迷子の仔犬
その娘に悪気はなかった。それは断言できる。
ただ糸ちゃんと私が話し合っていたから自分の疑問を声に出しただけ。
ふと気になったことを疑問に出してくれることは嬉しいし、できれば返したいと思う。
「そういえば今まで日本ってまだ火星に探査機送ってないの?」
これが太陽だったら「ひので」を挙げる。
これが水星だったら「みお」を挙げる。
これが金星だったら「あかつき」を挙げる。
これが月だったら「かぐや」か「SLIM」を挙げる。
木星以遠の惑星なら残念だけど日本が主導する探査機はないと答える。
でも、火星だけはノータイムで答えることができない。
……できなかった。
「あ、あれ。変なこと聞きましたか。ごめんなさい」
言葉を詰まらせた私を気遣って謝罪の言葉を出させてしまった。
申し訳ない。
「えっと。失敗しちゃったんだ。私たちが生まれる前の話なんだけどね」
「あっ。そう……なんだね。残念だね」
その探査機の打ち上げ自体は成功している。
何が駄目だったか。
最初の問題は火星に行く推進力が足りなかったこと。
それによって地球の重力圏を脱出できなかった。
この問題を解決するのに四年かかった。
次の問題は通信と熱制御系に不具合が発生したこと。
一時は通信が全くできず、燃料も凍結してどうしようもない期間があった。
最低限の通信が復活するのに二か月かかり、燃料の凍結の方は太陽に近づいたことや積んであった観測機に電源を入れることでなんとか凍結しない温度を確保した。
こうやってなんとか火星軌道に到着したけれども、結局通信系の復旧中に地球への送信ができない状態になる。
そして、火星の周回軌道に入るためのタイムリミットが来て時間切れ。
将来実施するはずの火星生命探査のため、特殊な処理をしていない探査機は火星への衝突確率を1パーセント以下にしなければいけない国際的な方針がある。
その1パーセントをどうしても切ることができなかったため、少なくとも20年は火星に衝突するようなことがないようにその探査機に最後のコマンドを送り、ミッションは終了。
既に地球からは見失っているけど今でも火星軌道周辺を周回しているはずだ。
もう助けを呼ぶこともできず、できたとしてもその声を聴くものもいない、終わった探査機。
「あーっと、その。うぅ。なんて名前だったの?」
私の雰囲気に中てられて動揺したその娘がこの話題を続けてしまった。
あんまり言いたくない。
言ったら最後、ますます重苦しい雰囲気になってしまう。
そのくらい分かってる。
「国際標識番号1998-041A」
こんな番号、この探査機以外は覚えてない。
「第18号科学衛星」
結局火星の衛星軌道に入れなかったけど科学衛星とはそういうものだ。
「打ち上げ前の開発名はPLANET-B」
PLANET-Aはハレー彗星、PLANET-Cは金星の探査を実施し、両方とも見事成功している。PLANETを冠して失敗した科学衛星はこの探査機だけ。
「打ち上げ後の名前は、『のぞみ』。全部ひらがなだよ」
ひらがな三つで『のぞみ』
私と、天辻のぞみと同じ名前の探査機はミッションの失敗という結果を残して宇宙探査の歴史から去っていった。
のぞみという音や直接の意味に不満はない。
むしろこの件さえなければ私は自分の名前に誇りを持っていた。
もし、私の名前がひらがなでなかったら――望とか希美だったならここまで気にしていなかった、と思う。
私が生まれた時にはこのミッションは終了していたし、両親は星を見る人じゃなかったから流石に知らなかったはずだ。
ひとりぼっちで宇宙空間に漂う迷子の探査機と自分をどうしても重ねてしまう。
たくさんの期待を背負い、だけど使命を遂げることができなかった無念が心を抉る。
気にする必要は、ない。
そんなこと分かってる。分かってる、けど……。
あぁどうしよう。
上手く表情が作れない。
今すぐ笑って気にしなくていいと声をかけなきゃいけないのに心が動かない。
そういえばさっきまで糸ちゃんと話していた火星衛星の探査も今年打ち上げのはずが二年後に延期になってしまった。
つくづく火星に縁がない。
計画延期の発表を聞いた時もそこそこ脱力感があったけどそれがぶり返してきた。
吹っ切ったはずの過去がまとわりついて振り払えない。
私が凍てつかせてしまった部室が沈黙に包まれる。
私に『のぞみ』の話を振った娘は今にも泣きそうな顔になっている。
別にいじめたい訳でも貶めたい訳でもない。
それでもこの流れに持って行って精神的に追い詰めちゃっているのは私だ。
「ごめん糸ちゃん。ちょっと頭冷やしてくる。任せて良い?」
「任された。とはいえ完全には無理だから明日ちゃんと話すんだよ」
鞄をおいたまま部室の外に出る。
図書室でいいかな。特にあてはないけどこれ以上ここにいても悪影響しかない。
「あ、あのっ。ごめんなさ」
「悪いのは私だから気にしないで。こっちこそごめんね」
こうやって謝罪すら受け入れないのは本当に大人げない。
その辛さは最近知ったばかりなのに今度は私がそれを押し付ける側になってしまった。
一方的に会話を打ち切って扉を閉めて歩き出す。
明日天文部行きづらいなぁ。
でも仕方ない。身から出た錆を悔やむ気持ちもあるけど今はちょっと何も考える気が起きない。
自己嫌悪に苛まれながらとぼとぼと天文部を後にした。
しばらくして
糸ちゃんから早めに解散したとの連絡を受け取って部室に戻る。
