1節 どうしてなんですか‼︎
見渡す限りの広大な森。その中に位置する、難民が集う辺境の開拓地、ロート村。
その村の広場を横切る一人の少女に対し、遠巻きから侮蔑の視線を向ける村人たちが、口々に彼女を罵っている。
「ほら見てよ、あの女だ」
「生意気な弟がいなくなっていい気味」
「あの女もどこかに行けばいいのに」
「捜索なんてやってられるかよ」
「問題を持ち込むのはいつもよそ者だ」
「村に受け入れたのが間違いだったんだ」
少女は俯き、グッと唇を噛み締める。
少女にとってこんな誹謗はこの村に来てから日常茶飯事で、これまでだったら気にすることもなく聞き流せていたが、今はその一言一言が重くのしかかった。
(どうして……)
少女は村長の家での出来事を回顧する。
◇ ◇ ◇
「──え⁉︎ 捜索を……打ち切るって……」
「ど、どうしてですかトマーさん! どうして‼︎」
「まだ弟は見つかっていないのに! あの森のどこかにいるはずなのに! どうしてなんですか‼︎」
『バンッ!』と机の上に両手をつき、捲し立てるように声を荒げる。
トマーからの呼び出しに、行方がわからなくなっている弟の捜索に関して、なにか進展があったのではないかと期待を胸に抱いていた少女は、突然告げられた捜索打ち切りの言葉に動揺を隠せなかった。
しかしトマーは彼女のそんな様子を前に、至って冷静に説明を始めた。
「落ち着いてくれミリィ。君の言っていることはもっともだし同情もする。だがこれ以上は、私の力ではどうすることもできないのだ」
「それって、どういう意味ですか?」
「すでに知っているかもしれないが、捜索にあたっていた者の一人が、森の中で魔獣に遭遇して襲われている。幸い軽い怪我で済んだようだが、場合によっては命に関わっていたかもしれない」
「そんな……」
聞き及んでいなかった話を前に、ミリィは衝撃を受ける。
「この辺りでは見かけない種類のようだ。得体の知れないなにかが潜んでいる危険な場所に、これ以上村の者たちを行かせるわけにはいかないのだ。わかってくれるね?」
そう同意を求められたが、ミリィは食い下がった。
「そ、それじゃあ! 弟はどうなるんですか⁉︎」
「人を襲う凶暴な魔獣がいる場所には行きたくないと皆が恐れている。私も同感だ」
「それなら、私一人でも探しに行きます!」
そう言ってミリィは駆け出そうとしたが、足が思うように動かず、その場で躓いてしまう。
「無理をするなミリィ。その身体の状態で捜索に向かうのは無理だと、自分自身が一番わかっているだろう?」
苦悶の表情を浮かべるミリィをその場に引き起こし、トマーは話を続ける。
「先刻、街道沿いの街から定期巡回に来た自警団員に、ギルドへ捜索願いを出すよう手配した。戦闘経験のある者が派遣され魔獣が駆除されれば、安全に捜索を行うことができる。そうだろう?」
「それは、そうですが……だけど!」
「この村にも剣や農具など自衛に使える物はある。だがそれを実戦的に使いこなせる者はほとんどいないのだ」
「・・・」
「これが現状における最善策だ。弟の身を案ずる君の気持ちは痛いほどわかるし、つらいだろうが、ここは我慢してほしい」
ミリィはなにも言い返すことができず、強く歯を食いしばる。
「それに、君の弟が必ずしも森の中にいるとは限らない。昨夜の見張りが、森のほうへと向かうなにかを見たというだけだからな。もしかしたら、最寄りの街に出かけただけで、もうじき帰ってくるかもしれない」
「お気遣いは無用です……」
真夜中に子供が一人で、危険な森を抜けて街へ出向くなど考えられない。そもそも、弟が私だけをこの村に残していくはずがなかった。
「……そういう可能性もあるということだ」
トマーも内心ではわかっているようで、それ以上は言わなかった。
「ミリィ、早まった行動だけは慎んでくれ。君にまでなにか起こったら、亡くなった君たちの両親に合わせる顔がない。いいね?」
そう締め括ったトマーの背に小さく「はい」と告げたミリィは、村長の家をあとにした。
◇ ◇ ◇
帰路の道中、ミリィは忌々しい思いで自分の胸に手を当て、ギュッと拳を握った。
(私のせいだ。私が……こんなものに冒されたりしなければ)
