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もう少しだけ







「ちづ」






低く優しい声に呼ばれ、目を覚ます。

寝起きのぼんやりとした瞳に映るは、見慣れた端正な顔。

ほんといつ見ても女の私より綺麗な顔してて羨ましい…。






「こんなところで寝てたら風邪ひくぞ」


「…う…ん」






起き上がろうと体に力を入れてみたけど、上手くいかなかった。

何だかすごく眠いのだ。

今もすでに夢の中に片足突っ込んでる感じだし…。






「寝たりないのか、ちづ?」


「ん…」


「しょうがないな」






密やかな笑い声と共に、体が持ち上げられる。

優しい体温。

心地よい揺れ。

慣れ親しんだ、大好きな世界。






「人に運ばせといて何笑ってんだ、コイツめ」






責めるような言葉と裏腹に声は何処までも優しい。

だからいつも甘えてしまうのだ。

もう少しだけ我儘を言ってもいいんじゃないかって。






―――もう少し、もう少しだけ………






「立花くんッ!!」






夢と現実の狭間らへんにあった意識が、突然聞こえてきた甲高く鋭い声に覚醒させられる。

驚いて目をパチパチさせていると、頭上から小さな溜息が聞こえた。

見上げるといつもは柔和な表情を浮かべている端正な顔が、少し苛立たしげに歪められていた。

私と目が合うとすぐにその苛立たしげな表情は消え、苦笑のようなものに変わった。






「まだ話は終わってないわ!」






再び聞こえてきた甲高い声に、彼は首だけで後ろに振り返った。

どうやら甲高い声の主は彼の背後にいたらしい。

そう気がつけば何処となく不穏な空気がそちらから感じられる。






「俺はもう終わったんだと思ってたけど」


「私は終えたつもりはないの!」


「これ以上何を話すって言うのさ?」


「だって、あんな理由じゃ納得できない…!」


「あんたが納得できる、できないの問題じゃないし」


「でも、私は別れたくないッ!」






唐突に繰り広げられた言葉の応酬に、寝起きの私の頭はプチパニック状態だった。

けどそれも少しの間で、すぐにどうやら私は今、俗に言う修羅場というものに居合わせてしまっているのだと気がついた。






――――――……って、ちょっと待って!だとしたら今のこの状況はまずいんじゃ…!






修羅場を繰り広げる男と女。

その男の方に私は現在、お姫様だっこをされている状態だ。

これはまずい。

普通に考えてまず過ぎる。






「あ、あおくんッ!」






慌て過ぎて声が上ずってしまった。

うう、恥ずかしい…。






「どうかした、ちづ?」






私の方へ向けた彼の顔も声もいつものように優しかった。

なのに背後の女の人にはどことなくそっけないような態度をとるのは何故だろうと思った。

声だって普段より冷たい気がするし、言い方にも棘がある。

断片的な話の内容からして背後の女の人は私を抱き上げている男―――あおくんの彼女であるような気がするんだけど…。






「今すぐ降ろしてっ!」


「どうして?」


「どうしてって…後ろの人、彼女さんでしょ?こんなの見たら誤解されちゃ――――」


「彼女じゃないよ」






満面の笑みで告げられたその言葉に、「ふえ?」と間抜けな声を上げてしまった。

いやいや、どう考えても彼女さんでしょ?

