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混沌の街 1

 カーテンの隙間から差し込む光で目が覚めた。

 ゆっくりと体を起こし、腕を大きく伸ばす。ベットサイドのテーブルに置いた水差しから水を一杯。立ち上がりカーテンを開けると、窓越しにリラと目が合った。

 窓を開けると、海の香りがのった風と一緒にリラが滑り込んできた。全長約15センチ、黒いワンピースに白いエプロンを付け、背中に美しい半透明の羽を持つ彼女は“妖精”だ。


「おはよう、ジータ」

「おはよう、リラ」


 リラは窓枠に腰かけると、指をすいと振った。窓の向こうから、部屋の中にバケツと雑巾がすべり込んでくる。「窓ふきしてたのよ」と彼女の極彩色の目が弧を描いた。




 この島に来て1週間。

 ソレリアの廊下で初めて彼女を見た時は、思わず自分の頬を抓った。ここで世話になり始めたころは、今までの疲れが出たのかとにかく体が重く、寝て過ごすことが多かったので、本当に夢かと思ったのだ。ちなみに頬は普通に痛かった。


「あら、あなた、私が見えてるのね」


 リラが目を剥く私の鼻先までやってきてそう言った時は腰が抜けた。ズックさんがげらげら笑いながら「リラはうちの従業員の一人だよ。うちではあと1人妖精を雇っているんだ」と私を立たせた。


「にしても、お嬢ちゃんは妖精が見えるのか。いい目をしてるな。妖精は見える奴のほうが少ないんだ。この島でも、3分の2は見えねぇ奴さ」

「見えない……?」


 頭上で可笑しそうに私を見下ろすリラを見上げた。


「こんな……こんなはっきりと見えるのに……?」


 おそるおそる手を伸ばすと、伸ばした指先にリラの小さな手が触れた。ぬくもりもある。天上の楽器が奏でるような可憐な笑い声も、羽の動きに合わせて感じる、春の風に揺れる青葉のささやきのように柔らかな風も、しっかりとそこに在るのに。

 私の指に触れたリラは、そのまま悪戯っぽい笑みで私の指にしなだれかかった。


「かわいいわね、あなた」

「ど、どうも」

「気に入ったわ。お友達になりましょう?」


 これほど美しい生き物に、宝石のような瞳で微笑まれて、首を横に振れる生き物がいるだろうか。いいや、いない。断言してもいい。

 三角島にやってきて、初めてできた友人は“妖精”だった。




「たいぶ顔色がよくなったわね」


 窓枠に腰かけたリラがこちらを見上げ言う。「はじめて会った時は、ずいぶん血の気のない顔をしていたから、心配していたのよ」

 それは多分、初めてみる生き物にびっくりしたからだよ、とは言わないでおく。


「ありがとう、もうずいぶん体軽いんだ。今日は少し遠くまで散歩してみようと思ってる」

「いいわね」


 リラはぱっと表情を明るくしたあとすぐに、「けれど」と眉間に皺を寄せた。


「一人で?」

「もちろん。他に誰と行くの? 唯一の友達は今日も仕事でしょ?」


 そう言うとリラはどこか満足げに「それもそうね」と口元にゆるやかな弧を作った。


「ちゃんとズックさんに声かけてから行くよ」

「それは当たり前よ」


 ふと、リラのエプロンの端に汚れが付いているのに気が付いて、指で払った。


「ありがとう。でもいいのよ。どうせ後で洗うんだし」

「うん、まあそうなんだけど」

「それに、ジータは一応お客様なんだから、気を使わなくてもいいのに」

「これはお客様としてじゃなくて、友達としての行いだから、気にしないで」


 私がそう返すと、リラは目を丸くしたあと、初めて会った時のように悪戯っぽい笑みを浮かべ、首を傾げた。


「かわいいわね、ジータ」

「あなたもね、リラ」




 遅めの朝ごはんを食べて、キッチンにいたズックさんに声をかける。

 ソレリアの1階は、受付を兼ねた宿泊客向けの小さな食堂になっている。そこで出される食事は全てズックさんの手作りだ。どれもどこか懐かしく優しい味で、私はとても気に入っている。


「どうした、お嬢ちゃん」


 朝の忙しい時間を終えたズックさんは、キッチンのカウンターに腰かけて新聞を読んでいた。


「おかげさまでずいぶん元気になったので、今日は少し遠くまで散歩に行ってきます」

「……散歩か」


 ズックさんは渋い顔をして新聞を畳んだ。


「ダメですか?」

「いや、ダメじゃねぇが……1人だろう?」

「はい」


 ズックさんは唸った。


「あんまりおすすめはしねぇ。が、ずっと部屋にいるばかりでも体は鈍るしなぁ」


 そう言うと、ズックさんはいくつか引き出しを開け閉めし、「あったあった」と小さく畳まれた紙を取り出した。受け取って開いてみると、この街の地図だった。


「赤い線の場所以外は立ち入り禁止だ」


 地図には赤い線が引かれている。ソレリアのある通り、大通り、そしてソレリアのある通りと大通りを繋ぐ3本だけ。さらには、大通りに引かれた赤い線は、真ん中あたりにある、『中央広場』と書かれた場所で途切れている。

 私は思わず声を上げた。


「えっ、これだけですか?」

「そうだ。さらに言えば、駅舎には入るな。出られなくなるかもしれねぇ。明るく見えていても賑わっていても、他の通りや路地には絶対に入るな。歩いてて知らない奴に声をかけられたらできるだけ無視しろ。いろいろ物珍しいだろうが、変にきょろきょろするな。これは小遣い。欲しいものがあったら好きに買うといい。鞄を貸してやるからちゃんと持っとけよ」

