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第一章 ユリシス、クビになる(1)

 本名:ダレス・シーム。ペンネーム:ダル・シュール。

随分手抜きなペンネームだな、最初の印象はそれだった。とりあえず下調べに最も売れたという「陽の闇」を手に取った・・・までは良かったが。

「何だ、この話は!」

ユリシスは思わず本を机に叩き付けそうになって、辛うじて踏みとどまった。連綿なく続く破壊と暴力、次々と繰り出される裏切りに次ぐ裏切り。残虐シーンがこれでもかという程に連ねられている。

 はあああ。

 ユリシスは深いため息をついた。このような話のどこがいいのか全く分からない。

 なるほど、世間が騒ぐわけだ。ユリシスは本を閉じ、片付けながら心の内にそうひとりごちた。世間の評価は賛否両論まっぷたつ。騒ぎになればなるほど本は売れ、その意味では、売れっ子作家ではある。

 その担当ともなればやりたい人間はいくらでもいそうなものだが、何故かユリシスにお鉢が回ってきた。元々学術雑誌の編集部門にいたユリシスには小説部門の要領が今ひとつよく分からない。そんな人間に担当をさせて大丈夫なのかと我ながら心配になってきてしまう。

 他はいい、とにかく、シュールことダレス・シームから原稿を確実に取って来ること。

 それが指令。気は進まないが、しかしそこはそれ、勤め人の悲しいところで進まないからといって断ることなどできはしない。

 ユリシスは小さく息をつくと立ち上がった。


 呼び鈴を鳴らす。はーい、ばたばたと出てきたのは、4歳くらいの子どもだった。

 子持ちか。少し意外に思いながらユリシスが来意を告げる。こんな子どもがいる人間がああいう残酷極まりない話を書く、というのはどうにも解せない。まさか虐待なぞしているのではないだろうな。思わずそう疑いたくなったが、しかし目の前にいる子どもは至って呑気そうな様子である。一瞬家を間違えたか、とも思ったが、そういうわけでもないようだった。

「どうぞ」

子どもが慣れた様子でユリシスに入るよう促す。そしてぱたぱたと奥へ走って行きながら、叫んだ。

「父さーん、ヘンシューの人!」

対する父親の声は聞こえて来ない。

「あ、こっちです!」

ユリシスに向かって一室の前で手を振る。ユリシスはその部屋の前まで行くと、ノックした。

 返事がない。しばらく待って再度ノックする。やっぱり返事がない。もう一度ノックした時、部屋の中からいかにも面倒くさそうな声が返ってきた。

「うるさい」

 うるさい、だと。むかっ。いるならさっさと返事をしないか!ユリシスは少し腹が立ったが何とかそれを飲み込むと扉を押し開けた。

「今度新しく担当になったルパルス出版のユリシス・エデュエンシアと・・・」

云々、云々。とりあえず自己紹介をする。が、目の一部はぐちゃぐちゃに取り散らかった部屋の様子に釘付けである。そこここに雪崩を打って散乱する本と紙、その隙間に枕が転がり、脇に毛布が丸めて放り出されている。机の上に並ぶアルコール飲料の空き缶の列、三つばかり並んだマグ、更にその脇には山盛りになってあふれかえった灰皿があり、床にはカップラーメンのカラと酒瓶が転がっている。まるで部屋ごとゴミ箱にでもなったかのようである。

「原稿なら、ない」

ダレスは無愛想に言った。

「ない?」

今、何て言いました?ユリシスが信じられない、といった様子でダレスを見る。「まだ」なら分かるが「ない」とはどういう意味だろう。

「ない」

ダレスが繰り返す。

「しかし締め切りが・・・」

「知らぬな」

「知らぬではなくて・・・」

ユリシスはこみ上げてくる怒りを必死に抑えながら辛抱強く言った。相手は「売れっ子」作家。機嫌を損ねるわけには行かない。たとえ相手が気まぐれでわがままで無茶であったとしても。ここで原稿を取って返らなくてはユリシスの方も仕事が上がったりである。