弟が森になど入ることもなかった。
そう思えば思うほど、後悔ばかりが胸に湧き上がってきてしまう。それに加えて、人を襲う魔獣まで森に現れて、いろいろなことが重なって気がおかしくなりそうだった。
すぐにでも弟を探しに行きたい。そんな逸る気持ちを抱きつつも、こんな身体の状態ではどうにもならないと、自分を窘めることしか今はできなかった。
物思いに耽りながら歩いているうちに、村外れの物置小屋へと辿り着く。そこがこの村における、自分たち姉弟の住まいだった。
「……なにをしているんですか?」
ミリィの言葉は、小屋の前で待ち構えている、この村の少年たちに対して向けられていた。
「なにってそりゃあ。弟が消えてショックを受けてる、可哀想なお姉ちゃんを慰めにきてやったんだよ」
ヘラヘラと癪に障る笑みを浮かべる少年とその取り巻きたち。従えているのは、村長の息子であるウェイバーだった。
ミリィは目を閉じて心を落ち着けると、毅然とした態度で気丈に振る舞う。
「私なら大丈夫です。ご心配ありがとうございます、ウェイバーさん」
精一杯の作り笑顔でそう答え、力強く少年の瞳を見据える。
「へぇ、さっきまでは随分つらそうにしてた気がしたけど、意外に元気そうじゃん。俺の見間違いだったのかな?」
「そうかもしれませんね」
適当にあしらって早く終わらせたかったが、邪魔をしてくる弟がそばにいないせいか、いつもより執拗かった。
「いつまでもそんな所に突っ立ってたら疲れるだろ? 小屋の中でゆっくり話そうぜ」
そう言って手招きをするが、当然ミリィは断る。
「いいえ、私はこのままで全然平気ですよ? いくらでもお話しできます。もちろんウェイバーさんも平気ですよね?」
作り笑顔でニッコリ微笑む。
強がりではあるが、彼らと同じ空間に身を置くなど、想像するだけでゾッとする。どんなにつらくても、一日中この場に立ち続けているほうがマシだった。
「へっ」とつまらなそうに悪態をつくとそれ以上は絡まず、ゾロゾロと連れ立って小屋から離れていく。
内心でホッとしたミリィだったが、その去り際に「そうそう」と、わざとらしくウェイバーが声を上げた。
「俺に感謝しろよ? 毒の治療に必要な物がなにかを、わざわざあいつに教えてやったんだからなぁ」
「えっ⁉︎」
先程までの余裕が失せ、顔色が変わったミリィを見たウェイバーは、不敵な笑みを浮かべながら続ける。
「親父から聞いたぜその身体のこと。でも残念だったなぁ。村に薬が残ってれば、あいつも夜の森に入る必要なんてなかったのに」
血の気が引くのを感じたミリィは、その場でよろけそうになるのを堪え、ウェイバーを問いただした。
「あなたがあの子を焚き付けたの⁉︎」
「人聞きが悪いな。知りたがったのはあいつで、俺はただ教えただけだぜ?」
動悸が止まらなかった。続く言葉が喉元まで出かかっているのに、それを発することができない。
「そういや魔獣も出たんだって? つくづく運のない姉弟だな」
ウェイバーとその取り巻きたちは、青ざめた表情のミリィを尻目に、クツクツと笑いながらその場をあとにする……。
──その頃、林道へと続く村の正門に、フラフラとした足どりで近づいてくる一つの人影があった。
正門の見張りがその異様さを見咎めたとき、村の中に警鐘が鳴り響いた。
◇ ◇ ◇
『ギィィ』と扉のきしむ音が響く。
開け放たれた小屋の中は薄暗く、その中央にはクロスの敷かれた木箱と小さな樽が二つ。隅には木を組み合わせただけの簡易な寝床と、奥には使われなくなった農具や道具、自分たちが使う日用品が置かれている。
ミリィは小屋の入り口で呆然と立ち尽くし、ここでの生活を振り返る。
両親を亡くし、父の親友であったトマー・ハンスを頼りにこの村を訪れ、住人たちから受ける日々の仕打ちにも耐えてこれたのは、弟の存在があったからだ。
たった一人の家族。姉として、貴族の長女として、なにがあっても弟を守ると心に決めていた。……そのはずだった。
「う……く……」自然と涙が溢れる。
守るはずの自分が守られて、なにもできない今の自分に、ただ愕然とする。
「ルエ……どこにいるの?」
自分の身体のことなんてどうでも良かった。無事に帰ってきてほしい。ミリィの望みはそれだけだった。
