第10話「コカトリス」
「ルナはその人の顔を見たことがあるの?」
二人――正確には一人と一匹――は、パイロの許嫁を探すべく、長い螺旋階段を上っていた。埃が積もる石造りの階段に肉球のスタンプを作りながら、言葉を話す黒猫ルナが答える。
「爺さんに写真を見せてもらったくれぇだな。まあそれも何十年も前の事だ」
そこまで言って、ルナは足を止めた。
「一応言っとくがな、オイラはオス猫だ」
「……? 知ってるよ?」
無類の猫好きであるニアが性別を間違えるはずもなく、首を捻る。
「ルナってのはメス猫の名前だろ? だからこれからオイラの事はジークフリートと呼べ、そっちの方が冒険者みてぇでカッコいい」
そう言いながら振り返り、口角を持ち上げる。
口の端に鋭い牙がギラリと光った。
当人は最大限カッコつけたのだろう。けれどニアは意に介さぬ様子で言葉を返す。
「パイロさんがくれた名前なんだから大切にしなきゃダメだよ?」
ね、ルナ? とまるで子供を諭すように言えば、黒猫――ルナは諦めたように階段を上り始めた。
地上へ出ると、朝日が昇っていた。
ニアがこのエリアに来たのはちょうど夕日が沈んだ頃だったので、随分と長く地下に居たようだ。もっとも、ゲーム内一日は八時間周期で切り替わるので、実際に地下に居た時間は二時間程度だろう。それでも久々に見た太陽に、ニアは目を細めた。
「よぉし、それじゃあ探そっか!」
「意気込むのはいいけどよぅ、当てはあんのか?」
ルナの言葉にニアは目をぱちくりさせる。
唯一の手掛かりは、パイロが教えてくれた女性の名前――ローニエという名前のみ。それを手がかりと言ってしまって良いのだろうかとしばし逡巡し――
「…………探そっか!」
どうやらノープランらしい。
ルナが分かりやすくため息をつくと、聞き覚えのある声がした。
「君は昨日の……」
ニアが振り向けば、そこに立っていたのは昨日――ニアにとっては数時間前に出会ったNPC。総務の窓口で制服を受け取れと進言してきた人物だ。教師然としたその男は、金縁のモノクルを持ち上げると、訝し気な目線でニアの格好を見た。
「まだ代わりの制服を受け取っていないのか? 分からないことがあるなら――――」
と昨日となんら変わらぬ会話を始まろうとしていた時、ニアの肩にルナがひょいと飛び乗り、耳元に黒い身体を寄せた。
(なあ、こいつに聞いてみればいいんじゃねえか?)
それは名案だ。
ニアはこくりと頷き、教師の言葉を遮るように口を開いた。
「あ、あのっ、ローニエさんという方をご存じですか?」
「妙な事を聞く。当然の事だろう」
「私、ローニエさんが今どこにいらっしゃるのか知りたいんですっ」
「しばらく表舞台に立たれていないお方だ、私にも分かりかねるな」
その言葉にニアはがくりと肩を落とす。
そしてとぼとぼと歩き出し所で再び呼び止められた。
「人の話は最後まで聞きなさい。今どちらにいらっしゃるのかは知らないが、以前は西の街道に住まれていたはずだ」
西街道。
それはニアも見知った場所、『ビギナー街道』である。
有力な手掛かりを得たニアは恭しく一礼すると、駆け足でその場を後にした。
◇
物静かな街道に爽やかな風が通り、ふわりと持ち上がった三つ編みがニアの頬をくすぐった。
相変わらず閑散とした街道には、やはりニア以外のプレイヤーの姿は見えない。そればかりか普段なら意気揚々と姿を現すスライムすらも鳴りを潜めていた。
風がやんで静寂が訪れる。
魔法学区を出て以来、黒猫のルナは物珍し気に周囲を見ていた。目に映るもの全てが新鮮なのだろう。その少し後ろを歩くのは、顎に手をやって「うーん」と考え込むニアだ。
普段通りであればルナの尻尾を追いかけていたであろうニアは、少し前から感じていた違和感の正体を探っていた。
「おい嬢ちゃん、あれじゃねえか?」
立ち止まり、片方の前足を器用に持ち上げながらルナが言った。
つられて目を向けると、緩やかな傾斜になっている丘の上に、木柵で囲われた村が見えた。
「そうかも。行ってみようか」
感じていた違和感を頭の片隅に追いやり、二人はやや急ぎ足で歩みを進めた。
丘を登り切った先で、ニアの視界に飛び込んできたのは悲惨な光景だった。
数軒連なる木造の家は何かに踏みつぶされたかのように倒壊しており、村を囲っていたであろう木柵には所々に食いちぎられた痕が目につく。荒れた地面を見れば大きな足跡がいくつも点在しており、ルナは歩き辛そうにその上をひょいと飛び越した。
その惨状から、ここが大きな「何か」に襲撃されたであろうことは一目瞭然だった。
「そこの者、止まれ!」
そろりそろりと進んでいると、村の中央から二人の衛兵が姿を現した。咄嗟にニアの肩に飛び乗ったルナを一瞥すると、衛兵の一人は険しい目を向けた。
「冒険者か。こんな所に何の用だ?」
「えと……その、人を探してまして。ローニエさんという方が以前こちらに居たと聞いたんですけど……」
もう一人の衛兵に「知っているか?」と視線を投げかけるが、首を横に振る。そうしてニアに向き直った。
「すまんが、俺もこいつも知らないな。それより早くここから離れたほうがいい」
「な、何かあったんですか?」
「この辺りを根城にする怪物がいてな。報告によればここ最近、その動きが活発になってるらしい。そいつに目をつけられた村は……」
そう言って、促すように村の様子を眺めた。
「近々ギルドから正式に討伐依頼が出るだろう。それまでは、あんたも――――」
瞬間、ニアの視界から衛兵が一人消えた。
衛兵の片割れが、不思議そうにキョロキョロと視線を彷徨わせる。
「おい、どこいっ――――――」
ニアの目が捉えた。
緑色の長い「何か」が、衛兵を頭から飲み込んだ瞬間を。
それはニアの頭上にいた。
太陽を遮るように、大きな体躯がニアを包むように影を落とす。
それは両翼をはためかせ、大きな地響きと共にニアの前に姿を現した。
《フィールドボス コカトリスとの戦闘が開始しました》