第19話「初めての来客」
「……およ?」
風を裂くような鋭い音が少女の耳を打った。
直後に巻き起こった突風がピンク色の髪を揺らし、少女は慌てて風の出処を探る。
森の奥、木々の隙間からわずかに見えたのは、美しい所作で振り下ろされた一本の斬撃であった。斬撃は周囲の風を飲み込むと、やがてそれは一本の線となって飛来した。
その線が茂みから伸びる蔦――『ペルタ・コニド』の核を断ち切ると、魔物は微細なドット状の粒へと変わり、霧のように消えていった。
「わわっ」
それと同時に、魔物によって下半身を丸呑みにされていた少女――アイシスは地面に投げ出された。
「大丈夫かい?」
ペルタ・コニドの粘液が付着したスカートをぱたぱたと振っていると、森の奥から小走りで近寄ってくる男の姿が見えた。
心配げな表情を浮かべ、手を差し伸べている。
辛うじて無事だった部分で手を拭い、アイシスはその手を取った。
「全然平気ッ! ありがとう、通りすがりの人!」
「なら良かった。君はソロで狩りを?」
「そうだよー……って、あなたも狩りをしに?」
「うーん、どうかな。待ち合わせまでしばらく時間があったから、何となくこの辺りをうろついてたんだ」
「ふぅん、変わってるんだねー」
この辺り、それも一人で狩りをする君の方がよっぽど変わってると思うけど。
そんな言葉を胸中に抱きつつ、男は苦笑いを浮かべる。
「いやー、しかし最近の人達は優しいねッ! 魔物に飲み込まれそうなアイシスちゃんを助けてくれるなんてさ!」
自分の事をちゃん付けで呼ぶアイシスは頭の後ろで手を組み、にへらと笑う。
「前にも同じようなことが?」
「そーそー。私よりちょっと背が低い三つ編みの女の子なんだけどね……あー、今度ちゃんとお礼しないとなぁ」
「……ひょっとして、その子の側には黒い猫がいたり?」
男の言葉に、アイシスは目を丸くする。
「え、なんで知ってるの!?」
「人と待ち合わせしてると言ったけど、その相手は恐らく君のいう女の子だ」
「なになに! そういう関係なの!?」
興奮した様子で問いかけるアイシスに、男は首を横に振る。するとアイシスは長い髪の毛を一房だけ取分け、頭上に持ち上げた。
「え~なんだか怪しいなあ! ほら、私のレーダーも怪しいって言ってるよっ」
そう言って持ち上げた髪をひょこひょこ左右に振れば、男は小さく笑った。もちろん苦笑いである。
「さっきお礼を、と言っていたけど……よかったら君も来るかい?」
「えっ、いいの!? 行く行くー!」
「分かった。じゃあ、早速向かおうか」
男はそう言いながら右上に目線を投げる。
現実世界の時刻が表示される部分を見ると、待ち合わせの時間が迫っていることを知らされた。
「そうだ、君の名前を聞いても?」
「私はアイシスだよっ」
「僕はオルコ、よろしく頼むよアイシス」
そうして、オルコの待ち合わせ相手――ニアに助けられた時のことを楽しげに話すアイシスと共に、二人は待ち合わせの場所に向かって歩みを進め始めた。
◇
王都グランド・ラプトとラトゥル山麓の中間地点にポツンと一軒だけ存在する家。その付近にある小さい湖の側で唖然と立ち尽くすニアは、同じく大口を開けて目を見開くルナに声をかけた。
「……さっきのは何だったの?」
「……オイラも初めて見た」
ぽかんとした顔を見合わせる二人の身体は全身ずぶ濡れ。それを嫌ってか、ルナがプルプルと身体を震わせると、冷たい雫がニアの顔に飛び散った。
しかし、そんなことは気にも留めない様子でニアは口を開く。
「今のは……もう使わないようにしようか」
「そうしたほうがいいな、うん」
しばらくその場で固まっていると、ニアは森の奥から歩いてくる二人の男女を見つけた。一人は待ち合わせの約束をしていたオルコ。そしてその横を歩く少女はピンク色の髪をひょこひょこ弾ませながらニアの元へ駆け寄って来た。
「アイシスさん……わっ!?」
「やーやー! にあにあ、数日ぶりっ! あの時はありがとねーっ」
そう言ってニアの手を取りぶんぶん振り回すアイシス。
何が何やらと呆気にとられるニアの元に、次はオルコが駆け寄って来た。
「ついさっき、彼女と出会ってね。君にお礼をと言うから連れてきたんだ」
「は、はあ……」
未だに手をぶんぶん振り回すアイシスに圧倒されたままのニアだったが、二人の身体が濡れていることに気が付くと、アイシスの手をなんとか振り払い、申し訳なさそうに俯いた。
「ううぅ、すみません……ソレ、私のせいなんです……」
オイラからも謝るぜ。
そう言わんばかりに「にゃあ」とルナが鳴けば、オルコとアイシスは不思議そうに首をかしげた。
その後、すっかり落ち込んでしまったニアを励ましながら、三人は湖の畔に建つ家へと向かった。
「ひっっっろいね」
天井を見上げながら、ソファに身体を預けたアイシスがぽつりと言う。すると、その横に腰を下ろすオルコも釣られるように天井を見上げて頷いた。
初めての来客となった二人が居るのはリビングである。
お茶を淹れてくるのでしばらく待っててください、と言ったニアが戻って来たのは、それから数分後。探検しようよと提案するアイシスを、オルコが必死に止めたのとほぼ同時だった。