「うっ⁉︎」
ズキンと針で刺したような痛みが胸に走り、ミリィはその場にうずくまってしまう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息をするたびに胸がズキズキと痛み、表情が苦悶に歪む。
(こんなもの……)
胸を押さえたまま暫く立ち上がれなかったが、痛みが引いていくにしたがって、次第に呼吸も楽になった。
よろよろとその場に立ち上がり、ミリィは独り言のように呟く。
「私は、どうしたらいいの……」
誰もいない小屋の中で自問したとき、遠くのほうからなにか音が聞こえてきた。様子が気になり小屋から出ると、近くを通り過ぎた村人たちの会話が耳に入る。
「おい、本当なのか?」
「なんでも森のほうから来たらしいぞ」
「みんな広場に集まってる」
「行ってみようぜ!」
その会話を聞いたミリィは〝もしや〟という思いに駆られ、考えるよりも早く、村の広場へと向かい動き出していた。
◇ ◇ ◇
正門前の広場では、輪を描くように人集りができていた。
その中心で地べたに座る人物はぐったりした様子で、訝しげな表情を浮かべる村人たちの喧騒に囲まれながら、トマーからの質問を受けている。
「森のほうから現れたというのは君だね? いったいなにをしにここへ来たのだ?」
トマーが問いかけると同時に〝ギュウルルル〟と謎の音が鳴り渡り、周囲が不穏な空気に包まれる。
またしても聞こえてきた怪音の出どころは、どうやら目の前に座る人物の腹部のようだった。
「その前に、なにか食べ物を分けてくれないか? 昨日からなにも食べてなくてな……」
力なくそう訴えた男の腹から盛大な音が鳴る。かなりの空腹のようだったが、トマーはその希望には応じなかった。
「……生憎だが、素性の知れない輩にやれる物はない」
無慈悲な返しに、男は恨めしそうな視線を向けるが、すぐに力なく項垂れた。
「トマー、早くこいつを追い出そう! よそ者を村に入れるとろくなことがない」
村の男がそう提案すると、周りの者たちも同調しなじり始める。しかしトマーはそれを静め、ふたたび目の前の人物に声をかけた。
「すまないね。森に現れた魔獣のことなどあって、みんな神経質になっているのだ。それ以外にもいろいろと問題を抱えていて、よそ者を歓迎する余裕がないのだよ」
トマーの口調は穏やかでありながら、その言葉には棘があった。だが目の前に座り込む人物は空腹ゆえか、そんな些細なことは気にした様子もなく口を開く。
「あぁ、あんたらもあの魔獣のことを知ってるのか。俺も昨日襲われてさんざんだったよ」
その言葉を聞いた途端、トマーは目の色を変えた。
「君も魔獣に襲われたのか⁉︎ もしやその剣で魔獣を仕留めたのか‼︎」
グイグイと迫ってくる中年男の剣幕に、彼はひきつった表情を浮かべる。
「荷物と食料を荒らされただけだ。その跡を追いかけたら、見失ったうえに道がわからなくなってな」
そこまで聞いた段階でトマーは大体察した。
「なるほど……この村に来た理由はわかった。しかしこんな辺鄙な土地へ、君はなにをしに来たのだ? ギルドから派遣された捜索隊の者なのか?」
「捜索隊? なんだそりゃ?」
「だろうな」と、トマーも最初から期待はしていない様子だった。そもそも、ギルドに捜索願いはまだ届いていないだろう。
「では冒険者なのか? その剣も見せかけではなさそうだが。しかし空腹で倒れそうになっているようでは、それほど旅慣れしているとは思えないな」
「ったく、言ってくれるぜ」
つらそうに身体を起こした男は、トマーに向かって名を告げる。
「俺の名はエリアス。傭兵だ」
「傭兵? なるほど……傭兵か」
顎に手を当てて、なにかを思案するトマーだったが、首を振るともう一度エリアスに質問を繰り返す。
「それで、ここへはなにをしに来たのだ?」
再三に渡る同じ質問に、いい加減うんざりした様子のエリアスは、深く嘆息すると面倒くさそうに答えた。
「……調査だ」
「調査だと? いったいなんの調査だ?」
問いただすトマーの表情が険しさを増す。
「……最近、この地域に出没してるって噂の魔獣のだよ」
「それは、君と村の者を襲った魔獣のことなのか?」
