第25話「冷めない余韻」
「うぎゃあああぁああっ!!」
またたびに引き寄せられ、二匹の猫がアイシスの胸に飛び込んだ瞬間、フィールド全体に奇声がこだました。
「えっ……?」
咄嗟に俯き、耳をふさいでいたニアが顔をあげると、そこにあったのは白目を向いて地面に横たわるアイシスの姿だった。
二匹の猫は相変わらずの調子でアイシスの胸元に身体を擦りつけているが、当の本人は手足をひくつかせながら「あばばばば」と泡を吹いている。
そのあまりの豹変具合に、ニアは目をぱちくりさせながらアイシスに歩み寄っていく。猫たちの身体を器用に抱きかかえ、その場にしゃがみ込んだ。
「あ、あのぅ……アイシス、さん……?」
「………………」
返事はない。
だがその直後、アイシスの身体は微細なドット状の霧へと変わり、ゆっくりとフィールドから消失していった。
それは本来、体力が尽きたプレイヤーが強制帰還させられる際の現象。なのにも関わらず、体力がほぼ満タンだったはずのアイシスがその対象となったのは、運営からの死亡通告であった。
その様子を訳も分からず眺めていたニアだったが、手元の猫たちが落ち着きを取り戻していくのと同時に、過去の出来事――――アイシスと初めて出会った時の事を思い出していた。
ポーション製作の素材のために、ラトゥル山麓に訪れていたニアは、ひょうたん型の魔物から上半身だけを出したアイシスと出会った。
それはそれで衝撃的すぎる出会いだったが、ニアにとってどうしても忘れられなかったのはその少し後。どうにか彼女を救出するべく、自分よりも戦闘能力の高いルナを抱きかかえ、そっと魔物の元に近づけた時だ。
「あっ」
――――変なもの近づけないでえぇぇえっ!
◇
「……っぷ、あはははっ!」
イベントでの出来事を聞いていたオルコはいよいよ堪え切れなくなり、声を出してからからと笑う。アイシスはその様子に「っちぇー」とつまらなさそうに唇を尖らせた。
「そうか、アイシスは猫が苦手だったんだね」
「は、はい……私、最初はアイシスさんはわざと負けてくれたんだとばかり……あうっ」
横の席から、突如のデコピン。
その様子を見て、またオルコがくすりと笑う。
「は~ぁ、散々な目にあったよ……。イベントで優勝して、一躍有名配信者! ってのは甘かったかなぁ……ってそういえばッ!」
いつの間にか配信が終わっていたことはともかく、最終的な視聴者数を確認し忘れていた事に思い出し、アイシスは慣れた手つきで配信用のコンソールを操作する。
「おっ、それでもいつもよりは多かったんだねっ」
どうやら思っていた程の集客効果は無かったようだ。
アイシスはコンソールをさっと振り払うと、背もたれに身体を預けた。
「結局にあにあの一人勝ちかぁ~っ」
「配信と言えば、一つだけ気になることがあるんだ」
「気になる事?」
「さっき言った通り、僕は公式の配信を見ていたんだけど……そこでプレイヤー同士の一騎打ちが始まったんだ」
オルコの説明では、その片方は対人界隈では有名なプレイヤーで、対するは無名のプレイヤー。それを見て、会場の誰もがワンサイドゲームになるだろう、と予測した。もちろんオルコもその一人で、ぼんやりと眺めていたそうだ。
しかし、その数分後には会場にいた者全員の予想を裏切る結果となった。
「ふぅん、でもそれって別によくある事じゃない? 例えば攻撃のほとんどを避けちゃえば、極論無傷な訳だしさっ」
話を聞き終えたアイシスがちらっとニアを見ながら疑問を投げると、オルコは不思議そうに首をかしげた。
「はは、さすがに全ての攻撃を回避ってのはね。仕様上、余程の技術がないと不可能なのは君も知っているだろう?」
「……だよね、うん」
もう一度ニアを横目に、無理やり納得するアイシス。
イベント中、立て続けに攻撃を回避されたこともあり、どうにも納得しがたいが、続きの話も気になるので無理やり飲み込んで先を促す。
「それで、それのどこが気になったの?」
「会場の皆はあまり気にしていなかったようだけど、彼女の体力が突然大幅に回復したように見えたんだ」
「普通にポーションで回復したんでしょっ?」
もっともな疑問を口にするアイシスに、オルコは「うん」と小さく笑う。
「そう、あれはポーションだ。それは間違いない」
「だったら……」
一見、変なことは何一つない。
アイシスはそれがありふれた話のように思えた。
だが。
「これを見て欲しい」
そう言って、オルコが一本の瓶を取り出して、机の上に置いた。
赤い液体が注がれた小瓶――――。
「あれは間違いなくこのポーションだったよ。アークアルケミスト……ニアが作った、エリクサーポーションだ」
「ほへ……?」
突如自分の名前があがり、ニアは間抜けな返事を返しながら、ルナの毛並みの撫でていた手の動きを止めるのだった。
