第一章 ユリシス、クビになる(3)
思い切り当てつけがましくゼファがカップ麺を食べる。とうとう見かねたアンディが食べる手を止め言った。
「ゼファ!折角作って下さってるんだぞ」
「うっせーな、別に誰も頼んでねー」
「まあ一口食べてみろって。悪くないから」
とこれはオルク。しかしゼファは頑としてユリシスが作った料理に手をつけない。
「カップ麺がどうしても食べたいなら構わぬ。しかし、それではビタミン類が不足してしまう。せめてスープだけでも・・・」
とゼファ。
「っせーな!」
ゼファは言うとばん、とテーブルを荒々しく叩いて立ち上がった。
「あんたにあれこれ言われる筋合いはねーよ」
「ゼファ!」
アンディがたしなめる。が、ゼファはふん、と鼻を鳴らすとそのまま出て行ってしまった。
「すみません・・・」
アンディが恐縮して謝る。
「いや・・・」
ユリシスが言いかけたところへリューゼが口を開いた。
「アンディ、別にあなたが悪いわけではないでしょう。ゼファには私から言っておきます。ですが、ユリシスさん、ゼファのことは構わないで欲しいと言ったはずです」
リューゼがきっとユリシスを睨み付ける。
「そうは行かぬ。今はよくてもあれでは将来大病に・・・」
「それが余計なお世話だと言っているんです」
「おい、リューゼ!」
慌ててオルクが割ってはいる。それをリューゼは邪険に振り払った。
「親切ごかしにかき回すのはやめて下さい」
「別に親切ごかしというわけでは。私はただ、当たり前のことを・・・」
「あなたに何が分かります。放っておいてと言ったら放っておいて下さい!」
リューゼが今にも泣きそうな顔になる。
いつの間にか立ち上がっていたオリヴィアがそっとリューゼの頭を抱いた。
「分かってる、分かってるよ、リューゼ。だからもうそのくらいで、ね?」
「あなたに・・・何が・・・分かりますか・・・あなたなんかに!」
何も知らないくせに。ぽろぽろとリューゼの目から涙がこぼれる。オリヴィアはそんなリューゼをなだめるようになでながらユリシスの方へ目を向けた。
「ユリシス、ゴメン、今日は帰ってくれないかな」
言われてユリシスがはっとした表情になる。
立ち入り過ぎたかもしれない。ユリシスはそんなことを思った。何かこの家にはひどく複雑な事情があるようである。ユリシスは小さく頷くと、リューゼの前に膝をつき、すまなかった、とそう謝った。
鞄を取り上げ、ユリシスが玄関へと向かう。と、ルトが泣きながらしがみついて来た。
「行っちゃやだ!」
「ルト・・・」
「行っちゃやだ・・・!」
「ルト、そう泣くな。男の子はそうそう泣くものではないぞ」
ユリシスはかがみ込み、ルトの頭をなでて言った。
「明日また来るから」
「・・・ホント?」
「ああ」
「絶対、絶対、絶対?」
「ああ、絶対に来る」
「・・・じゃ、指切りして」
ルトに言われて、ユリシスは小指を出した。
「ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
ルトと指切りをする。
「では、また明日、な」
ユリシスはぽんぽんとルトの頭を軽く叩くとダレスの家を後にした。
「あんな態度取ることないだろ!」
アンディの言葉にうっせーな、とゼファがやり返す。二人が言い合っているところへしょんぼりとしたルトが部屋の前を通りかかった。
「ルト・・・」
アンディに声をかけられ、ルトがうわあん、と泣きながらアンディにしがみつく。
「おじちゃん、帰っちゃった・・・」
「あのな、ルト、あんな奴になついたって傷つくだけだぜ」
ゼファが脇から言った。
「どーせ原稿取りに来てるだけなんだ。オメーのために来てるわけじゃねー。ダレスのヤローにごますってるだ・け。バッカバカしい」
「そんなことないもん!」
ルトが言い返す。
「そんなじゃないもん!」
「そ・う・な・の!」
