3節 勝手なことばかり言いやがる
夕刻の空が赤みを帯び始めた頃、人目のつかない場所に集められたトマーたちの足元には、赤黒く染まった麻袋が置かれていた。
それを手に取ったエリアスは袋の口を開くとぞんざいに中身を放り出す。中から出てきたのは灰色の毛並みをした獣の頭部だった。
「まさか、本当に仕留めてくるとは……」
驚いた様子のトマーや村人たちをよそに、エリアスはなにかを考え込むように、じっと獣の首を見つめている。
「これが例の魔獣なのかね?」
そう尋ねられたエリアスはぶっきらぼうに答える。
「さあ? 俺の荷物を荒らしてくれた奴に、形は似てるけどな」
トマーは視線を移すと、足に包帯を巻いた男に「どうかね?」と尋ねた。
「多分、そいつだと思うんですが……すみません。なにせ見通しの悪い森の中で急に襲われたものだから、はっきりとは覚えていないんです」
「そんなに離れていてはわからないだろう? もっと近くに寄ってしっかり確認してくれ」
トマーにそう促されるが、しかし男は近づくのを拒んだ。
彼だけではなく、この場に居合わせている村人全員が、近づくことを躊躇っているようだった。
それもそのはず。地面に転がる魔獣の生首からして間違いなく死んでいるはずなのに、開かれた眼からは喰らいつかれそうだと錯覚するほどの鋭い眼光が、今もなお放たれているからだ。
「大丈夫かい、村長さん?」
「……なにがだね?」
トマーの顔には冷や汗が浮かんでいた。
村を治める者としての威厳を見せるためか平静を装ってはいるが、魔獣の首が放つ異様さを前に戦いている様子だった。
「いや、別に……」
だがエリアスにとってはどうでもいいことだったので、本題へと移った。
「それで、約束通り魔獣の首を持ってきたわけだが──」報酬を、と言いかけたところで、続く言葉をトマーが遮る。
「少し待ってはくれないか? 彼を襲ったのが本当にその魔獣なのか、確認をしたい」
そう言って村人を説得し始めたトマーに対し、エリアスは強めの口調で返した。
「それじゃあ話が違う。あんたは仕留めた魔獣の首を持ってきたら報酬を出す、と言ったはずだ。そこの男を襲った魔獣のとは一言も言ってない」
「……そうだったかな?」
「しらばくれるつもりか?」
「そんなつもりはないが、君がただの野獣を討ち取ってきた可能性もあるのでね。報酬を出すからにはその辺をはっきりさせておきたい」
「襲われた当人は覚えていないと言ってるのに、どうやって確認をするんだ?」
「さぁて、どうしたものかな」
トマーは目を閉じて顎に手を当てる。一見すると思い悩んでいるようにも見えるが、エリアスの目には人を小馬鹿にした不遜な態度にしか映らなかった。
こちらの言い分をのらりくらりと躱して、契約を有耶無耶にしようという魂胆が、その態度から滲み出ているからだ。
念書でも取り交わしておくべきだったと内心で独ごちる。
もっとも、そんな報酬などは行き掛けの駄賃でしかなく、今はそれよりも大きな問題が発生していた。
エリアスはモヤモヤとした感情を押し殺すと、目の前で物思いに耽る中年の男に声をかける。
「あ〜村長さん? 考えごとの邪魔をして悪いが、大事な話がある」
「あとにしてくれ──ん? 大事な話だと?」
トマーだけでなく、村人たちもエリアスに注目する。
「ああ、一つが彼を襲ったのは、間違いなくこの魔獣〝グレイハウンド〟だってことだ」
「ぐれいはうんど? ……聞き覚えのない名だが、なぜそうだと言い切れるのだ? 根拠は?」
「俺には調査で得た知識と情報があるんだよ」
皮肉めいた言い方をしたエリアスは話を続ける。
「こいつは東の山を越えた先に広がる森の中を棲家にしていたが、上位種との縄張り争いに敗れてこの土地へと追われてきたらしい。今はこの周辺の森に棲みついているわけだ」
