トルコキキョウ2
「おお!?なんだ今日はお茶の日じゃないのか!?」
「お茶の日は明日ですよ。もう、本当にうっかりさんなんですから」
優し気で憂いのある貴婦人が日傘をたたんで店内に来る。
「ああ、そういえば橙田ちゃんと会うのは初めてだな。うちのカミさんだ。別嬪だろ?」
「初めまして、旦那から話はよく聞いています。お会いできて嬉しいわ。」
大きな瞳に白い肌。老いてしわは増えているのだろうがそれでも美しさと憂いがある。きっと若い頃は相当な美人さんだったのだろう。なるほど、のろけが増える気持ちも分かるし天女と言いたくなる気持ちも分からんでもない。なんかこう、独特の色気というか、哀愁があるのだ。決して下品ではなく、品がある色気だ。
「あ、えっと、橙田です。はじめまして」
「うふふ、まだ若くて可愛らしいこと。旦那に口説かれたりしていないかしら。この人美人さんを見るとすぐに口説いちゃうから。」
「そんなことないですよ。さっきまでずっと奥様を褒める言葉ばかりでした。」
「あら恥ずかしい…そういえば今日は仏花の日ではないですよね。あなた、今日はなにを買いにいらしていたの?」
もしかして、と思い口から出そうになった言葉は重本さんの言葉にかき消された
「今日はカミさんの誕生日だろう?だから、誕生日プレゼントの用意だよ。サプライズにしようと思ってたが、見られちまったな。」
「あら、そういえば今日は私の誕生日でしたね。年をとって誕生日なんてすっかり忘れてしまっていたわ。ありがとう、あなた。」
「家に帰ってからちゃんと渡すから、今はあんま見ないでくれ」
少したじたじになりながら重本さんは花束を持った私の前に立ちふさがる。さっきまでの印象とは少し変わって尻に敷かれているようにも見える。でも、奥様のことが大好きっていう印象は変わらなかった。
「うふふ、そうね。じゃあ私は店長さんとお外で花でも愛でているわ。その隙にお会計していらして?」
「若い男に口説かれてなびくなよ!」
ちょっと顔を赤くした重本さんがそう言うと
「やあね、私は私を愛してくれる殿方以外にはなびかないわよ?」
といたずらっ子のような笑みを浮かべた重本の奥様はそう言って店長さんと共に外に向かった。
「……この花束みたいに可愛らしい人だろ?」
「ええ!私も惚れてしまいそうです!」
店を後にした重本さん夫婦を見送った後、私の中で謎になっていたことを思い出した。てっきり重本さんは毎月愛する奥様の仏花を買いに来ていると思っていた。しかし奥様はご存命である。ということは誰の?
「店長さん、毎月回に来てる仏花は誰用なんですか?」
「ああ、あれは重本さんのご両親用の仏花だよ。あの年でも毎月墓参りをするんだから素晴らしい体力だよね。あれはまだまだ長生きしそうだね、うん良い事だ。もしかして奥様のためだと思ってた?」
「恥ずかしながらそうだと思ってました。」
「奥様も元気だよ。長生きのお似合い夫婦だ。」
店長さんは二人の背中を眺めながら少しうらやましそうにつぶやいた。
「店長さんは、あんなふうに好きになった人っているんですか?」
その質問が少し迂闊だった。
「うん、いたよ」
さっきまでの明るい口調とは少し違うくらい声だった。ああ、してはいけない質問だったかもしれない。なんて声をかければいいのか分からなくなった。てっきり、舞さんや竜さんといるときのような少しふざけた口調で返してくれると思っていた。
「さ、遅くなっちゃった。もう上がっていいよ。お疲れ様、橙田さん。」
まるでさっきの話はなかったかのように明るい口調で店長さんはそう言い、店頭に戻っていった。私は、少しの間だけ動けなかった。