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竜胆花  作者: 初瀬灯
6/6

6 その後

 結局、私は遠い道のりを歩ききることなく家まで帰り着いた。と、いうのもガードレールを出て二〇〇メートルほどのところで地元の消防団の青年に捕まったからだ。何でも私を捜して付近一帯の市町村が大騒ぎになっていたらしい。


 理由は、改めていうまでもないだろう。私が遺書を残して消えたからだ。


 身に覚えのたくさんあった両親は、大いに狼狽え、警察に通報した。地元の消防団や市区町村会にも連絡が行き、地域をあげての大捜査網が敷かれたそうだ。


 消防団の青年に連れ戻された私を待っていたのは、涙を流しながら私に謝罪する両親だった。驚いたことに、これだけのことをやらかしたのにもかかわらず私を叱る人間は誰もいなかった。


 後で兄から聞いたのだけど、私の行方不明騒ぎが起こってからも両親は責任の擦りつけ合いをしていたそうだ。そんな二人を一喝したのがこれまた地元の消防団の団長で、ここでようやく両親は己の身を振り返ることになったらしい。凄いな消防団。今度将来の夢について何か書かされることなったら、消防団と書くことにしよう。


「でも、俺もお前のこと、もっと冷たい奴だと思ってたよ。ごめんな」


 兄は最後にそう言って私に謝った。意味がよく分からなかったけど、興味もなかったので深くは聞かなかった。ちなみに、後で大いに思い知ることになる。



 世の物事には常に表と裏があるという。しかし十円玉じゃあるまいし、世の中そんな単純なものではないだろう。サイコロだって六面もあるのだから、現実はそれ以上に複雑だと考えるのが自然だと私は思う。


 私の遺書から始まった今回の騒動の顛末は、大きく三つの側面に分けられる。


 まずは喜劇的側面。色々大騒ぎした結果、私の両親は互いに対して少しだけ寛容になり、心を広く持つようになった。今では考えられないくらい仲のいい夫婦になっている。


 続いて教訓的側面。両親も何らかの教訓を得られたようであるが、私もいくつか教訓を得た。まずあの遺書は机の中でも鍵のついた引き出しに入れていたはずなのに、当然のように開けられていた。合い鍵があるのだ。今後大事なものは絶対にここにはしまわない。これが一つ目。


 次に、当日私を叱る人間は誰もいなかったが、翌週からスクールカウンセラーの元に週一で通うことを義務づけられた。これには本当に閉口した。


 何でも私は両親の不仲を苦にし、遺書を残して自殺を図ろうとしたことになっているらしい。別にそんなことはなかったはずなのだけど、百万回も同じことを繰り返し言い含められると、本当にそうだったような気がしてくる。


 こんなことになるならあの日、こっぴどく怒られて終わっていた方がずっとマシだった。人生の債務というのはローンのように長い時間をかけて払うよりも、一度に始末をつけてしまった方がいい。これが二つ目の教訓。


 そして最後に、破滅的側面だ。スズメバチの毒は確かに私にとっては致命的で、一撃で死に至らしめる脅威となる。しかしこの世界には危険な生き物は他にもいて、毒の種類も様々だ。


 あの晩、私は何やかんやと徹夜をする羽目になったのだが、結局雨は一滴も降らなかった。


 そして後日、私が公園に植えていた花の名前を母に聞いた。母は「竜胆よ」と教えてくれた。


 老人の言っていた、竜胆の咲いた半球体の遊具がある公園というのは、いくつかの特徴が私の思い出の公園と一致する。しかし、あの公園はもう公営住宅になっていてもうどこにも存在しない。あの町に住む老人ならば、そのことを知っていたはずだ。


 それとも、竜胆の咲いた半球体の遊具がある公園があの近辺に、もう一つ別にあったのだろうか? そのうち確かめてみたいが、ずっと先延ばしになっている。


 老人は私に公園で雨宿りを勧めた時に何を考え、断られた時に何故自分は遺書を書かないといけないと言ったのだろう。


 そして、もしあの時ノラがすんなりと動いて、あの老人の言われるままについて行くことになっていたとしたら、私はどうなっていたのだろう?


 あの老人の、私の目を開かせてくれた言葉と丸眼鏡の向こうの優しげな瞳の奥に、どんな悪意が渦巻いていたのか。


 夏の暑い日にそんなことを想像すると、涼しい気分になれる。


 あと、あれだけ真剣に取り組んでいた遺書の作成だが、その日限りでやめてしまった。


 単にこの遊びに飽きてしまったのが一つ。そして翌朝、知らぬ間に家に帰ってきていたノラが、いつもと変わらぬ姿で犬小屋で眠っているのを見つけて、何だか全部馬鹿らしくなってしまったのだ。


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