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美奈子ちゃんの憂鬱

美奈子ちゃんの憂鬱 女装とトイレと落書きと

作者: 綿屋 伊織

C棟ここの女子トイレってさ」

「何よ」

「ヤバいって噂だよ?知ってる?」

「ヤバいって?何がヤバいの?」

「知らない」

「あのさ……知らないって、逆にヤバくない?」

「あははっ。そうかもね」


「ううっ……うっ、ううっ……」

 クラスメートがそんな会話を交わす移動教室。

 その中で水瀬が泣いていた。

「ううっ……グスッ……や、やっとだよぉ……」

「……よかったねぇ」

 未亜がしみじみと頷きながら、水瀬の頭を撫でる。

「あと1週間で女装しなくていいって、やっとお達しが来たんだぁ」

「うん……あの日から……やっとだよぉ」


 女子身体検査の際、校長から出されたお達しは、

『のぞきをした者は卒業まで女装してもらう』

 という、学園上、前代未聞のシロモノ。

 事故とはいえ、身体検査中の保健室に入り込んだ(正しくは“放り込まれた”)水瀬は、期間限定で女装して登校させられていた。

 その措置が、ようやく解除されることが決定したのだ。

 水瀬が女装解除を職員会議の議題に上げてもらうまでに払った努力は並大抵のことではない。

「学校参加のボランティアにかかさず参加して、その度に他校の男子にナンパされたり告られたり、パンツ盗み撮りされたり、芸能界のスカウトに追っかけられたり」

「た……大変だったんだからね?その……いろいろと」

「もったいない気はするけどねぇ……」

 未亜がそう言ってため息をつくのも無理はない。

 銀色のツインテールの髪。

 くりっとした大きな瞳。

 整った顔立ち。

 目の前にいる女装した水瀬は、アイドルを見飽きる程生で見てきた未亜でさえ見とれるほどカワイイのだ。

 それがもう見納めなんて、残念以外の何者でもない。

「職員会議でも反対論巻き上がったって聞いたよ?」

「男子生徒に女装させ続けるなんて、そんな人、教師じゃないよぉ……」

「……まぁ、生徒の間でも、“ショートにイメチェンしたと思えばいいっ!”って意見もある位だし。ねぇ、美奈子ちゃん。どう思う?」

 横に座っていた美奈子に話題を投げかけたが、美奈子は何故か青い顔で席を立った。

「ご、ゴメン未亜。私、ちょっとお手洗い」

「どうしたの?」

「お……お腹……」

「始まっちゃった!?それとも陣痛!?」

「こらっ!」

「水瀬君立ち会ってあげて!パパになるんだから!」



 桜井美奈子が、そのトイレに入ったのは本当に偶然のことだった。

「未亜ったら……痛たたっ……」

 お腹を押さえながら痛みが去るのを待つ。

「何が陣痛よ……違うって」

 下腹部に力を込めるが、痛みはどうしようもない。

 こんな時間に薬は使いたくなかった。

「ううっ……最低……。もう一週間だよぉ?」

 美奈子に出来ることは、歯を食いしばって痛みに耐えること。そしてせいぜいが壁を見ることだけだ。

「……あれ?」

 苦しい下、白いタイル張りの壁に、黒い汚れを見つけた。

 違う。

 文字だ。

 文字が書かれていた。



 ラクガキスルベカラズ


「……まるでハガキね」

 美奈子がそう思ったのも無理はない。

 何しろ、タイルそのもののサイズが丁度、官製はがきそっくりな大きさなのだ。

 それが、ちょっとおかしい。

「それにしても……?」

 美奈子は、それがヘンだと思った。落書きをするな。と言っていながら、自分が落書きしているではないか。

 今、学校は清掃美化月間中だ。

 だから、「落書き禁止」のポスターの変わりにタイル一枚使って警告を書いたのか?

