3 宗狂の目覚め ‐ 道の踏み様
起床 - 5:00
訓練 ― 5:15
朝食 ― 6:00
訓練 ― 6:20
物資運搬及び各種作業 8:00
講義 - 9:00
雑用 ― 11:00
昼食 ― 13:00
訓練 ― 13:30
技術作業習得 ― 14:30
訓練―――――
訓令兵や下級兵士の日々などそんなものだ。毎日決まった予定に沿った訓練で心身を鍛え、実戦に備えて多種多様な知識を学ぶ。一般的な軍隊を育てる上ではまだまだ生ぬるいようなメニューなのだろうが、それでも大抵の者たちはこれでさえ根を挙げる。群雄割拠の世の中において、軍に入れば危険の代わりになんらかの尊厳や優越感を得られるものだと思い至り、軍の門を叩く者は後を絶たないが、実際にそんな彼らを待っている光景はただの平和ボケした軍隊の訓練と、実戦に出向いた際の圧倒的苦境による絶望だけだ。絶望を経た兵士はそれがたとえ初陣だったとしても歴戦の猛者のような心境に至る者もいれば、心を病ませて朽ち果てる者もいる。新聞に戦争の大見出しが掲げられていたとしても、それを正しく認識できている者など、滅多にいるものではないのだ。
実戦を経て、成長する者はおそらく最初から決定されているのだろう。そういう運命、そういう筋書きの元で生まれついたのだ。言ってしまえばそれは神の判断。人の内部の価値や能力は結局は神だか、運だかに任せるしかないのだろう。
「ここにいたのかクレイル、探したぞ。……なに不貞腐れてんだよ」
「兄さん……」
昨夜まで続いたハンス城の消火作業。就寝時間が時間だったためにまだまだ睡眠欲がぬぐえない早朝の時分だが、それでもクレイルは一睡もすることなく城壁わきの小さな水車の近くで石壁に凭れて煙草を吸っていた。煙草の禁止を課すような軍の体面ではないため、新米の兵士でも中には煙草を吸う者もいるのだが、こうして作戦行動として敵城に遠征する際に煙草を吸う者は殆どいない。自分の隊の失敗をとかく咎めないことで有名なインフィスの中隊に所属していることから彼を失望させてはならないという暗黙の了解が働いているからなのかもしれないが、今の彼女にはどうでも良いことだった。
クレイルは紫煙を大きく舞わせると、煙草の火を消して兄を見やった。
「昨日の事、まだ気にしているのか…?」
「そりゃあそうでしょ。初陣であんな暴力を見せられたら誰だって嫌な気分になるよ」
「だが、上官に意見するのはお門違いだ。あの人は俺たちよりよっぽど戦いに慣れてるし、やるべきことはきちんとやってくれし、指示を聞けば必ず結果を出させてくれる。少なくともお前は三等兵だ。隊長に楯突いてまだ中隊に残れていることは滅多にないんだぞ、そこを理解しろ」
クレイルは口の端を歪めて顔を背けた。
「私だってね……正しいかどうかを無視した狂気が必要な時もあるってわかってるんだよ。でも、あの時のことを反省したわけじゃない。私は兄さんやあの隊長みたく現実をそのまま飲み込むことも、支配することも出来ないんだから…」
彼女はクシャーナの目を見て話すことが出来なかった。
およそ半年前にザパリキアの徴兵を受けて軍の一部に加わり、軍の戦力になるべくして訓練を受けてきた。時には過酷な訓練もしたし、様々な役職の人物や上官と面会することもあった。訓練兵時代にはその無尽蔵と思われるほどの体力を買われ、長距離兵站の部隊に参加。三等兵という駆け出しの新兵でありながらもいくつかの任務に対する功績でかの有名な隊長インフィスの率いる二百人規模の中隊への入隊が叶った。その中隊には自身の兄も所属しており、同じザパリキアの者として戦場に立てるという自負はとても大きなものだった。
