第二章 リューゼの不安(1)
上手い具合に台風も過ぎて、空は晴天。
「いや~~、緊張しました」
何とか上手い具合に家の前に軽トラックをつけたコンラッドが汗をふきふき降りてきた。
「何しろ運転するのも久しぶりでしたからねぇ~」
「すまない、助かった」
とユリシス。
「いえいえ。さて、運び込みましょうか」
えっちらおっちら。ユリシスとダレス、コンラッドの三人で荷物を運び込む。部屋が二階なので持って上がるのも一苦労である。大物を運ぶ大人たちにちょこちょことくっついて、ルトがちまちまと小物類を運ぶ。ダレスが危ないから、と追い払おうとしたのだが、ルトがどうしても手伝う、と言ってきかなかったのである。
もっとも、ユリシスの荷物は驚くほど少なかった。大物は、机と椅子が一セット、それだけ。後は衣類と、文房具などの細々とした小物が少々に本が二箱ほどあるだけだった。
「これだけか?」
ダレスが尋ねる。
「余分なものは全て処分したからな。それに、この家には必要なものは大体揃っているし」
「まあ、それもそうか」
やれやれ、と皆で階段を下りる。
「一息入れるか」
ダレスは言い、食堂へと向かった。ユリシスとルト、コンラッドも後に続く。
「コーヒーでいいか?」
ダレスは確認を取ると、コーヒーメーカーのスイッチを入れた。
「お前は牛乳だな」
ルトお気に入りのマグを出し、牛乳を注いで渡してやる。放りっぱなしにしているようで、ダレスもそれなりに面倒は見ているようである。ユリシス小さく笑みをこぼした。全くもって意外な話だが、あれでダレス、結構子ども好きらしいのである。あれほども残酷極まりない話を書く人間が。
勝手知ったる他人の家。ユリシスはコトコトとカップの用意を始めた。コンラッドが、あ~、確かこの辺りに、といいながら戸棚を漁り、ちょっとした菓子を引っ張り出してくる。
コーヒーの香ばしい香り、部屋に差す穏やかな光。話すのはごくごくたわいもない時事である。
ユリシスはどこか不思議な気持ちがしながら、座っていた。このダイニング・キッチン自体は、今までに何度も使っており慣れた場所となってはいる。しかし、今日からここが自分の住処なのだと思えば、また違った感慨があった。小さなアパートでの一人暮らしから、突如大所帯のこの家への引っ越し。何だか分からないうちに気がついたらここに住むことになっていた。
何かと不安がないと言えば嘘になる。ゼファは、あの一件以来それなりに慣れては来ているものの相変わらずだし、リューゼに至っては全く進展なしである。オルクとは今のところ問題は起こっていないが、明らかに向こうが距離を取っているのが分かる。そもそも、家主かつ雇い主となるダレスのこと自体、それほどよく知っているわけではない。次の仕事のあてもなく放り出されたユリシスにとって、ダレスの申し出はありがたいものではあったが、他方で、ダレスが何を考えているのか今ひとつつかみきれないのも事実であった。
けれど・・・
今この空間はなんと落ち着くのだろう。香り高いコーヒーをすすりながら、ユリシスはそんなことを考えていた。
「さて、そろそろ」
飲み終えたコンラッドが言って立ち上がった。そろそろ出ないと授業に間に合わない。
「すまなかったな」
ユリシスが言うと、いえいえ~、とコンラッドはおっとり笑った。
「今日は食事会がありますので、夜はいりません」
「ああ、分かった。飲み過ぎぬようにな」
ユリシスの言葉にダレスがこっそりと苦笑をもらす。本当にどこまで行ってもお節介な人間である。ええ、気をつけます、と言いながらコンラッドは出かけて行った。
「ったくいらねーったらいらねーっ」
相変わらずゼファが抵抗をする。
「だから、せめてサラダなりとも・・・」
ユリシスがボウルを押しやる。それが丁度振り払ったゼファの手に当たり、見事テーブルの上にひっくり返った。ゼファがしまった、といった表情になり、食べかけのカップヌードルもそのままに飛び出して行く。
