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第一章 ユリシス、クビになる(4)

そんなこんなでぼつぼつやっていたある日のこと。編集作業をしていたユリシスは、不意に呼ばれて顔を上げた。

「おい、ユリシス、警察からお前に電話。何かしたのか?」

同僚のジャクスがそう尋ねて来る。何も心当たりはないが・・・思いながら電話口に出たユリシスは、思わず「ゼファが?」と大声で叫びそうになって慌てて口元を押さえた。

「はい、はい、はい・・・いえ・・・はい、分かりました。すぐ行きます」

警察の住所をメモし、電話を切る。何事だろうと興味津々の皆の視線が身体に突き刺さるようである。

「どうしたんだ」

「少し知り合いが」

ユリシスは曖昧にぼかすと、取るのも取り敢えず鞄をつかんで飛び出した。

 あれから幾度かダレスの家を訪れている。毎回ダレスが締め切りを破ってくれるので、締め切り辺りの数日はダレスの家に詰めることになる。

 初めに懐いたルト、そしてアンディやオリヴィア、コンラッドとは慣れたが、オルクやリューゼ、ゼファは相変わらずあまり馴染まないままである。特にゼファとリューゼは難しい。

 おかしな家だ、とそう思う。ダレスのことを「父」と呼ぶのはルトだけで、後の子どもたちは皆「ダレス」とそう呼び捨てにしている。年上のオリヴィアやコンラッドがそう呼んでいるのを真似しているだけなのかとも思ったが、それにしても、彼らの関係はどこか不可解である。

 もっとも、ユリシス自身、普通の家族がどういうものなのかはよく知らないのだが----

 アンディから情報を仕入れて好物を作ってみたりもしたが、ゼファは依然ユリシスの料理に手をつけない。リューゼはそれでも食べるには食べるが、しかし明らかにユリシスの訪れを歓迎していないのが見て取れる。

 どうしても、どうしても、ついいらぬお節介を焼いてしまう。この性質のおかげで今まであちこちでトラブルに巻き込まれ続けており、できるだけ抑えるように気をつけてはいるのだが、どうしても反射的にあれこれ手を出したり口を挟んだりしてしまう。どこまでならよくて、どこからいけないのか、そのライン引きが未だにどうにもよく分からない。

 今こうして向かっていることだって、本当は「いらぬお節介」なのかもしれない。

 電車に揺られながらユリシスは一人そんなことを思った。けれども、ゼファが警察に捕まったと聞いて、放ってはおけなかった。

 慌てて駆けつけると、奥まった一室でゼファが警官二人を前にむっつりと黙り込んでいた。その傍らには腕に包帯を巻き、顔にあちこちガーゼを当てた子どもとその母親とおぼしき人物が立っていた。

「ゼファ!」

駆け寄れば、ぷいっとゼファがそっぽを向く。

「ユリシス・エデュエンシアです」

ユリシスは言って警官に名刺を差し出した。

「あの、ゼファが何か・・・」

そう尋ねる。

「お宅のお子さんですか」

警官は確かめるようにそう尋ねた。はっとしてゼファがユリシスを振り返る。一瞬目が合い、そしてゼファはぷいっとまたそっぽを向いてしまった。

 ほんの一瞬目があった、その時の不安そうな、どこかすがりつくような眼差し----

「ええ、そうです」

ユリシスはほとんど無意識のうちにそう答えていた。ゼファがびくりと身体を震わせる。

 何があったのですか、と重ねて尋ねると、警官は重々しいため息をついて言った。

「その子を突き飛ばして殴り、怪我をさせましてね・・・」

被害者の少年と母親が、射殺しかねない眼差しでユリシスとゼファを睨み付けて来る。

「とにかくずっとだんまりでしてね。名前を聞いても答えない、家を聞いても答えない。年を聞いても答えない」

ゼファの名は、被害者の方から知らされたのだという。ゼファという名前なのかと聞いてもゼファはだんまりを通し、保護者の連絡先をとしつこく聞かれて、ようやくルパルス出版のユリシス、と答えたのだ、という話だった。

 ユリシスはゼファの前に跪いて目線を捕らえると静かに尋ねた。それは本当なのかと。

「そなた、彼に暴力を振るったのか」

「・・・」

「答えよ、ゼファ。自分の行ったことには責任を持たねばならぬ。振るったのか、振るわなかったのか」

「・・・振るった。ああ、蹴倒して殴りつけてやったとも!俺は別に悪いと思ってねーからなっ」

ゼファが叫び、被害者の母親がなんですって!とわめく。これほどの暴力を振るっておいて悪いとも思わないなんて!

