スタートライン
「ごめんね。雪月さんは来ないよ」
「のぞみちゃんもこんなことするんだね」
「幻滅した?」
「んー。そこまでは」
雪月さんに協力してもらって雫歌ちゃん家の近所のコンビニに呼び出した。
私の家からはそこそこ遠かったけどあんまり不自然な位置に呼び出すこともできなかったからここが最適なんだそう。
「こんな夜中に女の子が一人歩き? 危ないよ」
英字が入っている薄桃色のパーカーに黄色のスカート。
確かに女子高生が夜道を歩くには不都合があるかもしれない。
といっても私服じゃスカート以外のボトムスなんてキュロットくらいしか持ってないし、そもそも暗くても目立つように明るい色が基本だ。
対する雫歌ちゃんはジーンズと白いカットソーに緑のカーディガンを羽織っている。
「私、趣味が趣味だけに見守りアプリ入れてるんだ」
「それ危険の軽減にはならないからね」
「ちゃんと私のこと見えないようにしてるから大丈夫だよ」
原理は一般の人に私のイヌ耳が見えないことの応用。
私の家系はちょっと特殊で、どっちかというとこれはお父さん側の特別だ。
「ホントだ」
「これコストすごくかかるうえに使い捨てだから常用できるものじゃないんだけどね」
「それでも、こんなのできる人は里にだってそう何人もいないよ」
今日は頑張ると決めた日。
ここで頑張れないと私は一生頑張れない。
二人で話すこの状況を作りだすことがスタートライン。
「それに危機察知とか身体能力でそこらの一般人に負ける気もない」
意識してイヌ耳を動かす。
糸ちゃんに聞いたけど獣人って身体能力が高めらしい。
これも才能なのかな。
フィジカル、マジカルとこれでも気をつけて出歩いてる。
「あー。のぞみちゃん運動系の部活にも誘われてるよね」
「体育も真剣にやってるからね」
小手先が効くタイプの種目ならなんとでもなる。
スタミナとかは流石に専門のトレーニングを積んできた人には敵わないけど私の瞬発力と器用さは相当なものだったらしい。スポーツテストの結果も運動部基準で上位だった。
「とりつくろわないんだ」
「あんなの本気じゃないんだよ、って言うと思った?」
「うん」
同じ轍は踏まない。
糸ちゃんに諭されて、今まではなぁなぁだった他人との関係を積極的に深めていくことに決めた。
優秀さの無自覚が不和を生むならそれをどうにかしないといけない。
「今まで平均とか気にしたことなかったんだけど、私の運動能力って経験者置き去りにして即戦力になれるくらいらしいね」
別に全国常連の部活があるような学校じゃないから部活でトップになるのはそこまで苦労しないと思う。
休憩時間にバスケ部の娘と遊んだ時も能力の不足を感じなかった。むしろ視界の広さとかを褒められて雫歌ちゃんと一緒に勧誘されたくらいだ。
その時の言葉を思い返すと、私が本命で雫歌ちゃんをついでに誘うような感じだった。体格がものを言う競技で背の低い私の方が注目された。
好き勝手ゴール決めてたのは雫歌ちゃんの方だったはずなのに。
「認めるよ。私のできることは人より多い。きっと雫歌ちゃんより多い」
お兄ちゃんが観望会に誘った人に星を紹介するだけの関わりならそれで良かった。
私は星の専門家で、天文は素人であることを恥じるような分野じゃない。だから可愛がられた。
私は結局、同学年の人と仲良くできたことなんて全然ない。
だってやりたいことは全部一人で完結できていた。
「ちょっと散歩しない? ココアでも驕るよ」
これは仲直りじゃない。
私は今日、雫歌ちゃんとようやく友達になる。
雫歌ちゃんの案内で小さな公園に辿り着いた。
結局飲み物は雫歌ちゃんに驕ってもらう形に落ち着いて、公園に入るまではお互い無言。
まだどんなことを言うかまとまっていないけど仕方ない。今日を逃すと一生響く。そんな気がしてならない。
最初に口を開いたのは雫歌ちゃんだった。
「やっぱり里と比べると空が暗いなぁ」
「どういうこと?」
むしろ街の灯りの所為で明るい気がするんだけど。
