令嬢は毒見役もこなせるのです
「あ」
ノエルの目が驚きに見開かれた。
エレノアがゆっくりと咀嚼するのを、ノエルは呆然と眺めている。何が起きているのかわからない──ノエルは、その言葉を口にすることができないほど、衝撃を受けているらしい。口がぱっかりと開いたままだ。気の毒だけれど、この顔も愛嬌があってかわいい。
「!?!?!?」
「ふむ。相変わらず結構なことです。異常は無いようですね。それでは……」
「ひ……」
「ひ?」
「ひどい。エレノア、ハンバーグひとりじめする……?」
ノエルがやっと絞り出した言葉を、エレノアは鼻で笑った。
「人聞きの悪い事を言うな。これは毒味だ」
「どく? どくなんて入ってないよ……?」
ノエルは腕を組み、ハンバーグとエレノアを交互に見つめた。それでも納得がいかなかったのか、テーブルクロスの下を覗いてみたり、コップの水を揺らしてみたり。
「当たり前だ。この屋敷は安全だが、外では貴族と言う名の魑魅魍魎が跋扈している。昨日はそれどころではなかったが、食事の前にはきちんとふさわしいものが提供されているかどうか確認するのだ。……まあ、普段はしないけどな」
「毒をみつけたらどうすればいいの?」
ノエルはテーブルの上の花瓶を指差した。確かに、そこには食用ではなく、毒のある花が飾ってある。おそらく、知っていて言っているわけではなくて偶然だろうけれど。
「どうすれば、とは……まず食べないこと。そして、信頼のできる人間にこっそり知らせるのだ」
「わかった。毒を見つけたらエレノアにいう」
『信頼できる人間』に自分が分類されていると思わなかったのか、エレノアは虚を突かれたように目をぱちぱちさせている。
「うん……まあ、そうだな。私はそう言う時のために、アリー様にずっとお仕えしているのだ。もっとも、今までにそのような事件にアリー様が巻き込まれたことはないわけだが」
「エレノア、ずっとアリエノール守ってる?」
「ふ、そうとも言えるかな……しかし、私一人では心もとないのも確かだ。ノエルお嬢様が武芸を身につけて一緒に護衛してくれると助かるな」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。まかしといて。どどんとどろぶね」
「大船、だ」
……なんだかんだで二人はすっかり打ち解けたようだ。こういうのを地元の言葉で「ちょろい」と言うのよね。
思わず笑いが漏れると、二人が一斉に私を見た。エレノアは私にちょろいと思われたのを察しているのか、少し顔が赤くなっている。
「アリー様。せっかく食べやすいハンバーグにしたのですから、お召し上がりください。朝もいつも通りスープだけなのでしょう?」
「あら。今日はノエルと一緒にパンケーキも食べたのよ」
だからお腹が空いていないの──そう答えようとした瞬間、お腹がなった。普段より沢山動いたからかしら。
「アリエノール、お腹ぺこぺこ。ノエルが毒見してあげる」
「やめんか。本当に食い意地のはった奴だな」
「毒見だもん、おつとめだもん!」
「だからそれをするのは私の役目なのだ……ええい、お嬢様ならお嬢様らしくしろ」
「おつとめー!」
「はいはい、ノエルお嬢さま。お代わりは沢山ありますよ。まずは付け合わせのパンからお選びください」
ダニエラがパンを持ってきて、ノエルの意識は一瞬でそちらに向けられた。
「パ、パンがいっぱい……ふかふか、ほかほか……」
「こちらはクルミを混ぜ込んだもの、これは一番よく食べられるバターロール、私のおすすめは……」
「私はほうれん草を」
「じゃあノエルもそれ。あとこれとこれとこれ……」
「本当に食い意地の張ったやつだな」
「いいじゃないですか。この後体を動かすのでしょう? 沢山食べていただきませんと」
三人の会話をよそに、一口ハンバーグを食べてみた。あまり食事を摂る様に期待されてしまうと、胃がきゅうっとなってしまうのだ。こっそり食べてみるに限る。
「おいしい……」
油がしつこくなくて、体にすっと入ってゆく。昨日までは胃が受け付けないことが多かったのに、今は体が必要としているのがわかる。
「そうなの、おいしーの」
私が一心不乱に食べるのを、ノエルとエレノア、ダニエラ、そして物陰から料理長が見守っている。……本当に、これでは大人と子供が逆なのよね。
「……ごちそうさま」
まさか自分がぺろっと完食できるとは。ノエルの方がよほど沢山食べているけれど、これは大きな一歩だ。
「食欲があるのはいいことです! 食わねば始まりませんから。……体調がよくなられたのなら、今年の地霊契祭にも出席できるかもしれませんね」
エレノアまでそんな事を言う。どうして皆、そろいもそろって私を王都に送り込みたがるのか。
「あなたは一度王都に戻って結婚の件をご両親にご報告しないといけないものね」
「その件については私はきょうだいがたくさんおりますから、一人ぐらい戻ってこなくても良いと言われているので心配ないのですが」
エレノアはフォークを置いて目を伏せた。
「兄たちがアリー様をお連れして差し上げろ、あんな田舎に押し込めてかわいそうだろうととうるさいのです」
エレノアの兄達はルベルと親しい。私は城でどんな可哀想な人扱いを受けているのよ、と問いたくなるのをぐっとこらえる。
「皆さん、よけいなお世話よ。まったく」
「兄たちが口うるさくておせっかいなのは否定しませんが。国王陛下もそう思われているのだと」
「それなら遠回しに臣下を使って言わないで、勅命でもなんでも出すべきだわ」
「アリー様が意思の強い頑固な方で、領地を放り出して観光にもどってくる訳がないと、親だからこそ知っているのでしょう」
「どのみち、元気だとしてもノエルがいるもの。まだ早いわ」
私とエレノアが地霊契祭について話すのを、ノエルはおとなしく、だまって聞いていた。