「随分と詳しいのだな」
「ここに来る前に、そういう噂を耳にしていたからな。実際にそれを確かめるため、この土地に遣されたわけだが」
「……なるほど、それが君の言っていたこの辺りに出没しているという魔獣なのか。私からしてみれば眉唾な話だが、事実ならこの森に潜んでいた脅威は君によって排除されたわけだな。しかしそれを知っていたなら、なぜ私が尋ねたときに恍けたのだ?」
「そうだったかな?」
その反応に対し、明らかに気を害した様子のトマーを見て、エリアスはほくそ笑んだ。
「──それで? 一つということは、ほかにもあるのだろう?」
トマーは眉間に皺を寄せ、不機嫌そうな態度でエリアスに冷たい視線を向けた。
「──この森にはまだ、グレイハウンドが潜んでる」
淡々としたその一言に、場が静まり返る。
「……それは、確かなのか?」
怪訝な表情を浮かべるトマーは話の信憑性を疑っているようで、それに続くように村人たちも罵声を浴びせた。
「そんな話信じられるか!」
「残りの報酬欲しさにでっち上げた作り話だろ!」
「そもそも魔獣を一人で仕留められるはずがない!」
「その首も本当は魔獣のものじゃないんだろ!」
「虚言者が! この村からさっさと出て行け!」
よそ者がよほど嫌いなのか、この閉塞的な村の環境がそうさせているのか、もともとそういう性格なのか。
彼らの境遇を思えば多少のことは寛容に受け流すつもりでいたが、限度というものがある。昨日からのことも手伝って、エリアスは我慢の限界を越えそうだった。
魔獣の首を取ってきた時点で一宿一飯の義理は果たした。あとのことがどうなろうとそれはこの村の問題であって、これ以上義理立てする理由もない。
望み通りにさっさと村から出て行ってやろうかと考えた矢先、「少し静かにしてくれ」とトマーの凄みを利かせた声と鋭い視線が、村人たちの煩わしい声を鎮めた。
「しかしだな、トマー……」
「この村全体に関わるかもしれない話だ。余計な口は挟むな」
トマーからの威圧的な言葉に男は押し黙る。
「続きを聞かせてくれ」
これが村長としての器量というやつなのか、或いは……。
いろいろと腑に落ちなかったが、軽く息を吐いたエリアスは一先ず話を再開させる。
「──グレイハウンドは単独で狩りをするが、その習性は群れでの行動が基本だ。親玉を中心としたその近辺を徘徊し、獲物を探す」
「こんなのがほかに複数いる上に、親玉だと?」
「灰色の毛並みをしたグレイハウンドに対して、そいつは白銀色の毛並みをした〝シルバーハウンド〟と呼ばれているらしい。文字通りの〝親玉〟だよ」
「…………親と子、そういう意味か?」
「ご明察。幸いなのは、番の片割れは縄張り争いの際に斃れたらしく、この森に潜む親玉は恐らく一頭だけってことだ」
「一頭だろうと、この村にとっては充分すぎるほどの脅威だな。現状の我々には、魔獣への対抗手段が無いに等しいのだから」
そう言ってトマーはエリアスのほうを見やる。
「だが君には、その魔獣を倒すだけの力がある。そうだろう?」
地面に転がる魔獣の首と、腰に携えた剣に視線を向けるトマーに対して、エリアスは呆れた表情を見せる。
「さっきまで信じていなかったくせに、随分と変わり身が早いな。自分で言っておいてなんだが、今の俺の話を真に受けたのか?」
「全てを鵜呑みにするわけではない。森の魔獣にしても、私自身が目撃したのではないからな。だがこうやって襲われた者が出てる以上、森の中に凶暴な存在がいるのは確かなはずだ。それが魔獣であれなんであれ、最善を尽くすのが私の役目だ」
「それはご立派なことだが、話の本題はここからだ」