行ったことないけど糸ちゃんや雫歌ちゃんに聞く限り里は光害が少ないはずだ。
「星の光は儚いなぁって話。私が知ってる空はもっと星で明るいから」
星いっぱいの夜空は見てみたい。
これが暗い空だとしたら、明るい空ってどんなものだろう。天文台のそばはそれなりに暗いけど、里には敵わないらしい。私はあそこ以上に星が見える場所を知らないから完全に未知の世界。あとはプラネタリウムくらいかな。
「北斗七星、ちょっと調べてみたよ。アルコルもミザールAもミザールBも分光連星なんだってね」
街灯もないような、特に大きな遊具もなく時期の過ぎた藤棚と放置気味の砂場があるだけの小さな公園だ。
あんまり座りたくないくらい錆びたブランコのそばで雫歌ちゃんと二人空を見上げる。
明るい星で構成された北斗七星は光害があってもよく見えた。
「そうだよ。あの時は説明できる自信がなかったから言わなかった」
分光連星。
星と星が近すぎて目では見分けられないけど、届いた電磁波を分析して波長の変化を調べて星が一つじゃないと分かった連星のことだ。
一つしかないと思っていた星は実は二つあって、それが三組あるから合計で六つの星があることになる。
「連星って宇宙だと普通なんでしょ。一番明るいシリウスだって連星」
「そうだね」
「そんな普通な星を、特別な方法を使って見つけるのが天文学」
普通に見える星を普通に見るだけで職業になるんだったら苦労はない。
そんな観測はずいぶん前に終わっている。
いや、光学望遠鏡を使って新しい星を見つけることはそれほど珍しくないか。
でもブラックホールを写すとか太陽系外惑星を見つけるとか、そういうのは普通の観測では無理だ。
「特別な方法って地球に届く電波をこねこねして色を付けて人の目で分かりやすいように組み立て直したものって意味で良いんだよね。普通は目で見てって感じ? 望遠鏡はギリギリセーフ?」
違う。
これは話の本題じゃない。
私は話を逸らしちゃいけない。
「ごめん。これはちょっと違うね」
「そうでもないよ。普通って分かりにくいもん。でも、特別は結構分かりやすいよ」
確かに、普通より特別の方が断然定義しやすい。
考えれば考えるほどふわふわしてしまう"普通"なんて考えるだけ無駄、とまでは言わないけど本質はそこじゃない。
「のぞみちゃんはびっくりするくらい特別で、そんな特別な存在が私を気にかけてくれるのはすごく嬉しい。それは本当」
「うん」
「だけど同時にちょっと辛いんだ。私は私自身が全然特別なんかじゃないことを知ってるから」
手を伸ばしても星には届かない。
私たちはもうそれに気づく、ううん、気づいてしまう年になった。
でも、さ。
星で挑むなら私は負けるつもりはないよ。
「そこまで調べたなら、おおぐま座運動星団のことも知っておいてほしいな」
それは地球からだいたい80光年くらいの距離にある星の集まりのこと。
星団はいくつかのタイプに分かれるんだけど、運動星団はその一つ。
星団で一番有名なのはおうし座のプレアデス星団かな。プレアデス星団は散開星団とよばれるタイプ。その散開星団が時間経過によってある一点に向かっているように見えるのが運動星団だ。
「……北斗七星の内の五つがそうなんだっけ」
「他にもいっぱいあるけどね。北斗七星でいうとαとη以外のβ、γ、δ、ε、ζがそうだよ」
運動星団も特別な観測をしないとまず把握できない。
普通の観測だと恒星の年齢すら分からないし、星が動いていることも分からない。それでも少しずつ少しずつ地球からの見え方は変わっていっている。
数万年もすれば柄杓の形は随分歪になっているはずだけど人間の一生はそれを観測できるようにはできていない。
「よくそんなすらすらと出てくるね」
「ギリシャ文字の上から七つだから簡単だよ。例外はあるんだけど星座ごとに一番光ってる星がだいたいα星。ギリシャ文字の順番覚えとくと便利だから最初の方はアルファベット感覚で覚えてる」
