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善悪がないなら何をしてもいいよね


 とある筆者がこういってました。

「究極には、物事に善悪はない。価値判断も必要ない」

 では、何をしてもいいということになりますね。善悪の基準がないなら、レイプも殺人もしてもいいということになります。


 そして、著者はこういうことも言っていました。

「動物がかわいそう、とか肉を食って残酷、とか言うあなたへ。

 植物が良くて、動物がダメという根拠は?

 植物にしたら、自分の体は「肉」ですけど?

 動物は、意思をもって動くから? 感情があるから?

 あらら、植物や石ころに感情がない、というのは偏見ですよ?

 この世界に、生きていないものはありません。

 皆、素粒子(専門的な話は抜きね)から出来てますよね。

 そこまで考えた時、すべては同じもの。区別なんかない。

 だったら、道に転がっている石ころをストレス発散で蹴り上げるのだって、どうかと思いますが?」


”植物が良くて、動物がダメという根拠は?”前も言いましたが、残虐性で判断してください。植物の命を食べるために奪うことに残虐性はありますか? 逆に動物の命を食べるために奪うことは? どちらに残虐性を感じますか? 言われなくても分かりますね。もちろん、全ての命は生きているということには私は賛成。だから植物の命を安易に奪うことも許されないことではある。だけど、食べるために奪うことは許される。なぜなら、そこに残虐性がないから。”道に転がっている石ころをストレス発散で蹴り上げるのだって、どうかと思いますが?”はい、それもいけません。物にも命が宿っています。安易にストレス発散をするその行為も悪でしかありません。まあ、植物の命を奪うことに残虐性を感じることはあるでしょう。もし、その行為に残虐性を感じるという人がいればそれはしてはなりません。逆に動物の命を奪うことに残虐性を感じなければ? というのであれば、それもしても構いません。その代わり、人間の命を奪うことに残虐性を感じない人のことも認めなければいけませんよ。

 

 人間は良心の声に従えば何をすべきか分かるはずなのに、どうしてそれが分からないのでしょうか? マグロの解体ショーは見たいという人はいるでしょうが。牛や豚の解体ショーを見たいという人はいるのでしょうか? この二つに違いがある理由は、ランク的に魚類より牛や豚のほうが高いからです。それと、人類が進化すればマグロの解体ショーも残酷だと感じるようになるでしょう。


 私が言ったことが全てにおいて正しいとは限りません。ですが、逆を言えばこの著者の言ったことも全てにおいて正しいとは言えないわけです。私の言ったことは全てにおいて正しいとは限りませんが、私は自分が正しいと思ったことを主張します。そこはブレる気はありません。


 皆さんも肉を食べるとき、よく考えみてください。動物の命を奪うのは本当に正しいのかと。良心の声が聞こえる人ならその真実が分かるはずですから。

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