しかし現実はなんとも言い表せないような過酷で満ちている。もともとザパリキアという国自体がカリルデシュー教に属している北部列強の国家の中でもかなり地位が低く、信仰心が足りないという各国からの指摘を受けていることは兵士でなくとも知っていることだった。列強の国々では予算を惜しまず建設されているような神殿や聖堂の建設は多様な言い訳を用いて回避し、ザパリキアという国自体が長い間、カリルデシュー教を含めた四大宗狂の介入を極力避けて来たのだ。国民もまたこんな時世において信仰が薄いという状態はとても良いと言える状態ではなかった。だが、それも幾星霜の積み重ねの末の結果なのか、建国して歴史のまだまだ浅い国でありながらも徐々にその国の在り方は無神論に近づいていったのだ。当然、神の存在を否定すればカリルデシュー教からの離反だけでは済みはしない。神への信仰を説くその他の宗狂であるエチ教・ミバンナ教・ファブネル教といった狂信の大宗教を全て否定することになるのだ。それは言葉で言い表すよりもずっと規模の大きい話だと言い切れる。
「ハンス家の襲撃にはそれを目撃する第三勢力がいなかった。…のにも関わらず、まるで見せしめとでも言いたい風な殺し方をあの人はわざわざ選択した。いつもは優しくて人気のあるモースさんも同じ。あの時の彼らは狂ってた…たとえそれが必要悪とか、なんらかの最大効果が見込める行いだったとしても、そんなにすんんなり受け入れたりなんか出来ないよ……」
「クレイル……」
「それでも時代の節目に立ち会えたってのは大きいかな。……あの場に立てたってこと自体に重みを感じてるのには間違いないよ。これからの時代がどうなるかとか、私たちがどうなっていくのかはわからないけど、とにかく休んでるのは今だけにするよ。私は軍人だし、この仕事から離れる気はないよ」
そこでやっと彼女は兄と目を合わせた。そこで、クレイルは兄の表情が奇妙に強張っているように思えた。感動しているのか、怒っているのか、泣いているのか。とにかくなんらかの感情が顔に現れようと必死に自制心とせめぎ合っているような表情だった。
「どうしたの?」
「いや、あのクレイルも大人になったんだなぁって思っただけだ」
「えぇ~……見直されるくらい頼りなかったかなぁ」
「まぁあんまり気を詰まらせるもんじゃないぞ。俺の時はショックがでかくて三日三晩寝込んだもんだ」
「兄さんの時って?」
「俺が初陣に出た後のことだ。人の血を浴びまくって、戦場で気絶して目覚めたのは床の上だった。その頃はまだモースさんが隊長だった頃だから、四年前でお前と同じ三等兵だったな。うん、お前は十分精神的に熟成してるし、大した奴だと思うよ」
クレイルは兄の顔を最後まで見なかった。
★ ★ ★ ★
「遅いなぁ……あの兄妹が来ないとコレ終わんないんだけど」
鳴り響く剣戟の響きの中に、無駄に感情が込められていることにモースは嫌気がさしていた。
ハンス城を攻略してその翌日。ザパリキアの王都スヴェヘリより国王ワールスが到着し、復興中の城で身を休めている。この城の攻略を命じられたインフィスは、この城を攻略した際に王が謁見に来るとは知らされていたがまさかこの城を国王が王子を住まわせるのに利用なんてことを予想してなかったため、派手に城に火を放ってしまった攻略方法に責めを負わされて授与されるはずだった名誉称号をモースに横取りされてしまった。
インフィスは一応その事自体には文句も何もなかったのだが、なにより不服なことは王が王都スヴェヘルから共に行軍ルートを進む際に連れて来た国王直属の宮殿親衛隊の者たちの到着だった。今はそのうちの一人であり、剣聖とまで謳われたザパリキアの名兵士クシャトラと彼が王の余興と暇潰しのために剣技での決闘を繰り広げていたのだった。
「あらぁ~やっぱりタフねぇ♥…でもインフィスちゃんらしくないわ、少し焦って来てるんじゃないのぉ」
「黙れクソ爺。そっちこそお得意のおしゃべりで俺のペースを乱しに来てるあたり、相当焦ってるように見えるぞ」
「あらあらぁ~もうっ、かわいいこと言っちゃってぇんもうっ!なんならもう一段階速くしてもいいのよこっちは!」
