食堂
西暦二一二四年一月二一日十二時四十分
「お久しぶりです、すみれさん。少し疲れているような感じですが、大丈夫ですか?」
渺千恵理の隣に腰をかけた、髪の長い女性が言った。胸元に付いている名札には〝渺三稜/三輪QDI〟と書かれている。
「大丈夫。定期検診も問題ないし。ありがとね。それに比べて」
胡桃沢は千恵理の方を向いた。
「あんたはこっちの心配もせず食べ物のことばっかり」
「いやいや、私も心配したよ? ちょっとお疲れ? って」にこやかな表情のまま、千恵理が言った。
「その後すぐここのメニュー見てたでしょ。食うことばっかりで、そりゃ無駄に背も高くなるわ。今身長いくつあるの」
「百九十から伸びてないよ」
「半分よこしなさいよね……」
「あげたいのは山々なんだけど、ちょっと難しいよね。だからパフェ半分上げる。できたようだから取りに行くね」
よいしょ、と言いながら立ち上がると、渺千恵理は注文していたパフェとプリンアラモードを取りに行った。
胡桃沢は取りに行く千恵理の方をちらと見た後、水を一杯飲んで一息ついた。
「……おばちゃんは変わんないねえ。昔のまんまで」
「私もいろいろと交換しています。髪も三度交換しました。短い方が手入れも楽だろうと提案したのですが、長い方がいいとあの子が」
「そう……。そうだね、短いのも似合いそうな気はするけど、おばちゃんはやっぱ、長い方が、〝おばちゃん〟って感じがするな」
「参考にします」表情を変えないまま、三稜は頷いた。
「いつかおばちゃんより背が高くなるって思ってたんだよねえ。それだけが残念だよ」
「背が低くて損をしたことがあるのですか?」
「その辺はね、まあ、いろいろあるんよ……」
「何、なんの話?」デザートがのったトレイを持って千恵理が戻ってきた。
「あんたのお母さんをいつバラそうかって話」千恵理の方を向きもせずに胡桃沢は答えた。
「まだそんなこと言ってるの? 諦めたと思ってたのに」
「さっさと食わないと昼休憩終わるよ。私は十三時半まで延長だけど」
千恵理の視線が一瞬右上に動き、スマートグラスの時刻表示を確認した。
「あらまあ。じゃあパフェ半分とって。桃とバナナはダメだからね」
胡桃沢はスプーンで桃とバナナ以外のフルーツ類とクリームをごっそりと取り、自分のプリンの脇に乗せた。
一口食べようとした胡桃沢に千恵理が言った。「パフェ食べると上に伸びるより横に伸びるのかな」
一瞬動作が止まった胡桃沢だが、開き直ったようにスプーンに盛ったクリームを口に入れた。
「……この歳でもう上に伸びるなんて思ってないから」
千恵理はその後喋らずに淡々とパフェを食べる。胡桃沢はゆっくりと食べる。三稜はそんな二人を交互に見ている。
JSAの松山祐一A2プロジェクトマネージャはすでに食事を終え、コーヒーを飲んでいた。人が少なくなるにつれ、食堂の反対側にいる胡桃沢らの雑談も何を言ってるか判別できる程度には聞こえるようになっていた。
音声キャンセル機構のない食堂のテーブルでは会話が筒抜けのため、内容は自然と当たり障りのないものになる。とはいえ、技術者――特に天才肌の人間は、話が熱中するととんでもないことをしゃべり始めるものもいた。職員や来訪者に貸し出されるスマートグラスは特定の場所以外での録音録画はできないとはいえ、業務に関わる機微な情報を場所もわきまえずに喋られるのは、関係者にとっては頭痛の種である。
しかし、彼女らの場合、そのような心配をしなくても大丈夫そうな感じだった。渺千恵理が食べ終わって立ち上がった後に言ったのも、〝ジェイサ〟という略称が語呂が悪く、昔の方が良かったのではないかというものだった。胡桃沢も、当時のアホが名称もグローバルスタンダードに合わせようと強行したためで、名称変更もお金がかかるからその後はそのままになっていると、よくある返答をしたのみだった。
胡桃沢の向いに座った二人の事を松山は知っていた。昨年の春に三輪QDIと宇宙船統括管理コンピュータシステムに関する契約を締結したときから数回仕事で会っている。
ノイマン型と非ノイマン型コンピュータの融合解の一つ〝Type-GEMINI〟の生みの親である渺千恵理。養母の渺紗英子が作り出した〝Type-HRK〟を葬り去った技術者としてその界隈では著名だった。