トマーの表情が引きつる。
「──これ以上、まだなにかあるのかね?」
「……ハウンドってのは執念深い魔獣で、一度受けた恨みは絶対に忘れない性質らしい。そしてこれは不可抗力なんだが、この魔獣がグレイハウンドだと気付いたのが、実はついさっきでな……」
続く言葉を濁し、含みのある態度をとるエリアスを見たトマーに不安がよぎる。
「それはつまり──」と言いかけたその言葉をかき消すように、凄まじい咆哮が森のほうから轟いた。
『グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ‼︎』
聞く者全てを怯ませるような、怒りに満ち溢れた遠吠え。それを聞いた村人たちは、自分の意思とは無関係に身体が竦み上がっている。
「い、今のは……」
そう呟いたトマーも大分無理をしているようで、苦悶に満ちた表情を浮かべていた。
「我が子を殺された親が、大層お怒りだ」
村中が騒然とする中にあって、エリアスだけは平然とした様子で、端的に今の状況を述べる。
「──そういうことか」
トマーは眉間を歪ませ、地面に転がる魔獣の首を強く睨みつけた。
「厄介なことになったな」
そう呟いたエリアスに対し、動揺を隠せずにいた村人たちはやり場のない感情をぶつける。
「ふざけるなっ! 厄介ごとを持ち込んだのはお前だろっ!」
「だからよそ者を村に入れるのは反対だったんだっ!」
「お前のせいだっ! お前が余計なことをしたから魔獣を怒らせたんだっ!」
「どうしてくれるんだこの疫病神がっ‼︎」
その言葉を聞いたエリアスは、自身の中でなにかが『ブチッ』と切れたのを感じた。
ドロドロとした気持ちの悪いものが胸の辺りに滞留し、喉元へと急速に迫り上がってくる。
「なんとか言ったらどうなんだ‼︎」
「・・・」
だがエリアスは、腹の底から溢れ出しそうな怒りをグッと堪えて呑み込んだ。
自分たちの置かれている状況を考えもしないような連中に、なにを言っても無駄だと判断したからだ。
「……そこまで言うなら、あとのことは自分たちでなんとかするんだな」
村人たちに一瞥をくれ、吐き捨てるようにそう言い残すと、エリアスはその場から立ち去ろうとする。
しかし、その行動に焦った様子を見せたトマーが回り込んでくる。
「待ちたまえ! どこへ行く気だ⁉︎」
「これ以上、あんたたちとは関わり合いたくないんでね」
「外に出るつもりか⁉︎ 森の中には、君の言っていた魔獣たちが潜んでいるのだぞ⁉︎」
「それがどうした」
「もうじき日も落ちる。なんの準備もなしではあまりに危険だぞ!」
「あんたたちには関係ない」
「そ、それに残りの報酬もまだ渡していない!」
「そんな物はもうどうでもいい」
エリアスは歩を進める。
「待ってくれ! ほかの魔獣たちも駆除してくれたなら、その分も追加で報酬を出そう!」
「……それ、本気で言ってるのか?」
エリアスの目は据わっていた。
これまでとは違う、明確な敵意を持った態度を向けられ、トマーはたじろぐ。
しかし、顔面が汗にまみれても、一向に引こうとしないトマーに対し、苛立った様子で舌打ちをしたエリアスは、しぶしぶと口を開く。
「自警団を通じて、ギルドに依頼を出したんだろ?」
「ギルドからの捜索隊がいつ到着するかは不透明だ。そのあいだに魔獣が村を襲いにくる可能性は非常に高い」
「この村の中で起こった問題に、よそ者は巻き込まないんじゃなかったのか?」
「我々を脅かしている魔獣がいるのは村の外だ。それに、私たちだけで処理できる水準の問題ではない」
「勝手なことばかり言いやがる」
エリアスは苛立ちで表情を歪ませた。
「──この村の人間たちは、俺が関わることを望んでいないようだが?」
