後編
火口に激突する寸前に、火口付近でまず焼かれる。流石にマグマに身を投げたことなどないし、ましてや火山の中に自殺を図るなんてことは初めてなもの。後頭部と背中が大気圏突入時の摩擦熱のような擦り切れるような痛みではなく、火だるまになっていくような文字通り「焼かれる」という慣れない痛さに絶叫と共に火口に真っ逆さまに落ちた。
数百度は確実にあろう熱気が肺を焦がす。意識が飛びそうになるが、幾億回もの自殺未遂で体はとうの昔に人をやめてしまっていたらしい。灼熱のマグマが火口付近を金色に染めていく中、わたしの頑丈に過ぎた身体を誰かに譲渡したい気持ちでいっぱいだった。心は人外の器に注がれるにはあまりに不適格だから。
いよいよ全身がマグマの中に溶け込んでいく。最期に焼き付けたのはわたしが落ちてきた遥か上空に輝く星――なんてロマンチックなものではなく、わたしが落ちた衝撃で噴き出したマグマと共に空へを昇ってゆく黒煙のみであった……。
――なんとなく「死ねない」という予感がわたしの内にあった。
確実に流動するマグマに逆らってマグマだまりやさらにその奥へと向かって落ちて行く感覚はある。だが、そこまで辿り着く前に、わたしの身体に電気が走ったような奇妙な感覚が訪れたのだ。
ただの直感で根拠もないもの。だからわたしは信じないようにしていた。だが、一つわたしが「くだらない」と嗤った出来事を思い出してしまう。
それは〝彼女〟を失ってからの話だ。
しばらく放心状態だったわたしはある老婆に声をかけられた。いかにも、というような怪しげな老人だったが、やることもなかったわたしは暇つぶし程度に占いを生業としていると語ったその老人の話を聞くことにした。
「お兄さんや、君の影は恐ろしいものだよ」
「はぁ……」
想像以上に唐突で、荒唐無稽で、安易に暇潰しでスピリチュアルな話を聞くものではないなと心底後悔したが、老婆は止まらなかった。
「影とは魂の写し身。君の心の在り方を示している。わたしにゃあ三層からなる竜の姿が見えるよ」
「竜? 魂の形が竜ですか……そりゃ大変だ」
わたしはけだるげに言うが、老婆の方はどうやら真剣だったらしく、
「ああ、そうだ。外殻を三つ持つ竜なのさ。そのうち既に二つはただれ、抉れ、折られ、斬り刻まれ、蜂の巣にされている」
「残りの一層は?」
「完全な状態で今でも残っているさ。どれほど心がすさんだ状態になろうと、君は大事なことを覚えているようだね」
大事なこと――〝彼女〟のことだろうか。〝彼女〟のことに関してはわたしはそれなりにしっかりしている人間だと自負している。他の誰もが〝彼女〟を忘れようと、わたしはいつまでも覚えている――そんな決意と覚悟ならばある。声も、〝彼女〟の肌の感覚も、須くわたしは覚えていよう……。
「憎悪か愛情のような真っ直ぐな感情だ。そうだね、これは……愛情かな? 誰かへの愛に満ち満ちている。けれどそれ故に竜が纏う二層の外殻は崩れ落ちてゆく……」
わかったようなことを、とわたしはイラついた。だがこの老婆に怒鳴るのは筋違いだ。その洞察力や観察力などといったものに敬意を払うくらいの気持ちでいかねばならないと思った。
「それで、その竜っていうのは? 具体的な特徴とかあるんですか?」
「そうだね……これが何と言えばいいか」
「別に普通におっしゃっていただければいいのではありませんか?」
「そうかい?……なら――三体の竜だよ」
「竜が三体ですか……三つ首、とか?」
老婆は頷く。「巨大な翼を一対持っている。長い首を――それこそ東洋の龍のような首もたげて泳ぐように飛びもすれば、羽ばたいて全てを風で薙ぎ払うように飛びもする。そんな無茶苦茶なドラゴンさ」
「そいつは困りましたね。どうなるんです、俺は……?」
「死んだ時に気を付けることだね。君のような現代の若者ってぇのは『命』や『魂』ってものをよく知らない、教わらない――いいかい?」
そう言って長々と説明を受けた。
要は、
「魂とは言わば意志の形だ。君は本心を覆い隠そうとしているが、その壁が瓦解しようとしている。死んだら最後の砦たる肉体という制約から解き放たれ、仏だの精霊だのになって各々信じる宗教を司る高次存在の元へ召し上げられる」
ということらしい。
日が傾き、所謂黄昏時になった空を見上げると帯状の雲が地平線の奥まで続いていく。日没前の最後の陽光が全てを金色に照らし、一日の最後にめいいっぱい己が存在と役割を主張した。
別れ時に老婆から告げられた一言を口の中で反芻し、わたしは帰路についた。
「君が死んだ時、君の魂が解き放たれ、全てを飲み込みながら微睡みの淵より顕現する。死で救われることなどないよ、死は君にとって新たなる始まりの儀式でしかいないのだから……」
