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地球 ―筑波

 西暦二一二四年一月二一日


 会議室のドアが開き、明るめの作業服と黒っぽいスーツ姿の人間がぞろぞろと退室していく。


 昼の日差しが廊下内に満ちている。一月とは思えない、暖房の必要が無いほど暖かい天気。時刻はすでに十二時半を回っていた。


 北関東州筑波のJSA(日本宇宙機構)宇宙開発本部棟は、普段より人が多かった。ここ一ヶ月の間、宇宙開発において重要な企業の面々が訪れ、あちこちに散らばり、会議を行っていた。光元(みつもと)重工や尾島(おじま)エアロスペースのような巨大企業から、一般には知名度が低かったり宇宙と関係があると思われていないような企業まで、様々なところが参加している。専用線を使ったリモート会議も多いが、ここしばらくは直接会うことが多くなっていた。

 今日はここ一ヶ月の締めになる基本設計本審査が行われ、無事に通過した。ここに来る企業の人間も明日からしばらくの間は少し減るだろう。


 企業関係者は昼過ぎと言うこともあってかほとんどが食堂へと向かった。JSAの職員の多くは自身が所属する場所へと戻っていく。

 その中に、かなり大柄な中年男性と、見た目年齢はよく分からないが背が低い女性の二人がいた。二人はやや不機嫌そうな顔で淡々と歩き、〝設計室〟と表示がある部屋に入った。


 男は周りを見渡して、誰もいないことに気づいた。

「ああ、飯か」近くの椅子に座った。


「そうですね」機械的に女が喋る。

「とりあえずこれで詳細設計フェーズに入れる。早速だが――」

「すみません、ちょっと独り言よろしいですか」壁にもたれ腕を組んで女が言った。


 女が話を遮った。男は心底疲れた表情でうなずいて言った。「何も聞こえないから、どうぞ」


 女は深く息を吸って吐き、ぼそぼそと小声で話し始めた。


「金カネ金カネ金金カネカネ……、そればっ……かり……」

「『適切な経費』な。あとその話は四回しか出ていないから」

「そんなに金が偉いならお金様に設計してもらいなさいよね……」

「予算は有限だし、有り物を活かすってのはとても大事なことだ、っていうのは前任者から教えてもらってるだろ?」

「前任のクソババアはモラルハラスメントしかしてくれませんでしたが」

「あの人辞めた後に佐貫(さぬき)先生から教えてもらったろう」

「あんた、聞こえないとか言っててさっきから返事ばっかり」

「A2プロマネを『あんた』呼ばわりか……」


 男は深くため息をついて女を見た。

「とりあえず適当なところに座れ。それで、あー……、何が不満なの」


 女はどこか遠くを見ていたが、ようやく視線を男に向けた。

「不満? いや、何も。何にもありません。問題は無し。TYPE-1で何も問題は無いです。問題があるようなものなんて作りません。本当に」

「ならさっきの愚痴は何?」

「ただのガス抜きですよ。一人でぼそぼそ喋ろうと思ってたけど、松山プロマネがいるとは思わなかったので」

「審査の時から横にいたろうに。まあ、それはいい」


 思い通りに設計できなかったのが相当応えているらしいな、と松山(まつやま)祐一(ゆういち)A2プロジェクトマネージャは思った。




 恒星間有人超光速宇宙船A2ロケットの基本設計本審査が終わった。

 次の段階、詳細設計への移行許可が下りたということだった。これからはより詳細な検討が加えられて設計が行われ、それらの妥当性が審議されることになる。


 A2ロケットは、基本は核融合ロケットだが、超長距離に対応していることと、反物質タンクと対消滅エンジンが付いているのが性能面での大きな特徴である。対消滅エンジンは〝焼き付き〟等の故障に対応できるよう、二基のうち一基が予備とされているが、最初のうちはそれぞれ出立用と帰還用に使われる予定になっている。


 十年前に計画された〝幻のA2ロケット〟は、今回の直接のたたき台とはなっていない。特に船体構造については加速度が違うことで参考にはなり得なかった。しかし、完全に孤立した状態で七五〇〇時間以上を生き抜くためのノウハウが詰まった居住区や船内電力通信網の構築方法等、大変参考になったものも多い。それらを今回のミッション要求に当てはめるための解析と改良には手間と時間がかかったものの、一から始めるよりも短縮されたのは間違いない。