「先程の態度については謝罪をする。どうか我々に力を貸してほしい」
「我々にね……」
その言葉を聞いたエリアスは目を細め、トマーを蔑視する。
「──あんたが俺の腕をどう見込んでいるのか知らないが、魔獣の群れを一人で相手にするのは無理だ。そこに転がっている奴だって、たまたま獲物を捕食していたところを不意打ちで仕留めただけだからな」
「たとえそうだとしても、我々では太刀打ちすらできない魔獣を倒したのは紛れもない事実だ。もし残りの魔獣を駆除するのが難しいようなら、せめてギルドからの応援が到着するまでのあいだ、用心棒としてこの村に滞在してほしい」
「煽ててるのか煽ってるのか、それがあんたの言う最善ってやつか?」
「村の者たちがなにを言おうと、今の我々には君の力が必要なのだ。どうか助けてほしい……」
トマーの懇願に対して、エリアスはぐるりと周囲に視線を泳がせる。
今の話を聞いてもなお、この場に居合わせている村人たちの中に、自分の力を必要としている様子の者がいるようには見えなかった。
「──朝方まではこの村にいてやる。ただし、日が昇ったら俺は街に戻る」
トマーはすかさず食い下がろうとしてきたが、エリアスは間髪を入れずに続けた。
「あんたの話を聞く限り、巡回に来たっていう自警団も魔獣に襲われてる可能性がある。つまり、あんたが出した依頼は、ギルドに届いてすらいないかもしれない。来るかどうかもわからないものを待ち続けるなんて、俺はまっぴらごめんだ」
「だったら尚のことではないか! それに結果論とはいえ、魔獣を怒らせた責任は君にもあるのに、見殺しにするのか⁉︎」
「押し付けがましい物の言い方だな。俺がいてもいなくても、魔獣はいずれこの村を襲いにきたはず、そうなればどのみち全滅だ。俺はあんたたちと一緒に心中するつもりはない」
「ぐぬぅ……」言い淀んだトマーは狼狽した。
「気が向いたらギルドに立ち寄ってやるよ。それまで村が襲われないよう、神様にでも祈ってるんだな」
威圧感を醸すトマーの横を平然とすれ違ったエリアスは、その姿が見えなくなるまで、村人たちからの罵倒を一身に浴び続けた。
◇ ◇ ◇
「まったく、どいつもこいつも」
トマーは額に手を当て頭を悩ませた。
あの様子ではいくら報酬を積んだとしても、こちらの頼みを聞いてはくれないだろう。
魔獣は間違いなくこの村にやって来る。そう確信できるほどに、あの咆哮からは怒りが感じられたのだ。
親玉とやらがどんな化け物かは知らないが、それでも、傭兵がこの村にいてさえくれれば、なんとかなるだろうと考えていたので、エリアスの引き留めに失敗したのは痛恨だった。
しかしトマーは彼のことをそれほど快く思っておらず、見下すような態度をとり、それが不興を買っていることも自覚していた。
だがまさか、仮にも傭兵を自称する者が報酬をどうでもいいなどと言うとは思いもよらなかった。
それに村の者たちも、外界の人間を嫌っているとはいえ、ある程度の分別はわきまえていると思っていたのだが……。
「トマー、あれはどうするんだ?」
村の男が指差す先にあるものを見て、大きく鼻息を立てる。
討伐の証として持ち帰らせた魔獣の首。少し前なら喜ぶべき戦利品だったものが、エリアスの話を聞かされたあとでは、ただの猛毒でしかなかった。
「──焼くぞ。焼却の準備をしろ」
「いいのか? 焼けば煙と臭いに釣られて、魔獣が集まってくるんじゃないか?」
「残しておいても血の匂いを嗅ぎつけてくる。それにグールになられたら面倒だ」
「グール? そんな与太話を信じてるのか?」
「いいや。だがいろいろな文献で、グールに纏わる記述を見たことがある。その中に対処法として必ず書かれていた言葉が〝焼く〟だ。そこの生首が独りでに動き出すところなど想像もしたくないが、可能性の芽は潰しておくに越したことはない」