「あ、ゼファ・・・」
呼び止める暇もない。と、更にがちゃん、と音がした。リューゼである。
「部屋で食べます」
リューゼは言うと、レトルト食品の入ったプラスチック容器とコップを抱えて出て行った。
気まずい沈黙が食卓を覆う。ユリシスがこぼれたサラダを拾い集めるうちに、オルクが無言で立ち上がり、出て行った。せっせと食べていたルトとアンディが食べる手を止め、皿をじっと見下ろす。
「あ、あの、俺、もうお腹いっぱいになったから」
どこか慌てたようにアンディが言って出て行くと、僕も、と真似をしてルトもその後について出て行ってしまった。
「あ・・・」
声をかけようとするユリシスをダレスが引き留める。
「放っておけ。食べたくないというなら食べさせなくていい」
「しかし・・・」
のろのろとユリシスが椅子に腰を下ろす。そうこうする間に手っ取り早く食べ終わったオリヴィアがごちそうさま、と腰浮かせる。
「デザートがあるが」
とユリシス。
「あ~、わっる~い、今ダイエット中なんだ。欲しい人で食べておいてよ」
オリヴィアは言うとそのまま出て行った。
ほとんど残った料理にユリシスが小さく息をつく。と、脇からダレスが言った。
「デザートは?」
「あ、ああ・・・」
ユリシスは立ち上がり、冷蔵庫から洋なしのコンポートを取り出した。
「ワイン入りとなしとがあるが・・・入っている方がいいだろう?」
「ああ」
ダレスが言い、ユリシスは一つそれを取り出してデザート皿に盛りつけるとダレスの前に置いた。
ぽそぽそと自分の分の夕食を食べる。
「なかなかよく出来ているではないか」
ダレスは食べながらそんなことを言った。ありがとう、礼を述べるユリシスは、しかし元気がない。
「ユリシス、細かいことを気にしているとこの家では暮らして行けないぞ」
「そうだな・・・」
ユリシスは苦笑をもらした。
「分かってはいるのだ。どうにも私はいろいろと出過ぎる、とな」
「食べたい奴には食べさせればいいし、食べたくない奴は放っておけばいい」
「それはまあ、そう、なのだが・・・」
ほうっとユリシスがため息をつく。
ユリシスが食べ終わるのを待って、少し飲むか、とダレスが誘ったが、後片付けがあるから、とユリシスは断った。
ダレスが出て行く。あらかた残った料理を捨てるのももったいない。容器に移して保存し、食器類を片付ける。全て片付けてしまうと、ユリシスは食堂の椅子に崩れるように座りこみ、深いため息をついた。
受け入れられないかもしれぬ、とは思っていた。リューゼは特に。それにしても、ここまでとは。
多分彼らは時折来る「客」のすることだからと、ユリシスの行動を今まで「大目に見て」いたのだろう。しかし、住み込みでとなれば話は変わってくる。
どこまで手を出して、どこで控えるのか。
ダレスの言う通り、彼らの好きにさせるというのも一つではある。しかし、身体を作る大事な時期にあのようなインスタント食品やレトルト食品ばかりを食べるというのは、先々が心配である。
その心配がいらぬお節介だと、世の中は言うのだろうが、では見て見ぬふりをせよというのだろうか。将来的な問題が見えているとしても。
食事だけではない、勉強することしかり、言動しかり。今はよくてもいつか困るのは彼らである。それが分かっていても、好きにさせておくべきなのだろうか。
まあ、自分が言うことではない、というのはあるな----ユリシスはそんなことを思った。ダレスが言うならともかく、ただの住み込み家政夫の自分があれこれ言うのは少しおかしいのかもしれない。
「リューゼ、そこは昼間のうちに私が掃除を・・・」
ユリシスが言うが、リューゼは聞いてなどいない。沸かしてあった風呂の湯を落とし、全て一からやり直している。
ユリシスが住み込みで来て以来、リューゼは一切ユリシスの作った料理に手をつけなくなった。何かを用意しておいても全て元に戻し、自分でやり直す有様。掃除はもちろん、洗濯まで自分で洗い直している。