「さぁな、多分そうなんじゃないか? まぁ、それももう終わりだけどな」
「なぜだ? 君は魔獣を仕留め損なったのだろう?」
エリアスはもう一度ため息を吐く。
「あのな、俺の仕事は〝調査〟であって〝駆除〟じゃない。人を襲う危険な魔獣がいるってわかっただけで、もう充分なんだよ」
そう言うと、エリアスはフラつきながらその場に立ち上がり、村の正門のほうへと歩き始めた。
「どこへ行くつもりだね?」
「見りゃわかるだろ? 帰るんだよ。依頼人に報告する」
「ちょっと待ってくれ! 君にその調査を依頼した者がいるのか?」
「当たり前だろ。俺が道楽でこんな辺境の調査をするような人間に見えるか?」
「依頼主は誰だ⁉︎」
「あんたに教えてやる義理はない」
トマーの表情がだんだんと曇っていく。
「そうそう、近日中には魔獣の討伐隊が押し寄せてくるだろうから安心しな」
「じゃあな」と後ろ手にヒラヒラ手を振って返す。
「待ってくれ!」
呼び止められたエリアスは不機嫌そうに背後を振り返る。
「傭兵だと言っていたが、腕は立つのか?」
「それをこの場で証明してみせる術はないな」
トマーは暫し塾考するとエリアスに提案をする。
「どうだろう。食料を提供する代わりに、森の魔獣退治を引き受けてはくれないか?」
「なっ! 突然なにを言い出すんだトマー⁉︎」
トマーが切り出した提案に、真っ先に反応したのは村人たちのほうだった。
ようやくよそ者を追い払えると、緊張の糸が弛緩した瞬間の出来事で、怒りや戸惑いの様相を見せている。そんな中、トマーは村人たちを静めることもせず、じっとエリアスを見据えている。
空腹を訴え、食料を分けてほしいと望んでいたエリアスだが、しかしトマーの申し出を断った。
「冗談じゃない。確かに腹は減ってるが、魔獣退治となれば命懸けだ。その対価が飯だけってんじゃ割に合わない。それに、森の中で迷ってた昨日とは違って、今度は帰り道もちゃんとあるしな」
そう言ってエリアスは正門のほうを指差すが、ここぞとばかりにトマーも説き伏せてくる。
「言っておくが、ここから一番近い人里まで、大人の足でも半日はかかるぞ? もうじき日も暮れる。ただでさえ足場の悪い森の中を夜に、しかもそんなフラフラの状態で抜けるのは酷なのではないかね? 道中にまた魔獣が襲ってくる可能性もある」
「・・・」
言葉には出さなかったが、エリアスの微妙な表情の変化から彼の心を読み取ったトマーは、付け加えてこう提案した。
「ではこうしよう。仕留めた魔獣の首を持ち帰ったら報酬を支払う。宿と食事の面倒も見よう」
「トマー⁉︎ いったいなにを考えてるんだ‼︎」
村人たちはますます動揺した様子を見せるが、トマーは端的に答える。
「派遣された討伐隊に、この村が拠点にされてもいいのかね?」
トマーの鋭い視線が、感情任せに言葉を吐き出していた村人たちを射貫く。戸惑う者は依然としていたが、特に声を上げていた者たちは、気勢を削がれ閉口した。
トマーはエリアスのほうへと向き直る。
「もちろん無理強いはしない。腕に自信がないのであれば、断ってくれて構わない。だがこの条件は、今のお互いにとって有益だと私は考えるが、君はどうかな?」
エリアスは暫し黙考する。
腹の虫が鳴き止む気配は一向になく、正直なところ、空腹が限界を越えて意識が朦朧とし始めていた。
ここでぶっ倒れれば、いくら非人道的な村だったとしても、最低限の介抱くらいはしてくれそうなものだが、これまでさんざん自分を謗ってきたこいつらの世話になるのは、我慢ならなかった。
背に腹は代えられないと、エリアスはトマーの提案をしぶしぶながら引き受ける。
「いいぜ、交渉成立だ。ただし報酬の半分は先に貰う。残りは首を持ち帰ってからだ」
「よかろう。頼りにさせてもらうぞ? 私はこの村の長を務めているトマー・ハンスだ」
差し出された右手を見つめながら「トマー・ハンスね……」と、小さく呟いたエリアスは軽く握手を交わし、周囲から湧き立つピリピリとした空気を肌に感じながら、村の中へと招かれる。
歓迎はまったくされていないが、ようやく面倒な包囲から解放されて、そこはかとなく安堵したとき、解散し始めた見物人の中から「待って下さい!」と声が聞こえた。