その光景を想像してしまったのか、男は身震いすると、そそくさと準備に取りかかった。
「はぁ……。薬の収集や納期にも影響が出るというのに、どうすればいいのだ……」
懸案の絶えないトマーはふたたび頭を抱えると、いつまでも罵詈雑言を喚き散らす村人たちへ指示を出す。
「見張りを立てるぞ! なにか異変があればすぐに警鐘を鳴らせ! それから全員に武器を持たせろ!」
根本的な問題はなにも解決していなかったが、トマーは今やるべきことを考えそれに着手した。
◇ ◇ ◇
人気のない場所まで移動したエリアスは深く嘆息する。
「やっぱり、こんな村さっさと出ていくべきだったな」
眉間に皺を寄せ、ガシガシと雑に頭を掻く。
空を見上げると幾つかの星が見えた。もうじき夜になる。
明日の朝まではここにとどまるとはいえ、村長から貸し与えられた寝床をまた使う気には到底なれなかった。それに、魔獣がいつこの村を襲いにくるかもわからない。
野宿でも警戒しつつ休息が取れ、身の安全を確保できる方法がなにかないか思案していると、視界の中に明かりのついた小屋が見えた。
ふと、エリアスは昨日の少女のことを思い出す。
あのときは空腹と疲労で頭が回っておらず、正直なにを言ったかもうろ覚えだったが、去り際に見せた悲痛な表情だけは強く印象に残っていた。
ほかの住人たちとは、どこか違う雰囲気を持つ少女。
トマーは二人のことについてはあまり話したがらず、わかったことといえば、少女には弟がいて村の奥にある物置き小屋で暮らしている、ということだけだった。
「・・・」
悪いことをした覚えはないが、だんだんと罪悪感が込み上げてきたエリアスは、なんとなく小屋のほうへと足を向ける。
今の状況でなにができるというわけでもないが、とりあえず〝普通の会話〟くらいはできそうな気がしたからだ。
弟を探すのに力を貸してほしいと頭を下げ続けていた少女。こちらの都合もあったとはいえ、突き放した物の言い方をしてしまったことを今更ながらに反省する。
そして小屋までもう少しのところで、エリアスは足を止めた。
「───っ⁉︎ ───っ‼︎」
小屋の中から揉めるような声と物音が聞こえる。
面倒事に巻き込まれそうな気がしたエリアスはその場を離れようかと逡巡する。だが、時折り激しい音が聞こえたりと、中の様子がおかしいことに気がついてしまう。
浅くため息を吐き、気配を消すように小屋へと近づく。そして気づかれないように、扉の隙間からこっそりと中の様子を覗いた……。
「なにやってやがんだテメェらっ‼︎」
怒号とともに小屋へと押し入ったエリアスの目の前には、少年に馬乗りされる少女と、その娘を押さえつける取り巻きたちがいた。
突然の出来事に気が動転し飛び上がる取り巻きたちに対し、少女の上に跨った少年は、鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開いている。
苦しそうな表情で涙を浮かべる少女と視線が合ったエリアスは、有無を言わさぬ動作で少年の襟首を掴み、力任せに引き剥がす。
放り投げられた少年は転倒しその場に尻もちをつくと、エリアスを強く睨んだ。
「村長のせがれだな。確か……ウェイバーとか言ったか?」
「昨日の……傭兵?」
昨晩、トマーの家で紹介された子息。初対面の人間に対して平気で暴言を吐く、クソ生意気な小僧。
駆け寄ってきた少年たちの手を借りその場に立ち上がったウェイバーは、汚れを払い落とすと懐から銭袋を取り出し、その中から一枚の硬貨を抜き取ってエリアスの足元へと落とした。