初期の三輪QDIが作り出した人型ロボットの渺三稜は、千恵理にとって事実上の〝母親〟である。第二次日本海戦争の混乱時に、捨てられていた赤子を三稜が拾い上げた時から〝二人〟は共にいた。施設に入れられるはずの赤子が渺紗英子の養女〝千恵理〟になり、実際にはロボットの三稜の手で育てられたという経緯は、かなり複雑なものがあった。現代版〝狼少女〟としてマスコミに取り上げられ、一部の政党や人権団体から〝血も涙もないロボットが赤子を育てられるかの実験に使った〟として渺紗英子と会社が告発されたりもしたが、結局不起訴になり、そのあとはそのことで話題に上ることはなくなった。話題に上るのは主にコンピュータ関係の業績――特に人工知能と量子アルゴリズムに関するものだった。
仕事において、一人の天才に依存する危険性を松山はよく認識しているつもりだった。また、個々の能力を活かしたチームが一人の天才をしのぐ事ができるということも。
科学の分野ではヘンリー・キャベンディッシュのように、一人の天才が多くの偉業を達成するケースも少なくない。しかし多種の分野が関わり数十万の部品で構成される巨大な構造物を作るというのは全く別の話であり、とても一人の手には負えない。
それを知っている分、A2ロケットプロジェクトの根幹に深く関わる二人――胡桃沢純麗と渺千恵理の存在は、計画を管理する立場からみて扱いがやや微妙なものになった。
腫れ物を触るような、といったモノではない。二人の能力に全面的に頼るのではなく、チーム全員の能力引き上げに生かせるようにするための作業。二人を疲弊し潰すことがないよう、且つ横道にそれたり暴走したりしないような手綱さばきが必要になる。
二人のうち、渺千恵理については松山はあまり心配していなかった。何度か会ううち、渺千恵理とロボットの三稜は、絶妙なバランス感覚の元で影響し合い、仕事をこなしているように思えたからだ。
三稜の判断・意思決定アルゴリズムは、元々設定されている成長パターンだけでなく、千恵理自身がチューンナップをすることがあると聞いている。それは、三稜を従順な奴隷にするものではなく、元の成長パターンを効率よく、且つあまり横道に外れないようにするためのものだった。運動能力も向上し、知識は増え、判断能力の幅も広がってはいるが、それでも昔の――千恵理が物心ついたときからの三稜の部分をそのまま保持している。
それは、母親に対する、いつまでも変わらないでいて欲しいという想いを形にしたものかもしれないし、単に今までと扱いを変える必要の無い有能な助手が欲しかっただけなのかもしれない。本心は誰にも分からない。
胡桃沢にはそのような相手がいない。子供の頃は渺千恵理がその相手だったのだろう。他にも友人がいたのかもしれない。しかし今は一人のように思える。
幸いにもここからは三輪QDIの人間と会う機会が増える。胡桃沢の精神安定のために、渺千恵理および三稜の二人と直接会う場を増やすことは十分検討に値する。上には違う言い訳が必要になるだろうが、その辺はなんとでもなる。とりあえず設計が終わるまでの間だけでも。
二人は、この計画を成功に導くための重要な因子であることには間違いない。同時にアキレス腱の一つでもあり、プロジェクトマネージャという元々大変な職務がさらに面倒なものになってもいる。
――とはいえ、予算の獲得に比べればこれらの問題はまだ楽な方なのかもしれない、とも松山は思った。
予算を引き出すには、多くの人がこの計画を支持してくれる必要がある。計画を立てるのは論理だが、計画を実行するかどうかを決めるのは感情であるとは昔からいわれてきた。JSAは計画を打ち出し、政府は承認した。さらに計画は進んでいる。国民はどうか。
つい一時間ほど前に、恒星間有人超光速宇宙船A2ロケットの基本設計本審査が終わり、承認された。ここで様々な情報が解禁となり、国民の多くに知れ渡ることとなる。できれば大きな反応が欲しいところだが、と松山は思った。
巨大な計画なのでよほどのことがない限り中止はあり得ない。しかし、縮小はあり得る話だった。一部の宇宙研究関係者や自然科学分野からは、予算が巨額すぎてしわ寄せを受けているとして反対の声も上がっている。
松山自身、有人超光速宇宙船の実現は大きな価値があると確信している。できるだけ最善の形で成功裏に終わらせ、次に引き継いでもらいたい。
食堂の反対側に意識を移すと、渺千恵理と三稜の姿はなく、胡桃沢一人がコーヒーを飲んでいた。
