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母は母なる大地とともにおります

「えと、名前……なまえ……なまえ?」

「そうよ。あなたはなんて呼ばれているの?」


「……え~っとぉ……」


 先ほどまでは非常に溌剌としていたのに、急に歯切れが悪くなってしまった。


「名前、なんでもいいよぉ……」


 なんでもよい。どう呼ばれても構わないと思っている、と言う事は。


「この家の子になるために、今までの名前を捨てると言うの? そんなのはだめよ。名前と言うのはね、あなたを思って付けられた大事なものなのだから」


 そんな悲しい事を言わないで──小さな手を握ると、彼女の手は不思議なほどに冷たい。思わず、抱きしめて温めてあげたい衝動に駆られる。本当にどうしたのかしら、私。さっきから、体の中からわき上がる衝動に駆られているみたい。


「う~ん。名乗りをあげなきゃ、うちのこになれない?」

「ええ、そうよ。私はアリエノール。あなたは?」


 彼女の小さな手は、私の手の平の中で所在なさげにもじもじとしている。


「じゃぁ………ェノ…ォル」

「なに?」


 緊張のせいなのか、耳元でぼそぼそと囁かれる言葉は不明瞭で聞き取れない。「アリエノール」に聞こえるのだけれど、まさかそんなはずはない。


「名前はェノ…ォル……にしよっかなって」

「……ノエル、ね?」


 なんとか解釈したそれらしき名前を口にすると、表情がぱっと明るくなった。


「うん、ノエルにする。ノエルで、いいよ。ノエルは、ノエル!」


 彼女の名前はノエルと言うらしい。私と名前が似ているのは偶然だろうか。これが皮肉だとは思いたくなかった。


「……そう、ノエル、よろしくね」

「うん、よろしくどうぞ!」


 ノエルはぎゅっと、手を握り返した。


「ふんふん、ごはん、ごはん……」


 食事の用意を待っている間、ノエルはひとまず安心したのか、食べ物の事で頭がいっぱいなのか、ろくな情報は聞き出せなかった。分かったのは、彼女がいかにふかふかのパンが好きかと言う事だけ。


「お食べなさいな」


 あんなに食事を求めていたのに、いざ皿やカトラリーが目の前に並べられると、ノエルは目をきらきらさせながらも硬直してしまった。


「……えっと」


 視線を四方に彷徨わせている。まわりを取り囲んでいる使用人の視線が気になるのか、あるいはマナーが分からない事を彼女なりに気にしているのか……。


「ねえ、ノエル。どうしてあなたはうちにきたの?」


 会話を始めながらさりげなくスプーンを手に取ると、ノエルはまったく同じ仕草をした。


「ごはんとおやつほしいから。ノエル、エメレットのにんげんからごはんもらって大きくなる」


「……誰が、それをあなたに教えたの?」


「ははうえ」


 全員の視線がノエルに集中する。少しだけ、核心に近付いた。


「あなたの母上というのは、どこに? 何村の、なんという人?」


 ここ、エメレット領は山脈の裾野にあり、人口はさほど多くない。名前か、出身か。そのどちらかでも分かれば……。


「エメレットのユリーシャ」


 食堂にため息が広がった。ユリーシャ、というのは建国の際に国王と契約したと言われる大精霊の名前だけれど、それにあやかった名前の女性は星のほどいる。特定にいたるまでに時間はかかりそうだ。


「お母様は、今どこに居るの?」

「ここの下。ずーーーっと前から。もう出てこない」


 彼女は静かに床を指した。一階ではないだろう。地面。つまり、土の下……女神と同じ名を持つ彼女の母は、すでに帰らぬ人と言う事だ。カシウスの寵愛を受け、子供を産み、健やかに育てたけれど……病に倒れ、帰らぬ人となったのだろうか。


「だから、今、ノエルひとり。ひとりでもないけど、ノエルのことわかる人間、あそこにはいない。だからノエル、この家にきた。ここ、ノエルのこと分かる人間いる」


「いっぱい食べて、いっぱいしゃべって、ノエル大きくなる。大きくなってノエルがエメレットまもる。そしたらみんな喜ぶ。それがノエルの生まれた意味、約束」


「何のこっちゃ」


 ノエルの熱がこもった語りにレイナルトが思わず呟いて、ノエルはぴたりと動きを止めた。……室内に沈黙が訪れる。


「……話の腰を折って申し訳ありません。続けてくださいますか」


 ノエルは気にした様子もなく、にっこりと笑った。


「ぜんぶ言わなくても、もうアリエノールにはわかったと思う!」


「分かったんですか?」


 エレノアが訝しげに私を見た。


「……ええ、わかったわ。つまり……ノエルがこのうちの子になれば、立派になって皆に恩返しをしてくれるのよね?」


「そう。ノエル幸せ、アリエノール幸せ、そしたらカシウスも幸せ」


「幸せ、ね……」


 残りがいつまであるかわからない余生を、夫が外で作った隠し子を育てるために使う。……人はそれを、屈辱と呼ぶだろう。


 気にしていないと言えば、嘘になる。嘘にはなるけれど、彼女に罪はない。


 深呼吸をして、まっすぐに前を見つめると、私が欲しかった、無条件の信頼を向ける緑の瞳がそこにある。


「……わかったわ。ノエル、あなたをエメレット家の子として認めます。……いっしょに、幸せになりましょうね」


「わーい!」


 そうなんとか絞り出すと、ノエルは椅子から降りて、私に抱きついてきた。とまどいながらも抱きしめ返したノエルからは、深い森の香りがした。

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