功利主義に対する予定調和主義
功利主義とは、分かりやすく言うと、人類の幸福の総和を高くしようという考え方です。
功利主義は一見正しいように見えますが、本当にそうでしょうか? 以下の事例から考えて見ます。
一人の犠牲で五人の命が助かる。これが功利主義の考え方です。幸福の総和的に見れば理に適っているように見えます。ですが、私はそこに予定調和主義を唱えます。
予定調和とは、私の師匠。ライプニッツさんが唱えた理論で、簡単に言うと何が起こるかは予め決まっているよという説です。ちなみに予定調和主義という言葉はありません。私が今考えましたw
全ては決まっている。人間の手で神が定めたことを変えることは出来ません。
一人の犠牲で五人の命が助かるをもうちょっと掘り下げてみましょう。一人の健康な人の臓器を、移植が必要な五人に移植する。それはいいのだろうか? その五人はなるべくしてそういう病気になりました。要はそういう病気になる必要があったからそうなったのです。これが予定調和です。で、それを安易に変えることは神の視点からして許されるでしょうか? もし仮に、その一人が私の命を犠牲にしてその五人移植してと言った場合は許されるかもしれません。ですが、そうじゃない場合。安易にその人の命を犠牲にすることは許されません。倫理的、道徳的に見ても分かることです。
功利主義……。一見正しそうに見えて、そういう落とし穴があるのです。
それに比べて予定調和主義は倫理的、道徳的に見ても理に適っているように見えます。完璧ですね。
そういう意味で、功利主義は間違った哲学だと言えるのです。




