1 宗狂の目覚め ‐ 戦場の七面鳥
木製で、なおかつ光沢もなければ造形が特別目立って優れている訳でもない椅子。しかし、ザパリキアの軍人の、それも上級士官の多くはこれと同様のものや同作者の椅子を愛用することが多い。
座り心地においてはとても賛美できる点はないように思える、かなり以前からクッションを使用したふかふかで背や腰に負担の少ない椅子が人気を保持しているのだが、なにしろそれらの椅子は重い。とにかく重い。中に人でも入っているのではないかというほどに重いのだ。戦場に持ち込むにあたり、そういった重たい椅子を部下に運ばせるのが忍びないと思ったザパリキアの今は亡き先人たちが、いつしか木製の椅子を好んで持ち込むようになったのだ。
その戦場が火の粉チラつく惨状だったとしても、士官や隊長にはなにかと落ち着きが求められるのだろう。その点、今自分の部隊を率いて眼前に聳えるハンス城への強襲を取り仕切っている中隊長・インフィス青年にとっては条件的に見れば最適なのかもしれない。戦場において、気分を害している彼の姿を見ることは部下にとって日常茶飯事ではあるが、ついぞ焦っている姿は見たことが無いのだ。彼もまた戦場に木製の古びた椅子を持ち込み、その椅子にやや猫背の状態で腰かけている。
飛び交う火の粉を背景にして、彼はハンス城の中庭から空高く伸び行く幾つもの塔を眺めている。その手には丸焼きになった鳥らしき形状の肉塊が握られていた。握られているというよりは、抱えているという方が適用なのだろう。歯型がいたるところに残されているその肉の表面には零れ落ちんばかりの琥珀色に照るソースが覆っており、一口齧れば口全体に甘い風味とジューシーな肉汁、厚い肉は噛むほどに満足感と幸福感を僅かながらに感じさせる。だが目を少しでも動かせばそこは火をあげて燃えている城が聳えており、僅かながらの食の幸福を現実の痛みでかき消されてしまう。
「戦場で七面鳥を喰らうとはなかなか大胆だね。カリルデシュー神は鳥を食べることを禁止したわけだし、ザパリキアだってまだまだ鳥肉の文化は再興するレベルになってないのによく手に入ったね」
火が付き、今にも燃え尽きそうになっている花を片手に摘む優男がインフィスの背後から彼に声を掛けた。その花はやはりすぐに燃え尽きて彼の手の上で離散し、土に還っていく。
ハンス城で代々城主を続けて来たハンス家は、世界四大宗狂であるカリルデシュー教を信仰している北部列強国家群の有名貴族家だ。その領地は城を三つを中心にして主に周辺の平原を統括するほどの財力を持っており、所有する武力は騎士の大隊を組織できる程のかなりのものだった。そして、その城に攻撃を仕掛けている勢力はインフィスの中隊が主となった北部の国家ザパリキア。僅か十七時間前まではこのザパリキアもまた北部列強の一部としてカリルデシュー教を信仰し、最高神カリルデシューやそれに付属するいつくもの教えを順守する敬虔な宗徒の国の一つだったのだ。
「北部列強だろうがなんだろうが、離反するなら全力で喧嘩を売ってやる。鳥を食べるなと言ったら食うし、人を殺せと言えば救う。逆も然り、俺たちには世間体を気にする余裕と必要はないわけだ。それに……」
「それに、どうした?」
中隊の隊長であるインフィスの部下であり、相棒である中隊副官のモースはインフィスの怪訝な表情を見て心配そうに尋ねた。しかし、その数瞬の間の後に見せたインフィスの笑顔を見てその内容を察した気がした。
「それに俺はこの時、この瞬間、そしてこの先の時代を誰よりも望んで来たんだ。十年前からこの瞬間のために生きて来たと言っても良い。そしてこれからの世界は俺の生き甲斐だ!世界に蔓延る邪教の狂徒に思い知らせてやるさ、新たな宗狂の誕生をな……」
笑顔、といっても一般的によく見かける爽やかさを感じるそれや、笑いに伴うそれとは明らかに異なる笑顔。普段は小さくしか開かない彼の口が裂けたように弧を下にした三日月状に引きつり、耀きを失っていた藍色の瞳はかっぴらいた瞼と共に巨大化したように見え、その瞳に映る炎の所為もあって異様に耀いて感じた。ブロンドのミディアムヘアのは熱風に揺られて乱れていた。
「俺の野望の話なんて聞き飽きただろ?さっさと仕事の話をしよう。状況を教えてくれ」