そんな様子を他の子どもたちはただ見守っており、誰も口を出さない。夕食など、食事を作っても食べるのはダレスとコンラッド、そしてオリヴィアの三人だけである。そのオリヴィアも、食堂で食べることはしなくなった。部屋で食べる、と持って行ってしまう。コンラッドは時間を外して食べることが多いので、事実上、食卓を囲むのはユリシスとダレスの二人だけである。
ダレスは好きにさせておけ、とそう言うものの・・・
これでは自分が雇われてここにいる意味がない。ユリシスは深いため息をついた。
全てがばらばらになって行く----そんな感じがする。子どもたちから見れば、ユリシスは外部から突然やって来た闖入者なのだろう。
ここを出るべきなのかもしれない。そんなことを思う。自分の存在が彼らの平穏を乱しているというのなら、悪影響を与えるばかりである。明るい表情をしていたルトもこのごろは初めのような子どもらしい輝きを失っている。皆がいない時は甘えてくるが、一人でも誰かが帰ってくるとすっと離れて行く。
そんなある日、ヴィーがやって来て何やらダレスと話し込み、そして帰って行った。
「新しい企画か」
ユリシスの問いにダレスがまあな、と不機嫌極まりない様子で答える。
ダレスの仕事の仕方にはいたく偏りがある。少しずつこつこつと、ということができないのである。気分が乗った時にがばっとまとめて書くことが多く、この間なぞは30回分の連載をひとまとめで渡してヴィーをのけぞらせていた。当分休むぞ!と宣言していたのだが、仕事を一つ仕上げれば、当然すぐに次の仕事が入る。ダレスのようにとりあえず「出せば売れる」状態にある作家なら当然の話である。
自分が担当している時はあまり気づかなかったが、ダレス、仕事が入ると異様に機嫌が悪い。小説自体の依頼はそれほど頻繁ではないが、それ以外のちょっとした雑誌の記事だ何だ、といわゆる「雑文」と言われるものの類はこまごまと入ってくる。
「で・・・今度は何の企画だ」
「昨今の子どもの暴力事件について」
ダレスは煙草に火をつけながら言った。ユリシスが灰皿を引き寄せ、ダレスの手元へ置く。ユリシスとしてはやめさせたい習慣なのだが、とりあえず今のところは何も言わないようにしている。
「是非、刺激的な文章を、だそうだ」
「すまぬ・・・」
ユリシスが謝る。ダレスはふーっと煙を吐き出して言った。
「何を謝る」
「それは、その・・・」
この手の企画はユリシスがルパルスにいるころからしばしば持ち上がっていた。ただ、それをユリシスが常に通さなかっただけのことである。
ユリシスの見るところ、ダレスは必ずしも好んで暴力的なものを書いている、というわけでもないようだった。だから、できるだけ抑える方向で進めていたのだが・・・
「まあ、刺激的なものがお望みだそうだから、適当に書いておくさ」
ダレスは言ってくくっと喉の奥で笑った。
「いっそ暴力礼賛でも書くか・・・あのオーナーとやらは大喜びだろう」
「何も無理に心にもないことを書かずとも・・・」
「作家が心のままに書いていると思ったら大間違いだぞ、ユリシス」
「それは分かっているが、しかし・・・」
「ま、適当に上手くやるさ」
ダレスはぎゅっと煙草の火を消すと、しばらく部屋にこもると言い残して去って行った。
「仕事中は部屋に入るなと言ってあるはずだぞ、リューゼ」
不機嫌極まりない声でダレスが言う。用事があるなら、ユリシスに言え。
リューゼは足下に散らばるもろもろの本だの瓶だのを踏まないように気をつけながら部屋の中に入るときっぱりとした声で言った。
「あの人はこの家に必要ありません」
「お前の決めることではないな」
「あの人がいなくても、きちんとやって行けます。この一週間、私たちはあの人抜きでもきちんとやって来ました。掃除もしたし、食事も作ったし、洗濯も、勉強もちゃんとしました。あの人がいなくても大丈夫です」
神経が高ぶって来たらしく、だんだん声がうわずり震え始める。