 外観の特徴で特に目立つのは、球形をした八基の推進剤タンクと、斜め後ろに伸びる放熱板だろう。推進剤タンクは二基が縦につながったものが、細長い核燃料タンクを取り囲むように付けられている。円筒形タンク四基にしなかったのは、球形タンクを構成する部品が余っていたからだった。地球-月系ラグランジュ点二(EML2)を回るHORICX(ホリックス)の日本ドック工場棟において、別のロケット用に生産されたものの、スケジュールがA2優先になったことでそちらに割り振られることになった。


 割を食ったのは設計班だった。それまで円筒形タンクで構造計算などをしていたものがすべてやり直しになってしまう。


 設計主任(チーフデザイナ)胡桃澤(くるみざわ)純麗(すみれ)が反対したのは安全性に関することだった。単純な円筒形ではなく、わざわざ球形をつなげたものを使うなど、無駄に複雑にして故障箇所を増やせというようなものである。この宇宙船はそれまでの倍の加速度が長期間連続してかかるため、特に二万Mgもの水を推進剤として保管するタンクを複雑化するのは、安全性の点から見て今一度の考慮を求めた。


 しかし、同時に胡桃沢設計主任は球形をつなげた状態でも支障が出ないような設計も進めていた。二基の球の間に周辺走査用レーダーを渡し、前方走査用レーダーと後部RCSも併設したことで、レーダーの基部を補強すると同時に球形タンク間のゆがみを防止できるようにした。結局この案が採用されている。


 八基の球形タンクのうち四基を切り離して破棄できるようにする案は、最初から無視していた。中の推進剤(水)が半分以下になった場合、空になったタンクを捨てれば、多段式ロケットと同様、燃料や推進剤を効率よく使える。反面、巨大なタンクの切り離しは複雑になり、故障の確率が大きくなるほか初期質量が増えてしまう。


 また、松山プロマネは欧州の出方も気にしていた。おそらくは何らかの規制を持ち出すのではないかと。しばらくして欧州は太陽系外での機材投棄禁止条約を持ちかけてきた。これにより、ロケット本体の質量を減らす目的での分離は禁止されることになる。


 胡桃沢設計主任の要求は、恒星間有人超光速宇宙船の設計を一から始めるべきだというものだった。この宇宙船は核融合推進の惑星間輸送に使うF3ロケットをベースにしており、そこに反物質タンクと対消滅エンジンというFTL(超光速)システムを組み合わせ、さらに長期間の行動ができるようにしたものだ。要は有り物のつぎはぎである。


 胡桃沢は、〝新しい酒は新しい革袋に〟という言葉を持ち出し、新規の設計を提案した。しかしそれには検証が多く、時間がかかる。時間がかかるというのは金がかかるというのと同義であるし、機材の使い回しができなければそれも金がかかると言うことになる。そこまでの資金を出すことはJSAには到底無理な話だった。


 また、他の問題もあった。欧州発の制限である、〝帰りに超光速飛行ができなくなった場合に六二四〇時間以内に地球圏へ帰還できる〟条件をクリアできる通常のエンジンを所有するのは、現時点では日本のみである。しかし、ロシア共同体が成功しそうとの話が入ってきているのも事実だった。欧州とアメリカ連合についてはまだ話は入っていない。


 つまり、もしかすると日本が、世界初の有人超光速飛行を達成する可能性が――今のところ――高いのだった。


 世界初の人工衛星と有人宇宙飛行、宇宙遊泳、地球外天体への(無人機)着陸などはソビエト連邦だった。地球外天体への有人飛行や太陽系外へ探査機を送り出したのはアメリカ合衆国だった。日本はエックス線天文学や小惑星サンプルリターン、ソーラーセイル、キャプチャ方式でドッキングする宇宙船など、独自技術で世界をリードする分野はあったものの、宇宙研究開発全体で見ればセカンド、あるいはサードグループに甘んじていた。

