黒衣の冒険者 その2 ※挿し絵あり
第2話です。お楽しみ下さい。
「えぇっと…………」
一晩明けて翌日、ギルドで依頼を受注したトモノリは、依頼先である小さな神殿へとやって来ていた。
街外れに立地するその神殿は、少なくとも建てられた当初はそれなりに立派な佇まいだったであろう事は容易に想像できた。
だが、今は正面のステンドガラスが所々割られて穴が開き、純白だったのであろう外壁は茶色く薄汚れ、どことなくみすぼらしい印象が強かった。
唯一正面に並べられた鉢植えの花々だけは美しく咲き誇っていた。
「おい、本当にここで合っておるのか、依頼先は?」
「うぅんと………」
頭の上のフート爺の不安満々な言葉を受け、トモノリは依頼用紙を確認する。
「えっと………『アンダッテオレワ聖ルチアーノ神殿』……うん、間違いなくここだね」
「本当に大丈夫か?報酬が現物……それもカサカサのパン1~2個なんてオチになったりせんか?お前は良くても、わしは不満じゃ」
「よく言うよ……基本食事する必要が無い癖に……」
「だからこそ、たまにはそれなりの洗濯屋で洗濯されたいというわしなりの贅沢をじゃな……」
「あ~ハイハイ……悪かったね、僕の手洗いで」
ブツブツと文句を垂れるフート爺を後目に、トモノリは階段を上がると神殿の正面扉を大きく3回ノックした。
『はぁ~い!』
ノックのすぐ後、神殿内から返事が返ってきた。
この神殿の巫女だろうか、若い女性の声だ。
しばらくすると、古い建物特有の重々しい音と共に扉が開き、
「お待たせしましたぁ」
装束に身を包んだ若い巫女が笑顔でトモノリを出迎えた。
「ッ!!!!」
その瞬間、トモノリは息をするのも忘れ、氷漬けになったかのように動かなくなった。
理由は簡単。目の前の巫女に見蕩れてしまったのだ。
年は大体十代後半から二十代前半くらい。若葉のような翡翠色の髪を腰まで伸ばし、鳶色の瞳が星の様に煌めいている。
鼻筋は高すぎず低すぎず、唇は瑞々しいピンク色。そばかすもニキビも一つも無い綺麗な顔立ちはまるで天使の様。肌は雪のように真っ白で、手の指は小枝のように細い。
それでいて、小奇麗で神聖な純白の巫女装束を着ていても、女子としての身体の凸凹ははっきりと分かり、胸のサイズは大・中・小で言えば間違いなく『大』に分類されるだろう。
天使と見紛う程の美しい巫女を目の前に、トモノリの思考は完全に停止し、頬を赤く染めたのだった。
「あの……どうかされました?」
「…………えっ?」
巫女から声を掛けられて、トモノリはようやく正気に戻った。
「あっ!!いや!あの、そのぉ……んっん!」
我に返ったトモノリは一瞬慌てふためくも、すぐに調子を取り戻して咳払いをする。
「あのぉ……ギルドからの依頼を受けまして……その、この神殿の庭に『ナマズネコ』が大量発生しているとか?」
「……あぁ!冒険者の方ですね!ありがとうございます!まさか、こんなに早く来ていただけるなんて思わなくて!」
「そ、そうですか?アハハハハ」
巫女の言葉にトモノリは顔を赤くして照れ臭そうに笑う。
トモノリの頭上のフート爺はつまらなそうに「ケッ」とそっぽを向く。
「それではご案内しますね。えぇっと………」
「あっ!トモノリと言います。トモノリ・ヨシザワです」
巫女の困ったような顔に気づいたトモノリは、頭のフート爺を一旦外して胸に添えると、恭しく自己紹介をした。
「ご丁寧にありがとうございます。私はこの聖ルチアーノ神殿に仕えておりますアンネ・ド・メリュジューヌと申します」
トモノリの自己紹介を受けて、巫女―アンネもまた、恭しく自己紹介をした。
軽く一礼しただけで、ふくよかな胸が揺れ動いた。
「アンネさん……なんて可愛らしいお名前……」
「フフッ、ありがとうございます」
