がんばれ!
「で、何があったの?」
糸ちゃんが帰ってきて10分くらいになるだろうか。
夏至が近づき夕方というには少し空が明るすぎる気がする時間帯。
その間おかえりも言えずにずっと放心していた私にとうとう声がかかった。
きっと酷い顔をしていたと思う。部屋で膝を抱えてしょぼくれる私にそっと寄り添ってくれた。
「ねぇ糸ちゃん」
「うん。聞かせて」
ぽつりぽつりと今日あったことを伝える。
正確に伝えきれた自信はない。だって私は雫歌ちゃんがなんであんなことを言ったのかまだよく分かってない。
頭がぐるぐるして吐き気までしてきた。
「私、何がいけなかったのかな」
「うーん。話を聞くかぎりのぞみは悪くないよ」
「うそ」
「えー。まぁうん。うん? やっぱり悪いのは雫歌だよ」
糸ちゃんが幼馴染ではなく私の肩を持つ。
ならどうしてこんなことになったんだろう。
「まぁのぞみと一緒にいるとキツイなってなるの分からなくもないかなぁ」
ズ――――ン。
膝を抱えた状態から立ち上がり、そのままのそのそと緩慢な動作でベッドに倒れ込む。
糸ちゃんに背を向けて小さく丸まった。
「あっ、違う違う。これに関してのぞみが悪いとは誰にも言わせない。他の誰よりものぞみに言ってほしくない」
「それに良い意味なんてないじゃん」
「だから悪いのはのぞみについていけない私達」
糸ちゃんもベッドに来て背中合わせの状態に体勢を調節された。
私も糸ちゃんも小柄だからスペース的には問題ない。今は寝てる訳ではないし寝返りの心配もない。
背中から伝わる体温にちょっとだけ気が楽になる。
顔を合わせなくて良い安心感のようなものが跳ね除けることを拒んだ。
「のぞみっていろんなことできるからさ。星はもちろんのこと、料理や勉強、運動なんでもござれ。自分なんかいらないって感覚に陥っちゃう」
「そんなこと」
「ないよ」
私が否定する前に糸ちゃんが否定してくれた。
よかった。そこは意見が一致した。
「のぞみは一人でも生きていける能力持ってるとは思うけど、一人で生きていける心は持ってないからね」
「後半はまぁその通りだけど、前半はそんなに?」
「そんなに、だよ。正直私だってのぞみと得意分野被らなくて良かったって思ってる。人間の出来を点数で測る道具が存在したとして、のぞみって上位一パーセントに余裕で入る自覚ある?」
「言い過ぎじゃない?」
「のぞみ。一パーセントって100人に一人だよ。三クラスに一人はいる計算。珍しいってほど珍しくない。その辺にいる人だよ。本当に自分がその器じゃないと思う? なら同学年で明確に自分よりすごいって思う人を三人挙げてみてよ」
「……」
まだ学校が始まったばかりだから、なんて言い訳をしようとして気づく。
ひょっとして私とんでもないことをしてないだろうか。
新しい部を作って、たんまり部費をもらい、ちゃんと活動もして、そのうえで私個人はその一歩二歩先に進んでいる状態。
まだ一学期どころか中間試験が始まる前だというのに随分目立っている。
いくらかはお兄ちゃんの功績を奪っただけかもだけど、それで私の功績がゼロにはならない。
「ちなみに漫研だとのぞみの話題出ない日はないらしいよ。そもそも私達ってこう言う新しい部作って日々邁進していく感じのストーリーが好物っていうのはその通りなんだけどそれを差し引いてもおつりくるレベル」
「いや、話題の提供者は糸ちゃんでしょ」
「話題つきないのが凄いって話。それに情報源私だけじゃないよ」
苦し紛れのツッコミも用をなさない。
私が学校に与えた影響はめちゃくちゃ大きい。
「人間としての格ってもう私たちくらいの年齢だと分かっちゃうじゃん。自分はURじゃない。NかR、贔屓目に見てもせいぜいSRってね」
ゲームなんてほとんどやらないけど流石にURとSRの違いくらい分かる。
とにかくURの方がSRより強い。なんというか、格が違う。ゲームによって変わってくるだろうけどNやRのキャラなんて使い道がないこともザラだ。SRだってURを引くまでの繋ぎ、キャラが揃ってない時の妥協策として使用するくらいが関の山の存在だ。
私はURなんだろうか。
「そんなの……」
否定しようとして、できなかった。
自分が他人より優れた人間と思ったことはないけど、たいていのことで他人より良い結果を出せた過去はある。
そこまで意識したことはないけど素の能力で敵わないって思ったことはないかもしれない。
勉強だって運動だって何だって、経験者を除けばクラスで一番最初にコツを掴んで教える側に回ることが多かったように思う。
「もちろん自分の格を正確に測れる人なんていないからそれだけじゃないよ。合ってるかもしれないし間違ってるかもしれない。早熟型晩成型いろいろある。でも、自分の才能の上限は分からなくても自分を何レベルまで上げれるか、これから稼ぐであろう努力値は分かっちゃうんだよ。のぞみみたいに突っ走れる理由も意志も熱意もない。自分の能力に不満を持ったことないって実は相当幸運なことなんだよ」
自分の才能がどうとか意識したことなんてない。
私には必要なかった。欲しい技術は全部身に着けることができた。もちろん完璧なんて思わないけど私が欲しい水準は充分満たしてる。
それはものごとが上手くなるスピードについてもそうだ。
「私コミュ力ないよ」