 普段の優等生としての美奈子なら、そう好意的に捉えたろう。

 だが、今いる美奈子は違った。


 落書きするなと言って、実質落書きしている。


 それが、まるで殺人並の犯罪に思えて腹が立ってしかたない。

 美奈子は、ポケットにサインペンがあったのを思い出した。



 誰の仕業かは知りません。

 でも、あなたが落書きしてるじゃないですか。

                  M.S.


 美奈子は書き終えるとサインペンをポケットに戻した。

「?」

 その時、初めてトイレに人の気配を感じた気がした。

 誰かが入ってきたかとも思ったが、個室のドアが閉まる音はしない。

 気のせいかと思って、美奈子は再び、腹痛との格闘に戻った。



 翌日の移動教室が始まる前。

 美奈子は再びそのトイレの個室にいた。

「や……やっと、やっと出た……」

 もう全てを許せるほどの満足感に浸りながら、美奈子は恍惚した顔で壁のタイルを見た。

 落書きが増えていた。


 ボクノカイテイルノハ ケイコク ラクガキジャナイ


「……」

 美奈子は再び、サインペンをポケットから取り出した。




 だから、これって立派な落書きじゃない。




 書き終えた途端だ。

 ザワザワザワッ……

「!?」

 何だかかなりの人数がトイレに入ってきたような、そんな感じがした。

 しかも、その全員が怒っている。

 何故かはわからない。

 人気のないトイレの中にずっといたせいだろうか?

 美奈子はそう思い、思い直してもう一度、サインペンを手にした。




 あなた、一体誰?

M.S.