トモノリの言葉にアンネはクスリと微笑む。まるで野に咲く花のような可愛らしい笑顔に、トモノリの心臓の鼓動がまた1拍大きくなった。
「では、こちらへお願いします」
「あっ、はい!」
フート爺を被り直したトモノリは、アンネの後に着いていく。その顔は幾分か赤くなっていたが、フート爺を目深に被っているおかげで、アンネには全く気取られることはなかった。
「あぁ……可憐だ……」
「ハァ……」
まるで初恋に震える少年のような様子のトモノリに、フート爺は深くタメ息をつくばかりであった。
・・・・・・
「………さて、ここで『ナマズネコ』について良く知らない者らの為に、簡単に説明をしておこうかのぉ。『ナマズネコ』は、世間で言う所の、いわゆる『魔物』とか『モンスター』と呼ばれておる普通の動植物とはいささか系統の違う生き物の一種じゃ。その名の通り、ナマズとネコを足して2で割ったような姿をしておって、その上、いつも眠そうな目をしておるし、『ブニャア』という間の抜けた鳴き声を挙げるんじゃが、群れを作ると、時には自分より大きな魔物すらも餌食にしてしまうことも多々ある。しかし、このパラデュース大陸では多くの場合、『駆け出し冒険者の経験値稼ぎの相手』と認識されておって、スライム、ゴブリンと並んで『三大雑魚モンスター』等と呼ばれておるんじゃ」
「……フート爺、誰に向って何を言っているのさ?」
「気にするな、独り言じゃ」
・・・・・
「うわぁ~……」
アンネに案内された神殿裏に位置する庭の状況を確認した途端、トモノリは先程までの良い気分が一気に台無しになったような気がして堪らなかった。
元はさぞかし立派な庭園だったのだろう。だが、今ではそこら中に雑草がボーボーに生え、飾られている花壇や鉢植えも所々ひび割れが入ってボロボロになっていた。
その上、その荒れ果てた庭園を我が物顔でナマズネコがのし歩いていた。
それも1匹、2匹どころの話ではない。
50匹以上、下手をすると100匹はいるのかもしれない。
ネコそっくりの四足体型でありながら体に体毛のような物は一切なく、全身がヌルヌルとして真っ黒なナマズのような皮膚で覆われ、尻尾は扇を思わせる尾鰭となっている。
身体も顔も真ん丸で、唇はまるでタラコのように分厚い。頬には3本のヒゲが生え、豚のような鼻に眠たそうな半開きの目………そんないささか間抜けな印象が目立つ『ナマズのようなネコ』なのか、『ネコのようなナマズ』なのか判断しづらい生き物が、「ブニャブニャ」鳴きながら庭園を占拠していたのだ。
「ブニャア~……」
その中でも一際大きな1匹などは、大口開けて大あくびをすると、丸まって昼寝を始めだした。近くに人間が2人もいるにも関わらず、警戒をする様子もなく油断しきっているのが見て取れた。
人間を舐め腐っているとしか思えないナマズネコ達の態度に、トモノリは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「……でかい顔されちゃってますね」
「はい……神殿でありながら全く面目次第もないんですが……」
アンネも困り切ったかのように口をへの字に曲げる。
「こちらとしても、何度も追い出そうとはしたんですけど……何せ冒険者の方にとっては雑魚でも、モンスターには変わりないので……逆にこちらの生傷が絶えない次第でして………」
「そうですか……じゃあ」
アンネとの話を切り上げると、トモノリは徐にフート爺を外し、両袖を捲り上げた。
「フート爺、悪いけどアンネさんに被られていて」
トモノリの言葉にフート爺は「あいよ」と返事すると、フワリと浮かび上がってアンネの頭に被さった。
「きゃっ!」
「よろしくのぅ、わしはフートじゃ」
「は、はい……どうも……」
