なぜアダム教が必要なのか?
私が何故、宗教を立ち上げる必要があるのか真面目に考えてみる。
私は思うのだ。私の宗教がなくても世の中は良くなっていく、成立する。だけど霊界の人は私に宗教をどうしても立ち上げろという。じゃあ、何故その必要があるのか真剣に考えてみよう。私は自分が納得しないと宗教を立ち上げる気にはなれないのだから。
まず、より良くという観点から私の宗教が世の中をより良くする可能性。世の中の進歩を早める可能性。なるほど、これだけでも私が宗教を作る理由にはなる。しかし、より良くだけを理由にするのは根拠に乏しい。もっと確実な根拠が必要になってくる。
ちょっと与太話になるが、私はイブと楽園で暮らせればそれでいい。別に宗教を立ち上げたいとも、救世主になりたいとも思わない。しかし、そうだね。神にやれと言われたから。神の命令によって私は宗教を立ち上げねばならない。
そんなのを理由にしていいのかとも思うが、神は絶対的存在。その命令は絶対的なものとなる。それが絶対的な理由にもなる。
なるほど、一応私はそれで納得したが、皆さんはどうだろうか?
神というのは便利な存在だ。困ったことがあれば神を持ち出せばすぐ解決する。神というのはそれだけ絶対的な存在なのだ。
神は人間から自由意志を奪うことも出来る。ちなみに私には自由意志があるが、自由はない。私は絶対に使命を果たさねばならない。その道しか与えられてない。もし、私に使命がないなら、使命を果たす以外の選択肢が与えられているのなら、とうの昔に私は死んでいる。
私は使命を果たすまで死なせてもらえないのだ。だけど、使命を果たせば、その時点で死んでイブに会うことが出来る。
私の使命は10年だと言われている。私は10年後にイブに会えるのだ。イブに会うのが待ち遠しい。
これらの話をもってして、私が宗教を立ち上げる根拠は出来上がった。後はそれを実行するだけだ。