 翌日の昼休み

「あれ?美奈子ちゃん、どっか行くの?」

「……トイレ」

「また?」

「……うん」



 さらに翌日の昼休み

「美奈子ちゃん、また?」

「うん……トイレ」

 その声には何の感情もない。

 声だけじゃない。

 その顔には何の感情も浮かんでいない。

「……具合悪いの?保健室行く?」

「ううん……トイレに行くだけ」

「美奈子ちゃん?」

 教室を出ていく美奈子の後ろ姿に、未亜は何だか言いしれぬ不安を感じた。



「水瀬」

 廊下で水瀬に声をかけたのは南雲だ。

「時間あるか?」

「うん。今、塩水飲んできたから」

「昼飯か?塩付きとは豪勢で結構だ。ところで、詩乃先生から言われたんだが、ここ2日程、桜井が授業をサボっているというんだ。何か知っているか?」

「そうなの?僕、昨日は仕事で休んだから」

「……そうか」

「具合悪いんじゃないの?」

「水瀬」

「ん?」

「これは信楽のカンだが」

 南雲は言った。

「何か……桜井の背に、“よくないもの”が見えるらしい」

「……未亜ちゃん、霊感あったの?」

「少なくとも、俺が隠れて酒飲むのはわかるらしい」

「……」



「やっとわかった!!」

 未亜が水瀬を引っ張りながら廊下を走ったのは、さらにその翌日のことだ。

「わかったって、何が?」

「美奈子ちゃんの居場所!」

「桜井さんの?」

「そうっ!C棟のトイレ!ヤバいって、あそこは!」

「?」


 未亜は水瀬の腕を掴む手に力を込めながら、水瀬に話した。


 最近、未亜が本気で収集、発表した「明光学園七不思議」の一つに『C棟のカタカナ落書き』がある。


 C棟は4階建て。女子トイレは各階に1つずつ。

 そのどこかにカタカナで書かれた落書きがある。

 普通なら見逃すか、清掃の時に消される程度。

 ただ、それが七不思議に数えられる理由がある。

 それは―――


「何それ」

「だから、本当なんだって!」

「落書きに返事したら呪われるって……ありえるの?」

「わかんないけど。用務員のシゲさんから聞いたもん!過去にやって精神病院から出て来なくなった女子生徒が何人かいたって!」

「……」



 水瀬と未亜は、1階から女子トイレを虱潰しに探した。

 授業中に使われるトイレは少ない。

 ふさがっていたのはたった一つ。

 3階の一番奥の個室だ。


「美奈子ちゃん?美奈子ちゃんっ!」

 カギのかかったドアを未亜が叩く。

 返事はない。

「人の気配はするけど……」

 水瀬は懐から呪符を取り出し、未亜に手渡した。

「対霊護符の最新版―――持っていて」

「何か見えるの?」

「これ……ちょっとマズい」

 スカートの内側に隠していた霊刃を取り出しながら、水瀬は未亜に説明した。

「建物の中にも霊が溜まりやすい場所ってあるんだ。それがここ」

「個室の中に?」

「うん。スゴく集まっちゃってる。それが悪さしてるんだよ」

「わ、悪さって!?」

「……落書き」

 ―――下がって。

 水瀬は霊刃を抜いた。


 霊刃の切っ先がカギを貫通した。

「……防火シャッター以来だよね……学校壊したの」

「あの時は、大目玉だったけど―――」

 未亜は言った。

「今度は私も一緒に謝ってあげるから!」

「……ありがと」

 水瀬はクスリと笑うと、ドアを押した。


 ギイッ


 木製ドアが軋んだ音を立てて開く。


「―――っ!?」

 おっかなびっくり中をのぞき込んだ未亜は、口元を抑えて2、3歩後ずさった。


 明光学園のトイレは白い。

 清潔感を出すためだろうが、それがどうだ?

 少なくとも、未亜はこんなトイレを見たことはない。


 トイレの中は―――真っ黒だった。


 床には美奈子が持ち込んだんだろう。

 サインペンが何本も転がっている。


「……成る程?」

 水瀬は感心した様子で壁を見た。

 黒いタイルを使ったんじゃない。

 白いタイルに幾度もサインペンで書き込んだ結果、真っ黒になったんだ。

「お掃除……大変なんだけどね」

 マジックなら大事だよ?

 水瀬は一人呟くと、便座に座った美奈子を見た。

「桜井さん、大丈夫?」

 その呼びかけに返事はない。

「……」

 美奈子は、焦点の合わない眼で、壁を見つめていた。

 サインペンのインクで真っ黒に汚れた手に構うことさえない。

 壁に書き込むことを止めようとしない。

「……」

 水瀬は、ポケットに入っていたウェットテッシュでタイルを拭いた。

 美奈子が何を書いているか知るためだ。


 タイル一枚が白さを取り戻した途端、美奈子の手が動き、先のつぶれかかったサインペンがタイルに言葉を紡ぎ始めた。


「……」

 水瀬は、その一文を見た途端、美奈子からサインペンを奪った。

 そして、何事かを書き込んだ。

「水瀬君―――ひゃっ!?」

 グゥォォォォォォォォッ!

 ビャァァァァァァァァッ!

 苦しみ

 無念

 憎悪

 ―――様々な叫び声がトイレの中に響き渡ったのは、その時だった。


 思わずその場にへたり込んだ未亜が、再び水瀬に声をかけられるまでには、しばらくの時間が必要だった。


「み、水瀬君?」

 震える体を励起して立ち上がった未亜の目の前。

 サインペンを奪われた美奈子がぐったりとして便器に寄りかかっている。

 用を終えたサインペンを床に落とすと、水瀬は美奈子の脈を取っていた。

「……眠っているだけ。すぐに戻るよ」

「ど、どうなったの?」 

「追い出した」

「何を?」

「霊」

「はぁっ!?」



 水瀬が指さしたのは、先程、水瀬がふき取った一枚のタイル。


 そこには、水瀬の字でこう書かれていた。


「落書きした人には、校長先生のお説教が待っています」


「……ねぇ」

 未亜は半ばしらけた声で訊ねた。

「これで、本当に、霊を追い出せたの?」

「うん」

 未亜はマジマジとタイルを見つめた。

 水瀬の書き込みの横には、美奈子の字で


 私は水     です。


 そう、書かれていた。

 “水”と“です”の間はふき取られて判読出来ない。

 消したのは間違いなく水瀬だ。

 水瀬はその書き込みを読んだ。

 読んだ上で消した。

 何故?

