第12話「それは天衣無縫の」
問いかけるニアの薄紫の瞳が静かにルナを見つめる。そこに以前のおどおどしさは無く、闘志を映す瞳を力強く輝かせていた。
有無を言わせないその眼差しにルナはコクリと頷く。ニアは笑みを浮かべ、ひらりと肩に飛び乗る黒猫の耳元に口を寄せた。
「よーし! じゃあ、やってみようか!」
「おうよっ!」
短いやり取りを交わし、ルナの黒い身体は再びコカトリスへ疾駆する。
鶏と猫の一騎打ちが再び始まろうとしていた。
一見して無策とも取れるその突進は、奇しくも一人の少女によって、先程とは全く異なるものであった。
変化は、唐突にやってくる。
「――後ろに飛んで!」
ニアが短く叫び、それに答えるように小さくバックステップを踏むルナ。するとその直後、ルナが居たはずの場所に、コカトリスの嘴が振り下ろされた。
「右から尻尾がくるよっ! その場でジャンプ!」
言葉通り、ルナの右から飛来したコカトリスの尾は、跳躍したルナのわずか下で空を切った。
(やっぱり……うん、見える)
ニアに起こった変化。
それは攻撃パターンの予想に他ならない。
AIによって行動する魔物の挙動はあくまで人の手によって造られたもの。
故に、癖がある。
現実の生き物――主に猫の一挙手一投足を熟知するニアにとって、その癖はあまりにもお粗末で、何より単純だ。
それに加えて、普段から猫の俊敏な動きを目で追うニアの動体視力はズバ抜けて高い。初動さえ見切れば、その後に続く攻撃が線のように浮かび上がって見えた。
「右前に走ったら、一歩下がって! そこで上から嘴が来る、その攻撃を避けたら――――」
それが攻撃の機だ。
ルナの鋭い牙が、コカトリスの喉元に突き刺さる。
残り体力を示すHPバーが大きく減少し、コカトリスは苦悶の表情を浮かべた。
「ココッ……コッォココォォッ!」
空気を裂くような悲鳴を捻り出すと、大きく身を震わせて抵抗するコカトリス。爪と牙を突き立てていた身体が揺さぶられ、ルナはたまらず距離を取った。
「よぅし、いけるぜ嬢ちゃん! 」
振り返り、ニアに声をかける。余裕が生まれたのか、その声音はかなり明るい。事実、積み重ねてきた攻撃によってコカトリスのHPバーは半分ほどが失われていた。
この調子でいけば勝てる。
そう確信して、コカトリスが繰り出す反撃の一手に注視するニアの瞳は、しかし次の瞬間に動揺の色が浮かべた。
(何……あれ……)
コカトリスの鶏冠――朱色に揺らぐ炎に光が集まっていく。
轟轟と燃え盛る炎はやがて渦を巻き、それと同時にコカトリスは大きく息を吸う。
そして――――
「コォッ、コオォオ!」
灼熱の火炎が、吐き出された。
(――――ッ)
すぐに身体を動かして回避――そう考えた時にはもう遅い。
コカトリスの口から吐き出された火炎は、既にニアの目と鼻の先まで迫っていた。
ぎゅっと目を瞑ったその時。
ニアの鼓膜を震わせていた、しゅるしゅると伸びる火炎の音が、突如として消えた。
コンマ数秒遅れて巻き起こった凄まじい暴風は、木々をメキメキと揺らし、やがてコカトリスの火炎を飲み込むように掻き消した。
あたりを静寂を包む。
時が止まったような不思議に感覚に、ニアは口をぽかんと開き唖然としていた。
いつの間にか見開かれていた目をぱちくり動かせば、どうやらそれはニアだけではないらしい。
「なあ、今の一体何なんだ? すっげー強ぇ風が吹いて、オイラ飛ばされそうになったぜ」
すぐにニアの元へ駆け寄ったルナもどこか興奮気味に捲し立てる。
私も分からない、と首を横に振るニア視界――同じく唖然と立ち尽くすコカトリスの背後に、ギラリと光る何かが振り下ろされた。
次の瞬間、木々を縫うように放たれた斬撃。
それは一本の線だ。
一部の狂いも無くただ真っ直ぐ伸びたその線は、空気を震わせながら大地を這い、コカトリスの胴体に鋭く喰い付いた。悲鳴を上げる間もなくどさりと倒れこみ、コカトリスの頭上に浮かぶHPバーは赤い点滅を始める。その横には《混乱》状態を示すアイコンが表示されていた。
「――――今だ!」
静観していたニアの元に、どこからか発せられた声が届く。
突き動かされる様に、あるいは無意識的に大地を駆けるニアは、杖を持つ手に力をこめた。
目いっぱい高く持ち上げられた杖は、システムアシストによって加速。綺麗に振りぬかれた杖がコカトリスの身体を捉えると、ぽかんと小気味良い音があたりにこだました。
わずか程残っていたHPバーは緩やかに減少していき、最後の一メモリが失われた所で、やがてコカトリスの身体が霧状になって消滅した。
「やるじゃねぇか嬢ちゃん!」
肩で息をしながら、ニアは振り向かずに、その場で立ち尽くす。
視線は虚空へ向け、次第にへたりと倒れこんだ。
「おい、どした?」
「――――や……」
「や?」
「――や……やったぁぁああ!!」
地面に背を預け、両手を目いっぱい持ち上げる。
歓喜に満ち溢れたニアの声が街道に響き渡った。
ニアはこぼれそうな笑みを満面に浮かべ、心配そうにのぞき込むルナを思いっきり抱きかかえた。
「ルナぁぁぁっ!」
「お……おう」
胸元に押し付けられたルナは恥ずかしそうに頬を掻き、すっと身体の力を抜いた。
それからしばらくすると、ニアの視界にシステムメッセージ――フィールドボスの討伐報酬がずらりとリストアップされ、コカトリスが消滅した場所には、大量のドロップアイテムが出現した。
それこそがまさにこの場所に足を運んだ理由だったのだが。強敵との戦闘でニアの頭からはすっぽりと抜け落ちていたようだ。
気持ちよさそうに空を見上げる二人は、アイテムなど気にも留めないように、手足を思いっきり伸ばす。
この心地よい疲労感を、もう少しだけ味わっていたかった。
今ばかりは、勝利の余韻に浸るの悪くないかもしれない。
明日の投稿を以て、第一部完結となります。