 まさかここで世界初に挑戦できるとは誰も思っていなかったのだ。


 このようなことになったのはいくつか原因があるが、直近のものとしてはFTLシステムの開発がうまくいったことと、連続して〇・一G加速ができる核融合エンジンの開発がうまくいったことがまず上げられる。どちらにも目の前にいる小柄な女性、胡桃沢が重要な役割を果たしていた。


 十代半ばで超空間力学を理解し、対消滅反応で生じたガンマ線を安定して跳躍反応に変換できる条件の基礎理論を構築したことはFTLシステムの改良に非常に貢献することになった。十九歳で理学から工学に鞍替えし、核融合エンジン内の効率的な衝撃波パターン生成と冷却システムの改善をもたらしたことで、〇・一G加速の実現をもたらした。そして今はそれらを統合したロケット――恒星間有人超光速宇宙船――の設計を行っている。


 なぜ理学から工学に鞍替えしたのか、松山は以前直接聞いたことがあった。元々興味を持っていたのは工学の方だと胡桃沢は言った。子供の頃、近所にミサイル攻撃で破壊された工場が残骸のまま残っており、そこでよくいたずらをしていたらしい。理学に行ったのは友人の影響があったらしいが、再び工学に戻った理由は口を閉ざしたままだった。


 友人というのは情報工学、特に人工知能と量子アルゴリズム分野で著名な実績を積み上げ、二十代にしてキャルヴィン賞を二度受賞した(はるか)千恵理(ちえり)であることは多くのものが知っている。渺氏にかなわないから工学に移ったのだと揶揄する声もあったが、的外れすぎて松山は無視していた。どちらにせよ、理学関係者は悔しがったに違いない。本物の逸材が、宇宙船の設計などと言う一種の如何物(いかもの)つくりに行ってしまったのだから。


 ともかく、日本が世界初の有人超光速飛行を達成する可能性が出たことは、多くの関係者の心に静かな興奮を呼び起こしていた。

 もちろん、安全性に考慮するのは絶対である。これをおろそかにしてはならないというのは金科玉条として皆の心に刻み込まれている。

 そのために徹底した討議が行われた。結果、推進剤タンク周りを新規に作るTYPE-2、多くを新規に作るTYPE-3ではなく、従来の寄せ集めと改良にすぎないTYPE-1で十分という結論に達した。


 元々TYPE-2と3は出るものではなかったはずだ。プロジェクトの最初、概念検討と設計の段階で決定した件からやや外れている。しかしそれぞれの書類を読む限り逸脱した感はなく、うまく関係しているかのような印象さえ与える。

 ここまでのものを作り上げたのは時間だけでもかなりかかっているはずだった。しかし設計班の面々が超過勤務に陥っている事実はない。外部に頼んだなど言うことも考えられない。今のところ情報漏洩はおきていない。コンピュータによる検討をよほどうまく使ったのか……。

 結局、それだけ手をかけて作ったものが否定され、最初から望まれていたものが順当に選ばれた。それだけに胡桃沢の失望も多かったのか。




「予定変更。基本設計審査が昼休憩にずれ込んだため、俺と胡桃沢主任は昼休憩を十三時半まで延長する。確認」


 スマートグラスの右縁に指を当てて松山プロマネがつぶやく。目の前に表示された予定表の一部が書き換えられるのを確認すると、松山は胡桃沢に言った。


「飯食ってこい。その後甘いものでも食って糖分補給した方がいいだろ。俺は行くよ」


 松山は椅子から立ち上がると、そそくさと食堂に向かった。宇宙カツカレーと餃子、とスマートグラス経由で注文する声が聞こえてきた。




 今日のA定食は豚肉の(くわ)焼きだった。横にピーマンともやしの付け合わせ、炒めた細めのテッポウムシ二本が乗っている。二十年前と比べて食糧事情もかなり改善された。

 周りを見ると、普段よりもスーツを着た人間が多く、話し声も普段より少し多めに聞こえてくる。胡桃沢は(うつわ)類の乗ったトレイを持って、空きのあるテーブルの端に移動していく。


 皆の視線がちらちらとこちらを伺っていることに胡桃沢は慣れていた。小学生高学年程度の身長しかない、無表情というよりやや仏頂面をした三十代そこそこの人間が、宇宙開発分野で日本国内におけるトップクラスの重要人物である。業績を正当に評価し信頼のまなざしを向けてくるものもいれば、珍獣を見るかのように、あるいは趣味の対象として興味本位で視線を向ける男女もいる。そういう目線に慣れてはいたものの、煩わしいのは確かだった。