 私に見られたくなかったから?

 未亜は水瀬の横顔を見ながら首を傾げるしかなかった。


「……んっ」

 美奈子の眉がピクリと動いた。

「ん?」

「気が付いた?」

「……水瀬君?」

「うん」

「……ここ、どこ?」

 美奈子はぼんやりとした顔でそう訊ねた。

「女子トイレ」

「女……子?」

 ようやく美奈子の頭が回転を始めた。

 ここは女子トイレ。

 そして目の前には水瀬君。

 女子トイレは女の子しか入れない。

 水瀬君は男の子だ。

 つまり―――?


「キャァァァァァァァァァァッッッ!!」


 一体、どこから声を出しているのか。

 美奈子はC棟全体に響き渡った程の悲鳴を上げた。


「何考えてんのよ!このHスケッチワンタッチっ!」


「桜井さん、意味わかんない」

「み、美奈子ちゃん落ち着いて!」

「未亜っ!?ま、まさかあんたが手引きしたの!?」

「だからっ!」

 仁王立ちになった美奈子を前に、未亜は何故か、水瀬の目を両手で覆いながら言った。

「水瀬君、見ちゃダメだよ!美奈子ちゃん、パンツ、ついでにスカートめくれちゃってるよ!」

「……へ?」

 美奈子が恐る恐る見た足元。

 スカートは完全にめくりあげられ、お気に入りの下着は膝下だった。

 つまり、美奈子の下半身は今―――


「―――っ!つっっっっっ!」

 美奈子が再び悲鳴を上げようとしたその瞬間―――


 バンッ!

「これは何の騒ぎですかっ!?」

 トイレのドアが荒々しく開けられ、トイレに踏み込んできたのは、水瀬達にはイヤでも見覚えのある人物。

 出武いでたけ校長だった。


「先程の悲鳴は何ですか!」

 そう怒鳴る校長の目の前。


 パンツを膝まで下げ、スカートをたくし上げた女子生徒と、尻餅ついたまま、後ろから目隠しされた女子生徒、目隠しをする女子生徒の三人がいた。

 校長はその三人を全員知っていた。

「1年A組の桜井さんに信楽さんですね!?桜井さん、何ですかっ!そのはしたないにも程がある格好は!そして信楽さんと―――」


 問題は、その最後の一人だった。



 翌日の学校掲示板


『告知

 以下の者、女子トイレ侵入の罪により卒業まで女装の罰に処す。


 1年A組 水瀬悠理』



「ねぇ聞いた?」

「うん。1年の水瀬君、桜井って女の子と、C棟のトイレでHしようとして、校長にバレたって」

「そうそう!それで、水瀬君が男として責任とったって!」

「かっこいいよねぇ!」

 掲示板の前で、女子生徒達の無責任な会話が交わされる。

 その横を歩くのは綾乃だ。

 その顔は何故か血走っていて、髪が逆立っていないのが不思議なくらいだ。

 綾乃は携帯電話で誰かとしきりに話している。


「水瀬君が登校しているのは分かってるんです。お金に糸目は付けません。探してください。見つけたら?決まってます」

 綾乃は背負ったバッグを軽く揺らした。

 ガシャッ!

 バッグからはそんな音がした。


「―――二度と桜井さんとそんなマネ出来ないように、“教育”してあげるんです。同罪に処されたくなければ、何をすべきかは、わかっていますね?……未亜ちゃん?」



 

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― 新着の感想 ―
[良い点]  なかなかテンポのいい文章になっていますね。すらすらと読むことができました。 [一言]  私自身もみなこなので、検索していて目にとまりました。でもわるさすると女装して通学しないといけない学…
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