「なんのつもりだ?」
「それはこっちの台詞なんだけど。いきなり小屋に入ってくるなり暴力を振るって、何様のつもりなんだよ?」
「女の子を三人がかりで押し倒してた奴が、どの口で語ってんだ?」
「俺たちは暴力は振るってない。ただお仕置きをしてただけさ」
「はあっ⁉︎」言っている意味が分からず、素っ頓狂な声が出る。
「そいつの弟が森の中で魔獣を怒らせたんだ。そのせいで村のみんなが困ってる。だから俺たちが代わりに罰を与えるのさ。弟の責任は、保護者である姉の責任だもんな」
「…………正気で言ってるのか?」
「おっさんは報酬で動く傭兵なんだろ? それをくれてやるから、さっさと小屋から出ていってくれよ」
地面に転がる硬貨を指差しながら、ヘラヘラとした態度で自分を見下すウェイバーに対し、エリアスは静かに目をつむり足元の硬貨を拾い上げる。
所詮は傭兵とでも言いたげに、ニタニタと愉悦の入り混じった表情を浮かべる少年たち。
だがエリアスはほんの一瞬で間合いを詰め、硬貨を乗せた手のひらでウェイバーの面を『バシィンッ‼︎』と張り倒した。
鞭を打ち鳴らしたような盛大な音が響き、頬に硬貨をめり込ませたままその場に崩れ落ちる。
白目を剥きながら倒れているウェイバーの胸ぐらを掴み、出口のある扉のほうにズリズリと引きずっていく。そして呆気にとられ立ち尽くす、取り巻きたちのほうを振り返る。
『俺の視界から消え失せろっ‼︎』
殺気のこもった鬼のような形相で恫喝された少年たちは、青ざめた表情でウェイバーを抱え、一目散に走り去っていった。
「クソガキどもが……」
口の聞き方を知らない子供は珍しくもないが、ここまであからさまに大人を舐め腐った奴は初めてだった。なにが彼らを歪ませてしまったのか。
ともあれ、感情任せに子供へ手を上げてしまったことを本来ならば反省すべきなのだが、今回に限っては例外とした。
少女に対して、複数で暴力を振るうような不逞の輩に、情けなど不要だからだ。
「大丈夫だったか?」
そう声をかけられた少女は、エリアスに対し怯えた様子を見せ、ビクッと身体を震わせる。
努めて穏やかに声をかけたつもりだったが、突然小屋に押し入った挙句に村長の息子を張り倒し、大声で恫喝するさまを目の当たりにすれば無理もない反応だった。少年たちに力ずくで押さえつけられていた恐怖もあるだろう。
色々と話を聞きたかったが、今の状態ではなにをしても、少女を追い詰めることになるだろうと思いとどまり、エリアスはなにも言わずに立ち去ろうとする。
「ま、待ってください‼︎」
呼び止められたエリアスが背後を振り返ると、少女は胸を押さえながら、苦しそうな表情でその場に立ち上がろうとしていた。顔色が悪く、今にも倒れそうなほどにフラフラとしている。
様子がおかしいと感じて歩み寄ろうとした直後、よろめいた少女はその場で前のめりになる。だが、咄嗟に踏み込んだエリアスが倒れかけたその身体を両手で受け止めた。
「ちょっ、大丈夫か⁉︎」
「だ……大丈夫です。すみません」
胸元を強く押さえ、肩で息をしている。その苦悶の表情からして、まったく大丈夫そうには見えない。
「この村に医者なんかいるのか⁉︎」
できれば村の連中とはもう関わりたくなかったが、そうも言ってられない状況に、エリアスは人を呼びに行こうとする。
しかし少女は、エリアスの服に手を掛けてそれを制止した。
「だい……じょうぶです。もう、落ち着いてきたので……」
確かに、さっきよりは状態が安定してきたように見えるが、それでもまだつらそうな表情をしている。
「──本当に大丈夫なのか?」
「はい、お気遣い……ありがとうございます……」
少女の頑なな態度からは、人を呼んでほしくないという意思が感じられ、エリアスもそれ以上は聞き返さなかった。