その直後、人混みを掻き分けるように、エリアスの前へと現れたのはミリィだった。
◇ ◇ ◇
〝もしかしたら〟と淡い期待を抱いていたが、やはりそこにいたのはルエではなかった。
村の外から来たよそ者。其処彼処から聞こえてくる嫌味の言葉からも、私たちと同じく歓迎はされていないようだった。
今しがた、トマーになにを言われたかはわからないが、がっくりと俯いてしまっていた。
この村の住人たちの陰湿さは身に染みているがゆえに、鎮痛な面持ちで地面に座り込む人物が、精神的に追い込まれていくさまを、これ以上見続けるのはミリィには耐え難かった。
その場を離れようと身を翻す。すると、囲いの中から一際大きな声が聞こえてくる。
「君も魔獣に襲われたのか⁉︎ もしやその剣で魔獣を仕留めたのか‼︎」
(魔獣を、仕留めた⁉︎)
自身の耳を疑う言葉を聞き、もっと詳しい話をと聞き耳を立てるが、周囲の喧騒がそれを邪魔した。
だがミリィの瞳には僅かな期待と希望の光りが灯っていた。魔獣がいなくなったのであれば、ルエの捜索を再開できるはずだからだ。
二人の会話の内容はほとんど聞き取れなかったが、周囲のやり取りから、魔獣はまだ仕留められてはいないことと、彼が傭兵であるらしいことが伝わってきた。
それを知ったミリィは、自然にその考えへと至った。
この場で彼の実力を知る術はないが、魔獣と遭遇して無事にこの村まで辿り着いた者が、弱いはずがない。そして傭兵が携えている一振りの剣……。
根拠も確信もないが、今はそれに縋る以外に方法はなく、ミリィは決心する。
二人のやり取りがいち段落し、囲んでいた見物人たちが、やおら解散し始めた頃合いを見計らい、ミリィは声を上げる。
「待って下さい!」
気怠そうな表情を浮かべる男の下に駆け寄ったミリィは、ありったけの想いを込めて頭を下げた。
「お願いです! どうか弟の捜索に力を貸して下さい‼︎」
突然目の前に現れた少女に頭を下げられ、懇請されたエリアス。しかし、空腹と疲労で頭が呆ていたのに加え、それまでのやり取りで鬱憤が溜まっていたせいで、咄嗟に言葉が出てこなかった。
「ミリィ、その件についてはさっき話合っただろう?」
割り込んできたトマーの言葉から〝聞き分けなさい〟という圧力をミリィは感じたが、その問いかけには反応せず、ひたすら頭を下げ続ける。
「いったい、なんの話だ?」
無理やり言葉を捻り出したエリアスが、代わりにトマーの言葉を拾う。
「……実は、彼女の弟が昨晩から行方知れずでな。村の者たちと協力して、森の中を捜索していたのだが……」
「まだ見つからない、と」
ちらりと少女に視線を向ける。膝下のスカートを握る手が、小さく震えているように見えた。
「なんでそのことを黙ってたんだ?」
「この村の中で起こった問題に、よそ者の君を巻き込む必要はないし、彼女の弟が森の中にいるという確証もなかったのでね」
「魔獣退治には巻き込んでおいてか?」
「それに関しては、お互いに合意したはずだ」
「・・・」
言っていることに間違いはないように思えたが、その言い草が妙に引っかかった。それに、同じ村の住人が姿を消したのに、なぜこんなに薄情なのか。
エリアスは煩わしさを感じ、雑に頭を掻くと考えるのをやめた。
「ミリィとか言ったか? そっちの事情は知らないが、俺もタダ働きをするつもりはない。相応の見返りはあるのか?」
そう尋ねられたミリィは、消え入りそうな声で答える。
「……お金は……ありません」
「それ以外の物は?」
「今の私に……報酬として差し出せる物は、なにもありません」
「はぁ」と息を吐いたエリアスは、ミリィを置いて歩き出す。
「まっ、待って下さい‼︎」
顔を上げたミリィの切実な表情が、エリアスの視界に入る。
「……俺は善人じゃない、ただの傭兵だ。相応の対価が用意できないなら諦めてくれ」
その言葉を聞いたミリィは動揺し、愕然とした。
外来の者であれば、必死に頼めばきっと協力してくれるはずだと、そんな甘い考えを本気で抱いていたのだ。
ミリィは悔しかった。なにもできない今の自分が。誰かを頼った心の弱さが。
エリアスは漠然とした後味の悪さを感じつつも、今にも泣き崩れそうな少女を残し、その場をあとにした。