実はメッセージを確認してから部室に辿り着くまで三十分くらいかかってしまったけど、糸ちゃんと雫歌ちゃんは何事もなかったかのように出迎えてくれた。
「今日はごめんね。部室ヘンな空気にしちゃった」
「明日ちゃんと仲直りするように。あと他に地雷あるなら共有しときたいんだけど」
「のぞみちゃんはみんなより深いところにいるから仕方ないところはあるけどやっぱりこういうのは良くないからね」
所かまわず当たり散らしたい気を抑えて反省する。
あんまり意識してなかったけど今日みたいなことを繰り返したくない思いはみんな一緒だ。
近くにあった椅子に座る。
大机を挟んで糸ちゃん雫歌ちゃんと向かい合う位置。
顔を見るのが怖くて視線は机の上に固定されて上を向くことができない。
「天文部、辞めちゃわないかな」
「それは今後ののぞみ次第」
糸ちゃんが相変わらず私に厳しい。
いや、あの空気押し付けて逃げたことに関して何も言わないのはとってもとっても優しいと思うけどそれはそれ。
今の私はちょっと人に優しくできる余裕がない。
「地雷かぁ。うーん。まぁ星座の神話は嫌いなもの多いよ」
「そうなの? おおいぬ座とかも?」
「むしろ嫌いな星座だよ。単に地図記号としてならそうでもないけど神話は酷い」
頭上のイヌ耳がピーンと警戒態勢。
尻尾も同様。声も少し低くなった。
今日の私は攻撃性が高くて少し嫌になる。
「おおいぬ座とこいぬ座の犬はさ。最終的に鹿に変えられた飼い主アクタイオンを食べちゃうんだ」
「おおぅ」
「それはちょっと……あんまりだね」
オリオンの猟犬という見方もあるけど、そもそもオリオンが粗暴者。
まさしく神話の神といった存在なのでそっちも好きになれない。
「りょうけん座は神話ないから良いんだけど、おおかみ座も酷い」
「のぞみストップ」
あまりに荒っぽい言い方だったからか糸ちゃんストップがかかった。
椅子から立ち上がり、私の後ろに回ったと思ったら抱きしめられた。
荒んだ心にその優しさが沁みる。
「硬い……、待って待ってギブギブギブ!」
後頭部に糸ちゃんの胸が当たったので感想を言ったらチョークスリーパー(よく知らないけどたぶん)で首を絞められたので腕をタップ。
圧力は弱まったけど腕は私を抱きしめる形に戻った。重心を背中に移して見上げると糸ちゃんと目が合い、放してくれなさそうなことを悟る。
「いいなぁ」
「はい。続けて」
このまま?
あと雫歌ちゃんが羨ましがってるのは私だろうか糸ちゃんだろうか。
いや、これたぶん私を和ませるための寸劇だ。私が部室を離れている間に何か取り決めがあった。最初は気付かなかったけどアイコンタクトの気配がある。
それが分かったということは顔を上げることができたということ。
二人の顔を見ることができたということ。
つまり効果はバッチリだ。
擦り切れた心が癒えていく。
「おおかみ座も似たりよったり」
毒気を抜かれて口調が少し柔らかくなってくれた。
星座の神話をリラックスして話すのは初めてかもしれない。いつもの身構えっぱなしと全然違う。
「アルカディアって国にリュカオーンっての王様がいたんだけど、ゼウスって神様に人肉を食べさせようとしてバレて怒りを買って狼に変えられたの」
「「うわぁ」」
二人ともドン引きしている。
当然といえば当然。むしろ神話ってなんとか語れる部分を抽出する作業から始まるからこんな悲惨な話は自分で調べないと出てこない。オリオンが良い例だ。
「まぁこの話は後付けでおおかみ座と関係ないって話もあるんだけどギリシャ神話にリュカオーンの話があるのは事実だよ」
「うん分かった。神話系の話は振らないように共有しとく」
「そんな話ばっかりだったら嫌になっちゃうね」
ちなみにお兄ちゃんも星座の神話は好きじゃない。
けど雪月さんはお兄ちゃんにねこ座のオリジナル神話を語ってもらったと惚気られたことがあるので多分好きな方だと思う。
二人のおかげで地雷処理はすんなり終了。
ソ連の実験で宇宙に行った犬たちはセーフでいいかなぁ。私は人間だし動物実験にいちいち目くじらを立てる思考はしていない。究極的には娯楽である神話と少しジャンルが違う。
最初から殺す気だったクドリャフカはともかくチャイカとリシチカには悪いことをした。プチョールカとムーシュカもできれば生きて地上に返してあげたかった。
でもこれは仕方ない。というか宇宙開発で命を失ったのは犬より人の方が断然多い。
ごちゃごちゃ考えた所為で糸ちゃんに温めてもらった心がどんどん冷えていく。
消沈して脱力した私の代わりに糸ちゃんの力が少しだけ強くなる。こうやって抱き着いたのは私から得る情報量を増やすという理由もあったのかも。救われてばかりだ。
「二人ともごめんね。嫌な話に付き合わせちゃって」
「このくらいなんてことないよ」
「話してくれてありがとう」
まだちょっともやもやするけどだいぶ楽になった。
そして湧き上がる罪悪感。
今日という日をめちゃくちゃにしてしまった。
部長失格だ。
「私、単にお兄ちゃんが星を好きだったから星を見てただけなのかもしれないね。私自身はそこまで星を好きじゃなかったのかも」
力なくつぶやく。
全部全部お兄ちゃんの影響だったのかな。
お兄ちゃんの真似をして星の世界に入り、成り行きで天文部の部長にまでなったけど最初から器じゃなかったのかも……。
「は?」
頭上からドスの利いた低い声が聞こえた。
「赦さないよ」
正面から怒りの感情がこもった声が聞こえた。
天文部の活動をぶち壊しても何も言わなかった二人は私のその一言を認めずに、今日初めて私を咎めた。