 いつもと同じように一人で黙々と食事をとる。ここの食堂はかなり美味しいと評判ではあったが、胡桃沢は食事と言うより餌を摂取するようにひたすら淡々と食べていた。食べているときには何も考えない。ただひたすら口を動かして調理物を噛み、のどに送るということを繰り返していたせいか、後ろに二人が立っていたことに気づくのが遅れてしまった。


 指がトントン、とテーブルを叩く。


「にゃ」


 胡桃沢は噛んでいたものを飲み込むと、ほとんど反射的に答えた。「にゃ」


 そして皿に残った最後の豚肉を食べようとしたところで胡桃沢の動きが止まった。

 今さっきなんて言った? にゃ? にゃ??


 振り返ると、二人の女性が立っていた。手を小さく振っている方は背が高く、偏光がかかって薄い虹色に光るスマートグラスの奥に見える目はにこやかに笑っていた。


「久しぶりだねえ。にゃ、なんて挨拶」ゆったりとした声だった。


「あんた……、何しに来たの」ほとんどかすれたような声で胡桃沢が言った。

「いやいや、仕事に決まってるから。アレ(・・)の電脳系の会議に出てたの」

「いや、それはわかってるけど……、そうじゃなくて」


 周りで、主任がさっき〝にゃ〟って言ったぞというささやき声が、作業服の集団の中にさざ波のように広がっていった。胡桃沢にもその声は聞こえたが、対処のしようが無い。


「ここ? ここは食堂だから。お昼ごはん食べてたの。食べ終わったから戻ろうかなって思ったら、見たことある人が入ってきたんで」

「ああ……、うん……、はい……」

「何。ちょっとお疲れ? 甘いもの頼む?」

「……うん」


 女は右手で左手の甲をなぞった。指の動きをスマートグラスが捉え、ポインティングデバイスとして機能している。


「パフェがあるよ。すごいね。わたしフルーツパフェにする。みれちゃん(・・・・・)何にする?」

「……プリンアラモードで」


 今度は〝みれちゃん〟という単語が広がっていった。もう胡桃澤(くるみざわ)純麗(すみれ)にはどうしようもできない。


 胡桃沢はため息をつくと、背の高い女に言った。

「とりあえず座れば。立ちっぱなしで話ってのもなんでしょ、(はるか)先生。それとも『ちえちゃん』の方がいい?」


 スマートグラス経由で注文をした女性の胸元に付いている名札には〝(はるか)千恵理(ちえり)三輪(サンワ)QDI〟と書かれていた。(はるか)千恵理(ちえり)はちらりと胡桃沢を見た。


「それでもいいけど、三十超えた身にはちょっとねえ」


 あんたはさっきなんて言ったのよという顔をする胡桃沢を無視して、千恵理は隣の女性に声をかけた。「座ろう」


 胡桃沢としては無視していたつもりはなかったが、思いがけなくあせってしまったせいで、千恵理の隣にいた人物のことをすっかり忘れていた。


 渺千恵理よりは背の低い女性だった。とはいえ千恵理はかなり高い方だったので、隣の女性も普通と比べて特に低いわけでは無い。

 顔つきは二十代前半に見える。特徴は長い黒髪と品のある顔立ちと言ったくらいで、普通に綺麗だが印象には残りづらい感じだった。落ち着いた服装を無視すれば、見学に来た学生に見えなくもない。


 その女性を見た胡桃沢は、思わず今日初めて笑顔になった。歓喜の表情と言うよりも、少しいたずらっぽく見える笑顔だった。


「こんにちは。久しぶりです、おばちゃん(・・・・・)


宇宙カツカレー: このときは温玉の入ったカツカレー。温玉が星を表しているらしい。やや辛めで野菜の具も大きく、うまい。


甘味: フルーツパフェとプリンアラモードは期間限定メニューとして出したが、あまりに評判がいいので通常メニューになった。プリンは自家製の固めのもの。和風だとお汁粉と、餡子がのった小豆団子がある。


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