このくらいは流石に雫歌ちゃんもできる。
普通に生きているとギリシャ文字の順番なんて必要にならないけど、星の世界ではそれなりに意味を持つ。意識さえすればすぐ身に付くはずだ。
「私さ、今の夜空で北斗七星って結構特別なアステリズムだと思うんだけど雫歌ちゃんはどう?」
天球上の星々の並びがアステリズム。
日本だと夏や冬の大三角の方が有名かもしれないけど、北斗七星だって負けやしない。
イギリスだと柄杓じゃなくて鋤だし、エジプトでは 7 つの星は雄牛の前脚。こんなふうに世界中で親しまれている星だ。
「そうだね。うん。あの時は普通の星として紹介したけど特別に分類して良いかも」
「ドゥーベとアルカイド……、おおぐま座のα星とη星ね。その二つの普通の星でも、おおぐま座運動星団に属していない星でも、私達から見たら充分特別な星なんだよ」
一般に浸透しているとはとても言えないけど、おおぐま座運動星団は太陽系から一番近くにある星団だ。
既に否定されたけど一時期太陽もこの星団に属するんじゃないかという説も出たくらいには特別な存在。
「見方を変えると特別とでも言いたいの?」
「私から見ると雫歌ちゃんはちゃんと特別だよ」
雫歌ちゃんが私を特別扱いするのはこの際良い。
でも、それだけじゃ寂しい。
このまま線を引かれたまま過ごすのは嫌だ。
「……」
「……」
沈黙が二人を覆う。
言いたいことは言った。数時間前は言い返せなかったけど今度は逃がさない。
しばらく無言で星を見る。
住宅地が近くにあるからそこまで暗くない。
つまり見える星はそこまでないんだけど、数分も見ていると目がそこそこ慣れてくる。完全に目を慣らすには三十分も必要だけど、こんな場所じゃあ三十分かけたところで見える星はたかだか知れている。
それでも輝き続ける星はやっぱり特別だ。
「のぞみちゃんはもっとすごいよね。今年新設した部活の部長を立派にやって、勉強もできてスポーツもできて料理とかも得意で、ハーモニカだって弾けちゃう」
「……まぁ、そうだね。どれも結構中途半端だけどそれなりのレベルはあると思うよ」
糸ちゃんに言われるまで自覚はなかったけど、私は天才らしい。
人より少ない努力で人より高みへ到達できる稀有な存在。
努力らしい努力をしたことがないなら私が今身につけているものは才能によるものと言って良いと思う。それが人より優れている、みたいだ。
努力家とは口が裂けてもいえないから今の私は才能の方が依存度は高い。
「糸だってすごい。私はあんな風に環に飛び込めなかった」
「いや、それを言われたら私もだよ」
「私は親の都合で里を出たんだけど、中学は結局周りに馴染めずに孤立したまま終わったんだ」
おかげで勉強は捗ったけどね、と自虐的に言う。
自分が獣人であることの疎外感。
それを隠しながら生活することへの罪悪感。
いろいろ難しかったのは想像に難くない。
「……いなかったよ」
「え?」
ちょっと声が小さすぎた。
聞き取れなくてもしょうがない。
でもこれ告白するの少し抵抗あるなぁ。雫歌ちゃんはよくこんなことをすらすら言えたものだ。
「私だっていなかったよ」
中学時代、確かに孤立はしてなかった。
休み時間に話す相手に困ったことはないし、お昼を一緒に食べる人たちもいた。
だけどその娘たちとは今疎遠になっている。
同じ高校に受かった娘もいるけど顔を合わせれば挨拶する程度。
申し訳ないけどそこに対して未練はない。
去年お兄ちゃんの文化祭に誘ったのだって糸ちゃんと雫歌ちゃんだ。
「楽器を誰かと一緒に練習なんてしたことない。パスを受け取ってくれた人はいなかった。試験勉強だってそう」
お兄ちゃん以外の誰かとともに行動する習慣はなかった。
趣味が違い過ぎて話が合わないことだらけだし、私が大切だと思っているものは他の人からしたら首をかしげるものばかり。逆もまたしかりだ。
