32話
宿屋に何用かと思ったら、5人とも俺の見舞いに来たようだった。
「わざわざありがとうございます。ここじゃ宿屋さんに迷惑だろうし、俺の部屋にどうぞ」
……いつもの俺の部屋に7人。なぜかカーミラさんまでいて、とても狭い。
「でも皆さん、なんでわざわざまた……?」
「私はハイドさんがギルドに顔を出さないのが心配になって……」
オリビアさんは、この宿屋に泊まっている他のギルド関係者から俺が病気なのを聞きつけたらしい。
「他の皆さんは……?」
目を泳がせるルチアちゃん以外の議長宅の面々。何か言いずらいことがあるらしい。「もちろん、普段からお世話になっておりますハイド様の一大事に駆けつけぬわけには……」と言い出した執事のアルフレドさんを遮ってルチアお嬢様が。
「……ハイド様とわたくしは許嫁なのですから当然なのですわ!」
と言い放った。
ルチアお嬢様のその一言に一瞬その場が凍り付いた、ような気がした。
一拍間を置き、それまで沈黙を保っていたカーミラさんが、タバコの煙をルチアお嬢様の顔に吹きかける。
「……目の前であたしの男を盗ろうだなんて、ずいぶんといい度胸だねえ? ……ガキはすっこんでなっ!!」
「あたしの男……!? まさか、ハイドさんっ……!?」
目をひん剥き、オリーブ色の美しい髪を振り乱して鬼の形相でこちらを凝視するオリビアさん。思わず「いや、違いますよ!?」のジェスチャーをする俺。
俺は目の前に雷が轟き激しい火花が散る様子を幻視した。
「ムッキャーーー!!! なんと無礼な雌豚ですことっ……! ミランダさんやっておしまいなさいっ……!!」
「いや……、お嬢。流石にそれは……」
赤髪の後頭部をガントレットをはめた右手でかきながら困った様子のミランダさん。それはそうだろう。男の取り合いで切った張ったをしてしまうとなると、議長の家に醜聞が立ってしまいかねない。
「ふん、礼儀をわきまえないのはどっちさね? 自分のケツも拭けないようなガキがイキってんじゃないよ! 真っ当に商売している民間人に剣を向けるなんざ、いくらお貴族さまでも許されちゃいないよ!! さっさと出ていきなっ!!」
「ムキィーーーーーー!!! ハイド様、この雌豚をとっちめてやってくださいませっ!! わたくしとこの雌豚どっちが大事なんですの……!?」
「そうよ、ハイドさん。私のことどう思ってるの……!?
ルチアお嬢様、カーミラさんだけではなくオリビアさんまでも参戦。全員が俺の顔を見てきた。修羅場だなあと呑気に見ていたけど油断していた。
なんかダラダラと変な汗が出てきたぞ。……こういうときこそ、完全気配遮断!
「あれ……!? ハイド様、どこですのっ!?」
「ハイドさーんっ!!」
「ハイド、どこ行ったんだいっ!?」
速やかに部屋から戦略的撤退をした俺は、当初の予定通り鉱業ギルドで鍛冶作業をすることにした。揉め事の原因となった俺がいなければ、頭も冷えるだろうよ。
町を出てようかな? と思うくらいには心理的プレッシャーを受けた気かもしれないけど、流石にそこまでするほどのことじゃないだろう。
所詮痴情のもつれにすぎないのだから……。
「鉄は熱いうちに打て、と言うが、鉄は冷ますことも必要ってことだよな……」
ふむ、中々上手いこと言えたところでこの件はもういいだろう。
そんなことよりも鍛冶作業をしなければ。コツコツとした努力は裏切らない。こういった類の急に生じる問題も、日ごろ努力を続けていればきっと乗り越えられるはずなんだ。
俺は鉱業ギルドの鍛冶場に向かった。
現実逃避だという声が聞こえてきそうではあるが、俺には心当たりがない。見た目がちょっとばかし整って若くなっただけだろ。特に彼女らを口説いた記憶もない。俺みたいな頑固なクソ陰キャ野郎がモテるわけない。
きっと何かの間違いだ。そう思うことにしよう……。
先ほどのことを無かったことにしようとする俺だったが、そうは問屋が卸さなかった。
「……さっきはなんでいなくなっちゃったんですか?」
中庭でいつものように作業をしていたら、ツノを生やしたオリビアさんが幽鬼のように仁王立ちしたまま、静かに俺を見下ろしていた。
確かにここで作業してたら、真っ先にこの人に見つかるわな。なんでそんな単純なことに気が付かなかったんだろう。
いや、それよりもこの場では何と答えるのが正解なのだろうか……?
「自分、不器用ですから……」
とっさに口をついて出たのは、そんな言い訳にもならない名俳優のセリフだった……。