インフィスは愛用している少し重めのロングソードを小刻みに動かして、相手の猛烈な連続攻撃を受け流したり、捌ききったりなど、とにかく防御に徹している。圧倒的なタフネスからの反撃が自慢の彼ではあるが、今回は実戦とは違って反撃手段としての拳銃は使用できない。従って、彼の戦闘手段としては相手の体力が尽きるまで攻撃を受け続けるしかないのだ。
しかし、一対一なら無敵を誇るほどのタフネスが自慢のインフィスであっても、苦手な相手は存在する。その最たる例が現在対峙しているクシャトラだと言っても良いだろう。彼はスピドリュと呼ばれる細剣とロングソードの中間をとったような形状と性質を持った武器を扱い、その攻撃速度はとにかく速い。もともと攻撃的な攻勢展開が得意な細剣の特性に加え、大剣とぶつかり合った際でも条件次第では折れずに受け流すことができるロングソードの特性を兼ねており、多少斬撃の侵入に難があるものの極めれば非常に強力な殺傷武器になるという代物だった。
加えて対戦相手の内面的な性質。彼、いや彼女とでもいえば良いのか。とにかくクシャトラは屈強な男性の肉体を持ちながらも非常に女性的な性格を有した人物であり、その口調やら仕草は完全に女性のそれに寄っているのだ。陽気で調子のよい彼の性格は誰でも引き寄せるあたりの良さはあるのだが、インフィスはどうしても彼に対する生理的不快感を断ち切ることは出来なかった。それにはクシャトラが今まで彼に対して執拗に構ってきたことも原因に挙げられるだろう。
インフィスは剣戟の合間を突く様にして迫って来るそのスピドリュの攻撃を回避しつつ、間合いを詰めては広げ、そして急接近して詰めてくるクシャトラの奇抜な動きに合わせて少しずつ体重のかけ方を変えていった。おそらく、クシャトラは複数種の攻撃方法を織り交ぜての斬撃を得意としていて、それらはひとたび間合いを取らせてしまえばこの試合の勝敗を決してしまうことになるだろう。クシャトラの戦い方は剣術というよりは踊りに似ていて、踊りに加わる様にして攻撃の調子を合わせることは出来るのだが、あまり踏み込みすぎればひとたびテンポが外れでもすればそのままリズムを取り戻すことは出来なくなるだろう。
「あんまり受けばっかりしててもつまらなくなぁい?攻めのチャンスをあげようかしらっ」
屈強な体格と渋い顔にがっつりと化粧を施したクシャトラが甘ったるい声でそう言うと、激しい攻撃を繰り出していたその構成展開をピタリと急停止させた。攻撃を返すなら今しかないと言わんばかりに目を見開き、終いには両手を広げて己の剣の間合いをわざと遠ざけている。
(揺動の一種だということはたかが知れてる。この爺の思考に沿えば、おそらく俺がすぐに乗ってこないのは想定内。となれば裏をかいて俺が攻撃に転じた場合にもそれなりに返す術もあるはず。……さすがにこの調子で打ち込んできても最終的には体力で圧倒的に勝る俺が勝つことは目に見えてる。それくらいは悟ってるだろう)
しかし、王の面前だ。余興にも通じるこのクシャトラの余裕を前にしてなお防御に徹するようでは余興としては面白みに欠ける。となるとこのわざとらしい隙はあえて王のために生み出したとでも考えれば良いのだろう。ここでの判断が、やはり王からの印象を左右すると考えれば少し思考を要する事態だ。
「くそっ……」
「あと一秒よ」
(それでも俺はこのクソ爺に負けるわけにはッ)
インフィスは防御の構えをとった。そしてクシャトラは愉悦に歪んだ笑顔を見せると、インフィスの防御の構えを絶好の隙と言いたいばかりに腕を背後に交差させ、それと同時に前方に跳ねた。別に人間を越えた跳躍力を持ち合わせているわけではないのにインフィスにはそれが酷く恐ろしく見えた。先程までは片手に握られていたスピドリュが両手に握られている。しかし、もう一本を隠し持っているようには見えなかった、もし持っていたとしても、先程までの異様な速度での攻撃は難しいはずだ。