「別にお前たちのために雇っているわけではない」
低い声でダレスが言う。
「家のことならきちんとします。ご迷惑はかけません」
リューゼは今にも泣き出しそうな声で言った。
「あの人がいると、全てが滅茶苦茶です。みんなあの人に気を遣ってぎくしゃくとして。あの人がいたら、みんなばらばらになって壊れてしまいます」
あの人を解雇して下さい、とリューゼは言った。くっとダレスが表情を強ばらせる。
何かひどくもめている声がする。ユリシスは慌ててダレスの部屋へと向かった。ダレスが仕事をしている最中は、誰も入れてはならないことになっている。
----しまった・・・----
子どもたちは皆各々の部屋に引き上げたと思っていたので油断した。そもそも、子どもたち自身、ダレスが仕事をしている時は今まで近づくことはなかったので、十分分かっているのだと思っていた。まさかルトか?幼いルトなら、禁を破ったとしてもおかしくはない。もっともそれならば自分のところへ来るか、あるいはアンディに泣きつくかしていそうなものなのだが。
慌ててかけつけたユリシスは、そこに繰り広げられていた光景に一瞬はっと息をのんだ。ダレスが凄まじい形相でリューゼの胸ぐらをつかんでいる。それに怯えるようにしながら、なおもリューゼが叫んだ。
「もう顔も見たくありません。あの人はこの家の破壊者です!あの人がいるから、何もかもが滅茶苦茶に・・・!」
ダレスが手を上げる。ユリシスは慌てて入ると背後からその手首をつかんだ。
「小さな子ども相手に力を振るうな」
「放せ、ユリシス」
「そちらが先だ」
言われてダレスはしぶしぶリューゼから手を放した。怯えた目でリューゼがダレスを見る。ユリシスはそっとダレスの手を放した。ダレスはまだ怒り収まらぬ様子で言った。
「言っておくが、リューゼ、ここは私の家だ。お前の家ではない。私が何をしようと私の勝手だ。二度と同じことを言うな。今度言って来たら、ゼファ共々たたき出すぞ!」
「ダレス!」
ユリシスがたしなめる。
「そなた、言っていいことと悪いことがあるぞ」
「お前は黙っていろ。一度言わないとこの馬鹿は分からないのだ」
「ダレス!相手は子どもだぞ?まだ両の手にも満たぬ年の」
ユリシスの言葉にしかしダレスは子どもも大人も関係あるか、とそんな言葉を吐いた。
「わた・・・しは・・・」
まだダレスの言葉が胸に落ちず呆然とリューゼがダレスを見る。
いつの間にか、子どもたちが集まって来ていた。気まずい沈黙が辺りを覆う。ユリシスは小さく息をついた。
「私が出て行こう。すまない、このようにそなたの家を壊すつもりはなかったのだ・・・そうだな、荷物は後ほど引き取りに来るから、しばらく置かせてほしい」
「ちょっと待て、お前を雇ったのは私だぞ。私がいいと言っているのだ」
「落ち着け、ダレス。子ども相手におかしな意地を張るな。大切なものを失って後から泣きを見ることになるぞ。そなたの申し出は本当にありがたかったが・・・だが、このように彼らを傷つけていいものではない。契約については、また落ち着き先が決まったら話し合おう」
ユリシスは言うと、リューゼの前に膝をついた。
「すまなかったな、リューゼ。そなたの大切な家を引っかき回してしまった・・・」
「だからお前が謝ることではないと・・・」
ダレスが言う。ユリシスはつと立ち上がり言った。
「ありがとう、ダレス。そなたの親切がうれしかった。そしてすまない。このように引っかき回しておいて言うのも何だが、ゆっくりと皆と話し合うと良い。オリヴィア、そなたなら仲裁をしてくれよう?」
ユリシスはそう言い残すと、部屋を後にした。誰も何も言わない。
自分の部屋へと戻って手早く身の回りのものだけをまとめ、階下に降りる。玄関まで来た時、ルトが叫んだ。ユリシス、行っちゃうの、と。
ユリシスはまっすぐに答えることもできず、ただ、皆の言うことをよく聞いていい子にするのだぞ、とそう言い残してダレスの家を出た。