「お待たせしま……どうかしましたか?」
「いや、何でもないよ」
頭に疑問符を浮かべながら、ニアは二人の前にティーカップを並べた。ふわりと良い香りがテーブルを包む。
「ありがとっ、にあにあ」
「いただくよ」
そう言って二人はティーカップを口元に運ぶ。
その様子をじっと眺めていたニアは、二人が表情を緩めたのを見て、ほぅと胸を撫で下ろした。
この世界での飲食物はNPCが販売しているものが主であり、今回ニアが用意した紅茶もその一つだ。
NPCが営む店で何度も試飲を繰り返し、ルナどころかNPCさえ呆れ顔を浮かべ始めたあたりでようやく購入した茶葉は、最もポピュラーなアールグレイである。
もし口に合わなかったらどうしよう、と気が気でなかったが、どうやら杞憂だったようだ。
「さて、じゃあ早速だけど……クラスのことだったね」
オルコの持つティーカップが、かちゃりと音を立ててソーサーに置かれた。
今日オルコと約束していたのは、クラスについて詳しく教えてもらう為だ。先日の一件があり、どうやら自分はユニーククラスらしい、とぼんやり自覚したニアだが、未だに分からないことも多い。
そう相談したところ、快く了承してくれたオルコを新居に招くことになり、今に至る。
「まず基礎的な部分から話そうか。まずこの世界には初期クラスと呼ばれる四つのクラスがあるんだ。ウォーリアー、スカウト、ウィザード、クレリックの四つだね」
「えと……はい、そこまでは何とか……」
ニアが知っているのはここまでだ。
ついでに言えば、自分がいつの間にやらウィザードを選択していたことと、更にいつの間にやらユニーククラスと呼ばれるものに転職していたことも。
「そしてここからが少し複雑になる。四つの初期クラスには、それぞれ三つの上位クラスが存在していて、その内の一つに転職することが出来るんだ。例えば僕はウォーリアーの上位クラスの一つ、パラディンを選んだ、という風にね」
そう言ってフルプレートの鎧をこつんと叩くオルコ。
一方ニアはパンク寸前で、あわあわと口を動かしていた。
「えと、えと……それで、私がもう転職しているというのは一体……」
「うん、それこそがこのゲームの職業システムを特徴付けるものなんだけど――――」
そこで一度話を止めると、オルコは顔を引き締めてからまずアイシスを、次いでニアの顔を覗き込む。
「ニア、この話は彼女には?」
「それって……どういう」
と、そこで会話に加わったのはアイシスである。
「なになにっアイシスちゃんに隠し事? カンジ悪いぞー!」
口を尖らせてぶーたれるアイシスに、オルコは思わず苦笑する。
「単刀直入に言おう。ニア、君が置かれている状況は、この世界の中では非常に珍しいことなんだ。だから、もし言いたくないのなら言わなくてもいい」
その一言で、オルコの言わんとすることを何となく察したニア。あるいはこれが歴戦のMMOプレイヤーであれば、情報を秘匿する為に黙っておくという手も十分あり得る。
それはニアを気遣った、オルコなりの配慮……だったのだが。
「べ、別に隠すようなことじゃないですし……そもそも私自身いまいち分かってないので……むしろアイシスさんにも色々教えてほしいというか、なんというか……」
ゲーム素人であるニアがそんなことを考える訳もなく、指をもじもじとこすり合わせながらそう言った。想像通りの答えに、オルコは柔らかい笑みを浮かべた。
「君ならそう言うと思っていたよ。それじゃあ、アイシスにも聞いてもらおうか――――」
「ずーるーいっ! 私も色々やってるのにッ!」
先日と同様の説明をすると、アイシスは子供のように足をばたつかせた。
「色々……?」
「そう、聞いてよッ! 人気の無い狩場でひたすら狩りをしてみたり、時には壁に向かって歩いてみたり……いやー、あの時は大変だったよ。なんてったって運営から警告メールが送られてきたからね」
壁に向かって歩くシュールな姿を想像したニアは、堪えようにも堪えられず思わず口角が上がっていくのを感じた。
「いやー、にあにあがユニーククラスかぁ。そうだっ、次は私もスライムを狩ってみようかな」
そう言って立ち上がり、シャドーボクシングを始めるアイシス。しゅっしゅっ、と奇妙な声を出しながら拳を振るう姿に、ニアとオルコは顔を見合わせて笑う。
その後もニアの為に開かれた勉強会は続いた。
そしていよいよ終盤に差し掛かった頃、そのウィンドウは突然現れた。
『プレイヤーの皆、お久しぶりなの。ナビゲーターのアシュリーなの』
ニアがチュートリアルの際にお世話になった奇妙な生物が、羽を揺らしながら映っている。くるりとその場で一回転すると、続けて口を開いた。
『知っての通り、もうすぐ大型アップデートが実装なの。詳細とかその辺は公式ページでも見てもらうとして、今日は皆に面白い提案があるの。題して【アップデート直前!この機会に腕を試せッ!突発予行演習!】なの!』
ウィンドウの奥で、アシュリーの目がぎらりと光った。




