第五話 バラ1
「いらっしゃいませえ」
言うのにも慣れていたいらしゃいませと同時の水やり、今日は雨なので外の植木や花壇に水をやる必要はないが室内にある多肉植物などには水をあげなきゃいけない。今日は火曜日の午前中、普段なら大学の授業がある時間だが今日は何やら大学の開校日らしくて大学が休みなので朝から働いている。曰く舞さんが子どもの授業参観でシフトに出られない日だし竜さんは遅番だったのでちょうどいいとのこと。スズラン事件(舞さん命名)から徐々に花束を作る練習も始めたので、いつの間にか店頭に一人でいる時間も増えた。まだまだ分からない花がいっぱいだけど、新人ってことと時間がかかるってことを予め伝えると意外にも待ってくれる優しいお客様が多いのでありがたい限りだ。まあほとんどが常連さんのおじいちゃんおばあちゃんとかだからなのかもしれないけど。でも春から梅雨にかけている花たちはだいぶ花言葉も含めて覚えてきた。
「あの、花束の予約ってできますか?」
不安そうな瞳の女性、若そうで多分歳はそんな変わらないと思う。左手の薬指には銀色の指輪、あ、結婚してるんですね。
「はい、大丈夫ですよ。いつ頃、どのような用途の花束でしょうか?」
相手が不安にならないように笑顔で、自分も新人で分からないこといっぱいだし不安だらけだけどお客様が不安にならないようにせめて笑顔で。
「結婚式用のブーケで、日時は、来月の第二金曜日に受け取りたいです。」
……そっか、ジューンブライドの季節か。忙しくはないけど暇とは言えない季節だねって店長さんが言ってた。
「予約の関係上お受けできない場合もございますので確認してまいります、少々お待ちください。」
うちで予約を受けられるのは母の日とお盆を除いて一日3件まで、時間の関係もあるし本当は出来立ての花束をなるべく長持ちさせたいかららしい。母の日とお盆はそんなこと言ってられないので申し訳ないけどあらかじめ作った花束を提供するよって言ってたけど。
「え。と…6月の第二金曜日…」
ちょうど予約はない日なので引き受けることはできそうだけど、そもそもうちって結婚式用の花って引き受けられるのかな…店長さんに相談しよ
「店長さん、休憩中ごめんなさい」
「いいよー、どうしたの?」
休憩室で何やら計算している店長さん、休憩中のはずなんだけど休憩してないでしょ絶対
「結婚式用の花束のご予約って引き受けて大丈夫ですか…?日程は一か月ほど先ですし予約が無い日だったんですけど…」
「ウェディングブーケね、引き受けて大丈夫だよ。一か月先ならその前日と当日に舞にも入ってもらうようにシフト調節もできるし、余裕。」
「ありがとうございます、ではそのように言ってきますね」
「あ待って橙田さん!俺がいく!!」
そう言ってあわてて席を立つ店長さん、説明だけなら私でもできるしなんか重要事項でもあるのだろう。私も後をついていくことにした。
「店長の黒田です、ウェディングブーケのご予約の件、承知いたしました。責任をもって作らせていただきます。そしてその件なのですがブーケを作らせていただくにあたりいくつかの質問がございますが今お時間大丈夫ですか?」
先ほどの女性に対して優しい対応を行っていく店長さん、そっか、いろいろあるんだなあ
「えと、どのくらいの時間が必要でしょうか」
「そうですね、人によって異なるので断言はできませんが平均して10分から30分ほどですかね…」
「えと、これからちょっと用事があって…明日でも大丈夫ですか?」
「明日は店休日でして…明後日以降でご都合の良い日時はございませんか?」
「明後日の夕方、6時以降であれば大丈夫です」
「では明後日木曜日の夕方6時にお待ちしております」
「はい、ありがとうございます」
スムーズなやり取りを見ていると、女性は少し安心したように店を後にした。
「ウェディングブーケは、女性にとってとても大切なものだからね」
少し寂しそうに女性の後姿を見る店長さん。私には色恋はよくわからないし結婚なんて先の事だからイメージはわかない、結婚式の花束なんて投げられているイメージしかない。
「ウェディングブーケって、花嫁を綺麗に魅せるための最高の脇役だと俺は思ってる。ドレス、式場、新婦、そのすべてと調和して初めて最高の花束と言える。逆に、そのどれか一つとでもかみ合わなかったらそれは最高の花束だなんて言えないし最高の結婚式って言えない。すべてを完璧にするためには、花束という一つのピースを完璧な形にしてあげないといけないんだ」