「んん。預かった弓兵は予定通りハンスが差し向けた分隊の足止めに成功したよ。それでこっちもある程度部隊を分割して城への道を抑えてる。とはいえこっちにはお前がいるから別に部隊を寄こす必要はないと思ったんだけど、チミィちゃんに連絡任せっきりでも悪いしね。王様が到着するまでは僕の部隊で城への道は護るつもりだよ」
「そうか……いや、お前にはこの城を任せたい。どうにもお偉いさんはでかい建物があるとどんどん上に逃げ込みたく習性があるらしくてな、火を放って結構時間たったわけだが一向に落としきれない。さっきチミィから城に近づいてくる中隊を確認したらしい。おそらくはハンスに縁有る傭兵団だろう。俺はそっちの処理に回りたい、どうだ、頼めるか?」
モースは中庭からあたりの様子を見回し、自分が動かせそうな兵士の数と状態を確認する。城に強襲を駆ける以上は籠城されて然るべきところであり、インフィスが指揮する隊は護りが硬くて耐久力に長ける反面、短期決戦や対籠城戦などの攻めの決め手に欠ける部分がある。指揮をモースに変えたところで多少部隊攻撃を過激化できるだけで安易に優勢に持ち込めるわけではない。それに武勲を誇るインフィスが攻城から離れたと伝われば精神的な面で立て直されてしまうかもしれない。
「チミィちゃん。こっちに向かってる中隊の隊長は?」
モースはインフィスが腰かける古びた椅子の後ろで背もたれに顎を添えてインフィスの肩から顔を覗かせている小柄な女性に声を掛けた。白髪のショートヘアの彼女の頭には燃えた木々の灰が積もっており、それが気になったのか彼女はまずそれを払い落としてから、燃える戦場には不似合いな冬季山岳進行用の分厚いコートを羽織ってそのフードを被った。そして、背負っている濃い緑色のリュックサックに手を突っ込み、しわくちゃになった紙を取り出して見せた。
「……あのね、確かね~…ミョウレンとかいうおじさんの部隊だね。インフィがいくなら私も行くし、なんか欲しいものあるなら今のうちに言って」
「ミョウレンか。結構名のある傭兵だね。だからインフィスが行く必要があるのか……よし、わかった。僕がこの城を落として見せる。後はインフィス、君の好きなようにやってくれ」
「助かるよ。チミィを連れてくが、大丈夫か?」
「武器は足りてるけど、一応RTYの弾丸を一セット欲しいな」
モースがそう言うとすぐにチミィと呼ばれる女性はまたもやリュックサックに手を突っ込んだ、二秒程漁っていた所、手榴弾やらダガーやらのなんとも如何わしい武器が零れ落ちているのだが、彼女はそれを気にしない。チミィはシンプルな白い箱を取り出すとそれをモースに投げ渡し、ニコリと微笑む。
「じゃあインフィ、行こ」
「ああ。でもちょっと待て」
インフィスは木製の椅子から立ち上がると、残っていた七面鳥の丸焼きを二つに割いて片方をチミィに渡し、もう片方をモースに投げ渡した。軽々と受け取ったモースはきょとんとしていたが、悪戯っぽく微笑むインフィスの姿を見て呆れると、黙って振り返って城の内部へと駆けていった。
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「警告するッ!!ただちにハンス城への不条理、理不尽なる暴挙を停止し投降しなければ、我らの貴族ハンス家に仕える傭兵団が貴様らの殲滅を取り行う!!無駄な抵抗はやめ、投降せよ!」
ハンス城へと続く平原に並ぶおよそ百五十人の中隊はおそらくモースの部隊が抑え込んでいる通常の行軍ルートを避けて来たのだろう。こうして慣れていない投降の傾国を発している眼前の部隊は他に城の奪還に向かっているはずの部隊の不在を受け、少なからず焦っているはずだ。とはいえハンス城を急襲したとしてそれにすぐに対応できる部隊など少し調べれば予想が容易だし、こうして戦場に現れる傭兵団などもとより敵として考えるまでもない。
緊急事態を受けて援軍に来た者たちなど、地理、情報力、周到に準備した者たちと比較した際の装備や糧食など、そもそも計画を立てて攻め込んできている者に対し、即興で編成されて飛び込んでくる者たちとの戦いは数という観点を除けば完全に上下関係が成立する者なのだ。
