第四章 兄と妹(1)
がやがやとした賑々しい声が近くなる。来たようだ。夕食の下ごしらえをしていたユリシスは手を止めて玄関へと向かった。カチャリ、扉が開いて、大仰な仕草でオルクが後に続く友人たちを招き入れた。
「さあ、レディ、どうぞお入りあれ」
もったいぶった調子で一礼する。
「失礼します」
「お邪魔しまーす」
ぞろぞろと女の子たちが入ってくる。ようこそ、ユリシスは苦笑を噛み殺しながらオルクに先だって頼まれていた通りの挨拶をした。きゃー、と黄色い歓声が上がる。
「オルクのお父さんってかっこいいんだぁ」
と、そこへ折悪しくというのだろうか、リューゼが帰ってきた。騒ぎに眉を顰める。まだそれに気づかないオルクがすました調子で言った。
「ああ、そうじゃない。彼はうちの家政夫。ユリシス、後でお茶とお菓子を持って来て」
その言葉にぴっとリューゼの眉がつり上がる。
「サイテーですね、オルク」
リューゼはすれ違いざまそんなことを言い、さっさと奥へ入ってしまった。一瞬気まずい空気が流れる。
「あの子は・・・?」
「俺の妹。あー、ゴメンゴメン。ちょっと反抗期なんだ。許してやってくれ」
オルクは言うと、連れてきた女の子たちを促して二階へ上がった。それを見送ってキッチンへと戻る。
「一体何なんです?」
リューゼはおやつのプリンをつつきながらひどく不機嫌そうに尋ねた。
「グループ学習のレポートを作るのだそうだ」
ユリシスがお茶を淹れながらそう答える。
「あの調子で勉強になるとは思えないけど」
リューゼは冷ややかな調子でそんなことを言った。子どもたちは何だかんだと喧嘩をしもっても仲がいいが、オルクとリューゼだけはどうも反りが合わないらしい。
ともあれ準備ができて、お茶と菓子とをトレーに載せる。そんなの、取りに来させればいいのに、相変わらずのつっけんどんな調子でリューゼが言うのを背に聞きながら、ユリシスは、二階の部屋へとお茶と菓子とを持って上がった。
「だから!客の前で取る態度じゃないと言っているんだ」
オルクが怒鳴れば、リューゼが何が客ですか、と言い返す。
「女性を引き連れて偉そうに。キャバレー帰りのヤドロクじゃあるまいし」
「なっ」
リューゼのとんでもない台詞にオルクが硬直する。
キャバレー帰りのヤドロク、とはとても子どもが言う台詞ではない。ユリシスは内心ぎょっとしたが、ともあれ黙って様子をうかがっていた。問題は自分で解決する、それがこの家の決まりである。子ども同士が喧嘩をしても、ダレスは基本的に全く手を出さないし、口も挟まない。大抵は、周囲にいる子どもたちが間に割って入り、仲裁なりジャッジなりをしてそれなりに収まる。ユリシスとしては、毎回はらはらさせられるが、これがその家のルールであり、それなりに上手く回っているのであれば、下手に手を出すわけにも行かなかった。
ぽん、と不意に肩を叩かれ思わず飛び上がりそうになる。見れば、ダレスが立っていた。
「何をそんなところで突っ立っている?」
それでは、まるで不審人物だぞ。言われてユリシスは、あ、いや、と曖昧に扉の傍を離れた。子ども部屋の扉の向こうから漏れ聞こえる争い声に、ダレスが、やれやれ、といった様子になる。
「放っておけと言うのに」
「そうは言うが・・・」
万一、ということもある。まだどこか心配そうにしているユリシスに、ダレスはいいから、とその腕をつかんで階下へ降りた。
「下手に聞くから余計な心配が増える。そんなに心配せずとも連中はこの程度のことは上手くあしらえる」
「それはそうだろうが、しかし・・・」
ダレスは、子どもらのことにかなり無関心なところがある。それで余計にユリシスは心配なのだが、ダレスから見れば、ユリシスの方が気にしすぎなのであって、子どもなぞというのは適当に転がしておけば自分でなんとかするものだと思っている。
大事に育てられたのだろうな----相変わらず心配げなユリシスを見ながら、ダレスはそんなことを思った。大切に、大切に、育てられたのだろう。端々に彼は、その育ちの良さを見せる。本来ならば全く違う世界の住人。
「それほども気になるというのは、お前が子どもらを信用できていない、ということだ」
「そういうわけでは。もちろん、彼らは彼らなりに上手くやれることくらいは私も分かっている。だが、一応何が起こっているかを把握しておくのは大人の務めだろう?信用してもいいが、目は離すなと・・・」
「本に書いてあった」
ダレスは先回りして言った。ぐ、とユリシスがつまる。
「やめておけ。動かぬ言葉など、所詮はそれだけのものだ。育児書の類など当てになるか。偶然上手く行ったケースを一般化したところで、状況は千差万別、使えるものではない。第一、目を離すなといって、一から十まで見ていることなどできないぞ。子どもでは確保の難しい、衣食住と基本の指針は示してある。後は、本人次第。自分の人生だ、他がとやかく言うことではない」
ダレスの言うことにも一理ある。けれども、そのひどく突き放した態度に、ユリシスは、賛同できなかった。それだけでは、生きて行けない----ユリシスはそう言いたかったが、言葉が喉につかえて、それ以上何か言うことはできなかった。つまるところ、この差は、彼と自分とのこれまで歩んできた道の差なのだと、そう思う。
それだけの説得力と重みをダレスの言葉は、持っていた。ユリシスとて、順調な人生を歩んできたわけではないが、それでもダレスのそれと比べれば、恐らくはるかに平穏な道だったのだと、そんな気がする。そんな自分が、ダレスにとやかくは言えない気がして、ユリシスはそれ以上の反論は、繰り出せなかった。
ひどく悲しげな表情になったユリシスに、ダレスははっと胸を突かれて、あ、いや、と曖昧に言葉を濁した。まあ、つまりそういうことだ、と分かったような分からないようなことを言ってソファから立ち上がった。
すまぬ、としょんぼりユリシスが謝る。
「いや・・・私も言い過ぎた。別にお前のやり方をとやかく言うつもりはなかったのだ」
ダレスは窓へと歩み寄りながら言った。
「お前には、お前のやり方がある。ただ、そのまあ・・・大変だろうと思ってな」
「別にそういうわけでは」
「そうあれこれ人のことを心配してばかりでは、うちでは身が持たないぞ」
「まあ、心配したところで何ができるわけでもないしな・・・」
ほう、とユリシスが小さくため息をつく。
「さあ、どうだろうな」
ダレスは、曖昧に言った。
子どもらのことはともかく、ユリシスに心配されるというのは実のところ心地が良い。その奥にある温かなものが、いつもささくれだったダレスの気持ちをなだめてくれる。時々わざと怒らせたり心配させたりしてみるのだが、そのたびに、彼は面白いように引っかかって怒ったり心配したりしてくれる。それで、悪いと思いつつ、ついついまたやってしまう。それにしても、赤の他人だというのに、何故これほども彼は人のことに一生懸命になれるのだろう?
「多分、」
ダレスはいつの間にか隣へ来ていたユリシスに向かって言った。
「お前も大概極端だが、私も極端だ。二人足して二で割るといい加減になるのだろう」
少し冗談めかした調子にユリシスがそうだな、と小さく笑う。ユリシスが笑みを見せたことに少しほっとしながら、ダレスは慰めるようにぽんぽんと軽く背中を二度叩いた。




