第9話「パイロとルナ」
壁に掛けてあったカンテラを拝借して、螺旋階段を下っていく。石造りの階段は歩くたびにコツンコツンと子気味良い音を奏で、その反響具合からしてかなり深くまで階段が続いている事を知らせる。
下って、下って、少し休んで、また下る。
開けた場所に出ると、その先には一本道が続いていた。
ようやく突き当たった場所にあったのは、木製の扉だった。木材を雑に重ね合わせただけの簡素な扉の隙間から、淡い光がニアの顔を仄かに照らす。
ごくりと喉を鳴らし、ドアノブを捻った。
「ご、ごめんくださぁい……」
そこは何とも不思議な場所だった。
学校の教室程度の広さはあるであろうその空間は、天井が低いせいか窮屈にも感じられる。部屋の中央に置かれた机の上には実験用の器材と思わしき物が乱雑に並んでおり、その中にはニアが見知ったフラスコや試験管もあった。
何よりも目に付いたのは、部屋の一角に置かれた大きな壺のようなものだ。中を覗き込むと緑色の液体が渦巻いでおり、ニアは思わず顔をしかめる。
これだけ物が散らばっていると、猫が隠れられそうな場所は山ほどありそうだ。
とりあえず居そうな場所から順番に。
そう考え、屈みかけたニアの背後からくぐもった声が聞こえた。
「――――君、は……」
びくりと身体を震わせ首を竦めるニアがゆっくりと振り返ると、一人の老人が立っていた。
白い顎鬚を胸元まで伸ばし、年季の入ったローブに身を包むその老人はどこか聡明な雰囲気を漂わせている。
「あの……えっと……」
何か言わなくてはと思案していると、老人の背後からすらりと細い黒猫が現れた。黒猫は軽々と老人の肩に飛び乗り、老人が眉間を撫でてやれば気持ちよさそうに喉を鳴らした。
そのやり取りを羨望の眼差しで見つめるニアに、老人は静かに瞑目し、進言する。
「座るといい」
「は、はい……えと、失礼、します」
机の下に隠れていた椅子一脚引っ張り出してから腰を下ろす。ニアは太もものあたりで手を組み、気まずそうにに手をこねくり始めた。
「わしはパイロ・ガーゼフというしがない研究者じゃ。君の名前を聞かせてくれるかの?」
「わ、私はニアって言います……」
老人――パイロは「ふむ」と頷き、続ける。
「そうか……ではニア、君はどうしてここへ?」
「そ、それは、そのぅ……」
言い淀んで、パイロの肩であくびしている黒猫をちらりと目を向ける。すると黒猫はぷい、と顔をそむけた。その態度で何となく察したのだろう。パイロは嘆息してボソリと呟く。
「……ルナ」
聞きなれない単語に首をかしげるニア。
次の瞬間、パイロの肩に居た黒猫は、ニアの太ももの上にひょいと飛び移り――
「オイオイ、爺さん。オイラだって招かれざる客を連れてきた訳じゃねえんだぜ?」
流暢にも、そう喋ったのだった。
◇
「……なるほど、では君はそのスライムとやらを倒していて、偶然この手紙を拾ったというわけじゃな?」
こくりとニアが頷けば、パイロは目を細めた。
「懐かしいのう……かれこれ五十年以上も前に、わしがルナに持たせた手紙じゃ。ある人物へ届けてもらおうと思ってのう」
「ご、五十年ですか」
「そうじゃとも。じゃが……」
ニアの太ももで気持ちよさそうに微睡んでいた黒猫――ルナが、パイロの視線に気づいたのか「にゃあ」と気まずそうに鳴いた。
「少々荷が重かったのようでの……ここに戻ってくるなり、どこかで落としてしまったと言いよってな」
「もう一度、届けようとは……その、考えなかったんですか?」
そんな疑問に、パイロを首を横に振る。
「それもわしの運命だと諦めたのじゃ」
そう言って髭を撫でるパイロの顔に影が落ちる。
その様子を見たニアも、どこかやりきれないといった表情を浮かべ、しばらくの静寂の後、パイロが立ち上がって言う。
「老人の長話に付き合ってもらって悪いのう。どれ、飲み物でも淹れよう」
「わ、私が――」
と腰を浮かせかけたた所で、パイロは静かに首を振り、ニアの太ももの上で眠るルナを指さす。浮かせかけた腰を慌てて下ろしたニアは、パイロに小さく頭を下げ、頭の中を整理するべく瞼を閉じた。
それはパイロ・ガーゼフがまだ青年と呼べる歳の頃の話だ。
研究者として忙しない日々を過ごしていたパイロは、ある日学園の図書館にて一冊の本を見つけた。それは禁忌とされ、長年秘匿され続けてきた術――錬金術に関するものであった。
どういうわけか検閲に引っかからないまま、他の本に紛れ込んだのだろう。
パイロはすぐさま司書に報告しようとした。だが、研究者としての探求心がそうさせるはずもない。気づけばパイロの手は、ひたすらページをめくり続けていた。
それから隠れるように錬金術の研究を進めるパイロだったが、ある日とうとう周囲に気づかれ、学会を追放されてしまう。それでも、錬金術の研究をここで止めるわけにはいかなかった。
処分が下される前に急いで研究内容と機材を移すことにした。
そして辿り着いた場所が、この地下研究室である。
それからはひたすら研究に明け暮れる毎日だった。
唯一心残りなのは、地上に残してきた許嫁の存在だ。
ここから出て会いに行きたいのは山々だったが、もしそこで捕まってでもしまえば彼女にまで被害が及ぶ恐れがある。
いい手はないか、と考え抜いた結果、黒猫のルナを錬金術で作り上げたという訳だ。
「――――待たせたのう、ほれ」
あれこれと考えを巡らせていたニアは、パイロの呼びかけに慌てて目を開き、ティーカップを受け取った。
受け取ったティーカップからはハーブの香りが微かに漂い、思わず頬が緩まる。その香りに釣られてだろうか。気持ちよさそうに寝ていたルナはむくりと身体を起こし、ニアを見た。
「嬢ちゃん、猫ったらしだな。毛並みを撫でる手付きが半端じゃねーぜ……ってどうした? 目元が赤いぞ?」
「え!? そ、そんなことないよっ! あー、お茶が美味しいなあ!」
取り繕うようにティーカップに口をつけ、ルナのじとーっとした目から逃れるようにそっぽを向く。
「まー何でもいいけどよう。それより爺さん、良かったじゃねえか愛しの人に会えて」
「……ルナよ、わしがお前に手紙を持たせたのは五十年前じゃぞ。こんなお嬢さんなわけあるまいて。きっとわしと同じような婆さんになっているか、あるいは……」
そこまで言いかけたパイロはやはり暗い表情のままハーブティを啜る。
そこで、ようやくニアの意思は固まった。
(よし、決めた!)
ニアはティーカップに残ったお茶を一息に飲み干すと、茶色い三つ編みのおさげを揺らしながら立ち上がる。
そして――――
「私、その人を探します!」
堂々と立ち上がり宣言するニアに、パイロとルナが目を丸くさせるのだった。