別れたくないとか言ってたし。






「だけど―――」


「その子のせいなの?」






どう考えても嘘をついているあおくんにさらに言い募ろうとした私の声は、低く鋭い声に阻まれてしまった。

びっくりして、首を伸ばし声が聞こえてきたあおくんの背後を見ると、怒りに燃えた瞳と目が合ってしまった。

もしかしなくても、さっきの低い声はついさっきまで甲高い声を上げていた彼女のものだろう。

同じ声帯からこうも違う声が出るなんて、驚きだ。






「その子がいるから、私と別れるっていうの?」






丁寧に巻かれた赤みがかった長い茶色の髪。

薄くメイクが施された綺麗な顔。

長い手足、細い腰、豊満な胸、といった抜群のプロポーション。






―――あ…この人、美人で有名な麗華先輩だ…。






怒りに歪む綺麗な顔の迫力がすごくて、すぐには気がつかなかった。

けど、ものすごい視線で私を睨むその人は間違いなく私の一つ上、あおくんと同い年の白鳥麗華先輩だ。

確か人気雑誌のモデルをしているという、有名な先輩。

そんな有名な先輩があおくんの彼女だったなんて…。

いや、あおくんもかなりの有名人なんだけど。






「そうだって言ったら?」


「なッ…!」


「あおくん!?」






あおくんの顔を見上げれば、すでに彼は私の方を見ていなかった。

あおくんは絶句という言葉がぴったりな顔で彼を見つめている麗華先輩の方を見ていた。






「とにかく、お前とはもう終わったんだ。そろそろ帰らせてくれない?日も暮れて寒くなってきたし、このまま此処でお前の話を聞き続けてちづが風邪ひいたら困る」


「そんなっ!」


「じゃーな、白鳥」






一方的に話を切り上げてあおくんは校舎に向かって歩き出す。

刺々しい視線を感じながらも、彼にお姫様だっこされている私も一緒に遠ざかっていくしかない。

一人佇む麗華先輩への申し訳なさに心が痛む。






「あおくん、あんな言い方よくないよ。早く戻って麗華先輩の話を聞いてあげたほうが…」


「アイツとはちゃんと別れ話をしてもう終わりにしたんだ。なのにしつこく付きまとってくる方が悪い」


「終わりにしたって……でも、麗華先輩納得してないみたいだよ?もう一度話し合ったほうがいいと思うんだけど…」


「アイツと話し合うことなんてもうない。それよりも、こんな真冬に中庭で眠ってたらダメじゃないか。体が冷え切ってる」


「昨日夜遅くまでりっちゃんから借りてた本を読んでたから寝不足でつい…―――――って、話を逸らさないでよ、あおくん!」


「鞄は教室だろう?とってきてやるからちょっと此処で待ってて」






いつの間にやら辿り着いた昇降口でようやくお姫様だっこから解放され、ほっと息をつく。

あおくんには昔からよくお姫さまだっこをしてもらっているから、ぶっちゃけ慣れていると言えば慣れているんだけど、学校でされるとやっぱり恥ずかしい。

何よりも、あおくんのファンの方々からの視線が痛いのだ。

今は放課後で人もあまりいないからまだマシだけど。






「ああ、もうっ、そうじゃなくてっ!あおくん、私の話聞いてる?麗華先輩のところへ―――」


「そこから動くなよ、ちづ。間違っても一人で帰ろうとするなよ?お前はものすごいドジで虚弱体質なんだから、俺が傍にいない時は大人しくしてるのが一番だ」


「た、確かにその通りだけど!でも、私は一人で帰れるから!だから麗華先輩の―――」


「一人で帰れる?バカなこと言うなよ、ちづ。ただでさえ今日はあんな寒いところで寝てたんだ。帰る途中で具合が悪くなったらどうする?」


「大丈夫だもんっ!私何もできないほど子供じゃないよ?あおくんが傍にいなくても―――」


「ちづ」






力強い声に、思わずびくりと方が震える。

木漏れ日のような栗色の瞳に真っ直ぐ見つめられ、思わず頬が熱くなる。

あんなに綺麗な瞳に見つめられたら、誰だって同じ反応をするだろう。






「いい子で待ってろよ?」






キラキラと輝く満面の笑顔。

まるで漫画のように後ろに花が咲いていてもおかしくないほど完璧な笑顔だ。

はたから見たらその美しさに惚けてしまうかもしれないけど、私はこの笑顔がそんな素敵なものじゃないことをよく知っている。






これは、有無を言わせず他人を丸めこむ笑顔だ。






「あおくん…」






この笑顔が出てしまえば、何を言ってもあおくんは聞き入れてくれない。

諦めて溜息をつく私を見てもう一度笑みを浮かべると、あおくんは校舎の中へ入って行った。

その背中を見つめながら、私は申し訳なさではち切れそうになる胸を抑えた。






「ごめんなさい…」






私が、いるから。

私という存在が傍にいるから。

あおくんは幼いあの約束に今も縛り付けられている。






『あんたがいるから、葵は誰とも恋愛ができないのよっ!』






蘇る、一年前の記憶。

投げつけられた衝撃の言葉。

自分がいかに鈍感だったかを思い知らされたあの日。






『あんたさえ、あんたさえいなければ…!』






彼女ができてもすぐに別れてしまうあおくん。

あおくんに振られて泣いている可愛い彼女達。

振られると分っているから告白しないで思い続ける、あの子。






彼らをそんな風にしてしまっているのが自分なのだと、愚かにもやっと気がついた。






「ごめんなさい…」






謝ってすむ話ではないけれど。

それでも口から出るのはこの言葉。






「ごめんなさい…」






本当はすぐにでも傍を離れた方がいいことは分かっている。

でも、あと一年と数ヶ月。

それだけたてば、私は完全にあおくんの傍を離れることができる。

誰にも何の迷惑もかけずに、離れることができるのだ。






――――我儘でごめんなさい……けど、それ以上は何も望まないから。







だから、それまではどうか傍にいさせて。

あの優しい世界にもう少しだけ寄り添わせて。







――――そしたら………








あの人を、大好きなあの人を私という枷から解き放つことができるから。















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