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事故の記憶











『おかえり』






それはきっと魔法の言葉。

暗闇を照らす明かりのように。

落ち込んだ時に差し伸べられる手のように。

疲れや孤独や寂しさから救ってくれる、心を許した者たちだけに使える魔法の言葉。






『おかえり』






そんな魔法の言葉が聞けた日常を。

そんな魔法の言葉を言ってくれる人を。






失ったのは、5年前のことだった。










* * * * * * * * * * * * * * * *











『ねえ、まだ着かないのー?』






それまでの日常を失ったあの日は、とても寒い冬の日だった。

我が家で毎年恒例となっていた冬の家族旅行。

有名な温泉地へと向かうために、父が運転する車の後部座席に母と共に乗っていた私は、退屈さに耐えきれず何度か目の不満とも言える質問を繰り返していた。

カーステレオからランダムに流される音楽をBGMにして、私たちが乗った車は山を切り開かれて作られた道路を登るように進んでいく。

見降ろすように覗き込んだ窓の外には、静かな冬の海が広がっていた。






『もう少しよ』


『お母さんってば、さっきもそう言ったけどまだ着いてないよー!』


『ははっ、今度こそもう少しだよ千鶴ちづる。そうだなあ……あと30分くらいかな?』


『30分かあ……それってけっこう長いよお父さん』


『今まで我慢してきた時間に比べたら短いだろう?』


『それはそうだけど…』






あの日向かっていた温泉地はなかなかに遠い所にあった。

虚弱体質にも関わらず、好奇心旺盛で活発だったあの頃の私にとって、何時間も車の中に押し込められているのは正直苦痛だった。

早く外に出たくて、仕方なかったのだ。






『千鶴ったらほんと堪え症が無いわねぇ。何度言えば気が済むの。お母さん、疲れちゃったわよ』


『だって、つまんないんだもん』


『しょうがないさ、千鶴はまだ子供なんだから』


『千鶴は子供じゃないもん!もうすぐ6年生になるんだから!』


『はいはいそうね~千鶴はもう立派なお姉さんね~すごいわぁ~』


『むぅ。お母さん、ぜったい千鶴のこと馬鹿にしてるでしょっ!』


『してないわよー』


『むむむっ』


『ほらそこ、喧嘩するなよー?』






本当の喧嘩じゃなくて、じゃれあうような温かい喧嘩。

だからお父さんが宥めた後には、3人で笑い合った。

この時はただ楽しいと思うだけで気がつかなかったけど、こんな風に他愛もない時間が幸せだったんだと思う。

気がついたのは、皮肉にもそれを失った後だったけれど。






――――つまんないなあ……






じゃれあうような喧嘩で若干はまぎれた退屈さも、少し時間が経てばすぐさま復活してしまった。

この退屈さというのは『子供だからしょうがない』と言われるような、子供だったら誰もが抱くような生理的な衝動に近いものだったのだろう。

けど、その後に私が起した行動は取り返しのつかないあやまちへと繋がってしまった。

そしてその過ちは『子供だからしょうがない』と言ってすまされるようなものじゃなかった。






――――ボール…






退屈さからきょろきょろとせわしなく目線を動かしていた私の目に映ったのは、野球ボール。

それはこの旅行の間にお父さんとキャッチボールをしようと思って持ってきたものだった。

幼い頃から虚弱体質だった私は、少しでも運動するとすぐに具合が悪くなってしまうため、普段あまり思うように運動ができない。

だけど私は運動が大好きだった。

具合が悪くなると分かっていても、体を動かしたくて仕方が無かった。

だから友達と遊んでいるとついはしゃぎすぎてしまって、よく体調を崩した。

それでもみんなと遊びたくて、でも自分だけでなく周りにも迷惑をかけるからといつからか「大人しくしていなさい」と言われて、自由に遊ぶことができなくなった。

私が体調を崩せば、自分だけでなく周りにいる人にも迷惑をかけると言われてしまえば、私は不満に思いながらも我慢するしかなかった。

そんな私を見かねてか、この旅行の間だけはお父さんが私とキャッチボールをする約束をしてくれた。

もちろん無理はしないという約束で。

『走りまわらないでボールを投げ合うだけなら少しくらい大丈夫だろう?』と渋るお母さんを説得してくれたのだ。






――――早くお父さんとキャッチボールしたいなぁ






そんなことを思いながら、ボールを手に取り軽く投げてはキャッチするというのを繰り返した。

掌から伝わるボールの感触に、思わず笑みが広がっていた。

久々に少しとは言え体を動かせるんだ、と嬉しくなっていたのだ。






『ねぇ、お父さ―――』


『危ないッ!!』






『着いたらすぐにキャッチボールしてくれる?』

そう紡ごうとした私の言葉は、お父さんの叫ぶような声に遮られた。

そして、二度と伝えることのできない言葉となってしまった。






――――え…?