自分の意志とは関係なく、勝手に帽子に被さられてアンネも一瞬面食らう。
「さぁ~て、やりますかぁ……」
右腕を軽く回しながら、トモノリは油断しきっているナマズネコ達に近づいて行く。
「だ、大丈夫なんですか………?」
トモノリがいくら本職の冒険者とは言え、アンネはどうしても心配せずには居られないようだ。しかし、
「なぁ~に。ナマズネコ程度に苦戦するようなトーシロではないぞ、アイツは」
アンネの頭上のフート爺は、逆に冷静だった。
「ふぅ~ふんふふん♪ふ~ふふふん♪ふんふんふんふんふ~♪」
トモノリは鼻歌を歌いながら、先程大あくびをしていた1匹へと近寄っていく。
「…………ブニャアァ?」
そのナマズネコが気づいた時には、トモノリはナマズネコの真正面に立っていた。
そして、徐に右足を振りかぶると……
目の前のナマズネコを、思いっきり蹴り飛ばした。
「ブニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア…………………」
トモノリに蹴られたナマズネコはそのまま空高く吹き飛んでいき、キラリと星となったのだった。
「ブニャッ?」
「ブニャニャ??」
仲間の絶叫を聞いて、他のナマズネコ達もようやくトモノリの存在に気が付いたらしい。
先程までダラダラしていたのが嘘のように、ナマズネコ達はトモノリの方に集まっていき、「ブシャア!」「ブシャアァッ!!」と殺気を込めた威嚇を向けていく。
トモノリの後ろに控えているアンネはそれだけで冷や汗がダラダラ流れる程に震えあがるが、トモノリの方は全く動じる様子も無く、平然としていた。
そして、トモノリは軽く深呼吸を2~3回行うとゆっくりと目を閉じ………次に目を開けた瞬間、ナマズネコ達の物など比べることも馬鹿らしい程の殺気を込めて、ナマズネコ達を睨みつけた。
『!!!!!????』
トモノリに睨みつけられ、ナマズネコ達は息をするのも忘れて固まった。
何故ならナマズネコ達は、トモノリに睨みつけられた瞬間………『自分達の肉体が粉微塵に引き裂かれ、ミンチとなった』ような錯覚に襲われたのだ。
今度はナマズネコ達の方が冷や汗をダラダラと流す羽目になった。
トモノリが一歩踏み出す。
「ブニャ……」
するとナマズネコ達は一歩後ろに下がる。
またトモノリが一歩踏み出す。
「ぶにゃ…………」
ナマズネコ達が一歩下がる。
そして、もう一歩トモノリが踏み出すと……………
「ブ………………………」
『ブニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!』
とうとう耐え切れなくなったナマズネコ達は一斉に逃げ出した。
『これ以上目の前の人間にかまっていたら、本当に死ぬことになる』……と本能で悟ったのだろうか。
ナマズネコ達は一匹残らず滝のような涙を流しながら、蜘蛛の子が散るように駆けていき、とうとう庭園から一匹残らず居なくなったのだった。
「……ふぅ~」
ナマズネコが居なくなると同時にトモノリは溢れ出ん限りの殺気を解除し、アンネに向き直った。
「……はい。ナマズネコの駆除、終了しました」
微笑みながら仕事の報告をするトモノリだったが、アンネはさっきまでのナマズネコ達の姿を見て、呆然となっていた。
「と、トモノリさん……い、今何をしたんですか?」
「?軽く殺気を込めて睨んだだけです」
「か、軽く……?今ので………軽く?」
とてもじゃないが、アンネにはトモノリの言葉を信じることはできなかった。
ナマズネコは小型の妖獣クラスとは言え、れっきとした魔物の一種である。
にもかかわらず、人間に『軽く』睨まれただけで、あれほどパニックを起こさんばかりに逃げ惑うことなどあるのだろうか?