「何故振るった」

ユリシスの声はあくまで静かだった。

「何故って・・・」

てっきりどやされると思っていたのだろう。思いがけず問われてゼファは耐えきれず目線をそらした。

「逃げるな、ゼファ。それとも、そなたは自分のしたことにさえ向き合うことのできぬ卑怯者か?」

「卑怯者なんかじゃねーっ。そいつが悪いんだ!」

「どう悪い」

「そいつが、そいつが、俺のこと父なし子って。お前の母はあばずれの尻軽女でお前を捨てて男んとこ行ったんだって。お前らみたいなののせいで、町が汚くなるって」

言いながらゼファがわずかに涙ぐむ。ユリシスは立ち上がると被害者の少年に向き直った。

「今のゼファの言葉は真か」

射抜くような眼差しに少年がひっと声を詰める。そして震える声で言った。

「ぼ・・・ぼくは、そんなことは一言も言ってない」

「んだと!嘘つくんじゃねーっコノヤロー!」

拳を握りしめがばっとゼファが腰を浮かせる。ユリシスはそれを素早く抑え重ねて尋ねた。

「本当に?一言も?」

「そ・・・そうだとも。何も言ってなんかない。町を歩いていたら、そ、そいつが、いきなり殴りかかって来たんだ!」

「何もなくていきなり殴りかかられるものだろうか」

ユリシスの言葉にぐっと相手が詰まる。

「とにかく、何も言っていないったら言ってないッ」

「そうですよ、うちの子がそんな、あ・・・あばずれだの尻軽女だのと、そんな言葉、そもそも知るはずがありませんわ。大方その子の作り事に決まっています。少しでも罪を軽くしようと思って・・・小賢しい」

「子どもは親の思わぬところで様々なことを見知るもの。知らないと言い切ることはできないでしょう」

ユリシスが切り返す。

「うちはお宅のように放任にしてはおりませんわ。うちの子のことならよーく分かっています。一緒にしないで戴きたいものですわね。とにかく、その狂犬のような子どもを野放しにしないできちんと躾けて戴かなくては。親がきちんと躾けないから、子どもが・・・」

「っせーな、オバハン!ユリシスはオメーなんかよりよっぽどまともだぜ」

ゼファが脇から口を挟む。

「ゼファ!」

ユリシスがたしなめる。

「まああっ、自分の親を呼び捨てだなんて!おまわりさん、こんな子は矯正すべきですわっ。ええ、ええ、そうよ、野放しにしておいては今にどんな恐ろしい犯罪をしでかすか分かったものではありませんわ」