お父さんに話しかけようと後部座席から運転席を覗き込むような姿勢をしていた私の目に飛び込んできたのは、驚愕した父の顔。

そんな父の見開かれた目が真っ直ぐに正面を見据えていたので、つられてそちらの方へと目を向ける。

するとそこには――――






――――と、らっ、く…?






フロントガラスの半分を覆う、大きなトラック。

運転席の人がハンドルに顔をうずめているのが見えるほどに、私たちの車とトラックの距離は近かった。

ごぉっという大型車特有のエンジン音にフロントガラスが微かに震える。






それらが意味することはただ一つ。

私たちの車にトラックが突っ込んできていたのだ。






『…ッ!!』






お父さんが大きく息を吸い込む。

そして思いっきりハンドルを切った。

ものすごい衝撃とともにフロントガラスからトラックの姿が消える。

ギリギリのところで、お父さんがトラックをよけたのだった。






『…ッあ…!』






そう、もしこの後お父さんが上手くブレーキを踏めていたなら。

この山の道路は比較的広かったから、トラックに少しぶつかっていたとはいえ奇跡的に全員助かっていたかもしれなかった。

けど、そんな奇跡は起こらなかった。

お父さんがブレーキを踏むことができなかったからだ。






私のせいで。






――――ボールが…!





手にしていた野球ボールが、車が揺れた衝撃で私の手から転がり落ちていった。

そして落下したその先。

コロコロと転がっていったのは、ブレーキの間だった。






『…ッ!?』






ブレーキを思いっきり踏んだにも関わらず、一向にスピードが落ちないことに父が困惑と焦りの表情を浮かべる。

私はそんな表情を眼の端に捕えながらも、ブレーキの間に挟まった野球ボールから目が離せなかった。

何が起きているのか理解しているのに、まるで理解したくないというようにすべての思考が止まっていた。






『千鶴っ!!』






不意に体が後ろに引っ張られた。

そして温かなものにぎゅっと包まれる。

そこは世界で一番安心できる場所だった。






『お、かあさ―――』






温かな母の胸に包まれる瞬間、最後に目に映ったフロントガラスの向こうの景色は、ガードレールの向こうに広がるどこまでも青い海だった。

そして、私は母に抱きしめられ、柔らかく温かな闇に包まれた。






『千鶴…』





祈りのように呟かれた私の名前。

カーステレオから流れる、名前も知らない英語の歌。

そしてガードレールを突き破る轟音と衝撃。

一瞬の浮遊感と落下する感覚。

そして急速に暗転した私の意識。






トラックが突っ込んできてからの一連の出来事はきっとものすごく短い間に起きたことだった。

だけど、私にはスローモーションのようにすべてがゆっくりと見えていた。

そして今も覚えている。

意識が途切れるその瞬間まで見ていたものは、欠片も忘れることなく。

ぜんぶ、ぜんぶ、覚えている。






『………ん…』






そして次に私が意識を取り戻した時。

目を開けているにもかかわらず、目の前は真っ暗だった。

おまけに体を何かに包まれている感覚があった。






――――……?






しばらくわけも分からずぼんやりとそのままの状態でいると、混濁していた意識が不意に明白になる。

そして怒涛に押し寄せる、事故の記憶。

慌てて私は自分を包んでいる何かを押しのけて、強張った体を何とか起こした。






――――……ッ!?







そうして目の前に広がった景色に私は凍りついた。

大破したお父さんの車。

所々に飛び散った車の破片。

鼻につく焦げ臭さいような匂いと……鉄錆のような、血の匂い。

少し先に広がった海の穏やかな水面と潮の満ち引きの音が、私の周りの景色の異様さを浮き彫りにさせているような気がした。






――――お父さん…?お母さん…?






異様な景色の中に2人の姿が見当たらない。

そのことが凍りついていた体を動かした。

慌てて辺りを見回す。






『―――ッ、う、あ、』






そして、私が、見た、ものは。






『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!!!!』






最後まで踏み込めないブレーキを踏み続け、ハンドルを必死に操作していた父と。

私を抱きしめて、守り続けていてくれた母の。






ぐちゃぐちゃになった、姿だった。






















ものすごく久々の更新です。

毎度のことながら申し訳ありません(-_-;)




今回は全ての原因とも言える、事故のお話でした。

「こんな事故あんのかよ!?」って思われそうですが、昔何かでこんな事故があったというような話を見かけたことがあったので、それを元ネタにさせてもらいました。

ちょっとできすぎた不運な事故かなぁと思いますが創作だということで大目に見てください;




それと、ちづの本名は『空山千鶴そらやまちづる』と言います。

あおくんの本名は、前の話でちょろっと出しましたが『立花葵たちばなあおい』です。




あと一話で話が一区切りつくので、また三日後くらいにアップしたいと思います。




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