市居の巫女であるアンネには、目の前のトモノリが本当に自分と同じ人間なのか、解らなくなっていた。
「……ブニャアアア!!!」
その時、またナマズネコの鳴き声が聞こえてきた。
振り返ると、全身のそこかしこに擦り傷や青痣ができ、右目の瞼の上にタンコブが出来ているナマズネコが息を切らしながらトモノリ達―というかトモノリ―を睨みつけていた。
「ブシィッ!ブシィィッ!!」
よくよく注視してみれば、そのナマズネコは先程トモノリに蹴り飛ばされて星になった個体だった。どうやら、蹴り飛ばされた先から自力で戻ってきたようだ。
「ブニャアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
ナマズネコは前足の爪を伸ばし、トモノリへと飛び掛かる。
「きゃああっ!!」
「……」
アンネは思わず両手で顔を覆うが、トモノリは慌てる様子一つ見せることなく、背中に背負った刀に手を伸ばす……だがその時、雷鳴を思わせる連発銃の発射音が轟くと共に、トモノリに襲いかかろうとしたナマズネコの額に連発銃の弾丸が命中した。
弾丸はナマズネコの額から後頭部を貫通し、ナマズネコはそのまま頭部の前後に開かれた穴から流血しながら地面に崩れ落ちたのだった。
「……んん?」
「えっ?えぇ?」
突然の事にトモノリは首を傾げ、アンネは少々パニックを起こしかけていた。
「……よぉ、危機一髪だったな」
後ろから人の声がした。若い女性の声だ。
振り向けば、昨日ギルドでトモノリに話しかけてきた女性冒険者・シャーロットが、トモノリ達の後方5タンコウの位置に立っていた。
彼女の右手に握られた連発銃の銃口から白い煙が立ち上っているところを見るに、今の攻撃はシャーロットが行ったようだ。
「貴女は昨日の……でも、どうしてここに?」
「アタシもここの依頼受けてきたんだよ、ほら」
そう言ってシャーロットは懐から依頼用紙を取り出す。確かにそこには『依頼先・アンダッテオレワ聖ルチアーノ神殿』と太字で書かれていた。
「そしたら、庭園の方からナマズネコの鳴き声がしたんで行ってみたら、アンタにナマズネコが襲いかかろうとしてたんで……バーン!……って訳さ」
「まぁ………一応ありがとうございます」
「ム……何だよ、『一応』って?」
トモノリの素っ気ない態度にシャーロットは文句を言うが、対するトモノリの方は倒されたナマズネコの傍に立ち、合掌と黙祷を捧げた。
「………また、無益な殺生を許してしまった。ゴメンよ……」
「えっ……?」
トモノリの小さな弔いの言葉は、アンネの耳にだけ聞こえたのだった。
「さてと……じゃあどうしましょうか?コレ」
先程までの哀悼の空気から一転、トモノリは倒されたナマズネコの尻尾を掴んで持ち上げると、シャーロットやアンネに見せた。
「どうするって言われても……」
「ウゥ~ン……」
意見を聞かれても、アンネもシャーロットもどう答えて良いものか解らず、頭を捻る。
いくら魔物の死体とは言え、スライムと並ぶ雑魚モンスターの代表格であるナマズネコの死体だ。ギルドに持って行って換金しても、精々5~6コパーくらいにしかならないし、素材を剥ぎ取ろうにも、ナマズネコの身体のどこの部位が何の役に立つのか、見当もつかない。
そうやって3人でウンウン唸って考えていると……。
グギュルルルルルルルルルルルルル。
「「「あっ」」」
3人の腹の虫が同時に、かつ豪快に、庭園に響き渡った。
「……今日の昼飯にしたらどうじゃ?」
結果。今まで黙っていたフート爺の意見が満場一致で採択されたのであった。マル。
感想よろしくお願いします。