◇ ◇ ◇
「……病気なのか?」
エリアスに身体を支えられながら寝床の上に腰を下ろした少女は、目を伏せて間を置き「はい」と返事をした。
「……風土病なんです。この森に群生する花から飛散する毒に冒されていて……」
「そんなものがこの森に生えているのか⁉︎ もしかして俺も毒に──」
「エリアスさんは、まだ大丈夫だと思います。持続的に取り込まなければ影響はないですし、そもそも抵抗力の強い人は、発症すらしませんから」
「そうなのか…………ん? なんで俺の名前を知ってるんだ?」
「昨日の、広場でのやり取りを盗み聞きしていて、そのときに……」
「なるほど」と腑に落ちる。
(そういえば、昨日この子と出会ったときに名前を聞いた気がしたが、なんという名前だったか……)
思い出せず眉根を寄せたとき、察した少女が「ミリィです」とはにかんだ笑みを浮かべ答えてくれた。
その表情を見たエリアスは途端に胸が痛みだし、いろいろあって忘れていた罪悪感がぶり返す。
「だ、大丈夫ですか⁉︎ まさか本当に毒が──」
ミリィが心配そうな表情で声をかけてくる。
「いや……これはそういうのとは違うから、気にしないでくれ」
エリアスは大きく深呼吸をして心を落ち着けた。その様子を見ていたミリィは表情を綻ばせると居住まいを正し、エリアスに対して感謝の言葉を述べる。
「さっきは助けていただき、ありがとうございました。エリアスさんが来てくれていなかったら、今頃どうなっていたか……」
偶然が重なっただけだが、どう反応していいかわからずエリアスは頭を掻く。
「あの小僧たちとなにがあったのか──なんてことは、改めて聞く必要もないな」
「はい……ここぞとばかりに、因縁をつけられていただけですから」
(まぁ、あいつらに関しては、違う感情も働いていただろうが)
そんなどうでもいいことを考えていると、緊張した面持ちのミリィが真剣な目で見つめてくる。
「あ、あのっ!」
「わかってる。弟のことだろ?」
ミリィは腰を上げるとエリアスの前に立ち、頭を深く下げて強く訴えかける。
「今すぐお渡しできる報酬はなにもありませんが、必ずご用意します! ですからどうかお願いします! 私の弟を、ルエを探すのに力を貸して下さい‼︎」
少女は昨日と同じようにありったけの想いを込めて、今一度懇願した。
だが、現在のエリアスにとって報酬などは、最早どうでもいい代物だった。
「……明日の朝、俺は街に戻る」
その言葉を聞いたミリィの顔に失望の色が浮かぶ。
やはり断られるのかという落胆と弟の身を案じる不安。そして目に見えない恐怖と絶望に押し潰されそうな、悲しい眼を向けられる。
その切情に応えるように、エリアスは続けた。
「ギルドに応援を要請するためにな」
彼女の気持ちを推し量ることはできないが、弟を想うその心情は憂慮に絶えないだろう。それに、罵詈雑言を並べ立てるろくでもない連中よりも、真剣に弟の身を案じるミリィの力になりたいと、今のエリアスはそう思っていた。
「森の魔獣をなんとかしないことには、捜索もままならないからな。討伐隊を連れてまた戻ってくる」
腰の剣を握り、ミリィの肩に手を置いたエリアスは意思を表明する。
「できる限りのことはする。約束だ」
「あ、ありがとうございます! ありがとうございますエリアスさん‼︎」
目の前の手を握ったミリィは、誠心誠意を込めて何度も感謝の言葉を繰り返した。
その曇りのない瞳と視線が重なったエリアスは、チクッと刺した胸の痛みに一瞬だけ眉をひそめる。
ミリィの希望に満ちた表情を曇らせたくなかったエリアスは、森の中で見つけた血の付いた布切れのことについては話さなかった。