そんな彼の一瞬の思考を吹き飛ばすかのようにしてインフィスは敗北した。
自慢のロングソードはらしくなく空を旋回して地面に突き刺さり、彼は膝から崩れ落ちた。剣の腹で最後の攻撃を受けたもののその衝撃はほぼ軍服だけの状態では受けきれるものではなく、トドメの一撃としてクシャトラが放った回し蹴りが確実に彼の体にダメージを届けたのだ。
「う……ッはぁ……はぁ……クソがッ」
「あらあら、インフィスちゃんが息切れして喘いでる所なんて滅多に見れないわよ~。見物人の皆様方、およびワースル王。手前、ザパリキア国宮殿親衛隊副官クシャトラが僭越ながらしばしの余興をお送りさせて頂きました。ご協力くださったザパリキア軍中隊長インフィスに大きな拍手を、どうかっ」
クシャトラのわざとらしいお辞儀の後、疎らな拍手がやがて歓声を連れて来た。インフィスは一瞬だけ薄れかけた意識の後すぐさま立ち上がり、その体力と強靭さにも拍手が沸いた。剣聖クシャトラとは言うものの、その肉迫での攻撃力も大したものだ。それを受けてなおすぐさま立ち上がるその姿はまさに死にぞこないのそれ。どんな攻撃を受けても再生する不死鳥にも例えられそうなものだった。
★
「あーもう、クレイル三等兵の特別指導者を決めるせっかくの機会だったのに……来る前に決着ついたら駄目でしょ」
「モース副官っ。遅れて申し訳ございませんっ」
腕を組んで困っていたモースの元にクレイルを連れたクシャーナが駆け寄って来た。かなり走って来たらしくクシャーナはかなり息を切らしていたのだが、妹クレイルに関してはまったくその素振りを見せなかった。その様子を見たモースは物珍し気に彼女を見つめ、彼女もまたその視線を返す。
「あの、私をお呼びとのことでしたが……もしかして規律違反の懲罰でしょうか?」
「いいや、インフィスは君を名指しで注文したんだ。彼に呼ばれるってことは結構期待大だろうと思ってたけど、ふーん、確かに見どころはありそうだね」
「あの、よくわからないのですが」
「まぁ、本人から聞きなよ。クシャーナ一等兵。君は僕の方で預かる。悪いようにはしないからついてきなって」
「は、はぁ」
モースはクシャーナを連れて早々に立ち去った。残されたクレイルはまだまだ賑わいを見せる人だかりの中を眺めた。するとその人だかりが何かの拍子にすっと晴れ、その奥からなにやら足取りのふらついたインフィスの姿が近づいてきた。
「さ、選べ」
インフィスはそれだけ言うと、人だかりの中からすぐさま接近してきたチミィに対して、椅子、と言い、彼女はすぐさま椅子を用意した。彼は古びた椅子に腰かけると深く息を吐き、蹴られた右胸に手を当てた。
「選択肢が提示されないと……」
「なんだ、モースから聞いてないのか?…まぁいい。俺とそこのオカマのどっちから剣術の特別訓練を受けるかって訊いてるんだ。攻撃的な戦い方が好きならあっちにしとけ、俺はお前のタフネスを見込んで提案するから俺の剣の方が似合うと思うが……」
まず、クレイルは唐突に剣の稽古だのオカマだの言われても話をすぐには呑み込めなかった。だが、何やら神妙な面持ちのインフィスと奇妙な歩き方で接近してきたごつい体格と女性的な表情の人物を見て、冗談の類ではないことはわかった。
「つまり、私に剣の素質があるということでしょうか?だからそれを伸ば……」
「あらあらぁ~違うわよお嬢ちゃん♥インフィスちゃんは強い人間に興味ないわよ~、この子は自分より狂ってる女の子が大好きなのよねぇ」
まだまだ喋りたそうにしているクシャトラに対し、インフィスは拳銃の銃口を向けた。
「黙ってろ」
「あら、可愛い♥」
「クレイル三等兵。理由は自ずと気づくことだ。今はただ選べ、選択肢は与えたぞ」
クレイルは項垂れた。
「じゃあ、両方を師事します。どうせならお二方から剣を学びたいのが私の回答です」