時刻を見るとまだ少し時間はあったが、食堂を出ることにした。設計室に行く前に広報と確認をとらなければならない。本日公開する予定の情報はすでにチェックしていたが、本日の承認で一部変更が出たため再度確認するところが出た。スマートグラス越しではなく直接会った方がいい。
足取りは自然と早くなった。松山は窓の外を見ることもなく、廊下を歩いて行った。
ふと立ち止まった千恵理は、最上階に近い廊下の窓越しに外を見た。今日は一日中晴れのおだやかな天気が続くと予報にあったとおり、冷たい筑波おろしが吹くこともなく、点々と綿雲が浮かぶ気持ちの良い空だった。
千恵理はスマートグラスを外して直に外を見た。左右で色の違う虹彩が、メタリックな輝きを見せる。右の黄色と左の青はメラニン色素の量によるものだが、メタリックな輝きは虹彩表面の細胞異常由来による構造色だった。
自分が捨てられた原因が目の色かもしれないと思ったのは十二歳の頃だった。マスコミに取り上げられて学校の皆が知ることになり、口さがない同級生が指摘したのだった。その子は胡桃澤純麗による激しく執拗な口撃によって登校拒否にまで追い詰められたが、千恵理本人は特に気にしていなかった。
目の色の違いだけなら問題にならなかったかもしれない。両親が浮気を疑ったとしても、DNA判定で真実は分かる。それ以上に構造色によるメタリックな輝きが、己の子を育てるという想いよりも恐怖の方を強くしてしまったのかもしれない。
当時交戦状態にあった中華連合の生物兵器であるY染色体選択性遺伝子攪乱ウイルスは、短期間で無害なものに変異したものの、大量の死産や奇形の原因となり、社会、特に母親となる女性に与えた影響は極めて大きなものがあった。千恵理の虹彩表面の構造が遺伝子攪乱ウイルスの影響によるものかどうかははっきりしていないが、関係があると思い込んだのかもしれない。訳の分からないウイルスの影響を受けた、人から外れたモノ。我が子への愛情よりも気持ちの悪さが上回ってしまった、そう感じた親たちは少なからずいたのだ。
ただ、本当のところは本人たちに聞いてみないと分からないし、特に知りたいとも思っていない。物心が付いたときからそばに三稜がいたことで千恵理は安心し、満足していた。
「そろそろ時間ですよ」横から三稜の声がする。「何か気になるものでも見えますか」
「うん。空が綺麗だなって。――行こっか」
スマートグラスを装着し、二人は歩き出した。
今までもいろいろとやってきたが、これからやることは山積みになっている。しかも責任は重大である。
宇宙船には膨大な税金がつぎ込まれているだけではなく、多くの企業が関わっている。それらには多くの従業員がおり、仕事で生活を営んでいる。さらに、最低でも二人の人間の命がかかっている。
何かあった場合に責任を負うのはJSA理事長や理事、プロジェクトマネージャの松山たちである。
だからといって渺千恵理たちに責任がないわけではない。最悪のことがおきた場合、両手が血に染まることになる。
覚悟はとっくの昔にしているつもりだが、いざ自分の手が他人の血で染まればどうなるか分からない。
今の自分にできるのは、最善を尽くすことしかない。これもまた、とっくの昔からわかりきっていることではあったが。
千恵理の脳裏に胡桃沢純麗の困った顔が浮かんだ。設計主任のみれちゃんはもっと責任を感じているように思う。
今あの子の側に素子お姉さんはいない。千恵理が三稜と共に近畿州に引っ越したとき、隣に住んでいたのが胡桃沢純麗と、親戚で親代わりの漣素子だった。いろいろ叱られはしたが(叱られていたのはみれちゃんだけだったか?)面白く楽しい日々だった。あの日はもう戻ってこない。
――訂正。今も面白い。楽しいかどうかはさておき、面白いことは間違いないだろう。内容は違っているが、それでも面白いことに間違いは無い。
みれちゃんも、今はもうあのころの子供ではない。心配する必要はないはずだ。この計画推進に弾みが付いたことで会う機会も増えるだろう。
扉を開ける千恵理にいつもの表情が戻った。
ヘンリー・キャベンディッシュ:(1731-1810)英国の貴族・科学者。潤沢な財産を元に実験をこなし、水素の発見や地球の質量測定などを発表したほか、電気関係の数々の法則を発見していた(死後に判明)。人嫌いでも有名。