連帯責任
今日は連帯責任について語ります。
しかし、まず私が言いたいのは私は連帯責任というのをあまり受け入れていません。その立場から語るので、論理的に適っていない可能性があります。そこらへんはご了承ください。
私は原罪を受け入れていませんでした。今も完全に受け入れられてる気がしません。
私の主張としては、原罪を作ったのは私とイブとサタンです。ということは責任はこの三人にだけ追及されるべきで、子孫にまで追求するのは如何なものかと考えます。
なぜ、神はこの罪を子孫にまで追求するのでしょうか?
ちょっと一般社会で考えて見ましょう。企業が不祥事を起こした時、責められるべきなのはその不祥事を起こした人であり、企業であるべきではないでしょう。ですが、ここが連帯責任の面白いところです。人は不祥事を起こした人も見ますが、その人が所属する企業も見るのです。
これを神と人間の視点から当てはめて見たらどうか。神は人間という一企業を見ていることになります。原罪という不祥事を起こしたアダムを見ていると同時に、そのアダムの子孫も見ています。
ただ、私としてはどうしても納得がいきません。原罪について責められるべきはアダムだけではいけないのか? なぜアダムの子孫にまで。アダムの子孫が何か悪いことをしたのか?
いづれ、私の霊格がさらに進歩したときにこのことについて分かるときが来るのでしょうか。難しい話です。