インフィスは背後で燃え上がる城壁の熱風を受け、それを今まさに見ているであろう眼前の傭兵たちを睨み付けた。両部隊の距離はおよそ百メートル。弓の打ち合いでは微妙なバランスで拮抗するだろう。しかし単純に数だけ見れば百五十の傭兵団に対し、インフィスの率いる部隊は僅か三十人足らず、真正面に向き合うのも躊躇うほどの数の差だ。しかし彼らはわざわざ傭兵の接近で平原に出向いた手前、数の差を見たからといって退くわけこともない。
「これは最高神カリルデシューの意に反する冒涜行為だ!背教の罪は万死に他ならないッ!!死後の安寧すら許されない苦行の中で過ごしたくなければ、今すぐ投降し、傷つき、罪を贖え!!」
傭兵団の団長らしき男がなおも叫ぶ。名のある傭兵ミョウレンとは名ばかりか、なんとも威厳に欠けた威嚇行為だ。インフィスは俄然、部隊をぶつけて彼の本職の強さという物を見せてもらいたい衝動に駆られた。
「免罪符とかいう金の力で罪を洗おうとしないだけ、カリルデシューは褒められた教だな。でもその分、血が流れるし、死ぬ人間は多い。法の基準が宗狂なもんだから、罪に一度問われれば裁判すら機能しないゴミのような死刑宣告だけが正義になる。気に入らなければ殺す、壊す、何故なら神の意志だから。絶対神が言ってたんだから仕方ない、あいつは死んで当然だったんだ。……ほんとあんたらの頭は心地いいくらい沸いてると思うぜ」
インフィスは向かいあった傭兵団にわざと聞こえるよういに言い放つと、傍らにいるチミィに向けて手を差し出した。彼女はすぐさまリュックサックの中からロングソードを取り出して彼に手渡す。とてもリュックサックの大きさからは信じられないような収納物だが、確かに彼の手には今、全長80センチメートル、幅広4センチメートル。質量1.7キログラムの正真正銘のロングソードが握られている。深い翠色の軍服にはとても似合わないその歴史的な武器を持ち、彼はそれを眼前の傭兵集団に向けて突き出した。
「我ら北部列強が一、ザパリキア国は十七時間前、その列強国を結びつける大いなる信仰のカリルデシュー教から離れ、新たなる教えを国教に定めることを世界に発表した!我々の求める世界は貴様らが狂ったように説き伏せる神という存在がない世界。いや、虚構が張れた真の世界だ!あえてこの場で貴様らに向けて丁寧に言ってやるとすれば言葉は一言で終わるほどに簡潔なものだ……」
インフィスは差し向けた剣を真上に振り上げる。それと同時に横に広がっていた彼の率いる部隊が行進を始める。
『 この世界に神などいないッ!!! 』
弓が放たれる。それなりに実力のある傭兵団なだけにある程度の弓の技術を持ち合わせてはいるのだが、インフィスの部隊には投擲武器が通用しないのは彼の部隊の戦法を知る者たちには周知のことだ。非常にゆっくりと接近する彼の部隊を狙うのはたやすいが、一度弓が放たれたらその直後、部隊が三つに分かれた。部隊の一つは飛んでくる弓を引き抜いたロングソードで叩き斬り、それに唖然とする部隊に対し、刃渡りの短いダガーを持つ部隊と槍を持つ部隊が正面から飛び込むのだ。傭兵の好む重量級の武器はダガーを所有する者たちには有利がつくものの、そこに割り込むようにして槍部隊が飛び込んでくる。接近した傭兵の隊列がいくつかに分かれるものの槍兵の隙を抑えるようにして分断された部隊にダガーを所有する者たちが併せて動き、無理やり標的を自分らに固定させる。ダガーとはいえ小回りの利く武器捌き用のそれは大剣を振り回す傭兵に遅れをとることはなく、隙あらば槍部隊が割り込んで攻撃を仕掛けている。とはいえ部隊の中央はがら空きであり、ある程度距離が開けば乱戦状態でも弓兵の格好の餌食だ。一度目は防がれた弓兵の攻撃だったが、次の攻撃は先ほどよりも距離が近く防ぐことは困難なものだ。ミョウレンは自らも弓をとり、弦を引き絞って槍兵に向けて放つ者の、先程のロングソードの部隊が歩いてその戦場のど真ん中に移動、さも余裕そうな様相で二度目の槍の攻撃を叩き斬り、戦場での援護射撃を向こうかしていく。自然と数の少ないインフィスの部隊は槍兵に守られるようにして全体を囲まれていくものの、いつの間にかその中央で木製の椅子に座っているインフィスは狂喜的な笑顔を浮かべて号令を発した。