◇
イベント終了後、ニア達三人と一匹が喫茶店に到着したのと時を同じく、薄暗い部屋の中、数人のプレイヤーが円卓を囲っていた。
締め切られたカーテンの裾からわずかに漏れる夕日と、円卓の中央に置かれた燭台の炎だけがぼんやりと部屋を照らしている。
その内の一人、赤い短髪をぶっきらぼうにかきながら、ニアの知人であるルインは手を叩き合わせた。
「うし、じゃあ最後に俺から一つだけ。知ってるやつぁ知ってると思うが、例のイベントの件だ。あの公式配信に映っていたプレイヤーにコンタクトを取ろうと思う。」
一番最初に反応したのは、ルインの横に座る粗野な雰囲気のプレイヤー。
「あー誰だっけ、それ」
「ほら、あのポーションの人でしょ~? なになに、ルインくんあーいう人が好み?」
それにフードを被った小柄なプレイヤーが甘ったるい声で続けば、ルインはめんどくさそうに答えた。
「馬鹿言うな、俺が気になってるのはポーションの出処の方だ。とにかく、何か情報を掴んだ奴はすぐに報告するように」
ほかに何もなければ解散。
そう言おうとした所で、ちょうどルインの対面に座る仮面をつけたプレイヤーが挙手をした。仮面の目の部分――三日月型にくり抜かれた穴がにたりと吊り上がる。
「発言いいかしら」
「ああ、なんだよミラーマン」
「仮にポーションの出処を抑えたとして、どうするおつもりかしらぁ?」
「決まってんだろ? うちで独占すんだよ。ま、方法はこれから考えるがな」
「ふぅん、そーぉ」
何やら含みのある返答に、ルインは苛立たし気に立ち上がる。
「じゃあ今日の会議はこれで解散にすっか。次のアップデートまで時間が迫ってる、各自しっかり準備に務めておけよ」
◇
その会議が終わったのと時を同じくして、王都グランド・ラプトの王立図書館に、慌ただしい足音が響き渡った。皆の視線が集まる中、一人の少女だけは顔を上げず、肘杖をつきながら眠たそうに本に視線を落としていた。
そして奇しくも、その足音が止まったのは少女の真横である。
「なあ、おい!」
「…………」
「おいって!」
慌ただしいのは足音だけでなく、青年自体もまた興奮気味に少女に話しかける。だが、返事は無い。
「ろりば――」
「それ以上言ったら殺すわよ」
残りの二文字「ば」と「あ」を言い切っていたら、恐らくそれは現実になっていただろうが、青年は気にも留めない様子で話を続ける。
「なんだよ、聞こえてんじゃねえか!」
「聞こえてるけど、返事をするかしないかは私の自由でしょう?」
「あーはいはい……や、そんなことよりさ! さっきすげーの見ちまってよ。なんかやべーんだよ、とにかく!」
「あなた、会話する気あるの?」
少女はめんどくさそうにため息を吐き出し、読みかけの本をぱたりと閉じた。
「あるさ! だから早速メッセージ送っておいた! 楽しみだな!」
「この一連のやり取り、私必要?」
「カノンが居なかったら、俺独り言いってるやべーやつみたいじゃん!」
「大丈夫よ、既にやべーやつだから」
「ま、いいや。とにかくギルドの事は俺に任せといてくれ! じゃな!!」
そう言って、再び足音を響かせながら青年は図書館を後にした。
カノンと呼ばれた少女もまた、周りからは何とも言えない目線を感じ、逃げるように図書館を後にした。
◇
そんなやり取りが図書館で繰り広げられていた頃、ニアは大量の疑問符を頭に浮かべていた。
「え、えと……つまり……どういうことなんでしょうか……?」
「これから、君のポーション……あるいは君自身をめぐって各ギルドの争奪戦が起こる可能性があるってことさ。もっとも、まだ君が作ったものだとは知られていないと思うけれど」
「は、はぁ……」
いまいち要領を得ず、曖昧に頷くニア。
何やら微妙な空気が流れ始めたのを察してか――あるいは気まぐれか、アイシスが勢いよく立ち上がった。
「まーまー! 難しい事は今は無しッ! にあにあの祝賀パーティなんだから主役はもっと楽しそうにしなきゃっ! ね!」
そう言ってニアの頬を軽くつねると、無理やり口角を釣り上げるように頬っぺたを持ち上げた。
「ふぁ、ふぁいっ!」
「うんうんっ、やっぱりにあにあには笑顔だねッ」
一人満足気に頷くアイシスに「そうだね」と言いながらオルコも立ち上がる。
「さっ、それじゃあ僭越ながら"準"優勝のわたくしめが乾杯の音頭をとらせていただきますよーっと、はい! 皆様ティーカップを拝借!」
あまり品が良いとは言えない行為だが、それでもニアはハーブティが入ったティーカップを持ち上げる。
「かんぱーいっ!」
おしゃれな喫茶店の一画で、分相応な乾杯の声が上がる。
ハーブティは少しだけ冷めてしまっていたけれど、この楽しさの余韻はしばらく冷めそうもない。
第2部完結です。
読んでくださっている方々に感謝!