ゼファは言ってルトの鼻の頭をぐい、と押した。
「オメーはちっちゃいから何も知んねーんだ」
「そんなことない!おじちゃん、明日も来るって言ったもん!」
「そりゃ来るだろ。原稿まだだもんな。でもそれだけだ。ま、信じるなら勝手に信じてろよ。後で泣きを見てべそかくのはオメーの方だ。俺の知ったこっちゃねー」
「ゼファ、そんな風に言うことないだろ。そりゃ、確かに原稿を取りに来ているだけなんだろうけど、でもよくしてくれてるじゃないか」
アンディが言う。が、ゼファはふん、とそっぽを向いて言った。
「フン、な~にがよくしてくれる、だ。餌作って食わせただけだろ」
「ゼファ!」
「っせーな、勉強しないんなら出て行けよ。気が散る」
「あ、ごめん・・・」
アンディはふう、とため息をつくと、ルト、お風呂に入ろう、とルトを連れて部屋を出た。
翌日。ユリシスがダレスの家へ行くと、珍しくダレスが待っていた。
「原稿は・・・?」
開口一番尋ねたユリシスにダレスが苦笑をもらす。
「ああ、一応仕上がった。ところで、昨夜は随分大変だったようだが・・・」
「すまない。その、少し出過ぎたようで」
「後で叱っておいた。すまなかったな」
「あいや、部外者の私があまりにも立ち入りすぎたのだろう。すまない、かえって面倒をかけてしまって」
「私を呼べばよかったのに」
「仕事の邪魔をしては悪いかと思って」
「いつ夕飯のお呼びがかかるかと思っていたのだがな」
ダレスの言葉にユリシスは目を見開いた。まとわりついてくるルトを無意識のうちに抱き上げる。
「だって一昨日そなた・・・」
一昨日夕食だと呼びに行った時、ダレスは出てくるには出てきたが、明らかに仕事の邪魔をされてうっとうしそうな様子だった。だから、昨日はダレスはあえて呼びに行かなかったのだが・・・
「まあいい」
ダレスは言ってたばこを取り出した。
「子どもの前だぞ」
思わずユリシスが言う。言ってしまってからユリシスははっと口を押さえ、すまない、とそう詫びた。
「・・・いや」
ダレスが再びたばこをしまい、それで昼は何にする、とそんなことを尋ねた。
サンドウィッチを作り、それをほおばる。ルトはユリシスの膝の上から離れようとしない。
「すっかり懐いたな」
ダレスはそんな様子を見て苦笑した。
原稿を受け取り、ユリシスが鞄を持ち上げる。原稿の礼を述べるユリシスに、ダレスはいや、こちらこそ助かった、とそんなことを言った。
「その、差し出がましいようだが」
玄関の扉に手をかけたユリシスが思いきったように振り返る。
「家政婦を雇うか、誰か手伝ってもらうかした方が良いのではないか?」
ユリシスの言葉にダレスはあきれたような表情になった。
「お前・・・」
「あ、あの、差し出たことをまた・・・」
「全く差し出たこと、だな」
「申し訳ない・・・」
「これといった知り合いはいない。家政婦は・・・何故かいつかなくてな」
「すまない、また余計なことを」
「まったくだ」
ダレスの言葉に、ユリシスがうなだれ俯く。
「まあ、手が空いたら来てくれ。次の企画のこともあるし・・・な」
小さくユリシスが頷いた時、ユリシスがもう帰ると知って拗ねて引っ込んでいたはずのルトがおもちゃを片手に走って来た。
「おじちゃん!これ貸してあげる」
「え・・・」
思わぬ申し出にユリシスが戸惑った色を見せる。
「はい、これ。借りたものは、返さなくちゃいけないんだから!」
子どもなりに一生懸命に考えたのだろう。ユリシスは小さく笑うとそれを受け取り、分かった、とそんなことを言った。
「しかし、しばらく返せないかもしれない。良いのか」
言われてルトがこくり頷く。
「でも、絶対、絶対、返してくれなきゃ駄目だよ」
「分かった。ならしばらく借りよう」
「じゃ、ゆびきり」
ゆびきりげんまん・・・二人が指切りをする。では、ユリシスは軽く会釈すると会社へ戻って行った。