「銃兵掃射ァ」
たちまちに眩い発光の点滅が巻き起こり、取り囲んでいた傭兵たちの肉が爆ぜた。血が飛び散り、骨が砕け散り、肉が弾け飛ぶ凄惨な光景が一瞬の空気の揺らぎの中に巻き起こり、たちまちに十秒前の戦場とその姿を変貌させた。
「もともとザパリキアは発達した火器がそこそこ自慢だった国だ。宗教を変えたからってその事実が変わるわけじゃない。それとも神に背いたものは力も失うと思ったか?生憎、戦場においては神の干渉は無いとおもうけどな。加護や裁きが成立するというのなら証明してくれよ。なぁ」
インフィスの部隊は止まらなかった。決して走ったり急接近したりなどはしないが、ゆっくりと歩み寄りながら武器を構え、身体を損傷させた者たちに対して容赦なくとどめを刺す。まだ戦える傭兵もライフル状の武器を構えるロングソード部隊を恐れて自然と脚は反対方向へ向いていた。
「38口径。銃を持たざる者たちに対しては十分すぎる火力だ。弾丸が尽きるまで撃ちまくってもいいが、それより先にそっちが全滅するし、第一うちの部隊はなかなか弾丸が尽きないことでも定評がある。この場で我々の攻撃力を上回ることができるのならやってみろ。決めるのはお前だ、団長さんよ」
インフィスもまた傷を負った傭兵に手を掛けた。出血している足を踏みつけて苦しめた後、ロングソードの切っ先で軽く喉を斬りつけるのだ。それでも人はすぐには死ねない。致死的な傷を負ったとしてもそれでも生きようと足掻くその姿は神の出現によって忘れ去られた人間の命の価値を僅かにでも思い出させることだろう。
「我らには……神がついておられる!絶対不敗を誇った我ら傭兵団は邪教による破滅などありえはしない」
「がっかりだ」
インフィスはゆっくりとミョウレンに接近し、何度ももがきながら弓を発射してくる彼に対して容赦なくその弓を叩き斬って進んでいく。インフィスは黙ってついてくるチミィに対して手を伸ばすと、用意していたかのように彼女は手榴弾を手渡した。
皮肉なことに、傭兵を率いるミョウレンには先ほどの一斉射撃は命中しなかったらしい、どこもかしこも悲鳴や怒声が飛び交う中、彼はそれ以上の形相と勢いで神の加護とやらを訴えている。しかし、インフィスとしてはそれを上回る絶望を傭兵たちに与えたつもりだった。たとえ主導者に鼓舞されたとしても、一度感じた恐怖はなかなか覆らない。
インフィスは持っていたロングソードを振って弓を切り裂くと、すぐさま彼の喉元に刃を突き立てた。
「なぁミョウレンさんよ。俺はわざわざ戦場に飛び込んで来たあんたらを生きて返すつもりはない。大概の奴はボロボロになってトドメを待つばかりだが、まだ足が無事で逃げてる奴もいる。あいつらを助けたかったら今すぐ神の存在の否定を世間に訴えると誓え」
「そ、そんなことをして何になる!?教えは違えど、そこまでも膨らんだ神の教を少数意見で否定するなど、焼石に水をくれてやるようなもんだ。すぐに水の方が蒸発して、世界が変わることはない!」
「意味のない言葉はない。言葉の力が人間をあらしめるのなら、訴える言葉、貴様が部下を鼓舞する言葉もあるいは通じることもある。多くの者が恐怖に負けているあの惨状の中でも、必死に訴えるお前の言葉に救いを感じている者もいるんだ。だから無意味な訴えなどない、人が伝えようとする限りは必ずそれに共振してくれる人も現れるはずだ」
「だがっ…」
インフィスはミョウレンの額に銃口を突き付けた。
「26口径。俺の愛銃だが弾は入ってない」
そしてインフィスは先ほどの手榴弾の安全ピンを片手で引き抜き、背後に向かって投げ込む。数秒後には強い衝撃とさらなる悲鳴。彼は背を向けているが、ミョウレンには体を散らばらせる仲間の姿が見えていたことだろう。
「たとえ空砲だとしても、今のお前は発砲の衝撃と恐怖でショック死する」
「この…悪魔が」
「これが現実だ。覆ることのない勝者と敗者、強者と弱者の世界の形。狂信に最後まで縋るのは構わないが、人を悪魔扱いするな、そもそも悪魔だってもとは神や天使なんだろ?……あえて最後に言っておく」
パァン、弾丸の入っていない銃の叫びが焼けた世界に響き渡る。
「この世界に神などいない」