「子供のお使いですか……」


 あの、一応もう18なんですけど。と付け足すと、ズックさんは体を揺らして笑った。


「分かってるよ。が、ここは嬢ちゃんの常識が通用しない場所だ。嬢ちゃんはここでは赤ん坊同然。この赤い線のある場所は、この街では比較的安全でいわゆる常識的な場所だが、それでも用心は必要だ。気を付けていって来いよ」


 お父さん。そんな単語が思わず頭に浮かぶような、鮮やかな子供扱い。

 18のレディにするには少々大げさな気もしなくもないが、ここに私がいた国の“常識”が存在しないことは分かっている。「分かりました、行ってきます」と返事をすると、「晩飯までには帰って来いよ」とお父さんが笑って、再び新聞を広げた。




 大通りに出れば、処理しきれない情報の山が目に飛び込んでくる。

 目の前を通り過ぎる自分の2倍はある巨体の男性。その向こうを笑いながら駆けていく子どもたちの頭にはふさふさの毛に覆われた三角の耳、足元で楽し気に揺れる尻尾。空想好きの子供の頭をそのまま再現したかのような街並みは、見ているだけで目が回りそうだ。気持ちよく晴れた空を見上げると、果物を積んだカゴがすごいスピードで飛んで行った。そのどれもが1つずつ目の前で起これば驚くかもしれないけれど、これだけ同時に起これば驚く気にもならないので不思議だ。いや、単純に私の頭が追い付いていないだけなのかもしれないけれど……

 再び地図見て、しっかりとソレリアと通りの場所を確認する。


「よし」


 自分を奮い立たせるように頷いて、左右確認。とりあえず左、駅のあった港へ向かって歩き出した。

 港駅から街の中央広場、そしてその先の高台にあるお屋敷まで大通りは続いている。

 大通りの両側にはびっしりと店が立ち並んでいて、多くの人(人でないものも多いけれど……)が楽しそうに歩いていた。貰ったお小遣いを必要以上に使う気はないが、店を覗くくらいはいいだろうと雑貨屋の前で立ち止まる。

 見たことのないドライフラワー、夜空を閉じ込めたような水晶、この世のものとは思えない繊細な模様が彫られた手鏡。それらの下に付けられた値札には、ぎょっとするような大きな数字が並んでいた。所持金の有無にかかわらずとてもじゃないけれど、手が出ないような代物ばかりだ。


「主人のお使いかい?」


 のそり、と雑多に積まれたものの隙間から、腰の曲がった老女が顔を出した。


「あ、いっ、いえ、すみません。見ていただけです」


 慌てて首を振ると、老女はつまらなさそうに口を曲げ、文字通り煙のように消えてしまった。

 一瞬何が起こったのか分からず周囲を見渡し、今の不思議な出来事を見た人がいないか探してみたが、誰もこの店に興味がないように――正確には、当たり前の日常をわざわざ気に留めることはないとでもいうように、誰もが平然と店の前を通りすぎて行くばかりだった。


 私は再び歩き出し、港駅に向かった。

 駅前の賑わいは、大通りにそん色ない。食べ物を売っている屋台も多かった。何軒か覗いみたが、一件も見たことのある料理を扱っている店はなかった。世界は広いと実感する。つい1週間前まで、あの屋敷の中で継母になじられながら、俯いて廊下掃除をしていたのが嘘みたいだ。

 ――ヴァイオ氏は元気かな。

 駅舎に視線を向け、あの日列車の中で出会った、恐ろしくも美しい男性を思い出した。

 もう一度会えたらお礼がしたいと思っている。それをズックさんに伝えた時、彼は分かりやすく顔を渋い顔をした。


「ルカの居場所を知りたいって?」

「はい、先日助けていただいたお礼をしたいんです。それにソレリアの宿泊費も払っていただいて……お金は近いうちに働いて返すと伝えたいですし」

「いい、いい。金のことは気にするな。あいつは金なんか腐るほど持ってる。お嬢ちゃんへの施しなんて、あいつにとっちゃ痛くも痒くもねぇ」


 ズックさんは呆れたようにそう言った後、真剣な目をこちらに向けた。


「ルカがなんの仕事をしているか聞いただろ」

「……それは……はい」


 “殺し屋”。物騒な言葉を言って、紳士的な笑みを浮かべたヴァイオ氏を思い出す。

 ズックさんは深いため息をついて「そういうことだ」と、子供にするかのように私の頭に手を置いた。


「あいつは死神みたいなもんだ。悪いことは言わねぇ、会わないほうがいい。いや、会うべきじゃねぇ。所詮、嬢ちゃんとは住む世界が違う」


 ズックさんは見た目こそ怖いが、とても陽気な人で、優しい人だった。付き合いは短いけれど、日々の些細なやり取りや、客への態度を見ていれば分かる。だから、そんなズックさんから出た、この突き放すような冷たい響きの言葉に、少しどきりとした。


「金の心配は、本当にしなくていい。ルカも返して欲しいなんて毛ほども思っちゃいねぇ。落ち着いて生活ができるようになるまで、何日でも、いや、何年いてくれたってかまわないから」


 これ以上、この話はしない。と言外ににおわせて、ズックさんは仕事に戻っていってしまった。

 ――でもズックさん。

 私はできなかった反論を、心の中で彼の背中に語りかける。

 あの日、この迷路のような駅舎の中で追ったヴァイオ氏の背中は、とてもじゃないけれど“死神”なんかじゃなかったんです。一歩でも進む方向を間違えたら二度と出られなくなってしまいそうな継ぎはぎの道で、迷いなく私を導いてくれた彼は死神なんかじゃなくて、むしろ――


 駅舎を見ながら、生温い海風をあびる。

 駅舎から続く線路は海の上を揺蕩い、先は見えなかった。



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