「分かったら帰れ」

ダレスは手真似で追い払う仕草をした。

「そういう訳には。私としても原稿を受け取らなくては帰れない」

「だからないと言っている」

「途中まで出来ているならそれだけでも一度見せて・・・」

「しつこい男だな。ないと言っているだろう」

押し問答をしているところへ、よろよろと先刻の子どもがトレーにお茶を載せてやって来た。

「ええと、いらっしゃいませ~。お茶・・・」

何とか扉を開けてよろよろ入って来たところで、床に転がっていた何かの瓶に躓く。

「危ないっ」

とっさにユリシスは子どもに手を伸ばした。間に合わない。

 ばっちゃん

マグが空を飛び、トレーが舞い上がる。湯をかぶって子どもはわああああん、と大泣きし始めた。

「大丈夫か!」

ユリシスは子どもを抱き上げると水はどこだ、とダレスに尋ねた。

「あ、ああ、廊下の・・・」

ダレスが急いで先に立つ。子どもを抱いたユリシスが後に続き、台所へと向かった。湯をかぶった腕を流水で冷やす。

「だから、湯は使うなと言ってあるだろう!」

脇でダレスが子どもを叱りつけている。

「そう怒るな」

ユリシスは子どもをなだめながら言った。ごめんなさい、半べそをかいて子どもが謝る。

「もういいのではないか?」

ダレスが言ったが、ユリシスはかぶりを振った。

「よく冷やしておかなくては。跡が残っても困るだろう」

「好きにしろ」

ダレスは不機嫌そうに言うと立ち去ってしまった。

「ごめんなさい・・・」

子どもが小さく謝る。

「いや、お茶を淹れようとしてくれたのだな。もてなしの心は大切だ。えらいぞ。ただ、そうだな、そなたの父御の言うことも一理ある。湯は危険だから、使わぬ方がいいな」

「冷蔵庫のお茶が切れていて・・・」

「そうか。だがそういう時は無理はしなくて良いのだ。そなた、名前は?」

「ルト」

子どもは明るい調子でそう答えた。

「おじちゃんは?」

おじちゃん・・・言われてユリシスが苦笑する。まあ、27なら立派な「おじちゃん」か?

「ユリシスだ」

 このくらいでいいか。ユリシスは水を止めるとルトを降ろし、腕を拭いてやった。

「おじちゃん、お昼食べるでしょ」

ルトが何やら開きをあけてごそごそしながら言う。

「あ、いや、私は・・・」

「ええとねえ、チキンとベジタブルと、ビーフ。どれがいい?」

プラスチック容器でレンジで温める式のカレーを並べてそう尋ねる。

「そなたの昼食か?」

「うん!父さんはチキン、と・・・」

ルトは奥からまた一つ引っ張り出した。

「まさかこういうものばかり食べているのか?」

「うん。あ、でも朝はカップラーメンだったよ。お湯は使っちゃ駄目っていうから、お昼はカレー」

「夜は?」

「夜は・・・いろいろ、かなあ。コンラッドお兄ちゃんが時々たこ焼きとか買って来てくれるよ」

カップラーメンにレトルトカレー、たこ焼き。とんでもなさそうな食生活に目眩がして来る。

「分かった、昼食は私が何か作ろう」

ユリシスは思わずそう言った。ルトが目を輝かせる。

「ほんと?」

「ああ、少し冷蔵庫をのぞいていいか」

「もちろんだよ!」

ルトの言葉にユリシスはにっこり笑って頭を軽くなでると冷蔵庫の中身を確認しにかかった。


 湯気の上がっているオムレツにトマトサラダ、トースト。

「・・・・・・」

突然現れた「昼食」にダレスが胡乱げな顔になる。

「これはお前が・・・?」

ダレスは言ってユリシスを振り返った。

「ああ。あまり大したものはできなかったが」

すっかり懐いて張り付いているルトの頭をなでながらユリシスが言う。

「成長期の子どもにあのように偏ったものばかり食べさせるのは良くない」

「余計なお世話だ。人の家庭に口を出さないでもらおう」

「父さん、そんな言い方!僕、食べるね!」

気を遣ったらしいルトが食堂の椅子によじ登って食べ始める。

「すっごくおいしいよ。父さんも食べてみてよ」

うれしそうに食べるルトに、ダレスがしぶしぶ、といった様子でオムレツをつつく。と、はたと気づいて尋ねた。

「お前は?」

「いや、私は・・・」

まさか人の家で勝手に食事をするわけにも行かない。

「二人分しか作らなかったのか」

ダレスの言葉にユリシスが頷く。密かに小さくダレスが笑ったが、それはユリシスには見えなかった。ダレスは立ち上がると、皿をもう一枚引っ張り出し、自分の分から半分取り分けて今ひとつ皿を作った。

「折角作ったのなら食べて行け。パンならまだそこにストックがあるはずだ」

「しかし・・・」

「おじちゃん、いっしょに食べよ」

ルトが引っ張る。引っ張られてユリシスも腰を下ろし、テーブルについた。

 広い食堂。全部で8個の椅子が並んでいる、ということは8人家族ということなのだろうか?