「星を見るために日の出前に早起きしてくれる人なんていなかった。一緒に星を紹介してくれる人が現れるなんて考えてもみなかった。天文部だって糸ちゃんと雫歌ちゃんがいなかったらやってない」
今まで同年代に星を見る友達はいなかった。
だから高校に入ってみるまで天文部なんて考えもしなかった。誰かと星を見ることがこんなに楽しいなんて知らなかった。
「あの時だって、結局私は最初に北斗七星をあげただけで、見せたかった星の名前すらうろ覚えでのぞみちゃん便りだったんだよ。のぞみちゃんいなかったらどうなってたか分かんない」
「それ私の台詞だからね!」
思えば雫歌ちゃんの前でそこまで酷い失敗をしたことないかもしれない。
それは偶然じゃない。糸ちゃんは失敗してから指摘するタイプだけど、雫歌ちゃんは失敗する前に声をかけてくれるタイプだからなんとかなってきた。
「のぞみちゃんいつも余裕でなんでも熟すじゃん。私なんて要らないどころか枷になってるだけ」
「いつだっていっぱいいっぱいだよ。いっつも完璧なのはむしろ雫歌ちゃんの方!」
「そんなことない!」
「私だってそんなことない!」
私も雫歌ちゃんも普段声を荒げたりしない。
大きな声を出さずとも相手に言いたいことを伝えられるし、小さな声でもちゃんと聴く。
だけど今晩だけはそうもいかない。
私の普通じゃ雫歌ちゃんを引き留めることができない。
「雫歌ちゃんがいなかったら私は星を見るのをやめてたかもしれないんだよ」
単に好きだから見ていただけの趣味が部活動になった。
大変だったけど、糸ちゃんと雫歌ちゃんがいつもそばにいてくれたからやってこれた。
「っ!」
春休み前、私は明らかに星への意欲が低かった。
それは雫歌ちゃんも知っていること。
もう一度ガッツリ星と関わる気になったのは、糸ちゃんと雫歌ちゃんのおかげだ。
「天文部じゃなくてもこの前の観望会は行ってたかもしれない。でも、私あのくらいの子たち相手にずっと星を見続けさせてあげれたことなんてほとんどないんだよ」
単に年が近いというだけで任されてる。
もちろん一組につき一人案内人が付く時も多いけど、幼稚園の皆をひとかたまりとする場合もある。
前回は急遽参加することになったからということもあり後者だ。
予定にない参加者にたいしての予備戦力的な扱いはいつものことだし、目的も星という文化に触れることだから失敗したって構わない立場だった。
周りからも一緒に遊んであげてと言われただけだし実際成功と呼べるほど場を沸かせたのは数えるほどしかない。
元気が有り余って遊び足りない子供たちの願いを叶えるための突発イベント。
「雫歌ちゃん。私と一緒に星を見ようよ」
星に手は届かない。
だけど手を伸ばすことはできる。近くにいる人になら届く。
雫歌ちゃんの正面に回り、手のひらを上に向けて差し出した。
「私、こんなだよ」
「うん。今日知った」
「私、めんどくさいよ」
「糸ちゃんほどじゃないから大丈夫」
糸ちゃんも雫歌ちゃんも溜めこむみたいだから大変だ。
そして常日頃から言い合いをしている糸ちゃんの方がまだ手がかかる。
「私、いいとこないし」
「雫歌ちゃんが知らなくても私が知ってる」
「私……」
「いいから! この手を取ってよ!」
勢いで一歩踏み出す。
雫歌ちゃんの右手を取って、下側を私の右手が、上側を左手で抑える。
私の勢いに押されて雫歌ちゃんが半歩身を退き、そしてそこで踏みとどまった。
半歩だけだけど雫歌ちゃんはその場で受け入れてくれた。
なるほど、こういう時は勢いで押した方が話が早いかもしれない。
空いた半歩分の隙間をさらに詰める。
今度は退かれなかった。
「完全に納得した訳じゃないからね」
まだちょっと不満そう。
だけど頷かせてしまえばこっちのものだ。
ばつが悪そうな顔がちょっと面白かった。
「これから雫歌ちゃんのいいとこ、嫌というほど知ってもらうから。これ決定事項ね」
今日切れるかも知れなかった縁を結び直すことができた。
応急処置にしか過ぎないかもだけど、ひとまず未来に繋げたことを喜ぼう。