その言葉は今、きっと現実のものになろうとしていることだろう。
マグマの流れに逆行し、おそらく地球の内部へと向かいつつある。そこまで行ければ確実に死ねるだろうが、その話を一度聞いてしまった以上――そして、その感覚を得てしまった以上、頭を抱えるほかなかった。
――そうして落ちてゆき、気付いたらわたしの両腕は翼になっていた。
黒く、所々白く変色しているその一対の巨大な翼――。そして、翼と共に映ったのは左右に一本ずつもたげられた竜の首。
「これが三つ首の竜ってやつか……」
わたしは心の中で独語した。六つの目を開いても、三つの口を開こうと、もう溶けてゆく痛さなど気にならない。少し熱い浴槽につかった感覚に似ている。時間がわたしに慣れをもたらしてくれることだろう。
翼を鰭のように使ってかき分けながらわたしは再びわたしが落ちた火山へと迫る。マグマだまりを見つけ、わたしは翼となった両腕を肘や肩、手首をうまく伸縮を繰り返して羽ばたくと一気に上昇する。
火口から飛び出すと、それに触発されわたしの後方から火山岩が飛び出してくる。
わたしは改めて、この世界が酷く退屈に思えた。〝彼女〟がいないなど死に勝る苦痛だ。
生きたら生きたで絶対零度のごとき孤独に耐えねばならない。死んだら死んだで今のように怪物になって果てるのみ――。
薔薇の茎のような棘だらけの首がわたしの三つの頭を支えている。節々の隙間から金色の粒子――完全に人を捨てるとこんな体になるのか、と驚いた。
ワニのように長い口を大きく開いて咆哮を轟かせる。口腔内には火口の下に蠢くマグマのような光に照らされている。
わたしの雄叫びと共に雷雲が形成され、鳥たちは直ちに木々から群れで飛び去ってゆく。人の逃げ惑う姿を見ても、以前なら罪悪感に呑まれてしまうであろうに、今のわたしにはその感覚が薄かった。
身勝手極まる理由でわたしは竜になり果てた。きっとその代償もひどく大きなものであろう。想像してみるならば、例えばどんなものだろうか?
一つ、自我を失う。
二つ、自壊する。
三つ、元に戻る。
四つ、何もない。
そんなところだろう。
わたしは前の二つはより可能性が高いと感じている。物語でもそういった代償はつきものだ。誰かに討伐される、とかもその一つになり得るだろう。
だが、今はそんなことはどうでもいい。生も死も耐えられない以上、わたしにはどうすることもできないのだから、今はわたしの境遇を受け入れるしかない。
なぜ老婆の言葉通りわたしが竜に変じたのか、そもそもなぜわたしの身体はあんなにも頑丈なのか……疑問などいくらでも山積しているのだから、竜にその身を転じたところで情報を集める場所があるならば全く問題はない。
早くこんな身体から、こんな世界から解き放たれたいと思った。〝彼女〟の分まで生きたいとは思うし、〝彼女〟の分までこの世界を見て回るのも一ついい経験にはなると思う。けれど、当たり前ではあるけれどわたしは〝彼女〟ではないのだ。〝彼女〟のように物事を見られるわけでもない。〝彼女〟の墓で長話をしてやるのもいいかもしれないが、それでも正確に、客観的に伝えられるわけではない。
生命というものは思った以上に欠陥が多く、不完全で、不器用な存在なのだろう。
――だが、まさか厳つい顔を三つも持った数百メートル規模の巨大な竜の頭の中には死別した少女の話題しかない、と人々が知ったらどんな反応をするのだろう?
雷雲を纏い、近寄るべからずと意志や言葉ではなく行動でもってそれを示す。暗雲の中に迸る雷が周囲だけでなくわたしの身体のシルエットを露わにする。
意志がそのまま行動に直結してしまう。それがこの竜となったわたしの能力みたいなものなのだろうが、如何せん慣れないし力を振るうのを躊躇われるしで若干困惑していた。
翼を上下に大きく動かしてより高い場所へと目指した。分厚い雷雲を抜けた先にあったのはマグマの中で溶けゆく際中に見たかった景色だった。
星々が瞬いている。あの中に〝彼女〟はいるのだろうか?
更に、更に遠くへ――。そう思いながら羽ばたき続けると、やがてわたしはこの星の重力の支配から脱していた。
自由に宇宙空間を動けるからこそ見えた景色があった。ガガーリンが遺した言葉を、衛星や宇宙飛行士が収め、あるいは感じたであろう雄大さを、その退屈な星は見せつけた。
見切り発車でここまできてしまった。ならばとりあえず足元をよく知らねばならない。
大気圏に突入する際に感じていた、擦り切れるような熱さと痛みは、もうなかった……。
一人称形式で実験的に書いてみたのですが、もう二度とやりたくないという愚痴です。
でも新鮮味はありました。
ネタが浮かび次第オムニバス形式で書いていきます。
このあと後日談(大嘘)として解説というか、そんなものをどこかにあげようかと。