「それにしても・・・」

食べながらダレスが言った。

「お前、世間知らずとか、ずれているとか、言われたことはないか?」

ぎくっ。ユリシスの食べる手が止まる。

 元々ユリシスは名の通った貴族の出である。もっとも、今はその家もなく、身近な家族すら残っておらず、言ってみれば天涯孤独の身。何とか生活して行かなくてはならないのでこうして働くようになったが、しかし、周囲から見るとやはりどこか行動がおかしく映るらしい。

「・・・ある」

俯き少し赤くなってユリシスが言う。

「だろうな・・・」

「その、やはり・・・おかしいか?」

ユリシスの問いに、ダレスはしかし意外な言葉を吐いた。

「まあ、良いのではないか」

「え?」

「人はそれぞれだろう・・・ところで、原稿だがな」

にわかにダレスが仕事の話を切り出す。

「今日中には無理だ」

「ない」と宣言した通り、実はダレス、ほとんど何も書いていない。もう著作家業なぞやめようかと実は思っていたところなのである。

「どうしても無理か」

「無理だ。一字も書いていない」

「何っ」

締め切りは今日である。

「言っただろう。『ない』、と。一字も書いてない。ああ、先刻少し書いたがな」

てんてんてんてんてん。ユリシス絶句。鳩が豆鉄砲を食ったようなユリシスの様子にダレスは内心密かに吹き出していたが、あくまで顔には出さず、重ねて言った。

「案ずることはない。どうせ大した話でもないのだ」

「大した話ではないといって、そなた・・・」

「そうだな、三日・・・三日もらえば何とかなるだろう」

「本当に三日で仕上がるのだな?」

「ああ。その代わり、」

ダレスは最後の一口を食べ終え、コーヒーを流し込みながら言った。

「三日の間、子どもたちの面倒を見てくれるか」

「それは構わぬが・・・お内儀は?」

古風な言い方にとうとうたえきれずダレスが吹き出す。少しむっとなったユリシスにダレスはああ、失礼した、と小さく詫びた。

「おらぬ」

「あ・・・これは失礼なことを」

「いや、構わないが。では、頼んだぞ。家は好きに使ってくれていい。分からないことがあったら子どもたちに聞いてくれ」

ダレスは言うとさて、続きを書いてくるか、と立ち上がった。


 よし、やるとなったら。

 ユリシスが腕まくりをする。広い家ながら、どうにも全体的に雑然としており、あちこち散らかっている。

「とりあえずキッチンとリビングくらいは片付けねばな」

「僕お手伝いするよ!」

「ああ、頼むぞ」

二人がかりで掃除にかかる。二人ばたばたやっているところへ、ただいまー、と誰か帰って来た。

「あ、アンディだ!」

ルトがばたばたと出て行く。

「やあ、ルト、ただいま」

「あのね、今日ね、今日ね、すごーいおじちゃんが来てるんだよ」

「おじちゃん?」

ルトに言われてアンディがはて、と首を傾げる。

「ユリシスっていうんだって。おじちゃーん、これがアンディお兄ちゃん」

ルトがアンディとユリシスを引き合わせる。

「あ、ど、どうも」

アンディは少し戸惑ったようにぺこりと頭を下げた。

「父さんのお仕事の人」

とルト。

「あ~、なるほど!・・・とじゃあ、ルト、俺、出かけてもいいかな?」

「うん、いいよ!」

ルトがユリシスにはりついて言う。おじちゃんがいるからいいよ、と。

「すみません、ルトをお願いします。もうすぐリューゼたちが戻ってくると思うんですけど」

「あ、ああ・・・どこか出かけるのか」

「野球の練習があるんです」

「ああ、なるほど。気をつけてな」

言われてアンディがえへへ、と笑う。

「じゃ、行ってきま~す!」

慌ただしく鞄を放り出すとアンディはまた飛び出して行ってしまった。

 後ろ姿を見送り、ユリシスが小さく息をつく。

「ルト、一体そなたの兄弟は何人いるのだ」

「ん~とね、コンラッドお兄ちゃんとオリヴィアお姉ちゃんも入れて?」

「そのコンラッドとオリヴィアというのは?」

「ええとね、コンラッドお兄ちゃんはガクセイさんなの。イソーローなんだって。イソーローっていうのはね、自分のお家じゃないけど、住んでる人のことなんだって。それからオリヴィアお姉ちゃんはね、コーコーセーなんだよ。コーコーセーのイソーローなの」

何やら分かるような、分からないような。

「それからね、後ね、オルクお兄ちゃんとリューゼお姉ちゃんがいて、それから、さっきのアンディお兄ちゃんでしょ、後ゼファお兄ちゃん」

指折り数えて行くと、子どもたちだけで7人になる。まあ、大学生だという話のコンラッドを子どもに入れるのは不適切かもしれないが。それにダレスを加えて8人。なるほど、食堂の椅子の数に見合うわけである。

 ユリシスはちら、と時計に目を走らせ、そろそろ夕食の支度をした方がいいか、とそんなことを考えた。冷蔵庫の中にはほとんどこれといったものが入っていない。

「ルト、買い物に行くか」

尋ねるとルトは大喜びでついて来ると言った。ダレスに声をかけ、外へ出る。やれやれ、大変な三日間になりそうだ、ユリシスは日差しを見上げながらそんなことを思った。

かつて自サイトで連載していた作品の名前を変更し、修正を加えた話です。話の流れやキャラクター設定の変更は、特にありません。

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