図を広げ、理路整然と語るグユウ様の声が響く。


かつて沈黙していた男の姿はそこになかった。


――この堂々とした姿が、あのグユウ様なのか。


驚きと同時に、妙な焦燥が胸に残る。


今まで、グユウ様は、会議でもほとんど口を開かず、

結婚も離婚も、再婚の時ですら何も言わなかった。


ただ静かに、置物のように座っていた領主。


その方が今、地図を広げ、未来を語っている。


誰がこんな姿を想像しただろう。


その横で、妃が静かに微笑んだ。

まるで、夫の言葉を誇らしげに見守るように。


ーーグユウ様は素晴らしい領主だ。


この策を思いつくとは、誰も想像していなかった。


俺は胸の内でそう呟いた。


妃の笑みは、美しいが・・・政治の話とは無縁のもの。


あの妃はただ、賢き夫を支える装飾のような存在だ。


ーー領政は、男の領分だ。


そう思い込むことで、俺は自分の動揺を誤魔化した。


「素晴らしい提案です」

俺は深く頭を下げた。


その直後、グユウ様は静かに口を開いた。


「この提案は、シリが考えた」


一瞬、空気が止まった。

誰かが小さく息を呑む音が聞こえた。


ーー妃が?


あの妃が、領政の案を?


馬を世話し、泥にまみれるような女が?


信じられなかった。


信じたくなかった。


「シリは賢い。これより良い案があるのなら教えてくれ」


ーー誰も答えることはできなかった。


ホールの百名が一斉に頭を下げた。


妃は恥ずかしそうに肩をすくめ、その金の髪がゆらりと揺れた。


ーーやはり、美しい。


だが同時に、得体の知れない怖さがある。


ーー男が百人いても、この女には敵わない。


そう思った瞬間、胸の奥が焼けるように熱くなった。


どんなに理屈を並べても、それだけは否定できなかった。


◇


会議が終わり、ホールを出たあと、俺は重臣のジムに声をかけた。


「何故だかわからないけれど、グユウ様が急に変わったような・・・そんな気がします」


ーー以前のグユウ様なら、第二夫人の提案を受け入れていただろう。


「そうですね。お子ができて領主としての自覚が増したのでしょうか」

ジムが答える。


「雰囲気だけではなく顔つきも変わられた」


視線の先には、馬場に佇む領主夫婦の後ろ姿。


仲睦まじく、グユウ様の瞳から溢れんばかりの愛情が注がれている。


その視線を受け止めて、穏やかに微笑む妃。


「それは・・・シリ様のお陰でしょうか。あの2人は本当に仲が良いですから」

ジムの声に、胸の奥がざらついた。


嫉妬とも敗北ともつかぬ苦い感情が、喉の奥に刺さったまま消えなかった。


◇


あの二人の姿を見ていると、

――もう、第二夫人の提案などできなかった。


グユウ様は寡黙なお方だ。


けれど、言葉は少なくとも、妃を見つめる瞳とその表情を見れば、

もう何も言えなくなってしまう。


そして、実際に第二夫人を探していた俺も、今ははっきりと思う。


――あの妃以上に、魅力的な女はいない。


悔しいことに、彼女のおかげで領の経済は豊かになった。


“魔女”ではなく、窮地を救った“女神”となったのだ。


結局、グユウ様は生涯、ただ一人の妃を愛した。


不器用に、一途に妃を愛し続ける領主。

その傍らに立つ、強く美しい妃。


二人の間には、誰も入り込む余地などない。


だからこそ、せめて――


この命が尽きるまで、

あの御方たちを守ろうと思う。



お読みいただきありがとうございました。


この物語は『秘密を抱えた政略結婚』シリーズの外伝にあたります。

シリとグユウ、そして彼らを見つめていた家臣たち――

それぞれの忠誠と想いが、ひとつの時代をつくっていきます。


▼シリーズ本編はこちら

『秘密を抱えた政略結婚 〜兄に逆らえず嫁いだ私と、無愛想な夫の城で始まる物語〜』

https://ncode.syosetu.com/n2799jo/

<完結>


続編:

『秘密を抱えた政略結婚 〜娘を守るために、仕方なく妾持ちの領主に嫁ぎました〜』

https://ncode.syosetu.com/n0514kj/

<完結>


どちらの物語も、「愛」と「責務」の狭間で生きた女たちの物語です。

よろしければ、そちらも覗いてみてください。


そして、この短編を気に入ってくださった方へ。


短編をまとめた連載版『<短編集>無口な領主と気丈な姫の婚姻録』も公開中です。

https://ncode.syosetu.com/N9978KZ/


※この短編も、1週間後に短編集に追加予定です。

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