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EML2ハロー軌道 ―日本ドック

 地球から見て月の後方六万四千キロメートル(地球五個分)ほどにある地球-月系ラグランジュ点二(EML2)。そこから横に一万キロメートルほど離れたところを複数の有人施設が周回していた。


 現在反物質を管理している四つの国家連合及び国家(中央欧州連合、米連合、ロシア共同体、日本)の反物質管理施設と宇宙船管理施設、新国連の太陽系外研究開発機関(XEDO)による監視施設は、それぞれが数十キロメートルの間隔を置き、編隊を組んでいるかのようにEML2を回るハロー軌道上を飛行していた。それらは歴史的経緯からHORICX(ホリックス)――ハロー軌道上研究産業複合体――と呼ばれていた。


 日本の施設は一つ。元は反物質生成に使うプロメテウス法実証機用の小型宇宙港だった。その後、反物質を搭載した無人超光速飛翔体A1(エーワン)ロケットの運用施設を経て、有人超光速宇宙船の製造、運用、整備をまかなえる巨大施設に膨れ上がっている。


 動物の肋骨を思わせるドックは八角形の「C」型をした整備フロアデッキ十二枚から構成されている。それが二基並んでおり、日本ドックの容積の半分以上を占めていた。

 ドックを挟んで円筒形の工場ブロックと居住ブロックが組み合わさり、日本ドックを構成している。巨大なインフレータブル(膜展開)構造物である工場ブロックと居住ブロックは、風船のように膨張させてから外皮を硬化させて作るため、内部に大きな空間ができる。そこをいくつかに区切って利用していた。


 工場ブロックは、月面から送られる鉄などの鉱物や、埋蔵彗星核から得られる水や有機物を使って様々なモノを作っている。反物質管理区画もここにあった。

 居住ブロックは、中央に太いシャフトが通っており、中程にある車輪状の回転重力部を支えている。ここには個室モジュールが並び、搭乗員らの生活の一端を担っていた。

 居住ブロックの端からはさらに外へ向かって港湾設備が伸びており、先端には人や生活物資を運ぶ宇宙船を係留するドッキングポートがあった。


 名称は「ハロー軌道上JSA深宇宙センター」、通称「日本ドック」。

 二基並んだドックの幅は三九〇メートル、長さは三二〇メートル、工場の縁からドッキングポート突端まで三八〇メートル。

 この巨大で複雑な施設は、HORICXの中でも特に際立っていた。



 西暦二一二四年二月二二日 〇六時

 HORICX 日本ドック/居住ブロック/回転重力部/火星重力階 〇〇四号室


 柔らかいアラーム音が鳴り、胡桃沢(くるみざわ)は目を覚ました。室内は少し前からゆっくりと明るく、色味も暗いオレンジから徐々に変化しており、今は光量一〇〇%の白い光が部屋を満たしている。


 スリーピングシーツから這い出し、体を起こして周りを見る。壁に映っている時計は六時ちょうどを示していた。空気をかき混ぜるエアコンの音が小さく聞こえてくる。(いにしえ)の単位で言うと五坪のワンルームに相当する標準的な個室モジュールの中は、気温二四度、湿度五〇パーセント、一気圧、酸素/二酸化炭素濃度も許容範囲内と、ヒトにとって快適な条件になっていた。到着時に感じた(かす)かな臭い(いわゆる〝鉄の臭い〟と〝汗の臭い〟と〝病院の臭い〟)も今は気にならない。


 違和感があるとすれば体にかかる重さだった。この部屋には回転によって生ずる、地球上の三分の一強の重力加速度がかかっている。


 日本ドックの在住者が自由時間や就寝時に使う個室モジュールは、居住ブロックの中程にある回転重力部にあった。円筒形をした居住ブロックから大きくはみ出ている回転重力部は、三十五秒で一回転する半径百二十メートル近い巨大な車輪だった。

 中心から五〇メートルほどのところに月面重力階、さらに六〇メートル強離れたところに火星重力階があり、ほとんどの人は月面重力階の個室モジュールを、火星滞在予定者は体を慣らす目的で火星重力階のを使っていた。地球からの来訪者は普通、火星重力階の個室モジュールを使っている。月面重力階より地球の重力に近いという理由だった。


 胡桃沢たちがいる火星重力階は、時速七十キロメートルで回る百二十メートルの塔の最上階にいる、とも言える。そう考えると面白くもある。この個室モジュールが事故か何かで分離したとして、分離のタイミングが月側、反対側、北極側、南極側の場合、どのような軌道を取るのか……。胡桃沢が少しぼんやりした頭で概算を取ろうとしたちょうどそのとき、腹の虫が鳴った。妙なタイミングに長く大きく息を吐いた胡桃沢は、考えるのを止めて体を動かすことにした。