完全に頭に来たらしい母親が、まくしたてる。警官たちがまあまあ、となだめるが聞いてなどいない。

「監督不行届であったことはお詫びします。しかし、ゼファは理由もなく人に暴力を振るうような子ではありません」

ユリシスが詫びる。

「オメーが謝ることなんかないだろ」

後ろからゼファが言ったが、ユリシスは手真似で黙っていろ、と黙らせた。

「まあ、では何ですの、こんなにひどい怪我をさせられた、うちの子が悪いとおっしゃいますの?」

「そうは言っていません。ただ、理由があったはずだと申し上げているのです」

ユリシスは言うと、ゼファの手首をつかみ、引き寄せた。

「ゼファ、たとえどのような理由があったとて、暴力は暴力だ。謝りなさい」

「誰が謝るか!」

「そなたは人に暴力を振るった。そうだな」

「お・・・おう」

「ならば、その後始末をしなくてどうする。自分のしたことは最後まで責任を取れ」

「だってあいつが・・・!」

「では尋ねる。彼はそなたを殴ったのか?それとも蹴飛ばしたか?いきなりつかみかかってきたか?」

「そ、それは・・・ない、けどよ・・・」

「だが、そなたは彼に暴力を振るい、けがを負わせた。そうだな?」

「でも、それは・・・!」

「ゼファ、どのような時も、手を出したら出した方の負けだ。私たちは獣ではない。力でもって意志を通そうとするのは人として不適切な行動だ。謝りなさい」

「う・・・」

ゼファはしばし葛藤していたが、やがてぺこっと頭をさげ、ぶっきらぼうにごめん、とそう謝った。静かにユリシスが頭を下げる。

「怪我をさせてしまったこと、心よりお詫び申し上げる。申し訳ない」

再度ゼファの頭を押さえつけ、共に頭を下げた。

----なんで・・・なんで、お前がそんなに謝るんだよ----

ゼファはそう思うと悔しくて、悔しくて、涙がにじみそうになった。ぎゅっと歯を食いしばる。

 親御さんもこうおっしゃっていることだし、と警官たちが間を取り持ちに入る。ユリシスは自分の名刺を母親にも渡した。

「治療費等はお支払いします。私に回して下さい。慰謝料については・・・」

「べ・・・別に、お金が欲しくて怒っているわけではありませんのよ」

母親はそんなことを言った。

「慰謝料はいりません。それより、その子が二度とこういう凶暴なことをしないようしっかり躾けて下さいませっ」

 こまごまとした事後処理をして、やっとのことで放免される。ユリシスはゼファを連れて警察を出た。


「・・・ゴメン」

帰る道すがら、ゼファがそう謝って来る。

「何を謝っている」

「オメーにすんげぇメーワクかけた」

「別に、大したことではない。まあ、あのまま『なかったこと』ですませてもらえてよかった」

「なんで・・・なんであんな嘘ついたんだ。俺の父親だ、なんて」

「さあ、何故かな。そんなことより、悪かったと思うなら、もう二度と暴力は振るうな。人に手を上げてはならぬ」

「でもっ・・・あれは本当なんだぜ。俺、嘘はついてねー」

「分かっている」

ユリシスは静かに言った。

「嘘をついたのは向こうだろう」

「・・・信じてくれるのか」

「ああ。そなたはきちんと自分のしたことに向き合った。その上何の嘘をいう必要がある?そなたは短気で少々手が早いが、しかし人を陥れたり貶めるような嘘はつかぬ」

 思いがけないユリシスの言葉に、ゼファは思わず振り返った。ユリシスがふっくらと笑う。ゼファはぷいっとそっぽを向いた。

「ばっ馬鹿っ、勝手に信じてんじゃねーよ。欺されても知んねーからなっ」


 自分で帰れる、というゼファを制し、ダレスの家まで送り届ける。ユリシスの声に驚いた風でダレスが出てきた。ユリシスとゼファと。普通ではあり得ない取り合わせである。

「少し厄介なことがあってな」

ユリシスに促され、ゼファは人を殴り倒して警察に捕まったのだとそんなことを言った。

「なんとか解放してくれたけどよー」

しれっとしてゼファが言う。ったく往生したぜ、と。

「お前、人に手を出したのか」

低くダレスが言う。

「いや、ダレス、これには事情が・・・」

ユリシスが言いかけるが、ダレスは聞いてなどいない。

「いつも言っているはずだな。何をするも自分の好きでいい、ただし人に迷惑はかけるな、と」

ダレスがばっと手を上げる。覚悟していたゼファはぎゅっと目をつぶった。ダレスは滅多にあれこれ言わないが、大きく間違えたことをするとこうして引っぱたく。それだけのことをしたのだと、ゼファ自身自覚があった。

「よせ、ダレス!」

鋭い声がして不意に抱きしめられる。

「叩いて何になる。ゼファはきちんと相手に謝罪した。これ以上罰する必要はない」

「どけ、ユリシス。これは家庭内のことだ。口出ししないでもらおう」

「家庭内でもなんでも、ならぬことはならぬことだ」

「いいからどけっ」

「それほど殴りたければ私を殴れ!」

 白い光が一瞬ぱあっと散ったかのようだった。気迫に押されたダレスがのろのろと振り上げた手を下ろす。

「ユリシス、オメー・・・」

ゼファは呆然と立ちつくしていた。訳が分からない。

「たとえ何があっても、どんなことがあっても、暴力を振るってはならぬ。暴力を振るうなと諭すために力を用いるのは、これ以上ない自己矛盾ではないか・・・」

ユリシスはゼファから手を放し、立ち上がりながら言った。

「勝手にしろ」

ダレスが言い捨てて奥へ入って行く。ユリシスは小さく息をつくと、社に戻らねば、と踵を返した。

「ユリシス・・・ゴメン」

ゼファがそう謝る。

「謝る相手が違う。ダレスはそれでもそなたのことを案じたのだ。謝るならダレスに謝れ。そして・・・ゼファ、悪かったと思うなら、暴力を振るうのはよせ。かっとなったら、心の中で三つ数を数えるといい。ただ一度きりの人生だ。それをあだおろそかに扱うな」

