鏡のスマホ
「鏡というものは、不思議な存在です。
私たちの姿を映し出すはずなのに、時として“別の何か”を見せてしまう──。
スマホのカメラと鏡が重なったとき、現実と虚構の境目は簡単に揺らいでしまいます。
これからお話しするのは、実際にあったかもしれない、そんな“鏡の向こう側”の物語です。」
大学二年のタケシは、夏の夜をもてあましていた。
アパートの部屋には虫の声と、パソコンの排気音だけが響いている。退屈しのぎにスマホをいじっていると、ふと「心霊カメラ」という無料アプリが目にとまった。
「鏡やカメラに映したとき、霊がいれば赤い丸で示してくれる」
説明文にはそう書かれていた。胡散臭いと思いながらも、なんとなくダウンロードしてしまう。
部屋の中を試しに映してみる。机もベッドも本棚も、何も表示されない。
「ほらな、やっぱり嘘だ」
笑って削除しようとしたが、アプリは消えなかった。アイコンを長押ししても反応せず、画面が真っ暗になり、次の瞬間、カメラが勝手に起動した。
浴室の扉が画面に映る。タケシは息を呑んだ。
そこには──赤い丸が浮かんでいた。
⸻
嫌な汗が背中を伝った。慌てて浴室の扉を開ける。
ただの鏡があるだけだ。濡れたように曇った鏡に、自分の姿がぼんやり映っている。
「……やめろよ」
苦笑いしながらスマホを下げた瞬間、鏡の中の自分が、わずかに笑った。
気のせいだ、と言い聞かせて寝床に入った。
だがその夜、スマホに勝手に録画された動画が保存されていた。
映像の中では、寝ている自分の枕元に黒い影が立っている。
カメラはゆっくりと影から顔へと寄っていく。
最後の一秒──鏡に映った自分が、不気味に笑っていた。
⸻
次の日、タケシは友人に相談した。
「なあ、この動画、見てくれよ。おかしいんだ」
友人は半信半疑で画面を覗き込み、やがて顔色を変えた。
「……おい、これ、お前が二人いるぞ」
画面の中。
一人は布団で眠っているタケシ。
もう一人は、鏡の中からカメラを覗き込み、黒い瞳で笑っていた。
⸻
三日後、タケシは行方不明になった。
部屋には散らかった荷物と、ひび割れたスマホだけが残されていた。
最後の動画には、暗い浴室が映っている。
必死に逃げようとするタケシを、もう一人のタケシが後ろから掴み──鏡の中へ引きずり込む瞬間で途切れていた。
ただ、鏡の表面には。
ニタリと笑うタケシの顔が、今も焼き付いたように残っていた。
「タケシが姿を消してから、あのアプリは今もネット上に残っているといいます。
ダウンロードした人のスマホには必ず、赤い丸が浮かび上がる──。
そして鏡の中には、自分ではない“もう一人の自分”が、静かに笑っているのです。
……あなたのスマホにも、そのアイコンが入ってはいませんか?」