 ベッドから降りてスリッパを履き、立ち上がって腕を()に伸ばす。天井までは二・二メートルと低く、背の低い胡桃沢も最初は少し気になったが、一晩たつと不思議と慣れてしまっている。

 この個室モジュールは標準的なもので、同じものが多数作られて宇宙船にも使われており、信頼性が高い。今度のA2ロケットの居住モジュールにもほぼ同じものが八基、半分の長さの倉庫版が三基、操縦室用に改造したものが一基使われる予定になっている。地球上におかれた実物モデルに入ったことはあるが、宇宙で使われているもので実際に過ごすのは初めてで良い経験になる。


 それよりまだイマイチ慣れないのは、足の()側に宇宙が広がっており、頭の方に巨大車輪の軸があることだった。機構を頭で理解していても、なぜか感覚的には足が着く方に軸があって、頭の方に宇宙が広がっているような錯覚を覚えてしまう。頭から足へ、床へと力がかかっているように感じるため、地球上と同じく足の下に引力の中心があり、頭の上に空が、宇宙が広がっているかのように思えてしまうのだった。

 ヒトの順応力は非常に高いものがある。臭いや天井の高さのように、これもそのうち気にしなくなるものだろうか……と、胡桃沢は思った。


 ここの時間は火星圏を除く他の宇宙施設と同じく、地球標準時を使っている。日本との時差は九時間で、いつもなら今は十五時、そろそろ終業のことを考慮に入れる時間だった。調整薬が効いているせいか、時差による思考や体調の乱れは特に感じない。


 朝食と身支度に一時間半ある。日本ドック滞在中は一日一回下着を取り替えられる。本来なら三日は同じものを履くのが普通だったが、この辺は管理部の配慮によるものだった。


 就寝着から作業着に着替える。服はポロシャツとロングパンツのほか、作業用のジャンプスーツも用意されていた。今日の午前中は会議室で話をするだけだが、午後は工場ブロックで打ち合わせがあり、生産現場の見学もある。ということでジャンプスーツを着てみた。薄い青にオレンジの太いラインが入っている。


 襟と両手首、両足首の辺りが少し膨らんでいる。事故などで気圧が一気に低下した場合、化学反応で生じた熱でここに折りたたまれたフィルムが広がるように飛び出し、形状記憶ワイヤによって頭部や手を包み込み、布地に密着されるようになっている。足首のはブーツに密着する。さらに服の布地は繊維が膨張して目が詰まることで、ジャンプスーツは人を包む等身大の風船と化す。CO2フィルター付携帯酸素発生器が腰に一個ついており、チューブを引き出して口元のコネクタに付ければ、行動時間を延ばすこともできる。


 フィルムや繊維の隙間はどうしても完全には埋まらないので、緊急時用の一時凌ぎにしかならないが、あるとないとでは大きな違いがあった。


 居住ブロックや工場の管理区域にいるだけなら、そのようなギミックの無いポロシャツとロングパンツだけで十分だった。このような装備の存在は、少し危険度の高いところがあることを表している。


 しかし、私の背丈に合わせたこのスーツはほかに何着あるんだろう、と胡桃沢は一瞬思った。小学生はこんなところに来ないし、低軌道ステーションでもこんなスーツを着せるところに子供を行かせるとは思えない。つまり、需要はほぼ無い。


 濡れたスポンジで顔をふき、朝食に入る。室内の食糧管理ラックには料理が入ったトレイなどがあり、朝食と夕食は普通、ここで食べることになっていた。個人のアレルギーを考慮しているが、基本は皆同じものになっている。トレイには日付と朝晩の表示があるので、普通はその通り食べることになっている。


 今朝の日付があるトレイは、不透明の白いフィルムで封印されており、料理名は書かれていなかった。原材料名を見ると、地球から持ち込んだフリーズドライものではなく、日本ドックで栽培された野菜と培養肉を使ったものらしい。


 アレルゲン表示を確認した胡桃沢は、トレイを調理器にセットし、温めるためのボタンを押した。その間に味噌汁のパックにお湯を入れて栓をし直し、机におく。二分たってブザーが鳴り、トレイを引き出して机においた胡桃沢は、特に関心もないままフィルムをめくった。


太陽系外研究開発機関: (Extrasolar Exploration and Development Organization)XEDO(ゼード)

新国連の専門機関である国際宇宙機関(ISAO)の下部組織。各国宇宙組織や宇宙関連企業の太陽系外活動における調整全般を行う。宇宙空間における反物質の平和的利用促進業務も担当。


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