第11話「変化」
けたたましいアラートが鳴り響き、鳥獣型フィールドボス《コカトリス》の頭上にHPバーが現れた。コカトリスは威嚇するように両翼をはためかせ、その風圧でニアの三角帽子がぱさりと地に落ちた。
「コココッォココォォ!」
コカトリスの出現から微動だにしないニア。露わになった頭上の猫耳も中ほどでくたりと倒れていた。
ぽかんと大口をあけて一目見る。目元をごしごしと擦り、もう一度見る。
そこでようやく口を開いた。
「……ルナ? ねえ、あれ、何?」
「オイラにゃ分かんねえけど、あの感じだと多分敵だろ」
「そっかー敵かー……え? 敵……?」
三度見た所で、ようやく焦点が定まった。
(んんんんんん!?)
コカトリスはRPGで度々登場する伝説上の生き物である。
一見鶏に見えるその生物の尾には深緑色の蛇がくっついており、しゅるしゅると伸ばす舌は不気味に蠢いている。
と、そこまではよく見るタイプ。
このゲームのコカトリスを特徴づけるもの。それは鶏冠だ。朱色の炎が、コカトリスの頭上で苛立たし気にゆらゆらと漂っていた。
ニアの顔から、さぁと血色が引いていく。
極めて経験の少ないニアにとって、敵とは即ちスライムを指す。間違ってもこのような禍々しいものではない。
がくがくと震えるニアを、コカトリスは値踏みするような目で見ていた。
戦闘が開始して数十秒、戦況は混沌としていた。
小娘と子猫……どちらから喰ってやろうかと画策するコカトリス。それに対して毛を逆立てて精一杯威嚇するルナ。そして魂が半分抜け落ちてしまったまま動かないニアである。
戦況は、混沌としていた。
長い睨み合いの末、先に動いたのはルナだ。
小さい身体をひらりと跳躍させ、コカトリスの喉元に迫った。大きく開かれた口に、鋭く尖った牙がぎらりと光る。だが、後数メートルという所で深緑色の飛翔物に阻まれた。
それはコカトリスが持つ強力な武器の一つ――尾である。
尾から伸びた蛇は、身体をゴムのようにしならせ、飛び掛かるルナをはたき落とした。
「ココォォッ!」
効かないぞと、言いたげに甲高い鳴き声をまき散らすコカトリス。
空中に投げ出されたルナは、耳をつんざくような咆哮に顔をしかめながらも、なんとか空中で体勢を立て直し、猫らしく無音で地面に着地した。
しかし、コカトリスは攻めの手を緩めない。
天高く振り上げられた嘴が、ルナの着地の瞬間を狙って凄まじい速度で振り下ろされた。
「――――ルナッ!」
振り下ろされた嘴が、ルナの小さい身体を貫こうとしたまさにその瞬間、背後からルナを抱きかかえるように手が伸ばされた。
――ドゴォォッオ
地響きが鳴り、あたり一面に砂埃が舞う。
やがて砂埃は収まり、視界が晴れた。
「……っふぁあ、助かったぜ嬢ちゃん」
ルナを貫いていたはずの嘴はわずかに狙いを外し、地面に倒れこむニアのローブの裾に大きな穴を開けていた。
腕の中から這い出る毛並みの感覚に、ニアはほっと胸を撫で下ろした。
「あ痛たた……。ルナ、大丈夫だった?」
「おかげでなんとかな。けどこのままじゃあ埒があかねえ。嬢ちゃん、なんか攻撃手段とかねえのか?」
攻撃手段と言われ、真っ先に思い浮かんだものは「杖でぶつ」くらいのものだ。あるいは敵がスライムであれば通用するが……。
ニアはちらりと頭上を見上げる。
地面に突き刺さった嘴を引き抜こうと、コカトリスが必死にもがいていた。
(ひぃっ! ……無理無理、絶対無理!!)
ぶんぶん、と全力で首を横に振るニア。
「こんなか弱い猫をあんな化け物と戦わせようなんて……嬢ちゃんさては犬派だな?」
「わ、私はっ! 猫はっ……きゃっ!」
そう言いかけた所で、ようやく嘴を引き抜いたコカトリスは体勢を立て直し、下卑た笑みを浮かべた。
本来であれば、今の時間は攻撃の大チャンスだったのだ。
あるいはこれが熟練のパーティであれば、先ほどの隙に補助魔法をかけて一斉攻撃、といった流れで大ダメージを負わせることが出来ただろう。けれど、その時間を猫派か犬派かという無用な――時には論争となる――会話で無駄にしてしまった。
これは手痛いミスだ。
「とにかく嬢ちゃんは回避に専念してくれ! 攻撃はオイラが担当する!」
そう言って、ルナは百倍以上の体格差があるであろうコカトリスに向かって疾駆した。
戦闘は膠着状態のまましばらく続いた。
序盤こそ良いペースで進んでいたのだ。身軽さを活かしてコカトリスの攻撃をかいくぐり、わずかな隙を見つけては持ち前の爪と牙で反撃。決定打には至らないが、ダメージを確実に蓄積していった。
分水嶺となったのは、中々当たらない攻撃に痺れを切らしたコカトリスの攻撃パターンが変わった時。嘴に加え、尾を織り交ぜた攻撃を繰り出すようになったのだ。
嘴を回避すれば尾が、尾を回避すれば嘴が。
均衡は崩れ、防戦一方の展開が続いた。
(…………こう来て……こう)
変化が起こったのは、コカトリスがルナの動きを捉えつつあったそんな時。一歩離れた場所で戦いを傍観していたニアが叫ぶ。
「――――ルナ、左っ!」
それはまさに、空中で身を翻すルナの左側が死角になったタイミング。コカトリスの深緑色の尾が鋭い牙を向けてルナに迫っていた。ニアが声をかけなければ間違いなく致命傷になっていたであろうその攻撃を、ギリギリ回避することが出来た。
ルナは地面に着地すると、一目散にニアの元へ駆け寄る。
「危ねえ所だったぜ。また嬢ちゃんに助けられたな……ってなんか雰囲気違くねえか?」
しゃがみ込むニアに「おーい、大丈夫か?」と小ぶりな前足を振る。
ニアは無言のままルナを持ち上げ、青く光る眼をじっと見た。
「ルナ、私を信じてくれる?」