矛盾真理”コントゥルー”についての理論
前投稿したエッセイのアンチノミーについて誤りがあったのでここで訂正します。
前はアンチノミーは矛盾は存在しえないと言いましたが、矛盾は存在し、パラドックスの意味も付与してそれを言い表す言葉として訂正文とします。
友人の解釈から始まったのですが、その友人が間違った解釈というかウィキペディアの記述もおかしいということになったそれを私に詫びました。快く許そうと思います。
では謝罪はここまでにして本題に入ります。
矛盾真理”コントゥルー”この哲学用語は私が確立しつつあるものです。
今まで誰もこれを主張していません。なら私が主張しちゃおうという浅い考えのもと、本理論を展開することになりました。
矛盾という概念は受け入れがたい概念ではあります。ですが、それを受け入れないと人類の知性は進歩しないと思うのです。全能の逆説など、矛盾した事柄はたくさんあります。
矛盾真理とは法則の一つです。
それを理解することによって人間の知性は進歩する。知性が進歩したらどうなるか? 相手のことを理解出来るようになります。
ちなみに今適当なことを抜かしてます。理論といいながら適当なことを抜かす。矛盾してますね。ですが、これでいいのです。矛盾が真理なのですから。私のような展開は誰にでもありうるということです。
このコントゥルーをアンチノミーと関連付けするかは悩むところですが、してもいいかもしれません。どちらも矛盾に関することですからね。
しかし、面白いです。私はコントゥルーという言葉を矛盾と真理の英名から名付けました。で、もしかしたらこの言葉はあるのではないかという思惑をし、検索にかけてみましたが、近い言葉はありますが、コントゥルーという言葉自体なかったのです。
もしかして、この概念が広まれば私ライプにっつ2が21世紀の哲学者として名を馳せるのではないかという淡い妄想を抱いてしまいます。はい、そんなことありません。哲学者を舐めるなって話です。
私はこの矛盾真理という概念を深めつつ、哲学を勉強していきたいと思います。最終的には神がどういうものか説明出来るようになりたいものです。それが生きてるうちに出来るか謎ですが……。




