苦行は必要ないか?
苦行なんて無意味。そう言う人もいますが、一概にそうだとは言えません。
釈迦の教えでは中道と言って、苦行を否定してますが、私の視点としては全く持って苦行を無意味なものだとは言えないのです。
苦行を通して悟ったり、霊格を上げている人達がいます。マーハーヴィーラ―さんがその代表です。
まあそもそも人生そのものが苦行ではあります。釈迦もそう言う教えは説いてはいるでしょう。
ここからが重要なのですが、大事なのは苦行をしたかどうかじゃなくて、苦行をどう捉えているかです。仕事という苦行に対してもそうです。「嫌だなあ……」と言ってやるのと「人々に奉仕するんだ!」ってやるのとでは、同じ仕事でも霊格の上昇量に差が出てきます。
私の苦求幸福論にもありますが、そういった必要な苦行(人によって必要な苦行は様々です)は積極的に求めましょう。それが結果的に幸福へと繋がります。苦労は買ってでもしろというのは奴隷根性ではなく、幸福への真理です。
苦行については、別に滝行とか断息行みたいな極端な苦行をしろとは言っていません(中にはそれが悟りへの道に繋がる人もいますが)。一般的な苦行。仕事を人の分もやるとか。節制した生活をする。でもいいんです。
このことに気づいている人は地上でどれくらいいるでしょうか? 恐らく少数派ではありませんか? その他多数派の人たちも幸福を求めているはすですが、皮肉なことに不幸への道を歩んでいます。本当に幸福へと進みたいなら、この世的な快楽の追求をやめ、苦行を求めるようにならなければなりません。
私の言ってることは難しいでしょうか? 理解出来ないでしょうか? 安心してください。今の私の言ってることは昔の私からしたら全くもって理解出来ないことです。ですが、今の私は理解しているのです。私にも理解出来るのですから、地上の全ての人がこのことを理解出来るはずです。
もう一度言います。幸福になりたいならこの世の快楽の追求をやめ、苦行を求めてください。
それが出来て、初めて人々は苦しみという無間地獄から解放されることでしょう。