幼い約束
『お願いだからそんなこと言わないで』
涙が枯れ果てるほど泣いた。
声が掠れるほど叫んだ。
どうにかして目の前の地獄から逃げ出したくて、できることは何でもやってみた。
『そんな……死ぬなんて言葉、二度と言わないで』
だってしょうがないじゃない。
泣いて叫んで、狂ったように笑って。
色々やってみたけど、結局どれもダメだったんだから。
あとはもう死ぬことぐらいしかこの地獄から逃げ出せる方法なんてないでしょ?
『もし、どうしても死ぬっていうなら僕も一緒に死ぬ』
呟かれたその言葉に弾けるようにして振り返る。
久しぶりにこの瞳に映した彼は今まで見たことが無いほど悲痛な顔をしていた。
僅かな間の後、そんな顔をさせているのが自分なのだと気がついて、また死にたくなった。
だから衝動的に目の前にある屋上のフェンスに足を掛けた。
『ちづッ!!』
少年とは思えぬものすごい力で後ろから抱きかかえるようにしてフェンスから引き離される。
耳元に彼の僅かにあがった熱い息がかかる。
掌から消えていくフェンスの堅い感触に、もう少しで死ねたのにとぼんやり思った。
『死ぬなんてバカなことするなッ!!』
振り向かされ、目の前に迫った彼の顔はものすごく怒っていた。
私よりも一つ年上で、いつも穏やかに微笑んでいる優しい彼。
生まれたときからずっと傍にいるのに、声を荒げこんなに恐い顔をすることができるなんて今まで知らなかった。
『こんな、こんなバカな真似…もう二度としないでくれよ……』
痛いくらい強く抱きしめられる。
そうされて初めて気がつくこと。
耳元で囁かれる彼の声が、私を抱きしめる両腕が、微かに震えている。
『ちづは僕に死んでほしいの?』
唐突とも言えるその言葉に、一瞬思考が止まる。
そしてさっき彼が言っていたことを思い出す。
私が死んだら彼も死ぬと言う、その言葉を。
『死んでほしいの?』
再度問われたその問いに、私は激しく首を振り否定する。
彼に死んでほしいなんてそんなこと思うわけが無い。
だって彼は大好きで大切なかけがえのない人なのだから。
『なら、死のうとなんてしないで』
私を抱きしめる腕が熱い。
私に囁きかける声が熱い。
冷え切った私の体を彼の熱が温めていく。
『ちづが死んだら、僕は生きていけない』
そんなことあるわけない。
あなたはとても綺麗な顔をしていて、すごく頭もよくて、運動神経も抜群で。
顔も頭のよさも平凡でものすごく不器用な私と違って、何をやらせても難なくできてしまうあなたはいつも人の中心で輝いている。
そんな人が私が死ぬ程度で生きていけなくなるなんて、そんなことあるわけがないのだ。
なのに――――――――……
『生きていけないんだ…』
その腕があまりにも強く私を抱きしめるから。
その声が迷い子のようにあまりにも切ないから。
私が死んでもあなたは生きていけるでしょう、なんてこと言えなかった。
『お願いだよ、ちづ。もう自分から死のうとなんてしないで。そんなバカな言葉や考えなんてもう捨てて』
肩を掴まれ、優しく体を彼から引き離される。
目の前に現れた彼の顔はひどく真面目で。
栗色の綺麗な瞳が強い光を放ちながら私を見つめていた。
『僕がずっと傍にいるから』
形のいい唇から零れた真摯な言葉。
まだあどけなさを残した彼の顔がとても大人びて見えた。
目の前にいるのは少年ではなくて一人の男なのだと思わせるような、そんな顔。
『ちづを一人ぼっちになんてしないから』
目頭が熱くなって何かが頬に零れおちる。
そっと頬に当てた指先が僅かに濡れて光っていた。
とっくに涙なんて枯れ果てたと思っていたのに。
ああ、私はまだ泣けるのだ、とそう思った。
『悲しい思いも寂しい思いも二度とさせないようにするから』
泣いていると自覚した途端、涙は止めどなく溢れだす。
滲んだ視界の中で彼が微かに笑ったような気がして、その笑みのあまりの優しさに噛みしめた唇の隙間から嗚咽が漏れた。
『だから、ずっと僕と一緒に生きて』
温かな体温に包まれて。
静かな声に宥められて。
幼くも力強い彼の両腕の中はとても優しい世界だった。
私を取り囲む地獄は無くなったりしないはずなのに、まだ死にたいと思う気持ちは確かにあるはずなのに、それでもこの世界があるのならば生きていけると思えるような、それほどに優しい世界だった。
――――うん。私、あおくんと生きる……
昔、交わした約束。
あの時、自分のことで精一杯だった私は気がつかなかった。
この約束のせいで、私が彼の枷となって後の彼の人生を縛り付けてしまうことになるなんて。