難しい事なんだなって、他人ごとみたいに思った。実際他人事なんだけど。
「例えばの話だよ。白いウェディングドレスに真っ黒な花束ってどう思う?」
異例だと思った。その人の性格にもよるんだろうけど、なんか明るい門出のはずなのに暗く感じてしまうような気がした。
「まあ現代は例外もあるから一括りにしちゃうのは良くないけど、あんまかみ合ってる感じしないよね。まあその人がどうしてもっていうならこっちもそれに従うけどさ。でも、せっかくならその人の人となりを知って、せっかくならドレスとか式場の雰囲気に合わせた花言葉とかブーケの雰囲気とかを考えて作りたいんだ。だからよっぽどの指定が無い限りはなるべくその人のことを考えつつブーケを作る、そのために事前の打ち合わせをしたいんだ。」
「花束って、難しいですね」
「難しいよ、作っている人の性格もでちゃうからね。だからこそ客観的な意見も必要だから個々の店ではウェディングブーケは二人体制で作るようにしてる。なるべく個性がでてこないようにしないと。あくまで主役は新郎新婦。そこに俺たちはサポート以外で混ざっちゃいけないんだ」
さっきまでの寂しそうな表情から一変して今度は楽しそうにそれを語る店長さん。まっすぐにキラキラした瞳で、ああ、この人は花のことが本当に好きなんだろうなって思った。その瞳で見つめられる花が、一瞬だけ、うらやましいと思った。
「さ、俺は休憩に戻るね。何かあったら今みたいに遠慮しないで呼んでもらって大丈夫だからね」
そう告げて颯爽と戻る店長さん。私も水やりやリボンの補充をしなければ、ついでに花も覚えていこう。
「うーん…」
「これだと地味じゃない?」
「でも…うーん……」
何やら悩まし気な店長さんと舞さん。作業台で紙やら花やらたくさん広げてうなっている。私は店頭にいるので何をなやんでいるのか具体的なことは分からないが、きっと先週の火曜日と木曜日に来店した女性のウェディングブーケのことだろうな、とは予想が付いた。予算とかその人の人柄とかを考えたらきっと二人の意見が衝突とまではいかずともなにやらうまく意見がまとまっていなんだろうな、とは容易に想像できる。
そもそも店長さんと舞さんは幼馴染とは言えど性格はあまり似ていない。快活な舞さんとどちらかと言えば消極的で温和な店長さん、きっとこの二人と昔馴染みと聞く舞さんの旦那さんが仲を取り持っているのだろうなと思う。じゃないと舞さんが店長さんを尻に敷きそう。でもそんな二人でも十年ほど一緒に花屋を営んでいるのだから人って面白いなって思う。きっと性格がうまくかみ合っているのか、ビジネスパートナーとしては最適なのか、私には想像もできないけど。
雨が降っているし午前中に舞さんと店長さんが配達を済ませてしまっているし、仕入れは明日だから今日は特にすることも無い。しかも作業場、加工場ではやることがいくらかあるが店頭では全くと言っていいほどやることが無いのだ。花もある程度花言葉まで覚えてしまったしリボンは毎日在庫を確認するほどでもないし今日も確認したけどしっかりあった。ちなみに目の前で咲いている胡蝶蘭の花言葉は「幸福が飛んでくる」。お値段はちょっと高めだけど門出にはもってこいの花だとされている。なんてことはさておき、作業台のある加工場からは相変わらず二人の不満そうな声、意見が一致しなさそうな声が聞こえ続けている。
「あのねえ、これじゃ祝ってないみたいじゃない!」
あ、ついに舞さんの堪忍袋の緒が切れたようだ。舞さんは快活な性格もあってなんでも言う性格、我が強い、というか自分の意見をしっかり持っている人である。今回のように怒りに任せることはなかったがいずれそうなりそうだよなあ、とはどこかで思っていた。まあびっくりしたしめっちゃ怖いけど。
「舞、落ち着いて」
店長さんの声も心なしか怒りをはらんでいるような気がして怖くなった。この声は聞いたことが無い。
「……休憩、いいでしょうか…」
実は休憩時間が迫っている、というかなんなら今日の休憩時間はとっくに始まっている。あの雰囲気に圧倒されてなかなか言い出せなかったけど。でもそろそろ割って入った方が私も休憩できるし雰囲気変えられるかなって思って勇気を出して言い出してみる。今まではこんな勇気なかったな、なんて人ごとみたいに考えつつ。まあ高校時代も実際おとなしい子たちの集まりでほのぼの仲良くやらせてもらっていたけど。
「え?あ!ほんとだ!ごめんね橙田さん!休憩だよね!俺店頭にいくよ!」
「あ!逃げたな一期!」
どうやらゆっくりとした休憩にはならなさそうです。