ユリシスはそう言い残すと去って行った。


「この間はすまなかったな・・・」

ダレスはそう詫びた。子どもたちを寝かしつけ、テラスで二人、グラスを傾ける。先日の詫び方々、とユリシスを招いたのである。

「お前、あれの親だと言ったそうだな」

「すまぬ、勝手なことを・・・ゼファがあまりにも不安そうな顔をしていたので、つい」

「いろいろと迷惑が行ったろう?」

「大したことではない」

ユリシスは月光の降り注ぐ庭を眺めながら言った。

「何も聞かぬのだな」

ダレスもまた庭に目を向けた。

「別に・・・それこそ私が嘴を挟むことではないだろう」

「まあ、そうだが」

ダレスは言ってグラスを一気にあおった。手を伸ばし、ユリシスのグラスと自分のグラスに緋色の酒を注ぐ。

「ゼファの母親は、どうにも男運が悪いというのか、何というかでな・・・」

ダレスは低く言った。

「15の時に施設を飛び出した。画家を目指しているとかいう男と同棲していたようだが、結局上手く行かなかったようだ。それからしばらくして、また別の男と今度は結婚したが、これも上手く行かなかった。まあ、男出入りが激しかったようだから、細かいことはよく分からない」

「そなたの子ではないのか」

「妹の子だ。相当荒んだ生活をしていたようで、耐えかねたリューゼがゼファを連れてここへ転がり込んで来たのだ」

「・・・ということは・・・あの二人は姉弟か」

「ああ。なかなか難しいだろう。二人とも」

「それは、まあ・・・嫌われているようではあるが。しかし、そうか、知らずに悪いことをしたやもしれぬな」

「別に何も悪いことはあるまい。ゼファは、随分変わったぞ。相変わらず見たところは変わらないが。お前どんな魔法を使ったのだ」

「別に何もしていないぞ。ただ道理を説いただけだ」

「ただ道理を、か」

ダレスは口の中でつぶやくように言い、小さく笑った。

「道理、な」

「何かおかしいか?」

馬鹿にされたような気がしたのか、ユリシスが少しばかりむっとした風になる。

「・・・いや」

ダレスは低く言い、それから改めてユリシスに目を向けた。

「お前、いつも・・・」

そのように親切をばらまいて歩いているのか?聞きかけて、けれどもダレスは口をつぐんだ。聞かなくても分かる。これが多分彼の性分なのだろう。もっとも世間が彼の真っ直ぐな親切を素直に受け取るとも思えなかったが。どう見ても「やりすぎ」である。誰が問題を起こしたよその子どもを自分の子だなどと言って厄介ごとを引き受けるだろう?気味悪がられるのが落ちである。

 いつもユリシスに反抗し、ユリシスに突っかかってばかりいたゼファ。そのゼファは、親はと聞かれてとっさにユリシスに縋った。普段身近にいる自分ではなく。多少ダレスとしてはショックだったが、しかしまた、ゼファの気持ちも分かるような気がした。子どもはこういうことには聡い。とっさに一番頼ることができるのは誰であるかをすぐに見抜いてしまう。

 底抜けに人の良い彼。今までこんな馬鹿には会ったことがない。ただ道理を説いたと彼は言った。それで解決すると信じているところがまた驚異的である。道理が通らぬがこの世の中。けれど、彼はそうは考えないらしい。

 ああ見えてゼファは真っ直ぐな性質をしている。ゼファが渇望していたのはユリシスのような真っ直ぐな、裏表のない言葉だったのかもしれない。きれいごとでなく、心の底から信じているから、だから、彼の言葉は力を持ったのだろう。でなければ、聡いゼファのことである、すぐにその虚偽を見抜いたに違いない。

「何か?」

ユリシスが尋ねてくる。何でもない、ダレスはそうごまかすと、それよりもっと飲め、とユリシスのグラスに酒をつぎ足した。

第一章は、あと1ファイルの予定です

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