「のぞみのレベルが高過ぎて周りが声かけられないだけ。三年生とはちゃんと話せてるでしょ」
お兄ちゃんと同じ学年の人は観望会で会うからクラスメイトより付き合いが深い。何せ二年も前から知り合いだ。
わざわざ私に会いに来てくれる人もいて、去年の文化祭の思い出話みたいな雑談をよくしている。もちろん天文部のことも鉄板ネタだ。部の運営方針も学ばせてもらっている。
「のぞみの隣にいると自分がちっぽけな存在に感じることは確かにある。でもそれについていけないのはついていけない側の責任だよね。のぞみが手加減して弱い方に合わせる必要も意義も道理もない。のぞみは悪くないっていうのはそういうこと」
それが本当なら、私はどうすればよかったのだろう。
ひょっとして私が悪いことよりもどうしようもないのではないだろうか。
私が謝っても無意味。雫歌ちゃんが謝っても許しようがない。
何も言い返せなくなった。
訳も分からず距離を置かれて沈んだ気持ちが、動きようがない現実を知って雁字搦めに凍り付いてしまう。
「諦めるの?」
「え」
「諦めたら簡単に解決だよ。だって部活とクラスが同じだけ。同居してる私とは違うじゃん。関係を希薄にして、最低限のやり取りだけに限ればダメージはそこまで大きくない。ほら、太陽って近づきすぎると眩しくて目を潰されるけど、離れて直視しないようにすれば自分とは違う世界の存在なんだって思えばそんなことにはならないよね」
可能か不可能かでいえば可能かもしれない。
でも。
それは……。
「……ひっく」
雫歌ちゃんとの友達付き合いをやめるということで……。
悲しさが溢れて制御しようがない。
「あ、待って。ごめん。泣かせたい訳じゃないの。でもそこまで雫歌を必要としてくれてて嬉しい」
「泣いてない」
「のぞみってたまにびっくりするくらいバレバレの嘘つくよね」
「泣いてないもん」
背中合わせの状態で私の状態を完璧に把握できるものか。
でも糸ちゃんは私に諦めさせたい訳じゃないことが伝わって、強がる元気がようやく産まれた気がする。
「えぇ……。分かった。のぞみは泣いてない。だから優しい言葉は要らないよね」
少し早まったかもしれない。
糸ちゃんの言葉にびっくりして逆に冷静になれた。
「泣いてなくても人には優しい言葉をかけるべきじゃない?」
「のぞみは現状が不満なんでしょ。なら誰が原因かとか誰に責任があるかとか関係なしに、動かなきゃいけないのはのぞみ自身だよ」
前置き通り厳しい言葉がきた。
でも残念ながらその通りだ。このまま小さくなって状況が変わるのを待ってもどうしようもない。誰かが勝手に解決してくれるのを期待するのは卑怯だ。
「私に何ができるの」
糸ちゃんに助けを求めれば良いのかな。だけどそれで解決するとはとても思えない。
昨日までは感じたことのない絶望感が私の心を曇らせる。
「最近はあんまりこの言葉を使っちゃいけないって風潮が強いけど、のぞみみたいに地力が高くてなんでも器用にこなしちゃう人にこそ言わなきゃいけないことがある」
なんだろう。
糸ちゃんにはもう解決策が見えてるのかな。
「がんばれ!」
「ここに来て丸投げ!?」
思わず体を起こして糸ちゃんの方を向く。
糸ちゃんも状態を起こして目線が同じになった。
久々に見た糸ちゃんの目は真剣そのもので、次の言葉を自然と待つ。
「今まで何でもできたんだよね。私から見ると凄いことでものぞみからするとできるからやっただけ。私もそれで良いと思ってた。でも今日ののぞみ見て考え変わったよ。どうしようもない壁に当たった時にそれを越える経験は今後ぜったい必要。人はね、できることだけやったって強くなれない。大丈夫。できないことができるようになるまでいくらでも付き合うよ」
図星だ。
思い返してみれば私は頑張ったことがない。高校の入試だって受験勉強というほど本腰いれてやらなかった。全部日常の延長。
努力なんて私には必要なかった。
それでも今回ばかりはそうもいかない。
雫歌ちゃんと仲直りがしたい。
このままじゃ嫌だ。
「分かった」
どうするのが正解なのかはまだ分からないけど、とりあえず動こう。
糸ちゃんの言う通り、できないと思ってることをする経験なんてないけどそれでもやらなきゃいけない。
必死に頑張る。
言葉にすれば簡単だけど私にとっては未知の世界。
だけど行動するための勇気はもう貰った。
「糸ちゃんに任せると倒れるまで頑張っちゃいそうだし私の方で頑張ってみるよ」
何せ実績というか前科がある。
お手本にしていいかは微妙だけど頑張るって言うのはああいうことを言うんだろう。
「何言ってるの? のぞみと雫歌のピンチだよ? 倒れた程度で止まる訳ないじゃん」
「今日中!! 今日中になんとかするから糸ちゃんは一切動かないでね!?」
口調はあっけらかんとしたものだったけど目が本気だった。糸ちゃんはやる。例えどんな困難があってもやり遂げる。どんな代償だって払う覚悟がある。
糸ちゃんの所為で時間制限がついたけど、どうせ今日を逃すとどんどん状況が悪化していく。
分かってる。
明日なんて悠長なことは言ってられない。
動くタイミングさえ後押しされて、今日の私は糸ちゃんに甘えきってばかりだ。
「がんばれ、妹!」
「言っとくけど今日だけだからね。いつもは私の方がお姉ちゃんだから」




